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 マオマオは星空に感激して思わず立ち止まって声を漏らした。

「すごい……!」

「はやく。さっきも見たでしょ!」

「だって、今日やっと晴れたんだもん」

 三日がかりで二人は必要なだけの薬草を採集し、この日ようやく帰路についた。あたりは地下よりも温かく過ごしやすかった。人目につかないよう人の多い時間帯は避けつつ野宿を繰り返して、体力は消耗していたが、思ったよりも順調に物事が運んでマオマオは気が緩んでいた。

 閑静な通りを抜けて人通りの少ない都市のビル街に入った。それに見とれながら歩いていた二人は、深夜営業をしているスーパーの前を通ったとき不意に後ろから声をかけられてビクッとした。二人は緊張しながら振り返った。すると男が、マオマオが落とした帽子を手渡した。かぶっているのが面倒になってかばんに突っ込んでいたのが、横合いからこぼれ落ちたのだった。彼女は口をとがらせるイリヤに苦笑いしてみせた。

 次の日は大きな荷物を背負って歩く二人には少々熱く感じられる日だった。二人はシャツの袖を肩のあたりまでまくった。そして夕方までひたすら地下につながる塔を目指した。このまま何事もなければ明日には戻れるだろうと話をした。

 その日もしばらく歩いたと思ったころ、マオマオは横合いに海岸があることに気が付いた。彼女はイリヤに声をかけた。

「あれってイリヤが憶えてた海岸じゃない?」

 そう言って海岸の名前を伝えたが、イリヤは名前に憶えがなかった。マオマオはせっかくだから最後に陽の国の見納めをしようと提案した。イリヤは渋ったが、二人とも緊張し続けだったせいか気疲れしていたので、休憩がてら寄ってみようということで意見が一致した。

 二人は海岸に降りた。この世界に来てから初めて見る風景に驚きっぱなしだったが、砂浜の美しさや海の広さ、寄せては返す波の音は二人を自然と無言にした。遠くで白い鳥が何羽か鳴いているのをイリヤが指さしてマオマオに尋ねた。マオマオは多分カモメだろうと教えてやった。

 マオマオは街の方で見たカラスとは好対照をなしていて好奇心をそそられた。都会のカラスよりも海辺のカモメの方がきれいに思えた。

「あれは家族なのかな?」とイリヤが聞いた。

「さあ? 私は都会の風景の方が好きだけど、きれいに鳴くのはカモメの方だね」と、マオマオは黒い髪をかき上げた。「明日もここに来ない? 一緒に日の出を見ようよ。ここは東向きだからきっときれいな日の出が見られるよ」

「いいね」とイリヤは楽しげに言った。

 気づくといつの間にかカモメたちはどこかへと飛び去っていった。そのとき唐突に風がやんだ。二人は顔を見合わせた。陰の国を思わせるような無風状態にマオマオは思わず寒気がした。

「急にやんだね」とマオマオは言った。

 それにこたえるかのように、後ろから男の声が飛んできた。軽やかな声だった。

「これくらいは風がやむ凪の時間だ。この瞬間を境に海風から陸風に変わるんだよ。知らなかったかな、陰の国のお二方……」

 トリスよりも少し若いくらいのスーツを着た男だった。二人はばっと勢いよく立ち上がって構えた。そして腰に差していたナイフに手をかけた。

「やや、そんなに警戒なさらないで。なんでもお見通しというわけじゃない。ただ、都合よくまくってくれていた腕を見れば済むこと。それ、陰の国の人間の左腕には赤い印がある。明々白々だ」

 男は芝居がかったしぐさで腕を指さした。マオマオは警戒して男から目を離さなかったが、イリヤは反射的に自分の左腕を見ていた。そして小さい声で「あ……」と声を漏らした。マオマオもつられて右側のイリヤを見た。そこには小さなしるしがあった。陰の国では誰もが付いた印だったから、特に意識していなかったのだった。

 マオマオは売られた喧嘩は買ってやろうと勢いづいて言った。イリヤが彼女の方を見た。

「あなたがトリスさんが言っていた裏切り者のトートね? 十五年前に陽の国に魂を売って、地上に出てくる人たちを抹殺しているっていう。あなたに出会ったら必ず殺せって言われてる」

 すると、男はさも愉快そうに声高らかに笑った。

「なるほど、強気だな。陽の国にその年で出てくるだけのことはある。俺たちが出てきたのもそれくらいだったな。だが魂を売ったとすればそれは陽の国にではない」

「じゃあ何に……」

 男はマオマオを左手で制止して言った。

「白い髪の男、どこかで会ったことあるか?」

「えっ、えっ」

「こいつの言うこと聞いちゃだめだよ」とマオマオ。

 トートは肩をすくめておどけて見せた。

「まあいい。確かに、トリスと俺はともに地上に出てきた。俺たちは地上で自由に暮らすことを夢見たが、だめだった。俺たちはすぐに捉えられて個別に尋問を受けた。そして陽の国は選択肢を二つ提示した。陰の国におとなしく戻るか、陽の国に残って自由な暮らしをする代わりに、上がってくる奴らを抹殺するか。俺は陽の国の連中がおとなしく帰してくれるとは思わなかったし、念願かなって自由を手に入れたと思っていたから残る方を選んだが、トリスはそうは考えなかったらしい。ふたたび俺たちが相まみえたときには敵同士だったというわけだ。つまり、俺が狩る側であいつが狩られる側になったのさ。あいつは俺を目の敵にしてるようだが、その顔にはまだ傷が残っていたかな?」と言って自分の頬のあたりを指さした。

 風が吹いてきた。陸風だった。オレンジ色の太陽がまぶしかった。

 マオマオはナイフを抜いて覆いを取り去った。研ぎ澄まされた銀色が夕陽にかがやいた。

「イリヤ、あなただけでも逃げて。人の役に立ちたいんでしょ? 早くシバさんたちを助けてあげて」

 イリヤは何か反論しかけたが、それより先にトートが動いた。

「交渉決裂だな」

 そう言って彼は拳銃を抜いた。

 マオマオは一足飛びに距離を詰め、その腕をナイフで切り裂こうとした。トートは銃口をマオマオの顔に合わせた。マオマオは死に物狂いでよけたが銃弾は頬をかすめた。彼女はそれに動じずナイフで男の右腕を思い切りひっかいた。

「くそっ!」

 悪態をつきながら、トートはもう一発を右の太ももに打ち込んだ。マオマオは構わず切りかかったが、三発目が左肩を破壊した。マオマオは何とか拳銃を手放させようと右腕を狙ったが服を切り裂くだけだった。そしてトートは四発目を腹に打ち込んだ。

 トートは、ショックで金縛りにあったように固まっていたイリヤに銃口を向けた。

 そのとき遠くで女が叫んだ。

「やめて!」

 トートは一瞬硬直した。砂浜を駆けて来ながら叫んだのは妻のレヴィだった。

 マオマオは彼がよそ見したその機を逃さなかった。

「おらぁ!」

 彼女は思い切りトートの腹に包丁をねじ込んだ。トートは血反吐を吐いてうめいた。

 そこへレヴィが白い髪を乱しながらやってきてトートから拳銃をもぎ取って言った。

「イリヤ! はやく行きなさい! 今日中に戻るのよ! 早く! この子は後から送っていくわ!」

 イリヤはあふれかえる情報に混乱した。レヴィはそれを見て震える手で拳銃を向けた。

「行かないなら撃つわよ」

 イリヤはやっと決意して逃げていった。

 トートは悶えながらつぶやいた。

「な、にを……」

「ごめんなさい。今はまだ言えないわ……」

 誰に通報されたのか、救急車とパトカーがやってきた。血の酸っぱいにおいが海へ運ばれていった。


 病院での処置の末トートは一命をとりとめたが、マオマオは数時間以内に死ぬということになった。マオマオは泣かなかった。それは覚悟していたからというよりも、あまりの痛みに生きる気力を失ったからだった。

 マオマオは何も言わず横に寄り添っていたレヴィに、日の出が見たいからとふたたび砂浜に連れていくよう頼んだ。破壊的な痛みを感じたからか、マオマオの脳は体を動かす機能を完全に停止させてしまっていた。マオマオは心と体が離れつつあると思った。

 砂浜についたときには、水平線が白み始めていた。

「あなたたちはなぜ上がってきたの」

 レヴィは腰を下ろすと、息を押し殺すような調子で言った。その目は水平線の方をじっと見つめていた。

「地下で病気が流行って、薬草が地上にしかなかったから……」

「陽の国で生きる方法をトリスさんから聞いていたんでしょう、陰の国の人間が上がってこないようにするって。なぜそちらを選ばなかったの……」

 マオマオは満足げにほほ笑んだ。

「前読んだ哲学者プラトンの本にあった、洞窟で鎖につながれた太陽を知らない奴隷が、地上に出て真理を知る話……、戦ったのに、もう一度首輪つけるはずない、ふふ……」と、絞り出すように言った。

「私は」レヴィは後を継いで言う。「半分陰の国の人間なの。私と弟は二人姉弟で陰の国と陽の国とのハーフだった。ある日当局が目をつけて私たちを陽の国の人間として認めないって。私の両親がどちらかだけでも陽の国に残すよう懇願して、まだ足元もおぼつかない弟と私はくじで残る方を決めることになった。私は陽の国に残ることになって、弟は……」

 そこまで言ったところでレヴィは言葉を詰まらせた。痛みを感じなくなりつつあったマオマオが言葉を継いだ。

「その弟がイリヤ……。ずっと二人で陽の国に出ようとしてたけど、彼は病気を治すために出たいって。好きな人のために知識を……、私も彼のためだったか、な……」

 次第に水平線のかなたがまばゆくなって太陽がその姿をあらわし始めた。マオマオは両手で抱かれたままそれが見えるように顔を向けた。みるみるうちに現れてくるそれはあまりにまぶしくて目がつぶれそうだったが、その美しさを逃すまいとマオマオはまばたき一つしなかった。そしてそこへ向かって手を伸ばした。震える手は思うように上がらなかったが、それをレヴィの左手が下から支えた。

「二人、なら……」

 マオマオは太陽に手がかかったような気がした。レヴィはマオマオを風が凪ぐまで抱きかかえていた。カモメがまた鳴いていた。

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