1 楽しい子育て?
「あれじゃない?」
木陰に隠れてジェルムは指差す。
「聞いてた特徴に一致するから間違いないだろうね」
コキアが同意し、テリアとウドリガも頷く。
四人の視線の先には、泉の上に立つなにかがいる。見た目は光る馬っぽいもので、ときおりその形を崩している。
時間は午後十時ほどだ。村から離れた森の中は暗く、光る物体は非常に目立つ。
「早速退治と行きたいけど、たいした情報がないし様子見で?」
ジェルムの言葉に異議なしと三人は頷く。
四人は気配を抑えて二手に別れ、小石を飛ばしてその反応を見たりと慎重に観察していく。
そうして最後に少しだけ戦ってみることにした。
遠距離攻撃のみで数分戦って、そろそろ切り上げようと思ったその時、馬は今までにない機敏な動きでジェルムに接近した。
「しまっ!?」
呆気にとられた、その一瞬の隙をついて馬の額から触角のようなものが伸びて、ジェルムの胸に刺さる。
触角を通してジェルムはなにかが吸い取られるのがわかった。
「ジェルム!?」
起きた変化にテリアが驚きと戸惑いの声を上げ、その間に馬は東の空へと去っていった。星空の中にあって、馬が空を駆ける姿は流れ星と見間違う者もいそうだ。
あとに残るのは茫然としたテリアたち三人と、変化させられたジェルムのみだ。
幸助たちがそろそろ寝ようかと思っていた時、家の外から幸助を呼ぶ声が聞こえてくる。
コキアの声で、この時間に来るのは珍しいなと思いつつ、幸助は家の外に出る。いつもは朝食後から夕食前に来るのだ。この時間帯に彼らが来るのは初めてだった。
「ジェルムは?」
結界を一時的に解いて四人を招き、疲れた表情の三人に聞く。幸助の言葉通りジェルムの姿はなく、かわりにテリアが二才手前ほどの赤子を抱いていた。赤子はテリアの腕の中でぐっすりと眠っている。季節は冬で、赤子が冷えないよう暖かそうな服を着せさらにマントでくるんでいる。
「いつのまに子供生んだの? 父親は?」
「あんなに激しく燃え上がった夜を忘れたんですか?」
「おっと、これは俺としたことが」
額を軽く叩いて、テリアの冗談にのる。コキアは信じて驚き、ウドリガは呆れて二人を見ている。ただしコキアが驚いているのは、赤子が二人の子供ということではなく、夫婦のような関係をもっていたことにだ。
「んで、本当のところは?」
「とりあえず中に入っていいですか? 寒いのは赤子の体に障るので」
「あ、そうだね。ごめん」
「……え? 冗談だった?」
二人の会話で、自身が思っていたような関係ではないと気づく。二人の仲が悪くはないので、つい信じてしまったのだ。
それに幸助とテリアは笑いながら否定した。
「スープの残りもないから、お茶でいいよね?」
体が温まるだろうと、尋ねつつお茶を入れていく。様子を見に来たエリスとウィアーレの分も入れてそれぞれの前に置いていく。
テリアたちがお茶を飲み、一息ついたのを見て幸助は再び問う。
「それでジェルムはどうしたの?」
「この子がジェルムなんです」
幸助たち三人の視線が赤子に集まる。髪の色が同じな以外は年齢も体格も違う。
「いつもの冗談?」
「いえ、今回は本当なんですよ」
コキアとウドリガが同意するように頷く。
「とある精霊のせいでこんな姿に変わっただよ」
「そんな風に生き物を変える精霊なんぞおったか?」
聞き覚えがないとエリスは首を捻っている。
「もとはコントラバレアっていうらしい」
コキアが言った精霊には、エリスは聞き覚えがあった。だがそういったことをできる精霊ではないと知っている。
コントラバレアとは精霊の一種で、秋田犬サイズの馬だ。実体はなく、光る馬としての姿を持つ。知性を持つ生物が触れると、その生物が一番記憶に残っている映像を空中に描く、そんな力を持っている。害意を持って近づかなければ無害な精霊だ。害意を持って近づいた場合は、その者の一時間前までの記憶を消して逃げる。
「もとってことは変異種でも現れたか? それなら通常とは違ったことが起きても納得じゃが」
「どうなんだろう? たしかに通常とは違ったみたいだけど」
コキアたちが見たコントラバレアは朱色に光っていて、体のところどころをぶれさせ馬の形を保っていなかった。
四人がそのコントラバレアと出会ったのは、依頼を受けたからだ。森に入った者を子供まで若返らせる精霊のようなものがいて困っているという依頼を受けて、退治するなりどうかして若返った者を元に戻すというのが目的だった。
「たぶんそのコントラバレアって歪みに憑かれてるよ」
赤子をじっと見ていたウィアーレが口を開く。
「ジェルムから微かな歪みの残滓を感じ取れるから、間違いないと思う」
「また歪みか。まあ、仕方ないのかもしれんのう」
歪み使いのウィアーレが言うのだから信憑性は高い。
魔物大騒乱と呼ばれた戦いで多くの歪みが生まれた。ウィアーレが歪みを消費したが、地下に眠る歪みを優先して使っていたので、あの戦場で生まれた歪みの半分はそのまま大陸中に散った。その影響でかつてないほどに歪みに関する事件が勃発しているのだ。
「ジェルムの中にある歪みをどうにかすれば元に戻ります?」
テリアの問いにウィアーレは首を横に振る。直接歪みによって変化したのならどうにかできるのだが、間接的になのでコントラバレアをどうにかする必要がある。
「元に戻したいなら、その精霊を封印でもして連れてきてもらわないと駄目だね」
「もとから捕まえに行くつもりだったからちょうどいいべ」
「そこで頼みがあるんですけどいいですか? 私たちがコントラバレアを捕まえるまでジェルムを預かってもらえません? 赤子を抱えての旅は辛いものがあって」
赤子ジェルムを連れての旅は十日だったが、世話などで普通に旅するよりもくたびれたのだ。体調不良のまま旅をするとジェルムを守れなくなる可能性が出てくる。冒険者としても体調管理ができないのは褒められたものではない。
「俺はいいけど」
そう言って幸助はエリスとウィアレーを見る。
「私もかまわんぞ」
「私も」
「ありがとうございます」
テリアだけではなく、コキアとウドリガもほっと安心したような表情となる。二人にとっても負担だったのだろう。
もう一つここに泊まらせてくれという願いがあり、それも頷く。
すぐに寝るという三人からジェルムを受け取る。今抱いているのはエリスだ。
「抱いてる姿に違和感ないね」
手馴れた様子に幸助は感心した様子だ。
「ボルドスを育てたからのう」
眠っているジェルムの顔を見て、エリスは当時のことを思い出し小さく笑みを浮かべている。
「ウィアーレは赤ん坊の世話って経験ある?」
「あるよ。頻度は少ないけど、それでも孤児院に赤ん坊が来ることあるし。育て上げたことはないから、エリスさんより下手だよ」
「じゃあ、俺だけか経験ないの」
「教えたげるよー」
「お手柔らかにね」
このままエリスは自室に連れて行くようで、抱いたままリビングを出て行く。
幸助とウィアーレも眠ることにして、それぞれの部屋に戻っていく。エリスとウィアーレはすぐに眠り、幸助は午前一時まで歪みを封印する道具の準備をしていた。
夜が明けて、幸助は朝食を作っていく。エリスたちのためのものと自分とウドリガのものの二種類だ。エリスたちのものはパンを中心とした洋風で、自分たちの分は白米に味噌汁に焼き魚だ。ウドリガが和食を、この場合はコウマ料理を好んで食べるので、来た時は一緒に食べることにしているのだ。
ジェルムの分についてはエリスに聞いてから作ろうと手をつけていない。おそらく離乳食なんだろうとは思ったが、作ったことないのでやめておいたのだ。
起きてきた者たちに朝食を出し、幸助が食べているうちにエリスが離乳食を作っていく。
「では私たちはコントラバレアを探しに行ってきます。目立つ精霊なんで探しやすいとは思いますが、それでも最低でも一ヶ月はかかると思うのでジェルムのことよろしくお願いします」
受け取った封印用のガラス玉を手に頭を下げる。
「赤ん坊の世話をしたことのある二人がいるし、大丈夫だよ」
「もしコントラバレアが見つからなかったら、そのまま養子にしても大丈夫そうですね」
冗談だとわかる表情で言ってくる。
「その場合は親元にも戻しにくいだろうしねぇ。赤ん坊に戻ったって信じてもらえるかどうか」
「そうならないよう頑張ってくるだよ」
ウドリガも笑いつつ、家を出る。
「俺も頑張ってきます」
気合を入れた様子でコキアもウドリガに続く。
テリアも三人に一礼して、ジェルムの小さな手に触れてから家を出た。
「さていつ帰ってくるかの」
「どれくらいになるんだろうね、ジェルムちゃんも早く元に戻りたいよねー?」
起きているジェルムにウィアーレは笑いかけた。それにジェルムは手を動かし反応する。
「早くても十日はかかりそうだなぁ。それまで元気にいてくれよー?」
幸助が近づき、小さな手に触れようとするとジェルムは泣き始める。
「あ、あれ? 嫌われてる?」
「どうなんじゃろうな? あーよしよし泣くでない」
エリスは幸助から少し離れて、ジェルムをあやす。
泣き始めたのは、別に幸助がなにをしたわけでもない。幸助の力の高さを本能的に感じ取って怖がったのだ。力の高さというならエリスもウィアーレも警戒されるのだろうが、幸助という目立つ存在のおかげで警戒されずにすんだのだ。
離れて泣き止んだのを見て、落ち込んだ様子を見せる幸助をウィアーレが慰めている。
「わりと好かれてると思ってたんだけどなぁ」
「ほら、大人の時の記憶はないと思うし、人見知りみたいに成人の男が苦手なだけかもしれないよ? というかそうだよ、きっと」
「だといいなぁ」
「慣れたら泣かないよ」
たぶんと心の中で付け加える。
幸助の背を押してウィアーレとエリスは家に入る。そうしてジェルムを中心とした生活が始まった。
慣れるといいなと思いつつ時間が流れ、十日過ぎてもテリアたちは帰ってこず、ジェルムも慣れることはなかった。いや近づいただけで泣くことはなくなったので、ほんの少しは慣れたのかもしれない。
この十日で、ジェルムは歩くことを覚え、頼りない足取りで動き回っていた。
今も庭で、ウィアーレが転がすボールを追いかけて遊んでいる。
「中々慣れてくれないよ」
「どうしてかのう?」
エリスにも原因はわからず、首を捻っている。
幼いながらに男にトラウマがあるのかと思ったが、そうならばテリアが伝えておくはずだ。コキアとウドリガという成人男性がそばにいるのだから、そういった反応は見せていたはずだ。だがそういったことは一言もなかったので、あの二人には反応しなかったのだろう。
「このままずっとは寂しい。一度くらいは抱いてみたい」
「きっかけでもあればよいが」
エリスとウィアーレは慣れてくれなくてもいいかなと密かに思っていた。それは赤子一人に竜殺しが右往左往する姿が微笑ましく、面白かったからだ。
「いずれ慣れるとは思うがの、それがいつになるかは」
さっぱりだと言いながらテーブルに項垂れる幸助の頭をジェルムにやるように撫でた。
その丁寧に撫でる手の感触が気持ちよく、幸助は慰められたままでしばし目を閉じる。
時間はさらに流れて十日が経つ。いまだテリアたちは戻ってこない。ジェルムも相変わらずだ。
「いっそのこと泣かれてもいいから抱いてみる? その方が慣れるの早いかも」
「そうしたくもあるけど、さらに嫌われたらやだから止めとくよ。それに眠っている時に少し触るくらいなら平気になったし、時間かければいつかはっ」
作業する手を止めて、ぐっと拳を握り気合を入れる。
「懐柔策もあるし?」
「役立つかはわからないけどね」
ナイフで木を削りつつ答えた。今幸助はジェルム用の玩具を作っていた。気を引く方法を考えている時、自身が目指していることを思い出し、夕方から作業を始めたのだ。
作っているのは積み木。既に粗方の形は削り出しており、あとは角を取り、ヤスリをかけて、塗料を塗って終わりだ。
それをウィアーレは隣に座り見ていた。手にはクッキーを乗せた皿がある。紅茶葉を入れたクッキーだ。
手に取ったクッキーを口に持っていこうとして止まる。
「クッキー食べる?」
「ん、ちょうだい」
「はい」
ウィアーレはクッキーを幸助の口元に持っていき、それを幸助は躊躇うことなく口に含む。互いに恥ずかしさなどまったく感じさせず、自然に行った動作だとわかる。
「ぬいぐるみも作った方がいいかな?」
「かもね」
幸助が犬にしようか兎にしようか迷っていると、風呂場からウィアーレを呼ぶ声が聞こえてきた。エリスがジェルムと一緒に入っていたのだ。
声に応えながらウィアーレは風呂場へと向かっていった。
風呂場から聞こえてくる声を聞きつつ、幸助は猫やイルカもいいなと思いながら、削った木屑を集めていく。
ちなみに玩具自体は喜んだが、やはり幸助が抱こうとすると泣くので、遊んでいる様子を少し離れて見るはめになる。
また時間が流れ、ジェルムを預かり一月が過ぎる。
その日は幸助の人生でTOP10に入る嬉しい日だった。ついにジェルムが泣かなかったのだ。
劇的なきっかけがあったわけではない。ジェルムの気まぐれと言っていいのかもしれない。気まぐれでも幸助にとってはようやく訪れた嬉しい日となった。
「エリスさん! エリスさん!」
「どうしたんじゃ、騒がしい」
作業部屋で魔法具について考えているエリスのところへ、幸助が興奮を隠さずやって来た。
「ああ、抱けたんだな」
「そう! そうなんだよ! 俺が洗濯物を畳んでいると、ウィアーレから離れて近づいてきて、なんとっ俺の服の袖を握って笑ったんだよ! これなら抱けるかと思った俺はゆっくりとジェルムの両脇に手を入れて抱き上げたっ。泣かないジェルム! そして嬉しくて笑う俺!」
ようやく抱けた、その時の状況を幸助は力説している。腕の中ではジェルムが何が楽しいのか笑っている。
「嬉しいのはわかったから落ち着け」
はしゃぎすぎだろうとエリスは呆れている。だが微笑ましいとも思っているのだろう、呆れとともに笑みも浮かんでいる。
「いやいや、これを喜ばずしてなにを喜ぶのかと!」
「将来子供ができたら親ばかになりそうじゃの」
「子供かぁ…………まあその時がくればわかるかな」
黙っていた間でなにを思ったのか、それはエリスにはわからなかった。
なにを思っていたか、それは人から外れた自分が子供を授かるのか、だ。疑問、期待、惑いが混ざり合った心を小さな溜息で落ち着かせて、ジェルムの暖かさに集中する。
「まあ、相手を探すのが先だよね」
「そうじゃな」
「エリスさんとウィアーレに期待させてもらおうかな」
「本気なら私もウィアーレも応える気はあるが、今の言葉には本気は篭っておらんだろう?」
「んー……少しくらいは本気かな?」
いずれ本気のプロポーズしてみせると冗談交じりで笑いつつ言う幸助に、エリスも笑って待っておると返した。
互いに今の会話を流して、それぞれの作業に戻っていった。
また時間は流れて、そろそろ二ヶ月になろうとした時、ようやくテリアたちは帰ってきた。
「やっと封印できたよ」
疲れたと言いつつ、コキアは封印に使ったガラス玉をテーブルに置く。渡した時は透明だったが、今は中に朱色の霧が蠢いている。
ウィアーレに抱かれているジェルムが気を引かれたようで、ガラス玉へと手を伸ばす。
「ママ、ママ」
だが手が届かず、ウィアーレに取ってくれと頼む。
その呼び方を聞き、テリアたち三人は驚きに表情を染める。そんな表情のままテリアが口を開く。
「ママって呼ばれて?」
「うん、十日くらい前から自然とね。エリスさんも同じだし、コースケさんはパパって呼ばれてる」
「懐いたんですねぇ。二ヶ月だから当然といえば当然か」
「コースケさんは苦労してたけどね。最初は近寄るだけで泣かれてたし」
「そうなんですか? 名残惜しいかもしれませんが、そろそろジェルムを元に戻してあげてください」
わかったと頷いてガラス玉を片手に持つ。それに触れようとジェルムが手を伸ばしている。
ジェルムに微笑み、ウィアーレは意識をガラス玉に集中する。
「あ、ちょっと待った」
「なにか問題でもある?」
幸助がウィアーレを止める。
「元に戻したら、着ている服破けて裸になるんじゃ?」
「そういやそうだべ。赤子になった時、服まで変化はしてなかっただ。コースケの言うとおり、今着てるもの破けそうだ」
「男どもは別の部屋に行った方がよいな」
「服は……荷物宿に置いたままだ。すみませんが、どちらか服を貸してもらえませんか?」
「私の服を取ってこよう」
エリスが自室に戻っていき、男たちは部屋を出る。
十分ほどして、女たちのいる部屋からジェルムの悲鳴が聞こえていた。気づいたらいきなり裸なのだ、驚きもする。
服を着て、説明を受けてとさらに五分ほど経って、男たちが呼ばれた。
「皆に迷惑かけたようでごめん。それとありがとう」
顔を赤くしたままジェルムは頭を下げた。
幸助を見れないでいるのだが、それは赤子状態の時に一緒に風呂に入ったと聞いたからだ。記憶になくとも裸を見られたということはすごく恥ずかしいことだった。
「一緒に暮らすの楽しかったよ」
「ボルドスの小さかった頃を思い出せたな」
「俺も楽しかった。なんというか達成感がすごかった」
「コースケさんはそうだろうね」
恥ずかしがるジェルムに、それぞれの言葉で返す。
ガラス玉を使って、変化させられた人を元に戻す方法を聞いたテリアたちはすぐに出発する。
別れをジェルムが名残惜しそうにしていたのは、赤子状態の後遺症なのだろうか。そしてこの影響はのちのちまで続くことになる。
いちゃついている話が見たいという感想をもらい思いついた話です
いちゃついてないけどね!