決めた未来
《三日前》
天才が発動の魔法を使いコーホックが動いている間に、ミタラムは大物狩りを終え幸助に会いに来ていた。
家の前に気配が現れたのを察した幸助が、脱力感からコーホックでも来たのかと玄関を開けるとそこに立っていたのはミタラムだった。
ミタラムには夢で一度会っているので誰かはわかったが、どうして急にやってきたのか不思議に思う。
幸助の心を読んだかのようなタイミングで、ミタラムは口を開く。
「とても大事な話があって来た。入れてもらえる?」
「ど、どうぞ」
通りやすいように玄関の脇に避け、ミタラムが入った後扉を閉める。
ミタラムを案内し、リビングに移動する。
部屋に入ってきたミタラムを見て、エリスとウィアーレは首を傾げた。
「コースケさん、その人どちら様?」
「神様。名前はミタラム」
「初めまして」
「「は、初めまして」」
平坦な口調で挨拶するミタラムに、二人は戸惑いつつ頭を下げる。
人の一生で神二人と直接会うなど、ほぼないと言っていい。それなのに幸助といると常識から外れたことが起こり、何度も驚かされることになる。正直、寿命が縮むような気もするので自重してほしいと二人は同じ考えを抱く。
「神がなんの用事でうちに来たのだ?」
「大事な話がある」
「お茶を入れようかと思うんだけど、神って飲み食いするのかな?」
幸助の問いにミタラムは頷く。実際には飲み食いする必要はないが、できるといったところだ。
全員分のお茶を入れ、それぞれの前に置く。ミタラムはそれに一度口をつけて、美味しかったのか小さく表情を動かし飲み干してから話を始める。
「今日来たのはコースケとウィアーレにやってもらいたいことがあるから」
「コースケさんはともかく私も?」
「あなたには歪み使いとして働いてもらいたい」
「それっていつか頼むと言っていたことですか?」
それにミタラムは首を横に振る。
「それではない。なぜ二人を必要としているのか、その理由を話す」
そう言って、大陸が滅ぶかもしれないということとそうなった経緯を淡々と語っていく。
感情が込められていないせいで、いまいち切迫感が感じられず、本当のことなのか三人は判断つきかねた。だがわざわざ嘘を吐きに来るほど暇ではなかろうというエリスの言葉で、二人は信じる方向へ傾いていく。
「大陸の崩壊を止めるため二人には動いてもらいたい」
「具体的にはどんなことを?」
問うてはいるが、幸助は聞いた話から自分の役割を想像できた。魔物を倒すことだ。扇動されている魔物たちを大人しくさせろ、と命じられても無理なのはよくわかっている。殺すことが一番向いていると理解している。
ただしこの話を受けた場合、王たちの前にでなければならないのではと考え、世界中に自分のことが知られると思うと気乗りしない。第一、数千万の魔物に対し自分が加勢しただけで戦局が変わるとは思えない。数が多すぎて自分が暴れまわってもたいした加勢にはならないのではとも思う。
「あなたには魔物の殲滅を。ウィアーレには地下にある歪みを使ってもらう」
やはり目立ちそうだと思い、気乗りしないことを伝えようとする幸助を遮り続けるミタラム。
「コースケには一人で冒険者たちから離れた場所で戦ってもらう。場所は、最前線の先の先」
「どういうこと?」
予想が外れ、虚をつかれた表情となり聞く。
「最前線で戦う姿を見せ続けることは他の者を勇気付ける。でもそれはセクラトクスにもできること。ならばあなたにはあなたにしかできないことをやってもらいたい。それは魔物の進路上で暴れてもらい、最前線で冒険者とぶつかり合う魔物の数を減らすこと」
「冒険者の負担を減らすことが俺の役割?」
想像していたこととは少し違う役割だった。最前線に立ち続けろと言われると思っていたのだ。
幸助が目立つことを嫌うだろうと慮ってその役割を振った、のではなくミタラムに考え合っての役割だ。
「コースケがその役目を請け負ったとする。そうするとコースケは死地に置かれることになるのではないか?」
エリスの疑問にミタラムは首を横に振った。紫の髪が一拍遅れて揺れる。
「群となって動いている魔物の中にコースケを殺せる魔物はいない。かすり傷すら与えることができない魔物が九割以上。少し苦戦するかもしれない魔物は二匹。あとはコースケにとっては雑魚といっていい。ステータス平均Bというのはそれくらいなの」
「……数千万という大群の中でさえ死地はないのか」
呆れたと乾いた笑いを小さく漏らした。昔、大群と戦ったことがあるエリスには、幸助に求められている役割の危険性がよくわかっていた。
実際には一度に数千万の群に放り込まれることはないのだが、数百数千の群の中でさえ一般的な冒険者には危険な場所だ。エリスは改めて竜殺しや高いステータスのすごさを実感した。
「私は歪みを使ってなにをすることになるんでしょう?」
大きな戦いに関わるということで、ウィアーレは怖さを感じつつも協力する姿勢を見せる。
幸助にも言えることだが、ウィアーレに断るという選択肢はない。大陸が滅びると聞いて放置できるほど無責任ではないし、肝が据わってもいないのだ。自身が動くことで回避できるのなら協力を嫌だとは言えない。
「戦いによって発生した歪みや血が刺激とならないように、地下の歪みを使ってもらう。力から離れた場所で戦うとはいえ、完全に影響を与えないなんてことはない。だから多少の刺激を受けても平気なように減らしてもらう。どういう使い方をするか? それは魔物たちを同士討ちさせる。戦っている者たちの恐怖心を薄れさせる」
歪みを注がれすぎて、歪みに捕らわれた人間や魔物が確実に出てくる。それはわかっているが、大陸と捕らわれた者を天秤にかけると大陸に傾く。大陸の問題が終わってから対処することになるだろう。
「同士討ちさせるのはやったことあるんですけど、恐怖心を薄れさせるというのは」
できるか自信がないと正直に言う。
「そっちは無理ならしてもらわなくていい。肝心なのは歪みを消費するということ」
「ウィアーレは一人で行動することになるのかの?」
それならば一緒に行く必要があるかとエリスは聞く。
「私たちが一緒にいたいけどそれは無理だから、護衛用に生み出した人工精霊をつける。コースケのジャケットに宿ってるリンと似たようなもの。人格はないけどしっかり役割は果たす。人間に護衛を任せないのは、歪み使いのことは秘密にしたいから」
ミタラムはショルダーバッグから四枚の札を取り出し、ウィアーレの前に置く。
魔力を注ぐように言われたウィアーレが従うと札は消え、代わりにぼんやりとした青黄緑白の明かりがウィアーレの周囲を漂う。
「青は侵入不可の結界をはり、黄はウィアーレの姿と気配を消し、緑は戦場を俯瞰する映像を出し、白は転移をする」
「転移ってどこに移動するんですか? あと俯瞰って?」
「大陸最北部に作った隠れ家。そこと力の近くを行き来することになる。俯瞰とは高いところから見下ろして広い範囲を見ること。その映像で歪みをどこに飛ばすか判断してもらう」
「一度私も隠れ家に行こうと思うが、問題はあるかの?」
「ない」
「そうか」
戦いが何日かかるかわからないが、その間ずっと一人になるだろう。そのことで生じるかもしれない、精神的な苦痛が心配になった。一度でも行けば、後は転移ですぐに行けるようになり、簡単に様子を見ることができる。
一人になりがちというのは幸助にも同じことが言える。だが幸助は自力で帰ってこられるので、辛くなったら帰ってこいと言うに留めておいた。それを聞いたミタラムは、エリスの思いを理解しフォローを入れる。
「ずっと一人ではない。コースケも隠れ家を使う」
またバッグを探り、二枚の札と装飾のないつるりとしたエメラルド色の腕輪をコースケの目の前に置く。
「これはコースケ用に準備した転移の札」
「転移自力でできるけど?」
「できるだけ力を温存してほしいというのと、魔物が多いところにこっちから誘導したい。隠れ家に移動する札は休みたい時に魔力を注ぐ必要がある。魔物の居る場所へ移動する札はただ持っているだけでいい」
「札の説明はいいとして、こっちの腕輪は?」
「戦うにあたって二つ制限がつく。そのために必要」
制限という言葉に三人の表情に苦いものが混ざる。大丈夫とは言われたものの圧倒的数量との戦いに、ハンデをつける意図が読めない。
「制限って?」
「竜装衣の使用禁止とそれ以上の能力をあの場で持つこと。理由は歪みを刺激しないため。神が今回の騒動を表立って解決できないのは、大きな力は歪みを刺激するため。あなたの力は神に近いところまできている。竜装衣を使えば届いてしまう。だから使用を禁止して、力の吸収をさせない」
「吸収をさせないための、その腕輪か?」
エリスの指摘に頷く。
「これは魔物を殺して得られる力を、装着者の変わりに吸収する腕輪。これを使えば今以上の成長はしない。歪みへの刺激もなくなる」
説明を受ける三人は納得した様子を見せるが、制限する理由についてミタラムは嘘を吐いた。終始淡々としているミタラムの様子からは、三人とも嘘だと見抜けなかった。
本当は竜装衣を使ってもギリギリ大丈夫なのだ。ミタラムが見た未来では、幸助は竜装衣を使っていて、歪みに影響を与える様子はなかった。
ではなぜ制限をつけたか? それは神に警戒心を与えないためだ。未来において神が幸助を警戒したのには、二つの理由がある。一つは目立つことが避けられないと判断した幸助が自重を止め、竜装衣を応用した攻撃を使ったこと。明確に形になっていないその時点で、中級神に傷を与えられる威力だった。二つ目は戦い終わって魔物の力を吸収した幸助が平均ステータスB+に到達し、下級神と同等の力を得たこと。竜装衣を使えばA-となる。放っておくには目に付きすぎるのだ。
能力上昇で警戒心を抱くことになるのならば、戦わせないでいる方がいいのではというのは間違いだ。幸助が魔物を蹴散らさないと、押し寄せる魔物の群を抑えきれない可能性が高いのだ。
警戒心を与えないためにどうすればとミタラムは考え、竜装衣の使用を禁じて応用を思いつかせないようにし、能力を上昇させず神の域に踏み込ませないようにと準備を整えたのだ。
ドリズに頼んだ物はこの腕輪だった。万を超える魔物の力の吸収に耐えうる腕輪作成など鍛冶を司るドリズにしか頼めなかった。実際神の腕を持ってしても、完成に一月以上かけるほど作成が難しいものだった。
この二つを持ってミタラムは世界崩壊対策とした。問題の先送りのようにも思えるが、今考え付く対策はこれくらいなのだ。
「二人はいつから、というか魔物たちはいつから暴れだすのじゃ?」
「魔物は既に動き出している。ウィアーレは北の戦いが始まってから動いてもらう。コースケは戦いが始まる前に動いてもらう。具体的には明日から。明日の朝になれば札が勝手に転移させる。ウィアーレも同じく、明後日あたりに人工精霊が転移する。一緒に行きたいのなら、ウィアーレに触れていればいい」
「明日や明後日か、急じゃのう」
「私の仕事はこれでほとんど終わり。後はもう人間たちに任せるしかない」
帰る、と言って立ち上がる。扉まで歩いて振り返った。
「お茶、ごちそうさま」
そう言うと扉の向こうに消え、一分ほどで幸助は力が戻る。
「大陸の危機、か。どえらいことをしでかそうとしていた人間がいたものじゃな」
「奥さんのためにそこまでできるんだから、すごく好きだったんだろうね。それに巻き込まれる側としては、褒めにくいけれど」
エリスとウィアーレはそれぞれの感想を抱いた。
幸助としても、そこまで思われてみたいなという願望がないわけでもない。思う方としては真似はできそうにない。一度本当に恋愛感情を抱けば、伯爵のように強い思いを抱くようになるのかと考えている。
そういった考えを表に出さず、エリスのこれからの行動を聞く。
「ベラッセンを守ろうと思っておるよ。ボルドスが無茶せんように見張るつもりじゃ。それにウィアーレもベラッセンの無事は気になるじゃろう?」
「うん、ありがとう」
気になってはいたが、言い出せずにいたのだ。それを察してもらえたことに礼を言う。
「どれくらいかかんのかな」
「一日二日ということはあるまいて。規模から考えて……最低でも十日はかかろうな」
「長いね」
ウィアーレは始まる前からげんなりとした表情を浮かべている。
幸助も似たような思いだが、もう少し気楽だった。目立つこともなく命の危険もない、なにも考えずに剣を振っていればいいからだ。
「あ、そうだ。エリスさん」
「なんじゃ?」
「リッカートにあるお店の様子も見てもらえないかな? 頻繁にじゃなくていいから」
「余裕がある時でいいなら」
「うん、それでいいよ」
よろしくと頼んだ幸助は、テーブルに置かれていた腕輪をはめる。ぴったりではなく隙間が空いているが、腕を振っても落ちることはなかった。肌に触れても冷たさは感じず、かといって温かくもない。つけているということを忘れそうな付け心地だった。
《二日前》
「うっわ、すご」
戦場に移動した幸助の眼下には北を目指す魔物が三千匹いる。居る場所は丘の上だ。魔物たちが移動して起こった振動が、幸助のいる丘にまで届いている。
これでごく一部でしかないのだ。通常ならばこれでも一騒動だ。伯爵と天才の行いに妙な感心を抱く。
「その頭をもっと別のことに使ってたらねぇ」
そんなことを言いつつ、魔法の準備を行う。使うものは広範囲攻撃魔法だ。偽神戦でエリスが使ったものより一段上で、エリス自身は使えないが、いつか使えるようになるかもしれないため資料を購入していた。それを昨日教えてもらった。失敗してもいいように、戦う前の余裕のある今使ってみようと思ったのだった。
三分かけて準備を整え、発動させる。
「氷神の炸裂!」
群に向かって手をかざすと、群のあちこちに氷製の太い円柱が現れる。地面から生えた氷柱が魔物たちを串刺しにしていく。死んだ魔物の数は千を超えたが、群は止まることなく北を目指す。
あの威力で足止めにならないのかと、操られていることを厄介に思う。
「あれを見ると、数を減らすことが仕事でよかったと思うな」
そう言って幸助は剣を抜く。魔法は使わない。使用後に魔力が四分の一減り、連発はできないとわかったからだ。
マイナルから受け取り、初めての戦闘だ。使い心地が少し楽しみでもある。
素早く魔物の一体に走り寄り斬り裂いた。皮膚と肉と骨、そのどれにも邪魔されずに上半身と下半身を両断する。刃を振りぬいて一瞬遅れて、魔物は血と体液を撒き散らし地面に崩れ落ちた。
頑丈さを追求して、切れ味は二の次という要求だったが、そこらの二流と変わらないように思われた。
感心しながら、幸助は次々と魔物を斬っていった。十分斬り続けて、周囲には三百匹近い魔物が死んでいる。剣と衣服に魔物の血が付着し、ぽたりぽたりと地面に落ちている。むせるほどの血の匂いが満ち、幸助の鼻は早々に麻痺している。
幸助が斬っている間にも魔物たちは北へ移動していたため、周囲には魔物はおらず死体しかない。
「ここはこれで終わりかな」
『次は大物のところへ転移する』
生き残りがいないか周りを見ていた幸助の頭の中にミタラムの声が響く。いきなり話しかけられたことで、幸助の体は驚きでビクリと跳ねる。
「っ!? びっくりしたぁ。なにか用事?」
『時々こうやって戦況を伝える。そのことを伝えるためと、次の相手を知らせるため』
「どんな相手かはわかる?」
『大きなキメラ。注意する魔物その一』
キメラとは一つの体に複数の生物の部位を持つ魔物のことだ。よくキマイラと間違われることがある。魔物の特徴としては同じだが、キメラは自然に生まれてきた魔物で、キマイラは人の手によって作られた魔物という違いだ。キメラの方が体の作りに無理がなく、長く生き、強くなる。
「もうちょっと詳しく」
『高さ四メートル、頭から尻まで五メートル強。バイソンの体に、蛇の頭部がついた尾が三つ、頭には強固な角が二本。足の太さが人間よりも太い。体毛が厚く、衝撃を吸収する。体当たりで容易く岩を砕く。あとは火を噴く』
「そりゃまたでかいね。でも偽神よりは弱いんだよね?」
『弱い。注意するのは蛇の毒と炎のみ』
「それなら、大丈夫」
うぬぼれではなく、頼りになる剣もあり、油断なくいけば大丈夫だろうと自信を抱いている。
自信は過信ではないと、対峙してわかった。体はでかいが、放たれるプレッシャーは偽神に及ばない。
目の前に立つ幸助を踏み潰そうと突進してくるキメラに、幸助も走って近寄り足を斬り飛ばす。悲鳴を上げるキメラを気にせず、そのまま尻まで直進し、蛇の尾を斬っていく。その後、高く飛び上がり首筋を斬って着地。
出会って一分でキメラは地面に倒れ、火も毒も使うことなくそのまま死んでいった。少々手強くとも何もできなければ、強さに意味はなかった。
死んでいく様子を横目に、幸助はキメラに率いられていた魔物たちを斬っていく。
ある程度殺すと次に転移する。
『これが注意する魔物その二。巨大スライム』
幸助の目の前にはプヨンプヨンと波打つ柔らかそうな巨体のスライムがいた。高さは七メートルほど。透明感のある鶯色で、体の中にここに来るまでに食った人間や魔物がいる。そのままの姿の者もいれば、溶けかけといった者まで様々だ。
体の中央に濃い緑色の部分があり、時々うっすらと発光している。
目の前に現れた幸助を食おうと体の一部を伸ばしてくる。何本も襲ってくる触手を避けつつ、ミタラムに問いかける。
「斬っても意味はなさそうな奴だけど?」
『その通り。斬っても無駄。体液は強酸だから、剣が駄目になる』
「それは溶かされてる様子を見ればわかるかな。魔法で対処する?」
『弱い魔法でいいから使ってみて』
ミタラムに言葉に従い、ソフトボールほどの火の玉を飛ばす。当たったそれは体表に波一つ起こさず消えた。もちろんダメージ一つ与えていない。
『ここまで成長する間に、魔法に高い耐性を持つ魔物を食べたのか、本来なら弱点となる魔法がとても効きにくい』
「……厄介すぎじゃ?」
『厄介。常人なら手も足も出ない。だからあなたに相手させる』
一応信用されているのかなと、避けつつ考える。
ちなみに予知した未来では、自重を止めた幸助の一撃でほかの魔物と一緒に蒸発していた。
「強めの魔法を連続して当てる、凍らせるくらい? どこを切っても効かないってことはないだろうし、あの光ってるのが核なのか?」
『そう。あそこに攻撃を当てれば大ダメージを与えることができる。でも届かない』
「魔力はできるだけ温存したいから、魔法連発は最後の手段。凍らせるのはそんな魔法知らないから無理」
対策を考えていき、ナイフを取り出した。ナイフを投げてどれくらい体の中に入り込むのか調べてみることにしたのだ。
「それっ」
勢いよくまっすぐに飛ぶナイフは触手を掻い潜ってスライムに突き刺さり、勢いを落として体内を進んでいく。すぐにナイフは溶けていき、核に届く寸前で崩壊した。その様子を注意深く見ていた幸助は小さな変化を見逃さなかった。
「スライムの体が震えた?」
見間違いではなく、一瞬スライムの体がぶるりと震えた。
「もう一度!」
ナイフは飛び、先ほどよりも少しだけ進んで崩壊する。今度もスライムはぶるりと震えた。
「崩壊しかけのナイフでも核になんらかの影響を与えてるとみていいのかな?」
『そうらしい』
独り言のつもりだったが、ミタラムの返事があり、自信を持つ。
残り四本のナイフを全て出した幸助を本能で警戒したのか、知能が低いはずのスライムは触手の数を増やし対抗してくる。
ヴァイオレントバルブの触手と似たような速度と数で、今の幸助には楽に避けきることが可能だ。
四本のナイフを次々と投げる。その度にビクンビクンと反応を見せ、触手が縮んでいき、速度も落ちる。
「困った」
手持ちに投げることができる物がなくなった。剣を投げるわけにはいかない。
これからどうしようかと考える幸助に、ミタラムがアドバイスを送る。
『足下の石を。核にダメージが与えられるならなんでもいいはず』
「あ、それもそうだ」
早速小石を拾って投げる。ナイフよりも影響は少ないが、それなりの効果は与えているようで十個ほど投げるとスライムは動きを止めて、体を崩し地面に広げる。広がった体に触れた草や魔物たちが次々と溶けていく。一緒に溶かされてはかなわないと幸助はその場から離れた。
離れた位置から核へ石を投げ、反応がないことを確かめた幸助は倒したと判断する。
スライムを倒して、周囲にいた魔物も溶けてしまい、この場ですることがなくなる。
その後、転移を繰り返していった幸助は、腹が減ったら隠れ家に移動し休憩も兼ねて食事を取るということを繰り返し、エリスとウィアーレが隠れ家に来るまで寝ることなく魔物を殺していった。そのおかげか殺した魔物の総数は二日で五万を超えていた。
剣を振るだけで消えていく操れた命に、幸助は若干思うところがあったが、既に殺した後で申し訳なさを感じても偽善でしかないと、考えることを止め機械的に剣を振り続けていた。
《十五日経過》
「あ、お帰りー」
先にやることを終えて戻ってきていたウィアーレに幸助は出迎えられる。
もう何度目かの帰還で、ウィアーレは血に汚れた幸助の姿に驚くことはなくなった。初めて見たときはすごく慌てたものだ。どこも調子は悪いように見えず、全て返り血だと判断したエリスに宥められた姿が少し懐かしい。
「ただいま。今日はエリスさんはいないんだね」
「うん。来てないみたい」
戦いが始まり十五日、興奮した魔物の数が減ったとはいえ、まだ暴れる魔物はいて警戒態勢は続いているのだ。
幸助は剣を置き、着ている物の洗浄と汗を流すため風呂場に向かう。
洗濯魔法の上位版を使い、手早く洗濯を終える。これは一着ずつしか使えないが、洗浄と乾燥と滅菌と皺伸ばしを短時間で行える。貴族の家でよく使われる魔法だ。
「あー、さっぱりした」
「はい、オレンジジュース」
「ありがと」
置かれたジュースをいっきに飲む。
「そっちはどんな感じ? こっちは相変わらず魔物を斬ってばかりなんだけど」
「こっちも変わらないよ? 歪みの扱いに慣れてきているってだけで」
こっちに来て初めて歪みを使った時は、溢れるほどの力に翻弄されて魔物たちに歪みを注ぎすぎたりしたが、十日以上経てはさすがに慣れてくる。やれそうにないと思っていた、冒険者の精神操作も今ではできている。おかげで戦いを嫌い脱走するなど、士気が低下する事態が防げている。
「あとどれくらい続くのかな?」
「んー……そう遠くないと思う。魔物の数が少しずつ減っていってるから。十日も続かないと思うけど」
「そうなんだ、よかった。俯瞰画像見てると、たくさんの人が傷ついて倒れていくのが見えるから、これ以上怪我人増えてほしくなくて、早く終わってほしかったんだ」
「俺も早く終わって欲しい。ずっと斬ってばかりで殺伐とした感じが」
魔物が強ければ戦いに集中して時間経過が気にならなくなるのだろうが、ミタラムと雑談していても対処できる弱さなのだ。
厄介な魔物はミタラムが率先して倒したからいない。初日に戦った大物二匹はそこまで厄介ではないので放置されていた。
厄介な魔物の一例を上げるのなら、ドッキングバグという魔物がいた。それは合体する甲虫で、戦隊物のロボットのようにくっついていくのだ。どこか一箇所を殺しても、すぐに他の甲虫が集まり別の形となる。雑談の話題の一つとしてその魔物の話を聞いた幸助が、見てみたいと好奇心が刺激された魔物でもある。
「ご飯食べるか。ウィアーレはどうする?」
「私も食べようかな。手伝うよ。なにすればいい?」
「じゃあ野菜洗ってくれる?」
戦いの最中のというのが嘘のようにのんびりとした空気が漂う。
幸助はそこまで緊迫したものを感じておらず、そんな幸助の雰囲気につられてウィアーレの緊張も和らいでいった。
《二十一日経過》
夕日に染まる荒野で幸助は最後の一匹を両断する。大地は夕日に染まり、倒れ伏す魔物も同じく夕日色に染まっている。流れ出た血は夕日色に混ざり目立っていない。
次はどんな魔物かと考えていた幸助の脳内に声が響く。
(『魔物の天敵』『勝敗決定者』『誰も知らぬ英雄』『限界戦闘突破』『前人未踏』を取得)
どうして今称号取得のアナウンスが流れるのかわからず、きょとんとしている幸助の脳内にミタラムの声が響く。
『お疲れ様。あなたの戦いは終わり。後はほかの者たちだけで十分』
「終わったの!? 長かったなぁ。達成感があるようなないような」
ただただ斬っていただけなのだ、やり遂げたという思いは湧いてこない。
剣を振って血を飛ばし鞘に納める。
「ウィアーレはどうなんの? 一緒に帰っていいのか?」
『彼女には後一日働いてもらう』
「そう、じゃあ隠れ家で待っておこうかね。まだ使っていいんだよね、あそこ」
『かまわない。最後にもう一つ依頼がある』
「まだあんの?」
危険はなかったが、長期拘束される殺伐とした依頼で精神的に疲れていた。幸助の声色から乗り気ではないとわかる。
『今回の騒動であちこちの村がぼろぼろになっている。その復興手伝いをしてやってほしい。お金が必要ならこっちが用意する』
「アバウトな依頼だね? いつまでとかどこのとか指定はない?」
『いつまでかはあなたが決めて。指定は被害の大きい大陸北部』
「うーん、まあいいけど。殺すことよりよほどましな依頼だし。ウィアーレを家に送り届けた後でもいい?」
『それでいい。本当にお疲れ様』
幸助に労わりの声をかけ、ミタラムの声は消えていった。
夕日に染まる戦場を見渡して、やっとここから解放されるのかと喜びを感じる。
「終わったんだなぁ。ウィアーレに教えたら喜びそうだ」
転移の札を使い、隠れ家に戻る。ウィアーレはまだ戻ってきていなかったが、幸助が汚れを落し終えた時に戻ってきた。
「おかえり」
「ただいま。今日はコースケさんの方が早かったね」
「いい知らせがあるよ」
コテンと首を傾げるウィアーレ。
「戦いが終わる。俺は今日で終わり、ウィアーレは明日で終わりだってさ」
「ほんと!?」
身を乗り出し、目を見開いて驚く。
「ミタラムからそう聞いた」
「終わるんだぁ」
気の抜けた様子でその場に座り込んだ。
「ウィアーレの仕事が終わったら家に帰ろ」
「うん! 早く明日にならないかなー」
楽しみだと機嫌良く鼻歌を歌い出す。その後二人は夕飯を作り、さっさと眠った。
翌日、幸助は疲れを取るため寝て過ごす。一晩寝たことでほとんど取れていたのだが、やることもないので寝ていたのだ。
戦いを終えた幸助のステータスは少しも上昇していない。腕輪がしっかりと効果を発揮した。この二十三日で幸助が殺した魔物の数は六十万。それだけの数の力を溜め込んで、少しも異常を見せない腕輪は本当に優れた道具なのだろう。
昼過ぎに帰ってきたウィアーレに起こされた幸助は昨日言ったように家に帰る。
隠れ家に戻ってきた時点でウィアーレの周囲に人工精霊はいなくなっていた。ウィアーレを送り届けて役割を終えたのだ。
少し寂しげな様子を見せているウィアーレに声をかけて転移の魔法を使う。
二人がいなくなると、これまで使っていた隠れ家は跡形もなく消えた。跡地にはここで過ごしていた者がいたとわかるものは残っていない。
家にはエリスはいない。ベラッセンにいるのだろうと、二人は家の掃除を始める。家のある森でも魔物は暴れたらしく、木々が倒れている。だが家は結界で守られていたためなんの被害もない。
日が暮れ、夕食を作り終わった頃にタイミングよくエリスが帰ってくる。
「おかえり」
「おかえりなさい」
「ただいま。戻ってこれたということは終わったのか」
「うん」
「俺は頼まれたことがあるから、また北に行くけどね」
「頼まれたこと?」
そのことを聞いていなかったウィアーレも不思議そうだ。
「復興を手伝ってやってくれってさ」
「神がそんなことを? 人間に情けをかけたのか?」
ありえないだろうと、エリスは断言した。なにか思惑があると考えてみるがこれといって考えは浮かばない。
幸助の名を広めたいのならば、戦いに表立って参加させればいい。人間に同情したのなら、自分で直接行くなり各国の王に頼めばいい。
幸助一人に頼んだところで、できることはそう多くない。
「なにを考えておるのか」
「さあねぇ。とりあえず明日から行ってくるよ。こんな時転移魔法覚えたのを嬉しく思うね。どれだけ遠くても一瞬で行き来できるし」
「私も一緒に行こうかな」
人手はあった方がいいだろうとウィアーレが提案する。
「どんな状況かわからないし、俺が先に行って様子見てくるよ。大丈夫そうだってわかったら一緒に行ってもいいんじゃない?」
「それがいいじゃろうな。治安とか安定していなくて、馬鹿なことをする奴がいるじゃろ」
「そうなの?」
幸助は日本にいた頃に見たニュースから推測したが、エリスは実際に見聞きして知っている。
「エリスさんは明日もベラッセン?」
「うむ。そろそろ警戒を解いても良さそうだと話しておるから、護衛として行くのは最後になるかもしれん」
「じゃあウィアーレ、変装して孤児院についていったら? 心配してたろ」
「そうだね、そうする」
それぞれの行動を決めて、夕食となる。
久々の幸助の料理にエリスは美味い美味いと連呼して食べていく。ベラッセンに行っている間は、手の込んだものを食べることはできなかったのだ。
北で戦っている者たちに先駆けて、戦いが終わったことを祝い、賑やかな食卓となった。
翌日幸助は転移で戦っていた場所の一つに移動する。そこから空に浮かび、周囲に村があるか探す。そこからは見つからず、南下してみようと思い移動して三十分後、村を見つけた。だがそこには誰もいなかった。念のため隠れている者がいないか探してはみたが、死体以外は見つからなかった。遺体の中には赤子や子供もいて、気分が滅入る。
急いだせいで多少乱暴になったが、遺体を一箇所に集めて壊れた家を燃料として燃やし供養とした。
安らかに眠るように祈り、次の村を目指し再び南下する。そして四十分後に先ほどの村よりも大きな村を見つけた。そこは遠くからでも動いている人影が見えた。
少し離れた場所に着地して、村に近づく。魔物を警戒しているのか、手製と思われる槍を持った見張りたちが村の入り口に立っている。
「こんにちは。入っても大丈夫ですか?」
「旅の者か? こんな時期に旅とは大変だろうに」
供養の際に服が汚れ、旅人と名乗っても門番は怪しむことがなかった。
「大変でしたね。なんとか魔物を振り払い、生きていますよ」
「この村の半分もお前さんと似たようなものだな。村を襲われ、なんとか逃げ延びた者が集まって騒がしくなった」
「北にあった村の生き残りもいるんでしょうかね? あそこには誰もいませんでしたが」
「いるかもしれんな。さあさ、いつまでも話して仕方ない入ってくれ。だが中で騒ぎを起こさんでくれよ?」
「ええ、わかってますよ」
頭を下げて村の中に入る。
村の雰囲気は穏やかとはお世辞にもいえないものだ。緊張と倦怠が混ざり不安な空気が漂っている。悪い雰囲気を敏感に察して泣いている赤子が少なくない。
くたびれた様子で多くの人が路上の端に座り込んでいる。そういった者たちの服装はどれも薄汚れたものだ。
路上で寝起きしているのだろう、汚れた布を地面に敷いている。今が夏なのは運が良かった。暖を取らずとも凍死することはないのだから。
村を一周して様子を見ていく。村には大きく分けて二種類の人間がいた。同情と迷惑そうな目をしている人間と疲れきった顔をした人間だ。前者は元々の村人で、後者は言うまでもなく外から来た人間なのだろう。
(ここでできそうなのは狩りをして食料を提供することくらい? 煮炊きするための燃料もあった方がいいかな?)
人間が増えて、蓄えている食料が底をつくのも時間の問題だ。その時がくれば、元々の住民と逃げてきた者たちとの間で諍いが起こる可能性が高い。
狩りをしようと決め、入り口に向かう。出ようとして話した門番に止められた。
「もう出て行くのか? 早すぎだろう?」
「いや、出て行くんじゃなくて狩りに行ってこようかと。食料足りるとは思えないですから」
「たしかに減りが早くて、村長たちは頭を悩ませているらしいが。依頼されたのか?」
「いえ、村の現状を見て狩りに行った方がいいなと」
「……お人好しだな」
呆れた表情となっているが、隠し切れない笑みも浮かんでいる。
景気の悪いことばかりの中で、損得考えずに行動する人間を見て気分が若干上向きとなった。
「俺も一緒に行く。お前さん狩場知らんだろう?」
「……そうですね。お願いします」
モックスと名乗った男がほかの門番に出ることを告げると、ほかにも行くと言い出す者がいて人数は七人に増えた。
彼らと一緒に幸助は草原や林に向かい、獣や食べられる魔物を狩っていく。あの騒動があった後だ、村人たちは魔物との戦いで怪我を負うことを覚悟していたが、幸助が魔物と遭遇する度に魔法で狙撃し瞬殺していくので気合は空回りとなった。
幸助から離れなければ魔物に関しては心配ないとわかり、村人たちは野草や薬草や薪を集めていき採取に励む。
村を出て四時間ほどで、抱えきれないほどの収獲を持って村に帰還する。台車でも持ってくるんだったと村人たちは明るく笑っている。
「気持ちいいほど大猟だ!」
モックスがばしばしと幸助の肩を叩く。
「これくらいでどれだけもつでしょう?」
「そうさな……三日くらいじゃねえか? まあ節約すればそれ以上もつだろうが」
食べ物を持って村に入ってきた幸助たちに視線が集まる。それを無視して村の隅にある広場に向かう。そこに狩ってきたものを置き、一人は薬草を村の薬師に持っていくため離れていった。
幸助が血抜きし毛皮を剥いでいると、モックスに話しかけられた。モックスの横には見知らぬ老人がいる。
「おい、コースケ」
「なんです?」
「村長が話したいそうだ」
魔法で水を出し、手などについた血と脂を落として村長と向き合う。
「話とはなんですか?」
「まずは礼を言わせてくれ。食料を集めてくれてありがとさん」
「できることをしたまでで、お礼はいいですよ」
「そうかい……ちょいと頼みがあるんだが」
今後も狩りに言ってくれという依頼かと幸助は予想したが、それは外れた。
「今回の狩りを私からの依頼で動いたということにしてくれんか」
「どうしてです?」
「その方が都合がよくてな」
都合? とその意味するところがわからず、モックスに目で問いかけてみるが、モックスもわからないのか首を横に振る。
「理由を教えてもらえませんか。でなければ頷きません」
これに村長は僅かに顔を顰めた。
「こう簡単に狩ってこられると、ほかの者が勘違いして自分でもできそうだと村の外に行くと思うのじゃよ。あの騒動でわかるように魔物はそんな簡単に殺せるものではない。今回のような幸運はなく怪我人が増えるだけだと思うのじゃ。だから今後しばらく狩りは許可制にしようと思っておる。その先駆けの例となってもらいたい」
「そういう理由ですか」
筋は通っているように思えたが、引っかかるものを感じる。顔を顰めたのがなぜかわからないのだ。答えてもらったことは、聞かれて困る理由ではない。
「なにを悩んでいるのじゃ?」
「なにかが引っかかるんですよ。それがわからず頷けなくて……率直に聞きますか。理由を聞いた時に顔を顰めましたよね、どうしてです?」
「そ、それは」
言いづらいことなのか視線をあちこちに彷徨わせて口ごもる。後ろめたいことがあると主張してる態度だ。
「村長、なにを隠しているんです?」
モックスが問いかける。
「な、なんでもない。返答はまた今度で」
そう言うと村長は去って行った。幸助とモックスは顔を見合わせて、なんだったのかと首を傾げる。
その後、保存するため今日使うもの以外は干し肉にしていると、別の男がやってきた。
モックスからの耳打ちで、村の運営に関わる一人だとわかる。
「ここにある肉を買いたいのだが」
「買う? わざわざ買わなくとも皆に配るつもりですよ」
「金を払うと言っているのだ、売るのか売らないのかどっちなのだ?」
「ちょっと待ってください」
断りを入れ、その場から少し離れてモックスと話す。
「買うってことは私有したいってことですよね?」
「そうだな。食料に不安があるから、自分の家に少しでも溜め込んでおきたいのか?」
「それを許したらほかの人も真似して、全員に行き渡ることがなくなりそうだし断った方がいいですよね」
「ああ」
断ると決まり、そのことを伝える。
「金が手に入るチャンスを見逃すのか? ここにある全てを金貨三枚で買い取るつもりなのだが」
「全部!?」
「金貨三枚!?」
全てという部分に反応したのが幸助で、金貨という部分に反応したのがモックスだ。
もう一度相談させてくれとモックスが断りを入れ、幸助を引っ張っていく。
「おいおい! 金貨だってよ! 売った方がいいんじゃないか?」
興奮した様子のモックスに、そこまで興奮することかと幸助は不思議そうな顔を向ける。
幸助にとっては楽に稼ぐことができる金額だが、一般人にとっては大金だと頭から抜け落ちていた。
「金貨ってそんなに興奮する金額ですかね?」
「なに言ってるんだ! 金貨三枚あれば四ヶ月は楽に暮らせるんだぞ?」
「四ヶ月? それをポンっと出そうとしているんですよね、あの人。こんな時にそんなお金を使えるなんて、お金持ちなんですね」
後々入用になると考えて、お金を使うのは渋りがちになるのではないかと幸助は考えたのだ。
「……金持ちってわけじゃないな。そんな景気のいい話は聞いたことない。金額に興奮して不思議に思わなかったが、あの金どこから出たんだ?」
幸助の言葉で冷静になったモックスは抱いた疑問を吐き出す。
「ここのある食料って金貨三枚分の価値ってあると思います?」
「食料が少ない今価値が上がってるとはいえ、ぎりぎり金貨一枚に届くくらいだと思うな」
「怪しいですよ」
「だな」
買いに来た男に断ることを告げた。男はさらにもう一枚金貨を出すと言ってきたが、なにか裏があると確信を持つことができ、二人は頷かない。
男は怒った様子で帰っていく。その時残した言葉が気になるものだった。
「村のためか」
「買い占めることが村のためになる? あの男は金持ちってわけじゃない。お金を出したのがあの男だけじゃなくて複数いたら、私有が目的じゃない? 村長の近くにいるんだから村長も出した可能性があるわけだ。その村長は依頼としたいと言ってた。依頼にしたら狩ってきたものは村長たちのものってことに? 配給する量や対象を決めるのは村長たちの裁量になる。配る対象を好きに決められる。村のためってことは、村人のため? 村人を守るため、村人に優先的に配るようになる? だから買い取って独占したかった?」
幸助は正否を無視して、連想して考えを広げていく。推測だらけだがあの言いづらそうな様子が、助ける対象を選び見捨てる人を出すことへの申し訳なさからきたのならば、繋がるかもしれないと考える。
幸助の連想を聞いていたモックスも同じ考えに至る。そして複雑な表情となった。
村長たちの考えは人としては駄目なものだろうが、村を守る者としては非難できるものではない。このまま難民を受け入れ続けては共倒れもありうる。それを理解できたのだ。
「できることは何日か狩りを続けて、食料を増やすことくらいかな」
正直、このような問題とは関わりあいになりたくないし、解決策も浮かばない。できることといえば狩り続けることくらいだと考えた。
「俺もそれくらいしか思い浮かばないな。見捨てるってのはわかるんだが、できればやりたくはない」
「それを決断する時がこないといいんだけど」
「だなぁ」
二人は大きく溜息を吐いた。
幸助は、この村が導火線に火のついた爆弾を抱えているように思えた。
戦いが終わったと宣言され、それが広まれば人々も多少は気持ちが楽になるのだろう。爆弾が爆発する前に、宣言されればいいなと思いつつ作業に戻る。
難民用の煮炊き場に肉と野草を持っていき使ってもらう。
そのまま料理作りを手伝い、難民たちと一緒に食べる。ご飯を食べている時は、皆緊張が和らいだ様子だった。
その後は干し肉を作っていた場所へ戻る。剥いだ毛皮の手入れをしながら時間を潰し、壁に背を預けて寝る。
皆が寝静まった頃、幸助は目を覚ます。空は曇りで、近くの明かりも消えているため間近であっても見づらい。
幸助が起きたのは物音が聞こえたからだ。音の方向へ目を向けると、影が干し肉の当たりで動いているのが見えた。
気配を抑えて静かに移動し、近寄ってから明かりの魔法を使う。
「うわっ!」
突然の明かりに驚いた声を出したのは、難民の男だった。手には干し肉をいくつも掴んでいる。
幸助は男の腕を掴んで逃がさないようにする。必死に振り払おうとする男に幸助は声をかけた。
「なにしてんの? まあ、聞かなくてもわかるけど」
「どうしたんだ?」
明かりの眩しさに目を覚ました者が聞く。
「泥棒。干し肉を持っていこうとしていた」
「……こういう奴が出るとは思ってたけど。誰もが我慢してんのに恥ずかしくないのか?」
ほかに起きてきた者も厳しい目で盗もうとしていた男を見ている。
「そのまま掴んでてくれるか? 縛るロープ探してくる」
「わかった」
「離してくれ! 二度とやらないから!」
信じるわけないだろうと皆の視線が語っている。本当だとしても貴重な食料を持っていこうとしたことは許しがたい。
「俺は頼まれただけなんだ! ほんとなんだよ!」
掴んでいる幸助を見ながら言う。
「誰に頼まれたのさ?」
「誰かはわからん。でも綺麗な服だったからここの住民なんだろ。ここにある干し肉を持ってきたら金を払ってやるって、着の身着のままで逃げてきたから金がないんだ! 俺のほかにも何人か頼まれていた!」
男が嘘を言っている可能性もあるが、これが本当だとしたら村長たちの仕業かと幸助は考える。
詳しい話は朝になったらまた聞こうと、ロープが来るまで腕を掴み続ける。
縛った後は、喚き続けられても迷惑なので眠りの魔法を使い静かにさせた。
「俺が見張りに起きてるから、皆は寝ていいよ」
一連の騒ぎを見ていた者たちのほとんどは、その言葉で寝床に戻り。一部は見張りに立つと言ってきたので、幸助は一緒に朝まで起きていた。
「これが夜にあったこと。どう思う?」
「怪しいのは村長たちだな」
といっても怪しいというだけで断定して、責めることはできはしないのだが。
「だよね」
狩りに行こうと誘いにやってきたモックスに昨晩あったことを話す。ほかの者たちも集まってきていて、昨日の教訓を活かし台車や背負子もある。
「昼間も盗まれたりしないよう、見張り置いていた方がいいか?」
「頼むにしても信用できる人いる?」
「信用できるやつなぁ」
なんで旅人と門番たちが頭を悩ませなければならないのか、疑問を抱いたりもしたが放っておけることでもないので真剣に考える。
「とりあえず昨日捕まえた奴は脅しておけば使えるかもな。広いとは言えない村の中だ、逃げ場なんぞない。これからしばらく暮らしていく場所で、除け者にされたくはないだろうしな」
「脅迫するのは嫌だとか言ってる場合じゃないしね」
ほかに門番たち警備の中から見張りに異動させて対処する。
モックスは村長たちが来ても渡すなと念を押す。ここのある物は村の物じゃなくて、狩りに行った者たちの物だ。譲渡すると明言していない以上、誰にも持っていく権利などない。
村の外に出た幸助たちは、昨日とは違う狩場に向かう。休憩も入れて、七時間で昨日よりも多く食料を手に入れた一行は村に戻る。
こうして毎日狩りに出かけて、徐々に取る量が減っていったがある程度の成果を出していく。
村の雰囲気は相変わらずだが、食べ物があるおかげか不満が大きく溜まることだけは避けることができていた。
そうして幸助が待っていたことが、この村に来て八日目に届く。戦いが終わり、ほとんどの魔物は退治され、ある程度の安全が戻ってきたという知らせだ。
その知らせを聞いた難民たちの表情から、不安が消えて歓声が上がる。隣にいる者たちと嬉しげによかったよかったと語り合っている。着の身着のまま手持ち以外になにもないということは変わらないが、故郷に戻れるとわかり希望を抱くことができたのだ。
早速次の日から村を出る者たちが現れ始めた。戦いが終わったといっても一人で動くのは怖いのか、最低でも五人組となり故郷目指して村を出ていく。
「これでひとまずの安心はできますねぇ」
「ほんとだな」
出て行く者たちを見て、幸助とモックスは安堵の溜息を吐く。
このままの生活があと五日も続けば住民と難民の対立が起こるかもしれないと、二人はやきもきしていたのだ。そんな事態が避けられて心底喜んでいる。
「じゃあ、俺もそろそろ行きますよ」
「行くのか。世話になりっぱなしだったな。またいつか会いたいもんだ」
差し出された手を幸助は握り返す。
モックスに見送られて、村から見えなくなる場所まで歩き、幸助は転移で家に帰る。
一日休んだ幸助はまた転移して、別の村を探す。滞在して、また別の村探すといったことを繰り返していき、八ヶ月ほど復興の手伝いを続けていった。
その間に、魔物の残党を退治して、住民と難民の問題が発生した村の崩壊を目にしたり、住居と財産を失い山賊となった者たちを返り討ちにして、未亡人になりかけた若妻に惚れてみたり、親を亡くし行き場もない子供を拾ってはウェーイの孤児院に連れて行ったりと様々なことに関わっていく。こんなこと以外に、普通に田畑を耕し建築用の木を切ったりもしていた。
何度か滅びて放置され、人骨が残る村も発見した。魔物の所業に憤る思いもあったが、それ以上に暴れ壊すということを体現した光景に気分が滅入った。そんな時はエリスやウィアーレと過ごして慰められたり、フェウスに癒されたり、店の様子を見に行って手伝い気分転換した。気合を入れて働くコースケに、メリイールとセレナは普段との違和感を感じたが、触れずにやりたいようにやらせていた。
色々な村に滞在して、そこで色々と見聞きして、この世界に来てからのことを思い返し、幸助は一つ決めたことがある。上手くいくかはわからないが、やってみたいやりたいと思えることだった。
「玩具を作りたいんだ」
復興手伝いを終えた幸助は、エリスとウィアーレを前にして決めたことを口にする。
「玩具って既にオセロを作ったよね?」
「そうだけど、あれ以外にも」
「どうして作りたいと思ったのか理由を話してくれるか?」
「色々な村に行ってさ、思ったんだ。子供たちが笑ってないなって。魔物たちが暴れた後で無邪気に笑えってのは無理だってわかる。復興で忙しくて子供たちも手伝って、遊ぶ余裕もないのもね。でもやっぱり子供たちには笑った顔が良く似合うと思ったんだよ。笑って出迎えてくれるフェウスに癒されたし、リッカートだと子供の笑い声は当たり前のように聞こえるし。そんな光景見たら、北方の子たちにも笑ってほしいなって思った。そこで俺になにができるかって考えて、玩具を作ってみようと思ったんだ。子供が喜ぶ物の一つだよね、玩具って」
復興の手伝いは既にそれほど必要とされていない。幸助一人が手伝いを止めたところで問題なくなっている。というか個人で助けられるのは限られた範囲だ。それを幸助は実感した。このまま復興を手伝っても、一部の子供の相手ができるだけでたくさんの子供を笑わせることができるわけではない。
どうしたらいいのかと考えて、思いついたのが玩具作りだ。
「俺の作った玩具で楽しんでくれて笑ってくれたらいいなって」
いつになく真剣に思いを込めて話す幸助に、二人は本気なのだと知った。
二人は顔を見合わせ頷き合い、微笑みを幸助に向ける。
「お前さんがやりたいようにやればいい。手伝おう。本気で冒険者を目指すっていうよりよほどコースケらしい」
「そうだね。なにかを壊すよりも、生み出すって方向がコースケさんには似合ってるよ」
それぞれの言葉で幸助の考えを応援する。
そんな二人にありがとうと感謝を伝えて、どういった玩具を作りたいか、どんな風にそれを使っていくかなどこれからの展望を語っていく。
その風景をミタラムとコーホックは達成感を抱いて見ていた。
幸助が戦いという未来を望まないことを二人は願っていて、選ばなかったことを喜んでいる。
そのために復興を頼んだのだ。幸助の人間性を考えると、破壊された村や打ちひしがれる人間を見て、憤るよりは同情すると予測できていた。そうなるよう思考を誘導する意味で復興を頼んだのだ。
それでも予測にすぎず、もしかすると魔物に殺された者たちの無念をぶつけていくことを考え実行したかもしれない。戦い続けていれば、神の誰かが幸助に警戒心を持ち排除に動いたかもしれない。そうなれば神殺し誕生の道筋へ世界は進むかもしれないのだ。
そんな未来を二人は望んでいない。可能性がなくなったわけではないが、低くなったことは確かでこのまま平穏が続いてくれと願う。
「話に混ぜろ! 遊びは俺の分野だ!」
「楽しそうな話聞きたい」
破壊ではなく、創造の未来を語る幸助に二人は会いに行く。
この十ヶ月真面目に働いてきたのだ、褒美として趣味に走っても許されるだろうと二人は三人の会話に乱入した。
突然現れた神二人に、幸助たちは驚くも神の協力が得られるなら好都合だと歓迎する。
神殺しになり得た者と神が笑いあう騒がしい光景がそこにあった。
流離い人だった幸助は未来を見据え、進む道を決めた。
冒険者のままでも暮らしてはいけただろう。だがそれはできるからやるといった不安定な立ち位置だ。
冒険者が悪いとはいわない。冒険者を目指す者は、暮らしのため、活躍したいなどといったはっきりとした考えがある。幸助にはそれがなく、なんとなく冒険者でいただけなのだ。
玩具を作り、子供たちに笑ってもらう。まだ漠然とはしているが、なんとなく冒険者でいるよりは地に足をつけた考えだ。それはこの世界で生きていくとはっきり決めた決意でもある。
世界の住人となることを決めた幸助を流離い人とは呼べはしない。
この世界で生きていくと決めても竜殺しであることは変わりなく、竜殺しの過ごす日々は穏やかに時に騒がしく過ぎていく。
神殺しにはならずとも、それは決まっていることだった。