戦艦<ヤマト>を撃沈せよ・蛇足
戦艦大和を撃沈せよ・蛇足
★①
●注1:砂漠の道路にフォードV八
この風景はやっぱり映画「俺たちに明日は無い」という感じ。
●注2:<オーバーランド・リミテッド>
その名前より<大陸横断特急>と呼んだ方がいいかしら。民間航空が未発達だった頃は、都市間交通の花形だった。合衆国は航空機に全振りした結果、今になって新幹線を輸入する羽目になった。<20世紀特急>とか<ブロードウェイ特急>とか名前だけでもワクワクするような豪華列車が、かつて鉄路を走っていたのだ。
●注3:合衆国陸軍航空隊
史実では1947年9月18日から合衆国空軍となる。
●注4:M四A三<シャーマン>
ソ連のT34と同じく歴史を作った戦車…、と言いたいところだが「池のアヒルのようにやられちまう!」と乗組員から不評だった。
●注5:M二六<パーシング>
欧州戦争にギリ間に合った重戦車。帝国陸軍の公式記録だと硫黄島の戦いにも参加したようだ。後に世界中の戦車が大型化していき中戦車へ分類が変更される。改良型のM46<パットン>が朝鮮戦争、M48<パットン>がベトナム戦争と戦い抜き、湾岸戦争にもM60が海兵隊所属の部隊が参加した。冷戦期を改良型で乗り切れたのは有力な航空戦力を保持していた事と、いざという時は戦術核の使用が予定されていたからだ。
●注6:電気
街道脇の電信柱はこのために整備されていると思われる。
●注7:<ガバメント>
より正確を期すなら「コルトM1911A1」と素っ気ない番号となる。1985年まで合衆国軍の制式拳銃だった自動拳銃。
●注8:ブローニング<ハイパワー>
こちらも正確を期すなら「ブローニング・オートマチック・ピストル・ハイパワー」だな。<ガバメント>を設計したブローニングおじさんがフランス軍に頼まれて設計した自動拳銃。ドイツ系統以外で拳銃を選ぼうとすると、イタリアのベレッタかこいつになる。
●注9:S&W社のM一〇<ミリタリー&ポリス>
ハリウッド映画でザコ警官が持っているリボルバーと言えば大体コレ。日本の警察でも<ニューナンブ>などに混ざって、いまだ使用されている。
●注10:<ダブルデリンジャー>
リンカーン暗殺に使用されたのはパーカッション式の小型拳銃だった。その設計した人がデリンジャーおじさん。以降、ポケットに入るような小型の銃をデリンジャーと呼ぶようになった。<ダブルデリンジャー>はレミントン社が発売したリムファイヤー式のポケットガンである。
●注11:机に並べるドル紙幣
わざわざダイナーで確認したということは、おそらく一万ドル全てを持ち出すことはできないと悟っていたに違いない。
●注12:ウィリアム・マッキンリーの肖像画
500ドル紙幣の事。1946年まで彼の肖像画が採用されていた。
●注13:上からスカーフを巻いて、顎の下で縛った
いかにも大時代的なファッションでしょ?
●注14:「シャローム・アレイヘム」
ユダヤ語での挨拶の言葉である。意味は「良い一日を」ていど。
●注15:砂漠の中で荷物の担当を変更
この辺り、本編を書いている時は気が付かなかったが、蛇足を書くために読み返すとドラマ「特攻野郎Aチーム」に登場する【奇人変人パイロット】と【大統領でもぶっとばす人】の会話みたい。
●注16:見慣れないトラック
九四式六輪自動貨車と火葬した。いすゞ自動車のボンネットトラックと説明した方が早いか?
●注17:自動小銃
おそらくM1<ガーランド>だろう。自動小銃を歩兵に装備させるのは役に立つと各国の陸軍首脳部は分かっていたが、更新するための財力があったのが合衆国軍だけだったという…。
●注18:黒服の男たち
イメージは合衆国の都市伝説である「メン・イン・ブラック」
●注19:銃剣。
1940年代は、歩兵戦闘で銃剣を使う可能性はありと考えられ、いちおう各国で支給はされていた。だが東洋の某島国では、なんでも「道」となる。銃剣で戦う事も武道の内とされて銃剣道なる新しい格闘技が生まれる事となった。これだけドローンが発達して銃剣を使う事が無いと考えられている現代では、大陸の東西両端にある島国しか銃剣を重視していない。ここで彼らが装備しているのは九九式短小銃に三十年式銃剣を装着した物と思われる。
●注20:大日本帝国陸軍第三五一師団、第三二八歩兵連隊
史実では本土決戦において水際師団と呼ばれた捨て駒の師団であった。彼らが上陸直後でまだ混乱している連合軍を浜に押しとどめ、後ろから重砲で一気に焼き払う計画だったとか。もちろん巻き添えで味方に撃たれる事になる。
●注21:「ジョンさんではなく?」
おそらく彼の手配書が掲示板にあった物と思われる。
●注22:シナゴーグ
ユダヤ教の集まりを催す建物。
●注23:キャラメル
いちおう発祥が中東で発達したのがフランスだったはず。ロジーは逃避行が長かったので甘味に巡り合うことが少なかったのだろう。
●注24:あまり出番の無かった合衆国陸軍が本土決戦を叫んでいた
まるで某国の末期みたい。史実で合衆国陸軍が本格的に戦闘に加わったのは1942年11月のトーチ作戦からだが、この世界ではトーチ作戦は発動しなかった物とする。
●注25:国会社会主義
正確を期するなら「国民」社会主義とすべきだが、和美はこう覚えてしまったので、こっちの名称を採用。まあ欧州の黒歴史とされるナチスのことなのだが。ちなみに当時のドイツの正式名称は「ドイツ国」であった。この世界では戦後に改称したのだろう。
●注26:脱出ルート
史実ではポルトガルから脱出したユダヤ人も多かったとか。当時のポルトガルはサラザールによる独裁体制だったが中立を維持し、両陣営の人間が行き交う中継地点となった。
●注27:日系人収容
史実である。しかも21世紀になるまで謝りもしなかった。これも勝てば官軍ってことか。
●注28:フランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領
史実では四選を果たした三か月後に死去。この世界ではちょっと早まったようだ。
●注29:<フライング・スコッツマン>
ロンドンとエジンバラを結ぶ有名な特急列車。1862年から雨が降ろうが槍が降ろうがドイツに爆撃されようがV1が降ろうがV2が降ろうが、必ずロンドンはキングス・クロス駅を午前10時に発車する。日本で言うところの客車特急<つばめ>電車特急<こだま>新幹線の<ひかり>に<のぞみ>といったところ。
●注30:彼らの本名
じつは考えていなかったりする。まあ「核物理学の教養がある人物」程度の設定なので。
●注31:ニ号計画
史実で大日本帝国陸軍が進めていた核兵器製造計画だ。
●注32:自転車を使う伝令
史実の戦艦<大和>でも目撃例がある。
●注33:大神
九州は大分県大神村に「仮称O工廠」として建築が予定されていた帝国海軍四番目の海軍工廠。大東亜戦争の激化に伴い工事は中止され、予定地は人間魚雷<回天>の訓練基地となった。この世界では戦争の勝利により完成している。完成すれば船台一つにドック二つを持ち、戦艦も建造できる予定だった。
●注34:大和型戦艦
まあ落ち着け。大和型戦艦の命名には異論が出るのは承知済みさ。一番艦の<大和>はもちろんそのまま。史実でも完成した<武蔵>までは文句につけようがないだろう。史実では空母となったが国名がついている<信濃>だって戦艦で同じ名前になってもおかしくない。残りの<甲斐><越後>は、同型艦同士は縁の深い名前がつけられるという法則があったので、信濃と言えば武田信玄と上杉謙信ということで選択した。超大和型戦艦は<紀伊><尾張>としたが、これは未完成だった八八艦隊の計画艦から名前をいただいた。この二隻にこの名前をつけるのは、架空戦記ではもはや定番でもあるし。それに日本が建造した最後の戦艦が「おわり」ってゴロも良いし。
●注35:大和型は七隻で終了し、次世代を建造中
史実でも乗っている司令官すら<大和>の搭載している砲の口径を知らなかったという話しがあったぐらいだ。超大和型の建造に際して<大和>を上回る砲を搭載している事は極秘であろう。次世代の二隻は<信濃>のように途中から空母へ設計変更されたと火葬している。
●注36:第一砲塔の二門だけ換装
アレッと思わせる仕掛けである。
●注37:艦内巡検
副長の大事な仕事の一つ。だが大和型は大きすぎるので、艦内を四つの区画に分けて、サイコロで当日どの区画の巡検をするのか決めていたらしい。昨日来たからと安心して掃除をサボっていたら副長が来て大慌てという当事者にとっては笑えない話もあったようだ。
●注38:砲弾の重さ
史実の<大和>の主砲には九一式徹甲弾、一式徹甲弾、零式通常弾、三式通常弾と四種類の砲弾があった。この内、前三種類は1460キログラムで、三式通常弾は1360キログラムであったらしい。一方、対空砲はというと帝国海軍で代表的な四十口径八九式十二糎七高角砲の弾薬は薬莢式で34キログラムだったようだ。主砲弾よりは軽いとはいえ人力装填だから発射速度が遅くて弾幕とは名ばかりだったとか。
●注39:弾薬庫を繋ぐ軌条
和美が小学生の時に出版されていた本には<大和>艦内には鉄道があると書いてあったのよ。でも断面の図面を見ると前後弾薬庫の間に機関室が挟まっているから、どこを通したのかって話にもなるわけ。おそらく都市伝説の類なのだろうけど、かろうじて弾庫から舷側の廊室を迂回すれば運べそう。よって戦闘時に架設する組み線路みたいなものがあったと火葬した。この世界だけの話しであるから真に受けないように。
●注40:前甲板
沖縄特攻時の<大和>の甲板は砥の粉が塗られて真っ黒だったというのが最近の定説のようだ。空から少しでも視認できなくするためらしい。もちろん戦争に勝ったこの世界線では木甲板の色そのままだ。
●注41:軌框
戦場で砲弾を運ぶために使用される軽便鉄道の組み線路のこと。千葉県にいた鉄道連隊が装備していた。戦後、帝国陸軍が解体された時に地元の農家がちゃっかり頂いて収穫などの農作業で使っていたようだ。
●注42:甲板に完成する小さな鉄道
史実の<大和>最後部にある航空甲板では重い水上機を取り扱うために、予めレールが敷いてあった。こちらの新装備にそういった物が無いのは、航空写真から秘匿設備がばれる可能性があったからだ。
●注43:幽霊のような白装束をした一団
もちろん放射線防護服のつもり。でも史実の核開発初期では、放射線は浴びれば浴びるほど健康になると言われていた。それで二次被曝をして健康を害した兵士が多かったとも。
●注44:砲弾
果たして戦艦の大砲で撃てる核弾頭は開発可能だろうか。広島型原爆で重さが4・4トン。長崎型原爆で4・7トンである。大砲から撃ち出す核兵器(核砲弾)の最初の物は1952年に開発された280ミリ砲の物が最初であり、1956年にアイオワ級戦艦の主砲で発射できるタイプが生産された。最小のもので155ミリ榴弾砲の物があったらしく、1992年の核軍縮条約まで現役だったようだ。理論上は105ミリ榴弾砲で発射できる物が造れるようだ。小型化は可能だが、それに見合った核物質を精製できるかが要点となる。
●注45:「エジプト亡命事件」
実際にヴィットリオ・エマヌエーレ三世がイタリア王政を諦めて共和制へと移行した戦後の事件を参考にした。
●注46:ピエトロ・バドリオ元総合参謀本部総長
史実でムッソリーニを失脚させた人物。この世界では逆だったようだ。
●注47:「ドイツの尻尾」
世の中には「ヒトラーの尻尾」なる人物も居たりする。
●注48:Sdkfz一七二、V号戦車<パンターⅡ>
ボヤッキーも驚きのビックリドッキリメカばかりのドイツ国防軍の戦車の中で、V号戦車<パンターⅠ>が正統発展していたら採用されていたと思われる試作戦車。制式化されていないので、採用されたら割り振られる車台番号が無い。なので、この世界では欠番である172としました。<ティガーⅠ>と<ティガーⅡ>も番号が一つ違いなので、あながち間違っていないと思う。
●注49:ポルトガル領インド
ポルトガル共和国はインド西岸各地に植民地を持っており、ボンベイも元々はポルトガルの植民地であった。1661年カタリナ王女が英国のチャールズ二世と結婚する時に嫁入りの持参金として譲られて英国領となった。他にもボンベイ北方のダマン、ディーウ島、ダードラー、ナガル・ハベーリーと各地にポルトガルの植民地は点在していた。もちろんそこへもドイツ軍が派遣されており、一斉攻勢の際に加担した物とする。
★②
●注50:1947年9月15日
第一次世界大戦の「ソンムの戦い」から31年目という日付である。英軍が投入したマーク1戦車にドイツ軍兵士が混乱に陥った。
●注51:<孟加拉虎>
ええと「孟加拉」と書いて本当はバングラデシュと読むらしい。でも「ベンガル人の国」という意味だから「孟加拉虎」と書いてベンガルトラと読む。…じゃだめ?
●注52:StuH四二/二、四二/二式突撃榴弾砲
Ⅲ号突撃榴弾砲の後継として開発された自走砲。まさしくトーチカなどの特火点を吹き飛ばすための代物。なお<ヘッツァー>自体は、史実ではⅢ号突撃砲の工場が爆撃されて生産が滞ったことにより生まれた兵器だが、性能はとても優れていたため量産された車両だ。この世界でも生産の滞りがあっただろうし、生産メーカーから新兵器として提案があったのかもしれない。
●注53:<バレンタイン>歩兵戦車
ドイツ国防軍に負けず劣らずビックリドッキリメカの宝庫である英国陸軍において「まともで故障が少ない」という稀有な特徴を持つ戦車である。おそらく合衆国から<シャーマン>が供与されていなかったら、この戦車が大活躍…、というわけにもいきそうにないのが英国軍。
●注54:T34E型
ドイツ軍による分類である。一般には「T34-76、1942年型」と呼ばれるタイプだ。二枚の円形ハッチを開けると砲塔に耳がついているように見える事からドイツ兵からは「ミッキーマ▽ス」と呼ばれた。
●注55:ブリキ缶
重ねて強調しておきますが、大東亜戦争初期の頃では史実の日本戦車だって世界標準の武装と装甲を持っていた。その後のドイツをはじめとする列強の戦車の進化が異常なほど早くて取り残されただけですから。この後のイタリア軍戦車に対する感想は、アフリカ戦線で戦ったドイツ兵たちの有名なジョークである。古臭いリベット留めのイタリア戦車に対して日本戦車はちゃんと電気溶接を採用していた。
●注56:第七航空艦隊
ドイツ空軍の戦略単位として航空艦隊という物があった。史実では六個あり、第一(ドイツ北東部)第二(ドイツ北西部から地中海戦線)第三(ドイツ南西部からフランス全土)第四(ドイツ南東部)第五(北欧戦線)第六(東部戦線)が担当であった。もちろん第七は和美の火葬である。
●注57:四四年式突撃小銃
世界初の突撃銃とされるライフルだ。現代に至るまで基本は変わっていない。
●注58:第一〇一SS重戦車大隊の戦車エース
史実のビレル・ボガージュで、一台の<ティガーⅠ>で英国陸軍の一個師団を退けたという伝説を持つミハエル・ビットマン高級中隊指導者のことである。
●注59:ヘンシェル一三二C<雀>。ハインケル一六二B<火蜥蜴>
どの愛称も史実ではHs162の物。<シュパッツ>はヘンシェル社での呼び名。<ザラマンダ>は航空省での開発計画の名前。だが空軍制式名称は<国民戦闘機>だった。この世界のドイツは敗戦していないので士気高揚のための名前である国民戦闘機の名称はつけられず、Me262とのハイ&ロー編制のロー側量産機と設定した。
●注60:上空を飛ぶドラム
四式四〇糎噴進砲のつもり。
●注61:「E計画」
けっして決戦兵器たる人造人間を量産する計画では無い(オタク脳)。史実のE五〇とE七五のこと。中戦車と重戦車の部品を共通化して生産や修理がしやすいようにする計画。エンジンまで同じ物にする計画であった。
●注62:帝国陸軍の積極介入
ということで、ネタ的には大サトーの「レッドサンブラッククロス」です。晩年の大サトーは文明の離れた土地で機甲部隊がぶつかることは荒唐無稽なこととし、やり直しの作品群ではインド亜大陸では無く新大陸へ戦場を移しました。が、史実のロシア戦線を見る限り、鉄道が通っていれば可能性があるような気もします。さらに付け加えると、セガサターンの<ワールドアドバンスド大戦略>をやり込みすぎてパッドを破壊しハードを故障させた身としては、やはり勝っちゃった枢軸国同士でぶつかるのはインド亜大陸でお願いしたいのです。ということで、どうせ(仮想ではなく)火葬戦記なのだから、景気よくインド亜大陸で日独が激突する内容としました。
●注63:戦車
日本の戦車という物は某文豪曰く「憂鬱な乗り物」だったそうで。なにせ1両の<パンター>に5両がかりだった<シャーマン>に、5両がかりで挑んでも勝ち目は薄いというダメっぷり。じゃあ1両の<パンター>に25両の日本戦車で勝てるのかと訊かれたら、たしかに勝てそうもない。だから、せめてこの世界の日本の戦車兵にはまともな戦車に乗って欲しかったので、無い知恵を絞ってみました。
●注64:戦車の開発競争相手が帝国海軍
こうでもしないと帝国陸軍は戦車を開発してくれないなと思って。史実の帝国海軍は、戦艦<大和>をはじめとする軍艦の装甲を研究し、傾斜装甲を八八艦隊時には取り入れ、対空砲の更新を怠らずに新式の長10センチ砲を開発した。さらに言えばソロモン方面で水陸両用の戦車が必要になったときに短期間で開発をしているし、意外と可能性はあったような気がする。
●注65:ソ連軍の大きな被害
これは史実でもそう。両軍の勝ち負けを決したのが補給という、まさに大東亜戦争の前哨戦のような結果なのだ。
●注66:八九式中(軽)戦車
ノモンハン事変までの戦車開発は史実と同じとしています。この時までに帝国陸軍はフランス製のルノー戦車を輸入して戦車を研究していた。このルノー戦車は全周砲塔が車体中央にあり、車体も前から操縦室、戦闘室、機関室の順に並んでおり、履帯が両脇にあるという「近代戦車の祖」と呼ばれる戦車だった。今の最新式である10式戦車<ヒトマル>に至るまで基本は変わっていない。このルノー戦車から八九式中戦車<イ号>を開発。主砲は以降帝国陸軍定番となる57ミリ砲。装甲は最大17ミリで、最高速度は舗装された道で時速25キロという、自家用車も生産できない国にしては頑張った方であった。後に初期のガソリンエンジン搭載車を<チイ>、後期生産のディーゼルエンジン搭載車を<チロ>と分類したらしい。中身の違いなので戦車に詳しい人でも写真だけでは判断がつきにくいそうだ。ちなみに<ワールドアドバンスド大戦略>にも登場し「我が軍にも戦車がある」という安心感を得るユニットとして史実通りの使い方をすることになる。
●注67:「戦艦と言う名がつく物は…」
いかにも「日本のお役所」らしいでしょ。似たような事例は本当にあって、帝国陸軍では工兵が使う装甲車両を<装甲作業機>と呼んだ。履帯がついて装甲を纏っていて、火炎放射器と機関銃で武装しているので、他の国なら火炎放射戦車と分類されるような車両なのに。ちなみに新規開発という建前であるが当時戦車の管轄していた歩兵科に対する言い訳で、ほとんど八九式戦車のバリエーションと言って良い車両である。まあドイツ軍だってⅢ号戦車から発展させた固定砲座の車両を砲兵科の管轄だから<Ⅲ号突撃砲>と呼称していたりするし、縄張り争いは洋の東西に関係無いようだ。
●注68:NbFz<新造戦車>
ドイツ国防軍の数あるビックリドッキリメカの一つ。大型の車体に砲塔が三つも乗っているというキテいる戦車だ。もちろん現代の戦車にそういう系統の物が無い事で分かるように「理論では最強の戦車」という奴だ。敵の只中に孤立した時に、指揮官が集まりすぎる情報を処理しきれなくなり、せっかくの武装が無駄になるのだ。ならば、その重量で装甲を厚くして、指揮官が把握していない方向からの攻撃は耐えられるようにした方がよっぽど良いということになった。だが最近の歩兵戦闘車などで、有人の主砲塔の他に、リモートコントロール式の副武装をつけている物が生まれ始めているので、そちらをAIに任せるなどして多砲塔戦車が復活する可能性はある。いちおうこんな戦車だったが、ドイツ国防軍は本気で次世代の主力戦車にしようと考えていた時期があった。まあ、まともなⅣ号戦車に代わられるのだが。
●注69:特〇式内火艇
もちろん和美が設定した火葬戦車である。
車体長8・4メートル
最大幅3メートル
最大高3・2メートル
重量45トン
日立「天風一一型」空冷星型ガソリンエンジン320馬力
最高速度、時速15キロ
武装:中央司令塔に固定式オチキスQF3ポンド砲(47ミリ砲)×1門、九二式7・7ミリ機関銃×1門
前部銃塔九二式7・7ミリ機関銃×2門
後部銃塔九二式7・7ミリ機関銃×1門
装甲厚30~10ミリ
乗員8名
このぐらいの要目なら駄っ作戦車になれるかな?
●注70:海軍大臣ヨシダ
時期的に第20代海軍大臣吉田善吾が当てはまるが、この世界では別人かもしれない。
●注71:新砲塔の開発
新砲塔<チハ>もしくは<チハ改>が開戦時に陸軍標準戦車であれば、開戦初頭のマレー半島とフィリピンで惨めな思いをしなかったかと思って、前倒ししてみました。
●注72:一式中戦車<チヘ>
史実では、ほとんどが本土決戦用に残されたため活躍できなかった帝国陸軍の戦車。まあ海上輸送路は連合軍の潜水艦にズタズタにされていたので、船積みしても海の藻屑になっただろうけど。配備が遅れたのは「<チハ>と装甲の厚みが違うだけじゃないか」と陸軍上層部がのたまわったからだそうな。いや薄い装甲で戦わされる戦車兵の身になれよ。
●注73:特一式内火艇
もちろん和美が設定した火葬戦車である。ちょっと卑怯だが、史実の陸上自衛隊が装備した61式戦車ぐらいのつもり。そのままは無理があったので、90ミリ主砲を76・2ミリ砲にして、機関銃関係は全部ルイス機関銃にして。なお帝国海軍は主砲射撃の訓練用に、主砲に同軸の「外とう砲」(「とう」は肉付き偏に唐)を使用していたので、同軸機銃は採用できたと考えられる。40年代に60年代の戦車はたしかに卑怯だが、61式戦車の想定した敵はT34-85だったらしいので、あながち間違いでは無いはず。
●注74:クリバヤシ少将
映画「硫黄島からの手紙」で題材になった「硫黄島の戦い」で日本軍守備隊の最高指揮官だった栗林忠道陸軍大将がモデル。帝国の駐米駐在武官として海外に有名になった。
●注75:三式中戦車<チヌ>
一式中戦車<チヘ>を改造して<シャーマン>を(せめて横から)撃破できるようにした戦車。急造した割にはまともな戦車だったが、主砲の照準をつける者と、引き金を引く者が分かれているという、いかにも急造らしい作りだったため実力は未知数だった。史実では終戦に間に合ったようだが、この世界では前倒しされて名前通り1943年には配備が始まったようだ。
●注76:砲戦車
戦車の車台に大きな大砲を積んだ車両を自走砲と呼ぶが、自走「砲」だと砲兵科の管轄になって戦車兵が扱えないので「砲」戦車と呼んだ。こんなところにも縄張り争いが。他にも<ホイ>だの<ホロ>だの自走砲やら砲戦車やら、史実の帝国陸軍にだってそれなりの機甲戦力はあったんだよ。
●注77:二式重戦車<オニ>
もちろん和美が設定した火葬戦車である。大体、ソビエト軍のJSⅠのような戦車のつもり。ただ帝国陸軍は同軸機銃の開発に失敗していたから、砲塔に装備した機関銃がちゃんと役に立つかは未知数だけど。
●注78:試製重戦車<オイ>
帝国陸軍の制式名称は「オイ車」だったらしいけど<ワールドアドバンスド大戦略>をやった身だと、こっちの名前の方がしっくりくる。長らく都市伝説級の眉唾な話しだったが、設計図と使われた部品の一部が発見されて、史実となった戦車。まあ黒歴史だけどね。他にも帝国陸軍には「試製一号戦車」、九一式重戦車、そして九五式重戦車<ロ号>と重戦車が複数存在したが、全て実戦には出ていない。まあ全て性能がアレな多砲塔戦車なので推して知るべし。あと当時の連合軍の公文書では様々な重戦車を帝国陸軍が装備している事になっているが、おそらく全部偽情報である。それらは全て日本側のスパイの努力の結果であろう。
●注79:九九式八センチ高射砲(実径八八ミリ)。一式八センチ戦車砲(実径八八ミリ)
九九式八センチ高射砲(実径八八ミリ)は実際に帝国陸軍が制式化していた高射砲である。よく欧州戦線で活躍し「アハトアハト」と呼ばれ同じ88ミリであるドイツ国防軍の高射砲と同一視されるが、実際は別物である。あっちは56口径でこっちは45口径であり、潜水艦などに搭載するために軽量砲とした物である。それを日中戦争で鹵獲してデッドコピーした物を制式化したのが九九式八センチ高射砲である。また一式八センチ戦車砲は、和美が火葬戦車に搭載するために設定した火葬戦車砲である。一時期、同じく九九式八センチ高射砲を五式中戦車に搭載して「和製タイガー戦車」とも言うべきⅡ型を造る計画があったという、まことしやかな都市伝説があったが、現在では否定されている。ちょっと古いゲームである<ワールドアドバンスド大戦略>で、この五式中戦車Ⅱ型が最終面に登場するのは、そういった事情である。
●注80:特二式内火艇<カミ>
史実の水陸両用戦車である。日本海軍陸戦隊の貴重な機甲戦力であった。この世界では登場が少し前倒しになっている。
●注81:特三式内火艇<カチ>
これも史実の水陸両用戦車である。ただし史実では開発の遅れから実戦には参加していない。この世界では登場が前倒しになっていて、ソロモン方面へ投入されたものとする。あと一式中戦車の砲塔再利用というのは和美の出鱈目で、史実ではちゃんと新規生産であった。
●注82:揚陸に成功していた<カタ>
え? ガダルカナルには港が無かったから貨物船のクレーンしか使えないけど、それじゃあ35トンもの荷物を降ろせないだろうって? だったら砲塔と車体を別々に降ろして、現地で合体させたでいいじゃん。(暴論である)
●注83:サンフランシスコ講和条約
史実では1951年に締結されて、それでやっと連合軍と日本との戦争状態が終結した。この世界では1944年に締結されて枢軸国側の勝利が確定した。
●注84:「陸軍と海軍で争って、その余力で戦争する」
本当は「連合赤軍<あさま山荘>事件」という本に書かれている一節。でも事実なんだもの。
●注85:四式中戦車<チト>
イロハ順に名称がつけられていくという法則に、一見逆らっているように思えるが、これで正しいのである。<チハ>の次が飛び番ありで(間に黒歴史があったりなかったりしたが)<チヘ>となり、本当なら次に<チト>が開発されるはずだった。だけれど予定されていた長砲身57ミリ砲では連合軍の戦車に勝つことが難しいことがわかり、長75ミリ戦車砲を積むように設計を変更している内に、後発の野砲を無理やり積む<チヌ>が完成しちまったのである。また抜けている<チリ>が未成の五式中戦車に予定されていた名称だった。
●注86:二式重戦車改<オニ改>
ひらがなで書くと「おにかい」→「お二階」。いや深い意味は無かったりする。史実のソビエト軍の重戦車<JSⅡ>と<JSⅢ>の関係と同じような戦車のつもり。もちろん和美が火葬した重戦車なので実在はしない。
●注87:五式中戦車<チリ>
四式中戦車<チト>のさらに向こう側。装甲も出力も上げて兵装は同じ75ミリ砲でも自動装填装置付きにするという意欲作。でも終戦には間に合いませんでした。この試作車を見た進駐軍兵士が「日本もタイガー戦車を造ろうとしていた」と誤解した辺りで、どうやら既述の88ミリ砲搭載の伝説が生まれたようだ。
●注88:特四式内火艇<カチ>
これも史実通りの水陸両用運送車として開発された車体。自衛用の機関銃までは常識の範囲だったが、さらに魚雷を搭載して攻撃兵器にしようとしていたのは、まあ負けが込んでいて正常な判断ができなかったせいだろう。もちろん実際に魚雷を載せての襲撃には使用されなかった。でも、このコが存在しているおかげで、全て水陸両用戦車を装備した「帝国海軍海上機甲師団」とか妄想が捗る。ソロモン戦あたりにそんな機甲師団がいたら、合衆国海兵隊と、もっと凄い(泥)試合になったかも。
●注89:特五式内火艇<トク>
これは史実にも同じ名前の水陸両用戦車があるけど、まったくの別物である。史実の方は特三式内火艇<カチ>の量産型で、量産を阻害する砲塔への主砲搭載を車体への固定兵装とすることで回避し、代わりに軍艦の対空兵装として量産が進んでいた25ミリ機関砲を搭載した。<シャーマン>をはじめとする連合軍の装甲車両には敵わなかったろうが、相手が歩兵部隊なら十分活躍の可能性があったのでは? なにせ25ミリと言えば陸上兵器として見ると、けっこうな大口径な機関砲だからだ。
この世界の<トク>は、もちろん和美が火葬した重戦車なので実在はしない。まあ大体、陸上自衛隊の74式戦車のエンジンを愛知航空機「アツタ一一改」水冷ガソリンエンジン650馬力にしたような戦車のつもり。40年代に70年代の戦車は卑怯だったかな。さすがに油気圧サスペンションは無理だろうし、トーションバー式の懸架装置も無理だろうから、走行性能はそんなに良くないつもり。
●注90:ステレオ式測距儀
戦艦<大和>で有名な日本光学工業(現・ニコン)製の倒分像立体視式十五米二重測距儀をはじめとして、軍艦には様々な測距儀が搭載されていた。もちろん大砲の照準にも使うが、艦隊を組む時に僚艦との距離を測る時にも使用した。車で言えば車間距離か。<大和>の前檣楼のオヘソあたりについている小さな測距儀がソレ。ステレオ式は上下分像式よりも正確に距離が測れた。ただ軍艦に乗せている時は問題なかっただろうが、戦車となると振動で狂ってしまうのではないだろうか。
●注91:観艦式。陸軍特別大演習。
観艦式とは現代の海上自衛隊だって年に一回行っている一般に艦隊を見せびらかす催し。帝国海軍は東京に近い横須賀軍港が使えるという事で横浜にて行う事が多かった。いちおう大阪湾でも明治天皇が観艦式を行った記録がある。その時に行幸したのが、かつて「日本一低い山」のタイトルホルダーだった大阪の天保山である。その頂上から7隻の船を天覧されたのが日本の観艦式の初めだ。また規模だけど昭和15年10月11日に行われた「紀元二千六百年特別観艦式」を参考にした。同観艦式には艦艇98隻と航空機527機が参加した。これの一・五倍強とした。
陸軍特別大演習は、現在陸上自衛隊が行っている富士総合火力演習とは違って、二個師団以上の兵力を実際に動かして行う演習であった。規模の大きさから毎年開催はしていないが、合計34回行い、その時に機甲部隊などの有力性を認識したとある。それなのに、なぜ戦車開発があんなヘッポコなんだか。こちらは今の国体のように日本各地で持ち回りだったようである。
●注92:クサカ中将
史実での終戦時における連合艦隊参謀長草鹿龍之介海軍中将をモデルにしました。どうやら学者肌の人物だったらしく、原爆などの新兵器の知識も持っていたらしい。
●注93:陸軍特種船<あきつ丸>
現代風に言えばヘリコプター強襲揚陸艦である。それを1942年に帝国陸軍は手にしていたのである。まあ日本の系譜は敗戦によって絶たれてしまうのであるが。日本と戦った合衆国が、戦後に余った空母(空母って余る物なんだ…)を改装したのが、今に続く強襲揚陸艦の始まりと言って過言では無いだろう。(それ以前にも戦車輸送艦に飛行甲板を設けた物を地中海で使用していたみたいだけど)
偉そうなことを書いたけど<あきつ丸>の飛行甲板は短すぎて三式連絡機やカ号(オ号)観測機が制式化されるまで、ただの輸送艦として使われていた。
●注94:ゲンダ大佐
ゲンダサーカスで有名だったパイロットであり航空参謀だった源田実海軍大佐(終戦時)をモデルにしました。彼は戦後、航空自衛隊に入隊し航空幕僚長まで勤め、その後政治家となった。
●注95:特別軍需委員会
帝国陸軍と帝国海軍の仲を、もう少しまともな物にできないかと知恵を絞った結果出て来たアイディアです。これが合衆国ならば陸軍と海軍の反目が酷くなったら、さらなる上の存在である大統領が仲裁に入ったり、強権を発動して双方の責任者の首を挿げ替えたりするところですが、大日本帝国の政治家にはそんな力が無い。じゃあ強権を発動できる人物はと言う事で、お上の力を借りました。まあ昭和天皇は政治や軍事に自ら関わって現場が混乱しないように気を使っていたらしいので、本当ならこんな風にならないとは思いますが。
●注96:帝国空軍。帝国海援隊。海軍護衛総隊
昔の合衆国製戦争映画だと「日本空軍のゼロファイターが襲って来やがった!」なんていうシーンはご定番であったが、ゼロ戦つまり零式艦上戦闘機は海軍航空隊の戦闘機で、空軍なんて存在しなかったのである。あったのは陸軍飛行隊と海軍航空隊で、別々に機体を開発して配備運用していた。なにを無駄な事をと言うなかれ。合衆国だって戦前戦中は陸軍飛行隊と海軍航空隊に分かれて、別々に開発した機体を配備運用していたのである。まあ陸軍で採用した機体を海軍も採用したり、その逆もあったりと、帝国陸海軍よりは風通しは良かったみたいだけど。で、合衆国が陸軍航空隊から戦後に空軍を発足させることが出来たのだから、大日本帝国だって出来るのではないかと。
同じように海援隊(海兵隊)も独立させちゃいました。帝国海軍陸戦隊の規模は結構大きく、海軍に徴兵されたのに船に乗らず陸上の教練だけで終戦を迎えた人が居たほどだった。それが強いか弱いかは別にして、陸軍と同じ戦車も持っていたし。
海軍護衛総隊は正式名称を海上護衛総司令部という、史実でも1943年に生まれた組織。生まれた経緯は連合軍の潜水艦を使用した通商破壊による損害が無視できないレベルになったからだ。トップの海上護衛総司令長官は連合艦隊司令長官と同列であったが、なにせ戦力が少なすぎて焼け石に水レベルの事しかできなかった。結局、国際線の航路どころか国内線の航路すら出港するのが自殺行為と言われる程に輸送路はズタズタにされ、戦後の海上自衛隊の第一任務が敵性潜水艦への対抗となったわけだ。この世界では規模は大き目で、さらにその地位も高めに設定した。
●注97:七式戦車<オカ>
単純に<オニ>戦車の系譜と<カタ>戦車の系譜が統合されたから、双方から一字取って<オカ>とした。もちろん和美が火葬した戦車なので実在はしない。まあ大体、陸上自衛隊の74式戦車を想定している。40年代に70年代の戦車は卑怯かもしれないけどね。こっちも足回りが弱いという火葬。
●注98:塗装
RLM65ライトブルー。機体の下面色としてドイツ空軍機に広く使われた色である。最近の考証では、空母<グラーフ・ツェッペリン>に搭載予定の機体は、この一色だけで塗られていたようだ。国籍マークは白縁つきの黒十字。コードレターなどは白色かな。
●注99:トンデモギミック満載
史実では計画までは行ったが、Fw190の地上攻撃型が使い物になると分かって中止になった。この機体、計画を読んでいるだけで地雷がアチコチにあって駄っ作機になる気配がプンプンしてワクワクしてくる。まず有名な垂直尾翼の移動。離陸時に上にある垂直尾翼が下に移動するというギミックだが、最初は後部胴体が丸ごと回転して下へと移動する計画だったらしい。いや絶対、途中で止まったらヤバい。あと油圧式の銃塔。大型爆撃機に搭載された物は好評だったが、Me210など中型機以下に搭載したら「重量に見合わない性能」(優しい言い方)と判定された代物だ。単発機であるJu187に搭載したら考えるまでも無い。あととどめに与圧コクピットにするつもりだったとか。そりゃあ与圧コクピットにすれば搭乗員は乗り心地が良くてニッコリだろうが、被弾覚悟の地上攻撃機にそこまで必要かな?
●注100:真っ当な注文
この部分は有名な合衆国空軍地上攻撃機「A10サンダーボルトⅡ」開発時、設計陣に叩きこまれた空の魔王のありがたいお言葉ってやつ。
●注101ドイツ空軍の戦術爆撃機
ドレもドイツ軍のビックリドッキリメカだったりする。
ヘンシェル一三二C<シュパッツ>:操縦士が腹ばいに寝て操縦するというジェット急降下爆撃機。連合軍の上陸部隊に対抗するために開発された機体。この世界でも似たような開発経緯ではないだろうか。
フォッケウルフ一九〇<ビュルガー>の地上攻撃型:F型とG型の二種類があった。F型は前線で戦車などを攻撃する普通の地上攻撃機。G型は戦線後方の戦略目標を攻撃する侵攻攻撃機であった。両形式合わせて戦闘機型よりも生産された。(あれだけビックリドッキリメカだらけのドイツ空軍にあって「まともな機体」ということで正にビックリ)
ヘンシェル一二九<フリューゲル・ドーゼンナフナー>:対戦車砲に翼をつけて飛ばしたような戦車攻撃機。コクピットが狭すぎて動力関係の計器は翼についたエンジンに直接ついていた。
他にも左右非対称機とか、いっぱいあるけど割愛。気になる方はご自分で調べてみてください。
●注102:ハンス=ウルデリッヒ・ルーデル大佐
ドイツ空軍にビックリドッキリメカ数あれど、それを上回るビックリドッキリ人間。あまりの活躍っぷりに、ついた綽名は数知れず。「スツーカ大佐」「スツーカの悪魔」「空の魔王」「ソビエト人民最大の敵」(スターリン公認)そして「アンサイクロペディアに嘘を書かせなかった男」。ウィキペディアを読むだけでも人外っぷりが窺えるが、やはりアンサイクロペディアを参照にした方が本人の活躍が理解しやすい。冗談みたいな経歴の持ち主だが、れっきとした史実の人物である。
●注103:ドクトル・エルンスト・ガーデルマン少佐
ルーデルが人外中の人外なので目立たないが、この人も十分人外だったりする。本職はお医者さんなのに戦闘員として大活躍。エースパイロットが乗る戦闘機を旋回機銃で撃墜までしたらしい。
●注104:ルーデルの後席を務めた方々。
初代・シャルノブスキー伍長
軍艦<キーロフ>に特攻して死亡。
二代・ヘンシェル兵長
史実では不時着した後に敵の追跡を逃れるためにドニエストル川へ飛び込み溺死。
三代・ロートマン(最終階級不明)
大事な相棒を失ったルーデルの前を歩いていた整備員。そのまま後席に放り込まれて戦場へ。だが敵機に包囲されて神経衰弱になりドロップアウト。でも、その後もルーデルがいる部隊の整備員として活躍している姿が写真に残っている。
四代・ガーデルマン少佐
ルーデルの親友。1972年に撮った、仲良く語り合っている写真が残っている。終戦間際、病院を抜け出したルーデルとはぐれてしまった。
五代・ニールマン大尉
ルーデル曰く「愉快な男」。戦後もルーデルと親交があった。
●注105:大日本帝国海軍の空母迷彩
空母<瑞鶴>で有名な塗り分け。詳しく知りたかったらプラモデルなどを参考にすると分かりやすい。このドイツ軍艦が鍵十字を白丸の中に書いているのは、赤い丸だと日の丸と誤認しやすいからだ。
●注106:改グラーフ・ツェッペリン級<ドクトル・エッケナー>
最大排水量3万3550トン
全長263メートル
全幅31・5メートル
喫水7・35メートル
機関出力20万馬力
最高速力33・8ノット
乗員数1760名
武装:15センチ砲(L55)単装4基
10・5センチ対空砲(L65)連装4基
37ミリ対空機関砲連装7基
20ミリ対空機関砲4連装4基
航空機60機
装甲:舷側100ミリ
甲板60ミリ
同型艦4隻。
こんな感じに火葬してみた。
●注107:フォッケウルフ一六七<アイバトス>
要目は帝国海軍の<天山>のつもりで執筆したので、そちらを参照のこと。
●注108:急降下角度
有名な「世界の傑作機」によると角度が60度とある。でも戦記などを読むと垂直に降下したとかの表現も多い。で、ちょっと調べてみたらJu87でも、どうやら垂直で急降下爆撃ができたようだ。
●注109:ターボジェットエンジン
史実では、日本での呼称は「ガスタービンエンジン」だったようだ。あと史実ではMe262のパチモンばかり計画していた帝国陸軍航空隊から発達したと火葬した帝国空軍が、ドイツからの技術協力がなくてどんなジェット戦闘機を造ったのかまでは考えていない。
●注110:東アフリカ帝国エチオピアのマッサウ港
史実では絶望的な兵力差の中で占領に来た連合軍に一矢報いた同地。この世界では、どうやら講和条約でイタリアは取り返したようだ。この戦役では、イタリアの貴重な権益を守るために、ムッソリーニは中立を選んだようだ。歴史を鑑みるに、きっと終戦間際に介入しようとして失敗する。
●注111:戦艦<ヤマト>を撃沈せよ
はいタイトル回収。そして、やはり「大和」よりも「ヤマト」と書く方が燃える本放送世代なのだった。(やっば、年齢バレるじゃん)
★➂
●注112:ナチス式の敬礼
欧州でいまじゃタクシーを呼ぶ時も手を挙げずに指を立てるというほど影響を与えた敬礼。でも最初にやり始めたのは古代ローマだとか。そこからイタリアの復活を望むムッソリーニが採用し、ヒトラーはそれを真似ただけである。トム・クルーズの映画にもなった1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件から親衛隊や突撃隊だけでなく、三軍にも忠誠を示させるために普通の挙手の礼でなくこちらを求められることになった。この世界でも事件はあったようで、三軍はこちらの敬礼をするが、海軍の艦艇内では天井に手をぶつけるという物理的理由で従来通りの敬礼をしているものとした。あ、あと「ジーク・ハイル」をちゃんと和訳すると「勝利万歳」となるけど、和美は「勝利のために」で慣れているので、こちらを採用した。
●注113:海軍の航空機
現在の日本では原子力空母に載せる戦闘機などを一概に「艦載機」と呼ぶ。でも帝国海軍の基準に合わせると、空母で取り扱う車輪のついた航空機は「艦上機」であるため、本文ではそちらに揃えた。では「艦載機」とは何を指すのかと言うと水上機や小型飛行艇など戦艦、巡洋艦などからカタパルトで射出されたりする航空機の事を差している。
●注114:「空中戦は分からん」
この世界でのルーデルの言葉。本物が言ったかどうかは知らない。でも史実のルーデルは9機以上撃墜した事のある立派な「エース」でもあった。記録ではFw190Dにすら搭乗したようだが、借りたのか専用機があったのかは不明。専用機だとしたら、どんな塗装だったのだろうか?
●注115:総統大本営、空軍総司令部
第二次世界大戦時のドイツ軍は、国防軍最高司令部(OKW)の下に三軍の総司令部があった。それぞれ陸軍総司令部(OKH)海軍総司令部(OKM)空軍総司令部(OKL)と呼称された。この内、OKWの最高責任者はヒトラー本人が就任した。古い戦争劇画ではよく「総統大本営」と訳されていたので、その呼称を採用した。OKWの専用施設としてはベルリン南に建築された「ビュンスドルフ」とか東プロセインの「ヴォルフスシャンツェ」が有名だが、じつはヒトラーの赴くところは全て総統大本営と機能するように整えられていた。
●注116:<大和>の副砲
ちょっと軍艦を知っている人ならば、最上型大型軽巡洋艦を重巡洋艦へ改装する時に降ろした主砲塔を改造した物であると知っている。この世界でも、その通りである。ただ<大和>竣工時から用兵側より副砲塔の防御不足が指摘されていた。巡洋艦の砲塔であるから、そこへ敵の主砲弾が命中したら貫通されて、弾薬庫に命中誘爆して大きな被害が出ることが心配された。しかも副砲の弾薬庫は主砲の弾薬庫と壁一枚隔てた位置にあったから、なおさら心配された。実際<大和>が沈む際に起きた爆発は、この部分への被弾が原因と考えられている。ので、いっそのこと対空砲に載せ替えてしまおうという計画が実際にもあったようだ。厚い装甲を張って上下を分断する。その部分は人力で弾薬を運ぶことになるが、あとは対空砲まで自動装填という計画であったが、予算が無くて沙汰止みになった。
●注117:五式対空砲
帝国海軍の制式名称は「五式十二糎七高角砲」である。同じ空に向けて航空機を撃つ大砲でも、陸軍だと「高射砲」になって海軍だと「高角砲」になる。本文では面倒臭いので、ぜんぶ「対空砲」とした。史実でも造られた対空砲で俗称「長12・7センチ高角砲」と呼ばれた。残念ながら陸上の重要拠点を守る単装砲しか生産されなかったようだが、この世界では長10センチ砲の後継砲として採用された物と火葬した。
●注118:戦艦の煙路防御
なにせ装甲甲板に大きな穴を開けることになるので、各国とも工夫した箇所である。最初の頃は交戦距離が短いので砲弾は水平に近い角度で飛んで来るので、縁を高くかつ装甲化して機関室へ砲弾が飛び込まないようにした。しかし例のジェットランド沖海戦で砲弾は高角度で飛来することがわかり、また爆撃機が発達した事から別の方法が思案された。英国では「アーマーグレーチング」と呼んだ鉄の格子で守ったが、戦艦<大和>は有名な「蜂の巣鋼板」を採用した、とされているが…。当時の日本にそれが造れるドリルがあったとは思えない和美は懐疑的である。厚さ38センチをした主砲弾に耐える鋼板に180ミリの穴を開けることは、果たして可能だったのだろうか?
●注119:対空砲は全部で一二基
いちおう大ドイツ側は副砲と対空砲を換装した正確な情報を持っていないとする。よってこの段階では大和型の対空砲は左右六基ずつの従来通りの配置をした対空砲を五式に更新したと想定している。他の対空兵装は、各所にあった25ミリ機関砲は取りやめ、すべて40ミリ機関砲に交換。艦橋の近接防御としてあった13ミリ連装機関銃はそのまま。あと後部からの急降下爆撃に対抗するために空母や伊勢型に搭載した十二糎二八連装噴進砲を搭載しているようだ。
●注120:対空識別
史実のインド洋作戦時に対空識別として各艦の砲塔に日の丸を描いたようだ。ただ、その直後のミッドウェイ海戦で目立ちすぎたために四大空母を失ったとされて止めたようだ。この世界では帝国海軍は勝ち組なので、砲塔の日の丸は描いていると想定した。まあさすがに空母の甲板の大きな赤い丸はやめて、小さい日章旗が描かれているとする。また壁面に投影された四つの砲塔を持つ映像は、利根型軽(重)巡洋艦の物とする。
●注121:大和型の識別点
前檣楼後部のラッタルは割と有名だが、写真で見分けがつかない事が多い。またこの世界の同型艦<信濃>以下超大和級までは<武蔵>と同じ構造とする。
●注122:前大戦で戦沈した戦艦二五隻
この世界では以下の通り。
日:なし。
独:<ビスマルク>ライン演習作戦(史実)
<シャルンホルスト>北大西洋海戦(火葬)
伊:<コンティ・ディ・カブール>タラント空襲(史実)
<ローマ>ジブラルタル攻略戦(火葬)
英:<バーラム>潜水艦(史実)
<ロイヤル・オーク>潜水艦(史実)
<ロドネー>自沈(火葬)
<プリンス・オブ・ウェールズ>マレー沖海戦(史実)
<デューク・オブ・ヨーク>北大西洋海戦(火葬)
<レパルス>マレー沖海戦(史実)
<フッド>デンマーク海峡海戦(史実)
合衆国:<ユタ>ハワイ海戦(史実)
<オクラホマ>ハワイ海戦にて大破。後、日本軍の占領を逃れるため自沈(史実からの火葬)
<ペンシルベニア>東太平洋海戦(火葬)
<アリゾナ>ハワイ海戦(史実)
<ニューメキシコ>潜水艦(火葬)
<ミシシッピ>東太平洋海戦(火葬)
<ウエスト・バージニア>ハワイ海戦にて大破。後、日本軍の占領を逃れるために自沈。(史実からの火葬)
<ワシントン>東太平洋海戦(火葬)
<サウスダコタ>東太平洋海戦(火葬)
仏:<オセアン>自沈(史実)
<ブルターニュ>メルセルケビール海戦(史実)
<プロバンス>自沈(史実)
<ダンケルク>自沈(史実)
<ストラスブール>自沈(史実)
蘇:<マラート>空襲(史実)
この他に戦闘では無いが日本戦艦の<陸奥>が第三火薬庫の事故に寄り沈没しているが、帝国海軍は隠しているものとする。
●注123:マレー沖海戦における命中率
なんと史実である。というか、もしかしたらそれ以上命中していた可能性もある。
●注124:フォッケ・アハゲリス二二三
史実では11機しか生産されなかった、史上初の実用軍用ヘリコプターである。今ある普通のヘリコプターと違って、合衆国軍が使う<オスプレイ>のホバリング状態のように、横にローターが並んだ形をしていた。
●注125:フレットナー二八二A<コリブリ>
これは史実でも艦載機として使用されたヘリコプター。交差双ローター式と言って横に並んだローターが、お互いの回転半径に入っているという、タイミングがずれたらと考えたくも無い方式である。
●注126:戦艦の濃淡三色迷彩
戦艦<ビスマルク>や巡洋戦艦<シャルンホルスト>など、ドイツ海軍艦艇では標準的な塗粧。
●注127:「H四二級戦艦」
史実ではH級戦艦の建造を始めたばかりで戦争が始まって、すぐに建造中止となった。設計陣は、いつでも建造を再開してもいいように、図面を毎年更新していた。<H40><H41>あたりは本気っぽい計画であったが<H42>から実現性が無い物になっていた。この世界では大ドイツの勝利で欧州戦争が終結しているので、建造ができたとした。また艦名の<ウルリヒ・フォン・フッテン>は、史実でヒトラー自ら1942年に提案していた艦名である。
基準排水量83268トン
最大排水量96555トン
水線間長305メートル
全幅42・8メートル
喫水11・8メートル
出力28万馬力
速力32・2ノット
武装:48・3センチ砲連装4基
15センチ連装砲6基
10・5センチ対空砲連装8基
37ミリ対空機関砲連装14基
20ミリ対空機関砲4連装10基
53・3センチ魚雷発射管6門(艦首)
艦載機6基
装甲:舷側380ミリ
甲板330ミリ
主砲塔385ミリ
●注128:塗粧
軍艦の塗装と艦名や記号の記入などを総称して塗粧と呼ぶ。
●注129:ドイツ海軍の主力たち
五色の特徴的な軍艦が勢ぞろい。そうです宇宙戦艦ヤマトが七色星団で戦う事になるドメル機動部隊が元ネタです。
●注130:ルーデルとヒトラー
史実では本人は友人と言っていたようだ。まあ有名人とダチだぜって言っておくと箔もつくしね。いや本当に友情があったかもしれないけど、今となってはね。この世界ではそれなりに親交があったようだ。
●注131:ドイツの対ソビエト戦後政策
史実ではバルト三国、クリミア半島、ジョージアはドイツに併合、ウクライナ、モスクワ大公国がドイツに従う国となり、ウラル山脈の向こう側には追放したスラブ民族が住む予定だった。この世界でもほぼ同じだが、ウラル山脈の向こう側には、まだソビエト連邦が残っているものとする。
●注132:ヒトラーの病状
これは史実でも同じ。病気が彼を殺す前に戦争に負けてしまった。
●注133:エヴァ・アンナ・パウラ・ブラウン
史実のヒトラー夫人である。この世界ではまだ結婚していないようだ。
●注134:スクラップブック
ワイマールの事件が8月6日で、オークリッジの事件が8月8日でどうだろうか。
●注135:<ヘンシェル・ヴェーグマン・ツーク>
ドイツ国鉄のビックリドッキリメカ。蒸気機関車のよる高速列車であるが、選択した機関車がタンク機関車だったため、途中で燃料が足りなくなって立ち往生することがあったとか。
●注136:三つに分かれた隕石
ワイマールとオークリッジはそれぞれの核開発をしていた場所。オホーツクの爆発は…。作った物を一回は試してみないとねエ。
●注137:熱い宇宙
「宇宙が熱い」はクラッシャージョウか…。ナチス・ドイツでは大気圏外は高温のエーテルで満ちているとされていた。
●注138:防暑服
半袖半ズボンという格好。平時ならばそれでいいが戦時だと火災を起こした時に火傷をしやすいので、長袖長ズボンの方が好ましい。現代の海軍ではどこもそうなっている。ここでは、さりげなくドイツ海軍の経験値が低い演出とさせてもらった。
●注139:号笛
吹鳴信号のひとつ。司令官などが乗艦下艦する時など、今の海上自衛隊でも吹き鳴らす。
●注140:友人の病気
もちろん年の離れた若い友人というのは嘘で、ルーデルはヒトラーの症状について訊ねたかったのだ。史実でも残された映像などをもとにヒトラーがパーキンソン病を病んでいたことが医師から指摘されている。
●注141:白い軍服
史実の山本五十六元帥も遠くから将兵が視認しやすいだろうとして、南方の前線へ赴く時も防暑服では無く白い軍装を選んでいたという。
●注142:艦上機の発達
空母<赤城>や<加賀>が竣工した時の制式機は木製骨格に帆布張りの複葉機であった。そこから全ジェラルミン製のゼロ戦まで13年である。それからわずか5年でジェット機が登場している。カタパルト装備が考慮されていない二隻を改装するよりも、新造艦を建造した方が得だと判断したのだろう。(ただし<加賀>にはカタパルトの予備工事がしてあったとか、試作品が搭載されたとかの説がある)
●注143:オザワ・ジサブロウ提督
史実の帝国海軍最後の連合艦隊司令長官、小澤治三郎海軍中将がモデル。マリアナ沖海戦の敗北や、レイテ湾海戦の囮部隊指揮など、色々と評価が分かれる提督であるが、終戦に際して動揺する部下を統率しきったのは尊敬に値する。
●注144:帝国海軍航空戦隊の編制
2隻の大型空母に1隻の小型空母という編制は史実の第三艦隊の物に準じた。とは言っても、この組み合わせを考えたのは小澤提督ではなく源田航空参謀のようだが。
●注145:八・八・八艦隊
帝国海軍と言えば八八艦隊計画という男のでっかい野望のような物を持っていた。これは戦艦8隻に巡洋戦艦8隻を組み合わせて太平洋を渡って来る某国の主力艦隊を撃滅する計画であった。最初の艦級である<長門>と<陸奥>が完成したところで、海軍軍縮条約が締結され、計画は頓挫した。(まあ計画通りに建造していたら大日本帝国が破産していたという予測もある)条約明けに、なぜこの計画が復活しなかったのかが不思議。でも条約明けの建艦計画を読んでいると、どうやら見えてくる物がある。戦艦は新型戦艦(大和型)を三回に分けて2隻ずつ6隻(後に1隻追加)重巡洋艦を超える超甲巡と呼ばれる艦級を二回に分けて6隻とある。計画が無事進んだと考えると、古くなったとはいえ40センチ砲搭載の<長門><陸奥>はまだまだ使えるので、これと合わせて戦艦は9隻(内1隻は連合艦隊旗艦専用)。これも古くなったが足が速い<金剛>と、大和型の試作として金をかけて改装した<比叡>に、超甲巡を合わせて8隻。旗艦に充てる戦艦を戦力外と見ると、見事に八八艦隊の完成だ。計画ではその他の戦艦や高速戦艦も保持し続けるような事が書いてあるが、但し書きとして「艦齢超過」とある。つまり古くなったんで廃棄してもいいですよと大蔵省に迂回して伝えているわけだ。(直接「廃艦」としないのは予算をあからさまにカットされないための戦術であろう)この世界では空母の8隻を加えて八・八・八艦隊としてみた。史実で活躍した<翔鶴><瑞鶴>に加え、史実で完成し(色々あっ)た<大鳳>に、それの改良型として5隻計画されていた「改大鳳型」でちょうど8隻である。
●注146:ドイツ海軍の予測
史実では戦艦<大和>が建造開始された時、全世界がその性能に注目し、各国海軍から主砲の大きさに関して公式に問い合わせが寄せられた。それに対して帝国海軍は沈黙を守ったわけだが、その公式の質問文には「返答の無い場合は、新型戦艦の主砲は40センチ砲以上だと思う事にするよ」みたいな一文が添えられており、回答が無かったため各国は<大和>が40センチ砲戦艦だと思ったようだ。唯一ドイツ海軍情報部だけが「四五・八センチ砲の可能性あり」と判断していた。結局ドイツ海軍の予測がほぼ正確だったわけだ。この世界でドイツ軍が手に入れた主砲塔の設計図に「四〇センチ」と記載があったと言っているが、現在発見されている<大和>の同設計図にも40センチと記載がある。万が一設計図が漏洩してもいいように「46センチ砲」を「九四式四十糎砲」と書き換えていたのは有名な話し。
●注147:第六艦隊
史実の帝国海軍連合艦隊でも潜水艦だけを集めた第六艦隊があった。というか終戦間際で実戦部隊だったのはココだけだった。史実の計画としては「仮称S廠」の名前で山口県室積町(現・光市)に専用の工廠まで設ける予定であった。おそらく、その頃には「潜水艦隊」として連合艦隊から独立していたかもしれないが、この世界ではまだそこまで行っていないようだ。
●注148:海軍甲事件
史実の海軍甲事件は、連合艦隊司令長官山本五十六海軍元帥が前線視察中に敵機により乗機を撃墜され戦死した事件を言う。この世界ではどうやら陸軍のお偉方を乗せた輸送船を沈められたようだ。メンツを大事にする帝国海軍がこのぐらい恥をかけば、対潜任務に本気になってくれるのではないだろうか。ハワイ占領軍指揮官に任命されて誰がこうして戦死したかまでは想定していない。(牟田口中将あたりだと一石二鳥か?)
●注149:駆逐艦の機関
いま様に言うと「COSAD」かな? 異種の動力を組み合わせて駆逐艦の動力源にすることは、現代では当たり前になっている。その行き着く先が「総合電気推進(IEP)」となるのかしら。船内に大規模な発電機を備えて、その電気でモーターを回す方式だ。燃費もいいし速度も出るし、潜水艦に発見されにくいし、大威力レーダーの電源にも困らないし、さらに将来的には電磁投射砲の電源にもなる。
●注150:東太平洋海戦
もちろん、この世界における海戦であって史実では無い。1942年10月26日早朝から日本軍が占領したハワイ東方沖で行われ、初日の空母戦、その後の夜戦で合衆国海軍の太平洋艦隊が全滅したと火葬した。
●注151:帝国海軍の魚雷
サイズがひとまわり大きかったのは事実である。ただ威力が桁違いだったのは動力に純粋酸素を世界で唯一使用していたからだ。史実では1943年8月に伊号第八潜水艦が訪独した際に酸素魚雷を渡したことになっているけど、戦局が有利に進展したこの世界ではそういう交流は無かったのかな?
●注152:<U・二五六二>
史実で完成が終戦に間に合わなかった番号である。もちろん水中高速型のXXⅠ型潜水艦である。戦後持ち帰ったソビエト海軍が大量にコピーしたほど優秀な潜水艦であった。
●注153:北大西洋海戦
和美が火葬した海戦であって史実ではない。ドイツ海軍の全力と、連合軍艦隊の半分ぐらいが、アイルランドとニューファンドランド島の中間地点、グリーンランド南方でぶつかった海戦とする。
●注154:銃殺の方がまし
史実でもこういう話しがあったそうだ。それだけ帰って来ない潜水艦が多かったということだ。
●注155:カール・デーニッツ元帥
史実の人物である。ドイツ海軍のナンバー3として活躍し、ヒトラーの指名により大統領に就任して戦争の後片付けをすることになった。
●注156:探知されるシュノーケル
いくら小さいとは言ってもシュノーケル内部に海水が侵入しないようにするための一方弁や、敵のレーダー波や味方の暗号通信を受信するためのアンテナなどが付属しており、大人の腕で輪っかをつくったほどの大きさをしている。
●注157:インド領ラッカジブ諸島カバラティ島
史実では港だけしかない小島ですが、地図を確認すると3キロの直線道路があるので、水上機と小型機ならば運用が可能な航空基地が造れるとした。
●注158:帝国海軍の対潜兵器
史実の帝国海軍は、対潜投射兵器として対空砲(高角砲)の短十二糎砲と短二十糎砲ぐらいしかなかった。ふたつの対空砲から撃ち込む対潜弾に効果があったとは思えないが、襲撃を躊躇させる効果ぐらいはあったようだ。この世界では(この世界の)海軍甲事件のせいで対潜兵器の開発が進んだものとする。
★④
●注159:G八N<レンザンカイ>または<リタ>
史実の帝国海軍陸上攻撃機<連山>から発展した長距離哨戒機と設定した。和美が設備関係の仕事をしている時に、戦時中に中島飛行機で工員として製造に関わっていた人と仲良くなって、色んな話を聞くことができた懐かしい思い出がある。
●注160:メッサーシュミット二六四B<霜の巨人>
史実のMe264Bは本文で説明している通り大陸間爆撃行のために開発された機体であるが、敗色が濃くなって戦闘機の生産が優先されたことで計画自体が中止となった。ヨトゥンという名前は和美が火葬したものなので本気にしないように。
●注161:<ヨトゥン>の標準的な迷彩
RLM70とRLM71、機体下面はRLM65という塗り分け。他にもJu88やJu87など戦闘機でないドイツ空軍機に塗られた色だ。
●注162:補給用潜水艦ⅩⅣ型<U・四九一>
史実の<U-491>は建造予算の承認はされたが戦局の悪化により結局建造が先延ばしにされた末に中止となった。
●注163バウムバッハ少佐(当時)の偉業
史実のベルナー・バウムバッハ大佐(最終階級)が少佐時代に成し遂げた偉業。1942年11月連合軍の北アフリカ上陸に際し、北欧戦線最北端と言えるノルドカップに配備されていた第30爆撃航空団を率いて二日間で5000キロを翔破し、地中海はシシリー島へと進出して耐寒服から防暑服に着替える間もなく連合軍艦隊を攻撃した。地上部隊なら移動だけでも月単位の時間がかかるところだ。その後、大佐へと昇進した彼は、秘密部隊(なんと甘美な響き)である第200爆撃航空団の司令に着任し、終戦までに様々なビックリドッキリメカの開発に携わることになる。この世界の<アイバトス>の元ネタになったFW190の雷撃機タイプとか、体当たり専用機とか、訪日長距離連絡機計画とか、ヤバイ計画には一枚噛んでいる。この世界でも(イタリア軍がアレなため)地中海戦線に危機が訪れた時に救援に駆けつけたのだろう。
●注164:謎の電波
この電波は、帝国海軍の早期警戒機の物と設定した。偵察機にレーダーを積んで上空を飛ばせば、艦橋などに装備したレーダーよりも遠くから目標を探知できる。もちろん和美の火葬なので、史実の帝国海軍にはこんな機体は無かった。
●注165:艦上戦闘機<刀>
ネタ的には都市伝説級の<震電改>を、さらに艦上機にしたといった機体。ただ普通の<震電改>と違って尾翼を取り付けてみた。いやだってジェット機として見た場合、絶対に風見安定が足りなくて、ヨーイングが止まらない機体になるでしょ、アレ。だいたい合衆国海軍のA-4<スカイホーク>みたいな物を想像した。もちろんこの機体も和美の火葬だ。
●注166:機関砲と機関銃
陸海空すべてで戦いが繰り広げられる本作では、帝国陸軍の基準を用い、口径が20ミリ以上の物を機関砲、以下の物を機関銃と表記する事にした。
●注167:長距離援護機
同じ発想は洋の東西を問わないようで、日本軍にもあったし、合衆国軍にもあった。四式重爆撃機<飛竜>に対してキ69、一式陸上攻撃機に対して十二試陸上攻撃機改「翼端援護機」、B-17<フライングフォートレス>に対してB-40などなど。もちろんJu390自体計画が中止になったので、こいつは和美が火葬した機体なので注意。
●注168:メッサーシュミット三二八<シッフサイター>
史実でも試作機が造られたジェット戦闘機。というか開発から迷走しており、最初は低空攻撃機として計画が始まったようだ。非戦略物資で造られる安価な航空戦力が主な設計目的。それまでの戦闘機1機分で4機造れると試算されたそうだ。最初は大型機に曳航される形で飛行試験を重ね、実際に爆撃機のゴンドラからの発進も試されたようである。ただ帰還できたかどうかは分からない。後に戦闘機型のA型、低空爆撃機型のB型に分かれ、B型は最期には特攻機として計画されたらしい。設計はメッサーシュミット社だが製造がヤコブ・シュバイアー滑空社ということは、制式化されたら「Me328」でなく「JS328」になるような気もするけど、完成した実機も「Me328」と呼ばれていたみたいだから名称の変更はしなかった。あと<シッフサイター>という名称は和美が火葬した物なので本気にしないように。
●注169:二基のアルグス〇一四パルスジェットエンジン
史実で試作機が造られたのに採用されなかったのは、高空ではパルスジェットエンジンの出力が低下するからだった。圧縮機が無いパルスジェットエンジンだから当たり前と言えば当たり前である。この世界では敵地まで持って行けるから採用されている事とした。
●注170:日本軍の新兵器
空対空ロケットは各国で開発が進んだ分野だった。R4M空対空ロケット弾は威力を発揮したそうだ。史実の帝国海軍だって色々な航空機搭載のロケット兵器を製造しており、ここで使われているのは空対空ロケットである三式一番二十八号爆弾一型のつもり。
●注171:航空機の装甲
装甲板は重いので積みすぎると飛べなくなるのが道理である。ただソ連のIl-2<シュトルモビク>は、軽戦車並みに装甲を張り巡らせていた。
●注172:爆撃用のゴンドラ
機内配置はまったくの想像で、史実の機体とは関係がありません。Ju88の配置などを見るに、ゴンドラの真上に椅子があり、足に挟むようにして下へ伸びた照準器を覗き込むといった姿の方が正解かもしれない。まあ火葬戦記なんで細かいツッコミされても困る。
●注173:灰色の日本空母
それまでドイツ軍が想定していた空母迷彩と色が違う事に留意。緑色二色による迷彩は主に対潜迷彩の意味の方が強かった。この世界での太平洋の戦い後半は潜水艦との戦いが主だったため、史実と同じように迷彩を取り入れたのだろう。ただ戦争を終えた後も迷彩のままかと言うと、そうでは無いかもと思う。特に昭和天皇が天覧された観艦式を行ったという火葬なので、見栄えを優先してその時に灰色へ塗り替えた物とする。
●注174:隊長機の墜落
ただし爆撃手はパラシュートをつける余裕があったろうし、脱出するための高度もあったはずだ。日本艦隊の上で機外へと飛び出して開傘して着水、輪形陣を形成する護衛艦に拾われてもおかしくはない。
●注175:メルダース大佐
ベルナー・メルダース大佐。スペイン内戦にコンドル軍団の一員として参加し、ロッテ戦法を開発した。自身も優れた撃墜王だった。しかし空軍技術局長エルンスト・ウーデットの葬儀へ向かう途中、乗っていたHe111が悪天候のために墜落し、事故死した。
●注176:回収風景
もちろん和美の火葬である。参考にしたのは合衆国空軍の試作戦闘機XP-85<ゴブリン>である。
●注177:気絶する操縦士
おそらく爆弾倉は与圧されていないだろうから、酸素不足になった可能性もある。他の搭乗員は酸素マスクを当然装着している。
★⑤
●注178:日本海軍の巡航速度
記録を見ると、平時では12ノット(時速22キロ)だったが大東亜戦争では18ノット(時速33キロ)に引き上げた。潜水艦による被害が大きかったからだ。
●注179:メッサーシュミット二六二F<カイヤン>
Me262は実際に世界初のジェット戦闘機として終戦間際に活躍した機体だ。そして、もちろん艦上機型なんていう物は計画もされていないので、その部分は和美の火葬だ。
●注180:カタパルトの設計に誤り
史実でも、どうやら戦後に検証した技術者によると、連続射出能力に問題があったようだ。
●注181:日本のカタパルト
帝国海軍も史実では空母用カタパルトの開発に遅れた。これは<ゼロ戦>をはじめとする日本の艦上機が性能を上げるための軽量化したため華奢に作ってあり、そのせいでカタパルトの加速度に耐える強度が足りなかったからという説がある。
●注182:連合軍のカタパルト
史実でも合衆国が空母用の油圧式カタパルトの開発に成功したため、連合軍は輸送船に板を敷いたような艦船からも航空機を飛ばすことが出来た。またここで言っている新型のカタパルトとは、蒸気カタパルトのつもり。蒸気カタパルトは冶金技術が高くないと量産できない。史実で量産できたのは発明した英国と成金の合衆国だけである。フランスは合衆国から輸入したし、ソビエトや中国の空母はカタパルトが無いのでスキージャンプ方式で強引に離艦させている、他の国の空母が装備している蒸気カタパルトも英米のお古だったりする。最近じゃあ電磁式のカタパルトも登場し始めているようだ。
●注183:メッサーシュミット一五五<バジリカ>
史実のBV155が元ネタ。最初はメッサーシュミット社でBf109Tの後継機として開発が始まり、空母の建造が取り止めになってからは急降下爆撃機として開発が続行された。そこへ合衆国が新型爆撃機B29を開発中という情報が入り、それに対抗する高高度戦闘機として再度計画が変更された。しかしメッサーシュミット社はMe262の開発で手一杯になったため、ブローム・ウント・フォス社に担当が代わることになった。そこで開発されたのが両翼の真ん中にラジエターをぶら下げているという特異な姿のBV155であった。この世界では普通にメッサーシュミット社で開発が進んだようだ。史実では、特徴的な十字翼はブローム・ウント・フォス社へ渡ってからの設計だが、この世界ではメッサーシュミット社時代から採用されていたようだ。
●注184:<大聖堂>
ドイツ語で「大聖堂」という意味の単語はもう一つあって「ドム」(英語のドーム)だった。こっちを採用するか最後まで悩んだ。ソッチの名前だとやはり機体を黒く塗って三機編隊で成層圏偏西風に乗って敵機を襲うのかな。
●注185:ドルニエ三三五C<プファイル>
史実では当初、高速爆撃機として計画が始まった機体。その運動性能の高さから駆逐機としての活躍も期待されるようになり、さらに夜間戦闘機への応用も考えられた機体だ。一見、普通のレシプロ戦闘機に見えるが、機尾にもう一組エンジンとプロペラを持つ双発串型配置という珍しい機体だ。40機弱ほど生産されたが、実戦には参加していないようだ。この世界では夜間戦闘機型が艦上機へと改修されて採用されているようだ。
●注186:闇夜の接近
ここら辺は史実のレイテ湾海戦における小澤機動部隊の記録が元ネタ。
●注187:原始的な爆雷の搭載法
史実のFi156はC-5という生産型では小型爆弾や増加タンクを吊るせるハードポイントを持っていたようだ。この世界の空母航空団には、おそらくどこかの部隊で酷使された中古機が回されたのだろう。
●注188:暗い中を飛び立つ索敵機
帝国海軍はどうしていたかというと、そもそも空母のアイランドが小さく造られているためブリーフィングルームなんていう贅沢な設備が無くて、飛行甲板で作戦会議をしていた。暗い中で打ち合わせをして、そのまま機上の人となるのだから目が慣れていないなんていう話しにならなかったのだ。
●注189:信号装置
史実のドイツ艦上機の特徴的な装備。機内にカタパルト操作員からの信号が届けられるようになっていた。現在の合衆国海軍が保有する原子力空母だと手信号で済ませている。しかし和美はその信号機がどんな物だったのかを知らないので、まったくの火葬となった。
●注190:石板にチョーク
赤毛のアンで後ろの席に座った少年を殴るのに使った小さな黒板みたいなやつだ。
●注191:目標を断言
お茶を濁した帝国海軍がどんな目に遭ったのかは史実が示している。それも一度(ミッドウェイ海戦)ならず二度(レイテ湾海戦)までも。現代の海上自衛隊がそんなことになっていないことを祈るばかりだ。
●注192:目立つ塗装
これは史実の帝国海軍でもそうだったらしく、真珠湾攻撃時の空中指揮官である淵田中佐の機体は真っ赤に塗られていたそうだ。ただ負けが込んできた後は目立つ塗装をしていると集中攻撃を受けるという事で、他の機体と同じにしたようだ。
●注193:<U五>装備
もちろんJU187の採用自体が和美の火葬なので、こんな制式装備があるわけがない。ただJU87のG型が37ミリ対戦車砲を積んだのは史実である。他にもHs129B-2が同じ37ミリ砲を積んだし、Hs129B-3に至っては75ミリ砲を積んだ。Ju88Pも37~50ミリ砲を搭載したしJu388Jなんかは対戦車砲だけでなく対戦車ロケットまで積んだようだ。
●注194:タンク一五二T<麗しのテレーザ>
史実でほぼ幻の機体だったTa152Hの発展型なんて、もちろん和美の火葬に決まっているので注意。
●注195:ゾフォルト・プログラム
この語句には「すぐやる計画」という名訳がある。
●注196:機体の愛称
Fw190D9の<長鼻のドーラ>という愛称の由来は史実からである。Ta152Tの方は和美の火葬なので愛称も同じく火葬だ。で、やっぱり<ヤマト>と言えば<テレサ>かなって思って。
●注197:レーダーの見える範囲
現代のイージス艦が乗せているフェーズドアレイレーダーだと360度見えているようだけど、その登場は一九八〇年である。
●注198:違う暗号表
このネタは史実の装甲艦<アドミラル・シェア>で起きた事件を元にしています。艦載機であるAr196の暗号表が更新されておらずに、艦と機が危険にさらされた。その後、ルーデルの率いる攻撃隊が日本艦隊へ到達できたのは、まったくの幸運ということとする。
★⑥
●注199:使えなくなる隊内無線
これは意図的に日本艦隊が妨害電波を出している事とする。史実の日本艦隊は電波管制に拘り過ぎて、味方機が帰還するための誘導電波すら出さないことが多かった。逆に合衆国艦隊は平気に電波を出していた。もし敵機が来ても戦闘機で対応すればいいという考えだ。まあ両国での人命の重さの差でもあるのだろう。広い海洋で迷子になったら、燃料切れで不時着水し、その後は自然に還ることになる。せっかく育てた操縦士をそんな事で失いたくないし、さらに言うなら投票権を持った主権者でもあるし。
●注200:ジェット機
ドイツ側の攻撃隊にジェット機が入っていないのは、航続距離の関係でここまで来られないから。逆に空母の近くで戦う事になる日本側はジェット機を使い放題となる。
●注201:帝国海軍の艦上戦闘機
五式艦上戦闘機J三K・A<陣風>と四式艦上戦闘機N一K五・A<紫電改>。両方とも川西航空機(現・新明和工業株式会社)が製造した帝国海軍の局地戦闘機である。史実でも<紫電改>には艦上機の派生型があった。この世界の帝国海軍は本土空襲に備えた局地戦闘機の開発を、目の色を変えてする必要が無かったので、両機とも艦上機として制式採用された物と火葬した。
●注202:<烈風>
色んな架空戦記で大活躍しているゼロ戦の後継機。でも実機はそんな凄い機体では無い。合衆国海軍がグラマンF4F<ワイルドキャット>からグラマンF6F<ヘルキャット>を開発した経緯に似て、先代(ゼロ戦)のエンジンをただ強化した機体である。帝国海軍で<烈風>が開発されていた頃には、合衆国海軍でその先の三代目グラマンF8F<ベアキャット>が完成しており、一周遅れの感がある。ちなみに<ワールドアドバンスド大戦略>では<烈風>も<紫電改>も登場する。和美は、どちらかというと<紫電改>を使っていた。
●注203:急降下爆撃の角度
帝国海軍爆撃隊で五〇度ほど。合衆国海軍爆撃隊で七〇度ほどであったとされる。
●注204:航空魚雷
史実だと1942年に帝国海軍がドイツ空軍に九一式航空魚雷の実物を含めて技術提供したらしいけど、この世界では無かったようだ。九一式航空魚雷は空中姿勢すらコントロールするという変態仕様な魚雷だった。
●注205:戦艦<大和>の爆弾回避
このシーンはまったくの想像では無く、レイテ湾海戦時における戦艦<長門>が行った回避術を参考にした。
●注206:陽炎型駆逐艦
この世界のドイツ海軍は性能の似ている朝潮型、陽炎型、夕雲型をまとめて「A級駆逐艦」と分類しているものとする。同じように秋月型、超秋月型を「B級駆逐艦」島風型を「C級駆逐艦」松型、橘型を「D級駆逐艦」とする。太平洋の戦いで朝潮型が6隻、陽炎型が8隻、夕雲型が5隻、それぞれ戦没したと火葬した。
●注207:化け物みたいな戦車
現代でも史上最大の戦車<マウス>のこと。また、ちょっと前で<大和>の装甲を380ミリと予想していたとあるが、これは史実のドイツ海軍でもそう予想していた。実際に建造された<大和>は対46センチ砲の装甲であるから410ミリ厚であった。
●注208:使えない機上レーダー
既述したが日本艦隊が電波妨害をしている。
●注209:戦闘機だらけの空母
史実では太平洋戦争後半の合衆国海軍の例ぐらいか。彼らは神風特攻機対策に搭載機の半数を戦闘機とした。現在の編制でもボーイングE/A-18<スーパーホーネット>やロッキード・マーティンF-35C<ライトニングⅡ>で搭載機の半分が戦闘機に見えるが、あれらはマルチロール機と言うべき機体で、この例には当てはまらないであろう。
●注210:着艦誘導員
太平洋戦争を始める前の時点で帝国海軍は着艦誘導灯を実用化していた。戦後の連合軍空母で使う事になるミラー式着艦誘導灯を英国が「発明」したことになっているが、同じ原理の物はすでにフランス海軍にだってあった。
●注211:ルーデル機の墜落
ここら辺は実際にルーデルが経験した事を元ネタにしています。また恍惚感を感じているのは、おそらくエンドルフィンの作用によるものだろう。ちなみにエンドルフィンなどの脳内麻薬の研究はもっと時代が下った後の話しだ。
●注212:<テレーザ>の迷彩
機体下面色のRLM76で迷彩しているつもり。
●注213:暖機運転
実はドイツ空軍の艦上機の共通装備として、ラジエターへの電熱器装備という物があった。電気の力でエンジンオイルを温め、暖機運転をしなくても良いという企みであった。で、実際に効果はどうだったのかというと、世界の艦上機で同じような装備を持つのは帝国海軍の<晴嵐>だけだったということで分かるだろう。エンジンオイルが温かくても、エンジン内部に循環していないと意味が無いのである。そのため、この世界ではこの電熱器は装備していないと火葬した。
●注214:予想時刻ピッタリ
これは攻撃隊を率いたルーデルが優秀だったというより、後席で航法を担当したガーデルマンが正しかったとみるべきだろう。
●注215:ジェスチャー
帝国陸海軍でも決められていたぐらいだからドイツ空軍も決めていたに違いない。ただ浅学な和美はソレを知らないので、この場面で行っているジェスチャーは和美の火葬である。
★⑦
●注216:ルーデルの攻撃失敗
原因を機械的な物にしておかないと英雄に失礼だろうし、攻撃を成功させちゃうと<大和>だろうが何だろうが一発で撃沈しちゃいそうなんだもの。
●注217:ジグザグに進む機動部隊
輸送船に速度を合わせればいいじゃないかと思うなかれ。大型の軍艦という物は加速力がトンデモなく悪い。まあちょっと考えれば重さが8万トンの物体が三秒後に時速50キロなんて出せるわけが無いのだ。高速戦艦<金剛>で原速から最大戦速まで一昼夜かかったらしい。特に空母は艦上機の離着艦の時に最大速度を出さなければならないので、減速する事ができないのだ。
●注218:船団の之字運動
最近の研究だと帝国海軍は三種類の之字運動を用意していて、全部連合軍にバレていたらしい。だから連合軍の潜水艦は次のドノ位置に目標が来るのか予想しやすくて、仕事がやりやすかったとか。この世界では前の戦争で潜水艦に痛い目を見たので、之字運動ももっと研究されていることにした。そして結局バレている事にもした。
●注219:夜間に潜望鏡
天測のためである。
●注220:落伍した駆逐艦
もちろんルーデルから対戦車砲を撃ち込まれた艦だ。
●注221:阿賀野型軽巡洋艦
帝国海軍最後の軽巡洋艦。この世界では戦争に勝っているので続けて改阿賀野型軽巡洋艦も建造されたようだ。ちなみにボイラー技術が進歩したため、改阿賀野型では推進軸が3つとなっている。
●注222:帝国海軍の巡洋艦
妙高、高雄、鈴谷、伊吹などの重巡洋艦が「A級巡洋艦」。利根、最上(改装後)などの航空巡洋艦が「B級巡洋艦」、阿賀野型軽巡洋艦と改阿賀野型軽巡洋艦が「C級巡洋艦」、「D級巡洋艦」は量産された大淀型軽巡洋艦、「E級巡洋艦」は史実でも計画されていた防空用の巡小型軽巡洋艦とする。
●注223:急速潜航
あまりにも大和が大きいので潜航するタイミングを誤ったと火葬した。
●注224:「大丈夫だろ? 相手は戦艦だぞ」
だが史実でもそうだが、大和型戦艦の球状艦首にはソナーが仕込まれていたのであった。
●注225:XXⅠB型
XXⅠB型は史実でも発注まで至ったが建造されなかった幻の潜水艦である。
●注226:<ツァーウンケーニッヒ>
より正確を期すならば<ツァーウンケーニッヒⅡ>である。
●注227:B級駆逐艦
もちろんルーデルの攻撃時にもいたが、彼が歯牙にもかけなかったのか、それか雷撃機を撃つので忙しかったのかのどちらかだ。
●注228:「ちくしょう。なぜバレた?」
もちろん<大和>のソナーで感知したので、お供に制圧を命令したのだ。
●注229:対潜爆雷
海上自衛隊の六五式53センチ4連装水上発射管がモデル。それによって使用される試製五四式魚雷3型改1は3次元ホーミングを可能とし対潜水艦用の魚雷であったが、結局合衆国軍の短魚雷マーク44のライセンス生産が決まったことで制式採用はされなかった。
●注230:航跡で円を描くと
正確に言うと円では無く「クロソイド曲線で渦巻きを描くと」である。
●注231:撃墜されるならモールス信号
これは和美が火葬したルールで、実際にそんな規定があったかどうかは分からない。しかし飛ぶ航路が決まっているので、史実でも似たような方法で敵の位置を推定していたと思われる。
●注232:脱脂粉乳
おいしくないとハッキリ書いているが、和美はドイツ海軍の脱脂粉乳を飲んだことは無いので、想像で書いています。本気にしないように。でも日本のアレがアレだから、たぶんアレだと思うけど。
●注233:大ドイツ体操
もちろん和美が火葬した物で、実際にそんな物があったのかさえ知らない。でもラジオ体操など日本にもあったのだから、健全な肉体の育成を掲げていたナチス政権が用意していても不思議ではない。
★⑧
●注234:逆探
ここいらあたりはメーカーや制式名を考えずに書いています。
●注235:忙しく働いている整備員
空母<グラーフ・ツェッペリン>では、離艦する艦上機は、格納庫で全て準備を終えて、電動台車に牽引されてエレベーターから飛行甲板、そしてカタパルトへの接続がされるように設計されていた。一方、帝国海軍では珊瑚海海戦やミッドウェイ海戦の戦訓から、艦上機へは飛行甲板で燃料弾薬を搭載する事になった。この世界のドイツ海軍も、この帝国海軍の戦訓を取り入れて、格納庫で準備する事は止めて飛行甲板で作業としていることとする。
●注236:吹鳴信号
俗に言う「戦闘ラッパ」のことだ。末に「G」の音が加わるのは、史実のドイツ海軍でも同じである。
●注237:艦上機の航法
第二次世界大戦では航法の出来ない操縦士でも戦闘機パイロットになることができた軍隊が多かったが、ジェット機となるとそうはいかない。あまりにも速すぎるので計器飛行ができないと現在位置をすぐに見失ってしまうのだ。比較的に長距離を飛びがちな爆撃機の操縦士は航法が必須技能だったので、大戦末期のドイツ空軍では、爆撃機パイロットを戦闘機パイロットに配置転換する例もあった
●注238:空母の弾薬庫
弾薬は全力攻撃の二から三回分、燃料だって五回分ぐらいだそうな。現在の合衆国機動部隊には複数の高速補給艦がくっついて回っている。
●注239:ルーデルの能力
和美は本物のルーデルの航法技術の成績を知らないので、このあたりも想像で書いています。本気にしないように。
●注240:爆撃機のカテゴリー
何を持って重爆撃機とするかなど、基準は各国各軍によって様々だ。日本陸軍のいわゆる「重」爆撃機の搭載量は1トン程度だったし、同世代の合衆国陸軍航空隊のB17<フライングフォートレス>なんかは5トンぐらい積めた。戦術航空隊から発達したドイツ空軍も全体的に搭載量は少なめであった。
●注241:ユンカース二八七A
その特異な姿をした試作機で有名な同機であるが、史実でも量産体制が立ち上がっていた。その内、量産一号機はソビエト軍に接収され、彼らの手によって試験飛行が行われた。開発チームもソビエト領内に連行されて、次の機体の開発までさせられた。この世界ではドイツが勝っているので、普通に量産が始まっている物とした。実際に飛んだ試作機の性能は良かったらしいが、搭載量が4トンではちょっと物足りないのではないだろうか。大戦後に配備された合衆国空軍の爆撃機B-45<トーネード>はジェットエンジン四発で10トンもしくは核爆弾一発が積めた。
●注242:『東京空襲』
史実では、この作戦は大統領にすら秘密とされ、発表時にルーズベルトが冗談で「爆撃機は理想郷から飛び立った」と記者に答えたところ、これを勘違いした記者が「空母<シャングリラ>から爆撃機は飛び立った」と報道した。本当は空母<ホーネット>だった。史実では後に、空母<シャングリラ>を建造し、そこへ改造した海兵隊所属の<ミッチェル>を着艦させるパフォーマンスまでおこなった。成金は嫌だねぇ
●注243:第二〇〇爆撃航空団
注163にて説明したバウムバッハ大佐のやる羽目になった仕事。史実でも<ミステル>は第200爆撃航空団の開発であった。
●注244:噴射炎を上へ逸らす
現代の空母にはジェット・ブラスト・ディフレクターが装備されていて、艦上機が発進する度に甲板から立ち上がる。この世界では、まだ発明されていないようだ。
●注245:<ミステル>
驚くことに、この二階建て戦法は史実であり、組み合わせは色々ある。
ミステル1:Bf109FとJu88A
ミステル2:Fw190AもしくはFとJu88G-1
ミステル3A:Fw190AとJu88A
ミステル3B:Fw190AとJu88H
ミステル3C:Fw190AとJu88G-10
ミステル4:Me262AとJu287
ミステル5:He162とE377
他にも計画だけなら色々な組み合わせがあったようだ。まあJu297自体の量産が間に合わなかったので<ミステル4>は計画で終わった。またMe262の短い航続力は、Ju297の燃料タンクから補われていると火葬した。
●注246:一目で見渡す
巡航高度を6000メートルとした場合、水平線までの距離は約276・5キロになるから、先行している<ドクトル・エッケナー>と本隊の距離75海里(138・9キロ)よりも見通せることになる。ただし雲がかかっていたり、霞んでいたりするとこの限りではない。
●注247:ブリッジウイング
キール運河の都合に合わせているのは史実でもそうである。ドイツ海軍の大型艦艇の写真を見ればすぐに分かる。最近の豪華客船も、世界三大運河を通航するために備えている設備だ。また元ネタである<グラーフ・ツェッペリン>自体が未完成で終わったせいで彼女のブリッジウイングがどういう形になったのかは、何とも言えない。「諸説あり」というやつだ。折り畳み式という説や、この世界のように途中まで張り出した説、やはり飛行甲板に邪魔だから左舷に小型の操舵所を設置した説など色々だ。いちおうドイツの博物館に飾ってある完成予想模型だと途中まで張り出した説のようなので、同じように火葬した。
●注248:五式艦上攻撃機B七A<流星改>
正確に言うと「流星改」という機体は無く量産機は全て「流星」だったようだ。ワンオフで済む試作機から、大量生産しやすいように量産機用に設計変更が為された事が、巷に誤って伝えられて「流星改」という幻の機体が生まれたようだ。だが、この枢軸国が勝利した世界では順当に<流星>が生産されて、そろそろ改良型が造られてもおかしくは無いだろうということで、<流星改>という機体が登場した。という言い訳。本音はやはり<ワールドアドバンスド大戦略>に登場した名前だからである。あ、急降下爆撃、水平爆撃、雷撃に加えて空中戦をやらせようとしたのは史実のままである。
●注249:世界各国の艦上攻撃機
史実の合衆国軍傑作機AD―1<スカイレイダー>と、史実の英国駄っ作機<スピアフィッシュ>ね。まあ英国の場合は複葉雷撃機の<ソードフィッシュ>が急降下爆撃もこなしていたから、先鞭をつけていたと言い張れるかも。
●注250:電動台車
既述であるが格納庫からカタパルトまで搭載機を牽引する電動台車とその軌条が<グラーフ・ツェッペリン>には用意されていた。改グラーフ・ツェッペリン級の各艦も採用していると火葬している。一斉に発進させなければならない攻撃隊の時は、飛行甲板に並べて同時進行で燃料弾薬を準備するために使用しないが、重いジェット機であり準備に時間のかからない直掩任務のMe262に使用しない理由が無いだろう。
●注251:舵輪
帝国海軍の艦艇は艦橋下の操舵室に舵輪があり、伝声管でそれを握る操舵手に面舵取舵を命令していた。これは駆逐艦でもそうだった。合衆国海軍の場合、大型艦もそうであったが、駆逐艦などの小型な物は艦橋に舵輪があり、直接命令が出来るようになっている。戦後に発足した海上自衛隊でも艦橋に舵輪がある。ドイツ海軍は資料を見る限り航海艦橋に舵輪があるようなので、改グラーフ・ツェッペリン級もそれに準じた。
●注252:レーダーの見える範囲
厳密に言うと水平線の向こうは見えるけど、話しが長くなるので割愛。とりあえず超水平線レーダーという物があるよとだけ書いておく。
●注253:誘導装置
これは合衆国のフェアチャイルド社が開発した「クルシー式無線帰投方位測定器」の原理である。Ju87のコクピットを見ると似たような計器があるので間違いないと思うが、素人が読める本には記載がない。おそらく英字の専門書などのページを切れば書いてあるのだろうけど、頭が悪いのでそんな本を読めるわけがない。ということで和美の火葬としておく。
●注254:時速一〇〇キロほど
艦上機だから失速速度に余裕があるということにしておく。
●注255:電波の方位
今のような便利な世の中では無いから、機体を180度旋回させたら電波の発信も左右逆にしなければならない。もちろん手動で、だ。ループアンテナならば簡単かもしれないが、電波の波長からして発信は曳航式のアンテナだろうと和美が考えたため、シュリクティングには余計な仕事が増えてしまった。
●注256:主翼下の増槽
索敵の時は胴体下に大きい増槽を下げていたが、曳航式アンテナを使用する誘導任務では使えないと火葬した。
★⑨
●注257:「通り魔戦法だ!」
「辻斬り戦法」と和訳した方が良かったかな?
●注258:急降下爆撃機で行う雷撃
超低空飛行から爆弾を投下し、水面で跳ねさせて目標に命中させる攻撃法という物がある。反跳爆撃と呼ばれる爆撃法だ。反跳爆撃の研究は連合軍と帝国陸海軍ぐらいかな。実際に行ったのは太平洋の合衆国陸軍航空隊と英国空軍の「ダムバスター」だけだと思われる。イタリア空軍にもいちおう記録がある。帝国陸海軍はせっかくこの戦法を研究していた者たちを、違う戦法に投入して消耗していく…。神風特攻隊だ。
●注259:ルーデル機のスペシャルな装備
ここの段落は、史実で連合軍に投降した後に行われた尋問の話しを元ネタにしている。
●注260:後期C級巡洋艦(改阿賀野型)。D級巡洋艦(改大淀型)。
改阿賀野型軽巡洋艦は計画されたが建造まで至らなかった巡洋艦。改大淀型軽巡洋艦は、失敗した水上偵察機を諦めて航空設備を簡略化し、後方にも主砲を搭載した艦級と火葬した。
●注261:残った選択肢はコレだけであった。
実はもう一つだけ選択肢がある。横から撃てばいいのだ。だが横から撃っても偏差率が高すぎて命中弾を得られにくい。もちろんそれに当てはまらない例もある。ドイツ空軍で「アフリカの星」と呼ばれた撃墜王、ハンス=ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユ大尉は「撃った所へ敵機が吸い寄せられる」と見た者が感想を残しているほど偏差射撃が得意だったようだ。
●注262:攻撃機の脱落
いや現在の旅客機だってエンジントラブルで欠航なんて話しはあるのだから、まだ熟成されていない時代ならば故障は当たり前だろう。誘導機であるプファンクーハン機がエンジントラブルを起こした場合は、おそらく無誘導の<ミステル4>として攻撃したのだろう。
●注263:「よし命中だ!」
この項目は物語の先について触れています。
ということでプファンクーハン隊長の頑張りのおかげで、Ju287が<大和>の前甲板から突入しました。
けど、この後も無事な姿を見せているのは、話しの都合…、いや、そうではなく。ルーデル隊の攻撃は対空砲を破壊し、二本の航空魚雷を命中させることに成功。これは反対舷への注水で復原したので問題なし。最高速度が20ノット弱ぐらいに下がった程度と火葬しました。で、問題のJu287は、前甲板に並んだ第一、第二主砲の咄嗟射撃による迎撃を受けて空中で爆発。メタルジェットは噴き出したけど、主砲塔の装甲表面を焦がした程度とした。現在の成形炸薬弾も爆発反応装甲で威力が相殺されるようなので、可能と判断しました。
●注264:なんとかという島
もちろんラッカジブ諸島のことだ。航海長は島の情報に触れる機会はあったろうが、実際に自分が目指す先になると思っていなかったので、ちゃんと覚えていなかったと火葬した。
●注265:「機動部隊を六つは編成できる」
既述の八・八・八艦隊計画で連合艦隊には8隻の大型空母と4隻の中型空母を持っている火葬だが、他にも空母はまだあるはず。ただ護衛総隊で対潜任務に就いていたりするから機動部隊を編成できるかどうかは難しいところとしておく。
●注266:直掩任務に参加する<カイヤン>
全てが<ドクトル・エッケナー>を発進した機体では無く、プファンクーハン隊長と一緒に<ミステル>で<ヤマト>攻撃に参加した物も含まれているものとする。
●注267:<グラーフ・ツェッペリン>は一五センチ砲を一六門も装備していた
史実のドイツ海軍が空母建造のお手本とした帝国海軍空母<赤城>は、竣工時20センチ砲を10門も搭載していた。その後改装されて有名なミッドウェイ海戦時には6門に減っていた。
●注268:船の速度と舵のきき
もちろん遅すぎてもダメであるが、速すぎるのも問題だ。この後から<ペーター・シュトラッサー>が見せる回避術はレイテ湾海戦で航空戦艦<伊勢>が行った実際の回避術が元ネタだ。
●注269:三度目の正直
もちろん日本で三度目の正直と言うし、本文で紹介したドイツのみならず英国にも合衆国にも同じような言葉がある。まあキリスト教は三位一体とか数字の「3」に拘るから不思議ではない。
●注270:メガホンで怒鳴りつける艦長
これもレイテ湾海戦における<伊勢>の話しから。メガホン自体は現在の船にもある装備品だ。
●注271:外付けのロケットエンジン
これは史実の<彗星四三型>が装備しようとしていた「四式噴進器」が元ネタ。実際の使用はされなかったようだが、帝国海軍だって緊急増速用のロケットブースターはあったんだよ&この後の攻撃に高度が必要なのだけど<流星改>だと届きそうも無かったので苦肉の策として火葬してみた。
●注272:「ちくしょう。誘導されている!」
帝国が開発した「ケ号爆弾」のつもり。ちなみに開発したのは帝国陸軍である。史実の「ケ号爆弾」は帝国海軍のP1Y陸上爆撃機<銀河>を母機として高度10000メートルから投下される赤外線誘導兵器として開発された。これがもっと早く完成していれば神風特攻なんかしなくても済んだのに…。3機中1機しか投下しないのは、ケ号爆弾の特性として、1発命中すると後続の爆弾も同じ場所へ誘導されてしまうからである。つまり2機目以降は1発目が失敗した時のための保険だ。国破れて山河在り。史実の開発チームは戦後、あの世界のソニーを興すことになる。
★⑩
●注273:給与計算
ドイツでは有名な機甲師団にだって給与分隊として主計の者がついていたぐらいだ。もちろん日本の戦艦にだって金勘定をするために乗組んだ者がいた。ボランティアや奴隷では無く軍人だって勤め人なのだから当たり前である。
●注274:手動の油圧ポンプ
もちろんFw167<アイバトス>自体が和美の火葬した世界の産物なので、まったくの想像である。また片足が引っ込まないのは坂井三郎「大空のサムライ」から。史実のエースだった坂井も片脚が出なくて着陸できず、機体を横滑りさせた風圧で脚を出す話しがある。
●注275:信号拳銃
これも前項と同じく、全くの火葬である。
●注276:氷山のような大きさ
だが連合国には「ハボクック」という計画があった。これは人工的に造った平らな氷で洋上に移動基地を造る計画だった。史実では試作まで進んだが大きな一つを造る前に合衆国が小さな空母を大量に建造したので計画は中止された。
●注277:戦闘配食
日本だと手軽な食事として「オニギリ」とか「イナリズシ」があるから簡単に想像がつくが、欧米の艦艇での戦闘配食ってどんな物なんだろう? 浅学な和美はちっとも知らない。想像するにサンドイッチとかそういうのだろうけど。
●注278:戻って来る<ミステルフィア>
プファンクーハン隊長の武勇伝を読み返してもらえれば分かると思うが、戻って来てしまったのは8号機である。そしてリアルタイムで宇宙戦艦ヤマトを見ていた勢としては、やはりドリルミサイルは戦闘空母に戻ってくるものなのだ。いちおうJu287の航続時間ギリギリであるので、突入の瞬間はおそらく燃料切れで滑空して突っ込んで来ていると火葬した。
●注279:電波を遡るように…
誘導装置とレーダーの部品がテレフンケン社で製造されていたのは史実である。ただ誘導装置が誤作動するかどうかは、和美のまったくの火葬なので本気にしないように。
●注280:<フォン・リヒトホーフェン>の防御力
じつは現在残された資料を基に<グラーフ・ツェッペリン>と、<フォン・リヒトホーフェン>の元ネタとなった「O級大型巡洋艦」の防御力を比べると、空母である<グラーフ・ツェッペリン>の方が装甲の厚みがあったりする。それで防水区画の数が同じ19であるから、実はドイツの大型巡洋艦(他国の巡洋戦艦)は空母よりも防御力が低いという事になる。極端な事を言ってしまえば、「O級大型巡洋艦」という艦級は、商船だけを攻撃する通商破壊にしか使えない艦ということになる。この世界でハイデンハイム司令が<フォン・リヒトホーフェン>の持つ防御力の低さを知っていたかは不明とする。
●注281:対空砲の仰角
ドイツ海軍で一番使われた対空砲SKC/33 10・5センチ連装対空砲の最大俯仰角は、仰角で80度、俯角で10度だった。
●注282:「面舵一杯。右舷停止!」
よく仮想戦記などで舵を急に切る時に「左舷前進、右舷後進(またはその逆)」と号令をかけるシーンがあるが、本当にやったらスクリュープロペラの羽が全部折れてしまうだろう。戦艦などよりも遥かに小さい現代の海上保安庁の巡視船でも後進はかけずに停止させるまでがせいぜいである。と、かつて巡視船の航海長をやっていた方に聞いたので、ここでもアイムホルン艦長は停止命令を出すことにした。
●注283:アイムホルン艦長の操艦術
元ネタはレイテ湾海戦時の航空戦艦<日向>だったりする。
●注284:撃っちゃう対空機関砲
この元ネタは色々とあるが、例を挙げるとすれば帝国海軍重巡洋艦<青葉>の改修後かなあ。サボ島沖海戦で大破した<青葉>は誘爆した第三砲塔の代わりに、同じ場所に対空機関砲を据えた。そこに新たに配置された射撃員が命令無しに発砲して敵機をかえって呼んでしまう話しがある。
●注285:ジュネーブ条約
日本が加盟したのは明治19年(1886年)のことだった。同条約は第二次世界大戦後に改定されているが、この世界でそれが行われたかどうかは決めていない。
●注286:第一七駆逐隊司令、スギハラ・コウシロウ大佐
モデルは杉原興四郎大佐。史実の杉原中佐(当時)は坊ノ岬海戦において機関故障で第二水雷戦隊より落伍し、単艦で攻撃隊と戦って戦没した駆逐艦<朝霜>の艦長である。
★⑪
●注287:電波状態
もちろん太陽云々もあるが、じつは日本側の電波妨害もあるという火葬。
●注288:日本の戦艦はどれも四〇・六センチ砲
もちろんこれはアイムホルン艦長、というかドイツ海軍情報部の誤解である。ちなみにメートル法で軍艦を建造していたドイツ海軍であるが、主砲の口径だけはインチ単位だった。帝国海軍は主砲の口径もすでにメートル法であり、<長門>の主砲は条約で定められた406ミリ(16インチ)では無く410ミリだった。まあ条約締結前に竣工していたので、違反では無かったが。
●注289:着弾の水柱
この時、<大和>は<ウルリヒ・フォン・フッテン>を距離4万5712メートルで発見し、背後に迫る夜闇を隠れ蓑にして4万メートルまで引き付けての射撃開始をしたと火葬。
もう少し詳しく書くと、前檣楼の高さは、その時の燃料消費量などコンディションで変化するが<ウルリヒ・フォン・フッテン>を31・6メートル、<大和>を51・6メートルとして計算した。するとお互いの水平線までの距離が<ウルリヒ・フォン・フッテン>で2万0068メートル、<大和>が2万5644メートルとなる。水平線で一旦視界が遮られるが、その向こうに相手の前檣楼のトップが見える相対的距離は合計して4万5712メートルとなる。じゅうぶん<大和>の射程範囲内である。計算が間違っていたら、それは和美の頭が悪いせいなので悪しからず。
●注290:残照を背負う
この状況は、海軍史の転換点と言われている「ジェットランド沖海戦」と同じである。え? 最近じゃ「ジェットランド沖海戦」って言わないの? 「ユトランド海戦」? 和美は「ジェットランド沖」で馴染んでいるんだよなあ。
●注291:第二射にて夾叉
本当だったら凄い成績なのだ。この距離で夾叉する確率は数パーセントしかないのだから。でも真面目な和美は都合よく火葬するのではなく、当時の資料を素にちゃんとサイコロを振ってみた。そうしたら夾叉になったのだから仕方が無いだろう。(開き直り)この後の射撃結果も、そして被害なども全部サイコロを振って決めている。
●注292:戦艦ならば凡そ一五発
これは当時の海軍が想定していた、同じクラスの戦艦が撃ち合ったらと仮定しての数字である。ただし<大和>で主砲が格下の合衆国戦艦と撃ち合った場合、最短で7発で相手は戦闘不能になると試算していた。
●注293:写真
もちろん戦果確認のため攻撃隊が撮影した物を、連絡機で旗艦まで運んだ物だ。
●注294:四式観測機E一六A<ズイウン>
史実の水上偵察機<瑞雲>がこの世界ではこうなっているようだ。艦上機が発達して水上偵察機は艦上偵察機に取って代わられ唯一残った職場が艦載機ぐらいだろうと火葬したからだ。元々<瑞雲>は大和型戦艦の艦載機として計画されていたから、突拍子もない思い付きではない。史実では搭載される事は無かったが、計画では水上打撃戦において大和型から発進し、敵が「なんだ観測機か」と油断している所を急降下爆撃で一撃を与えるはずだった。そのおかげで<瑞雲>は偵察、観測、急降下爆撃、さらに空中戦もできるように求められ、製造した愛知航空機は苦労したようだ。沖縄戦で実際に空中戦を行った記録もある。
●注295:「射程圏外を飛んでいやがる」
史実の帝国海軍の弾着観測は、的艦の真上からモールス信号で観測結果を送ることになっていた。まあ科学技術が発展して方法が変わったことにしておく。
●注296:「右舷砲雷撃戦用意」
H級戦艦にはどの計画にも艦首に魚雷発射管があった。まあ海軍休日まで戦艦にも魚雷発射管が装備されているのは世界中で当たり前の事だった。英国のロドネー級戦艦は<ビスマルク>撃沈の際に魚雷を発射しており「史上最後の戦艦による雷撃」という、よく分からないタイトルを得ている。帝国海軍の戦艦はすっぱりと魚雷を諦めて、駆逐艦に(そして艦上攻撃機に)雷撃を任せていた。
●注297:第三主砲塔は急降下爆撃に耐えた
急降下爆撃は40センチ砲と同程度の威力と計算した。
●注298:大和型の改装
大型軽巡洋艦であった最上型を重巡洋艦に改装できるなら、46センチ砲戦艦として生み出された<大和>が50センチ砲に換装していても、不思議ではない。さすがに46センチ砲と同じ3連装3基は無理でも、超大和型戦艦と同じ50センチ連装砲3基はいけるはずである。また史実の<大和>にもそういった話しがあったという都市伝説みたいな物もあるし。ということで、この世界の<大和>は連装3基6門の主砲を持つ戦艦となっている。ちゃんと『新型砲弾』を呉で搭載するシーンから第一砲塔は2門とか説明している和美はなんと親切なんだろう(自画自賛)。だから<ウルリヒ・フォン・フッテン>へ向けて射撃しているのも6門だから水柱も6本しか立っていない。
●注299:ドイツ戦艦の水中防御力
これは史実でも指摘されている点である。第一次世界大戦後にドイツの軍備を制限したベルサイユ条約で、ドイツ海軍は大型艦の建造を禁じられてしまった。そのせいで大型艦の水中防御に関する研究が遅れ、ビスマルク級ですら第一次世界大戦時と同じ程度の防御しかしていなかった。その間に科学技術の進歩などで水中弾の危険性が認識され、軍艦をまるで競争するように建造していた日伊英米では新しい水中防御が取り入れられていた。<ビスマルク>がライン演習作戦で英戦艦からの砲撃に耐えることができたのは、英戦艦が近づきすぎて<ビスマルク>の最も装甲が厚い部分にしか砲弾が当たらなかったからだ。
●注300:ヤコウチュウ
南洋どころか日本近海でも同じような現象に出くわすことがある。汚染海域の象徴のような「赤潮」の正体でもある。和美の個人的な感想だが、日本近海の物は緑色、インド洋の物は青色をしているような気がする。
●注301:ルーデルの個室の様子
もちろん全部が和美の火葬なので本気にしないように。
●注302:月齢
この年月日ならば、たぶん満月の二日前であっているはずなんだけど、和美の計算がずれているかも。この後出てくる南十字星の位置も間違っていないはずなんだけど。
●注303:ゴア首府パナジ
偉そうに書いているが現地に行った事の無い和美が想像で書いているので、実際とは違う可能性しかない。また民間人の死傷者は最低限なだけで、まったくいないわけでもない。
●注304:ホセ・シルベストル・フェレイラ・ボッサ植民地大臣
年月日から彼が当時のアントニオ・デ・オリベイラ・サラザール内閣での植民地大臣であることは間違いないのだが、人となりなどを書いている日本語の文章は発見できなかった。ただ生涯に受勲した勲章などから考えるに軍人では無かったようなので、サラザールの内閣で軍人でない閣僚は大学教授という短絡思考でこういうキャラクターにした。まったくの和美の火葬なので本人に知己がある方がお読みになってお怒りになっても、創作物だからとお茶を濁すしかない。
●注305:アントニオ・デ・オリベイラ・サラザール
第二次世界大戦時点でのポルトガルを支配していた独裁者。秘密警察を使って反体制派の弾圧などを行ったが、世界史的に見回してみて、おそらく「史上もっとも善良的な独裁者」であったのではないだろうか。第二次世界大戦中は徹底的に中立を維持し、そのおかげで大日本帝国も何度か助けられていたりする。最期があんな悲しい結末なのは、独裁者ゆえか?
●注306:日本とポルトガルの関係
ボッサが回想している内容は、ほぼ史実と同じである。ザビエルの墓も実際にゴアに存在する。
●注307:シライシ大尉
史実の<浦風>はレイテ湾海戦後、戦艦部隊を護衛しながらブルネイから本土へ向かっている途中で合衆国潜水艦の雷撃を受けて沈んでいる。この世界では太平洋の戦いを生き抜いたようだ。彼も和美の火葬した乗組員なので本気にしないように。
●注308:ゴア
現在のゴアはインドの州として存在している。そこへ至るまでのゴタゴタは語るまい。この世界のゴアは、もう少し穏やかにインド側へ返還された物と火葬する。
●注309:一二人の紳士
ただ円卓の騎士に揃えただけで、和美が当時の裏社会なんて知るはずもない。ですからまったくの火葬です。裏社会の人ヒットマンを差し向けないでください。ちなみに13オンスはヤード・ポンド法の重さの単位。1ポンドの1/16の重さで約28グラム。なぜ「1/12」という意味の「オンス」が「1/16」なのか和美は知らない。
●注310:サー・エリス・ヴィクター・サスーン準男爵
史実の人物である。そしてアヘン戦争の原因となった人物の曾孫だ。中近東からインド、中国にかけて商売で名を遺した。アヘンを扱っていたのはどうやら本当らしい。
●注311:ヘルムート・オットー・ルートビッヒ・バイトリング陸軍大将とハンス・レーファー大佐
史実のベルリン防衛の司令官と参謀である。
●注312:「七番目の男」
そいつはボンドさんチのジェームズくんでは?
★⑫
●注313:イトウ・セイイチ海軍大将
史実の伊藤整一海軍大将がモデル。で、電文の内容は「沈黙の艦隊」のパク…、り、りすぺくと…、リスペクトであったりする。
★⑬
●注314:カール・デーニッツ海軍元帥
史実のカール・デーニッツも、潜水艦隊の親玉…、いや司令長官から海軍総司令官へと就任し、ヒトラーの指名によりナチス・ドイツ最後の大統領となって戦争を終わらせた。この世界では、おそらく『北大西洋海戦』敗戦の責任を取ってエーリヒ・ヨーハン・アルベルト・レーダー元帥が海軍総司令官を辞任して、その後を引き継いでいたと思われる。
●注315:民明書房
何、知っているのか、雷電っ!
オマケ
大日本帝国海軍連合艦隊インド戦線序列
連合艦隊旗艦:改大和型戦艦「越後」:在トラック島
遣印艦隊旗艦:新型潜水母艦「白鯨」:在コロンボ港
BG方面部隊(ボンベイ・ゴア方面)
BG機動部隊
第一航空戦隊:翔鶴型空母「翔鶴」
同 「瑞鶴」BG機動部隊旗艦
瑞鳳型軽空母「龍鳳」
第五四駆逐隊(超乙型直衛艦)「青雲」「紅雲」「春雲」「天雲」
第十戦隊:改丙型軽巡洋艦「新井郷」「米代」「鹿乗」「鮎沢」
第二水雷戦隊:改阿賀野型巡洋艦「水無瀬」
第二一駆逐隊(島風型駆逐艦)「秋潮」「高潮」「春潮」「若潮」
第四一駆逐隊(島風型駆逐艦)「山霧」「海霧」「谷霧」「川霧」
BG主隊
旗艦:大和型戦艦「大和」:BG方面部隊総旗艦
第七一駆逐隊第一小隊(乙型直衛艦)「秋月」「涼月」
第一水雷戦隊:阿賀野型軽巡洋艦「阿賀野」
第四駆逐隊(陽炎型駆逐艦)「野分」「舞風」「雪風」「天津風」
第一七駆逐隊(陽炎型駆逐艦)「浦風」「磯風」「浜風」「谷風」
B攻略隊(ボンベイ攻略隊)
旗艦「青葉」:B攻略部隊旗艦
空母「大鷹」
海援隊舟艇隊:特種船団
海上護衛総隊:海防艦・第一護衛隊群
G攻略隊(ゴア攻略隊)
旗艦「橿原」:G攻略部隊旗艦
空母「沖鷹」
海援隊舟艇隊:特種船団
海上護衛総隊:海防艦・第二護衛隊群
SO方面部隊(ソコトラ島方面)
SO機動部隊
第三航空戦隊:改大鳳型装甲空母「黄鳳」
同 「青鳳」:SO機動部隊旗艦
空母「飛竜」
第九二駆逐隊(超乙型直衛艦)「霜風」「朝東風」「大風」「東風」
第八戦隊:利根型軽巡洋艦「利根」「筑摩」
最上軽型重巡洋艦「最上」:航空巡洋艦に改装済
第四水雷戦隊:改阿賀野型巡洋艦「奥入瀬」
第二駆逐隊(夕雲型駆逐艦)「朝霜」「早霜」「秋霜」「清霜」
第三一駆逐隊(夕雲型駆逐艦)「長波」「高波」「大波」「玉波」
SO主隊
第五戦隊:高千穂型大型巡洋艦「高千穂」:SO方面部隊総旗艦
高千穂型大型巡洋艦「穂高」
第五三駆逐隊:超乙型直衛艦「冬月」「春月」「宵月」「夏月」連合艦隊司令直率より
第三水雷戦隊:阿賀野型巡洋艦「能代」
第一二駆逐隊(特型/初春型駆逐艦)「若葉」/「東雲」「薄雲」「白雲」
第二一駆逐隊(初春/白露型駆逐艦)「初春」「初霜」/「海風」「涼風」
SO攻略隊(ソコトラ島攻略隊)
旗艦「鹿島」:SO攻略部隊旗艦
空母「雲鷹」
海援隊舟艇隊:特種船団
海上護衛総隊:海防艦・第三護衛隊群