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 ここに二つの世界がある。陰の国と陽の国、二つは互いに相いれないもの同士で決して交わることがない。陰の国の人間にとって陽の国は生存にはまるで適していない地獄だ。並のものなら一分とたたずに死に至ると言われていた。

 ところがマオマオという少女は、今にもそこへ躍り出て自分の存在を叫んでやろうといきり立っていた。どんなところであっても必ず生き残って見せようと思った。

「こういう感じであってるんでしょ? あなたが『憶えてる』世界は」

 彼女は陽の国のビル街のスケッチを幼馴染のイリヤに突き出して言った。深夜にもかかわらずテンションが高かった。そのスケッチブックにはイリヤとともに二月ほどかけていろいろな場所を描いてきた。今回のビル街がちょうど二十枚目に当たったが、一枚目も違う場所にあるビル街だった。マオマオは摩天楼の雄大な風景と、太陽の見える砂浜が好きだった。

 それぞれのページの裏には注釈がつけられていて、マオマオはわずかばかりのその情報を手がかりに図書館で書物をあたったりと、様子を掴もうと躍起になっていた。

「憶えてるっていうか、ぼんやりと思い浮かべられるって感じだけど、本当に行くの……?」

「こんな洞窟で人生終わらせたくないでしょ。それにきれいだって言う日の出も一緒に見てみたいし。まああんたが陽の国の住人だなんて夢にも思わないけど、これだけが頼りだわ」と言って彼女はまじまじとそこに描かれた風景を見つめた。

 それから何日か経った日、二人が学校から帰宅して一緒に話し込んでいると初老の男が夕食の時間を告げにやってきた。二人は返事をしてすぐに向かった。

 洞窟の中では目を刺激するようなものも少なく、あたりには松明に照らされてぬめりと光る暗がりだけがあった。彼らにとっては、鐘のある塔が時間を知るための唯一つの手がかりだった。そしてその塔だけが陽の世界につながると言われていた。塔の先端は陽の国へ突き出していてそこで時間を確認しているのだ。

 全員が夕食の床につくと、シバという先ほどの初老の男は薪を火にくべながら重々しい口調で、ともすると気だるげな感じで言った。

「いつも言ってるようだが、陽の下に行ってはいけんぞ。十五の小娘にできることなどたかが知れている。次に不審な動きをするのを見つけた時にはな……」

「次?」と、マオマオは怪訝な目をして噛みついた。

 するとシバは黙ってイリヤとマオマオの前に何かを突き出した。イリヤは反射的に目をそらした。それはあの時描いた陽の国のスケッチだった。マオマオは内心ぎくりとしたが、無理になんでもない風をよそおった。シバはただでは済ますつもりがないのかしばらくそのまま黙っていた。マオマオが観念しかけたとき一人の男が現れた。頬に傷のあるいつも薄汚れた身なりをしているトリスという男だった。

 彼はシバからそれを取り上げて言った。

「これは私のものだ」

「お前の? そういえばお前も若いころに脱走を図ろうとしていたな。昔でも懐かしんだか?」

 マオマオはかばわれたことと身近に脱出しようとしていた人がいることにびっくりした。かばってくれるのは同じ志を持っていたからだろうか?

 シバはあらためてマオマオに言った。

「夢とか理想とかもわかるがな、人間には限界があるんだよ。それだけはわきまえておけ」

 マオマオは目を落としたが、諦めるつもりは到底なかった。

 それからそれぞれは自分の部屋へ行き眠りについた。

 その夜、途中で目が覚めてしまったイリヤは寝ぼけ眼をこすりながらトイレへ向かった。マオマオの部屋の前を通ったとき壁の隙間から中の様子が見えた。彼女はいつものように寝ずに机に向かって本を読んでいた。寮の中でもこの時間まで起きているのは彼女一人だけだった。イリヤは心配そうにそれを見ていた。


 翌日は地上から差し込む光で育った植物を遠くへ採集しに行かねばならなかった。自生している植物は陰の国にとって貴重な栄養源だった。

 マオマオとイリヤは横に並んでそこへ向かった。洞窟のような盤石な地面は、しだいにぬかるんだ地面へ変わった。二人はあたり一面に群生している植物を採集した。あとから遅れてやってきた何人かも同じように作業し始めた。

 しばらくして、イリヤが遠くを見ながら小さな声でつぶやいた。

「あの葉っぱは……」と、いっぱいになってきたかごを背に彼は一心不乱にそこへ向かった。それに気づいたマオマオは沈みがちな気分を奮い立たせて後を追った。

 地面は近づくにつれて水っぽさを増していき、ついには水たまりに変わった。マオマオは面倒になって草履を脱いでかごに入れた。

「ねえ、どこまで行くつもり……」

 少し先でイリヤが声をあげた。

「カノコソウ!」

 そう言って興奮した様子で足元の花を指さした。

「……初めて見た」と、マオマオは裸足で冷たい水をかきながらやっとの思いで横に立って言った。

「前に本で読んだんだけど、この団子花の球根にはリラックス作用があって、良質な休息をもたらしてくれるんだよ!」

 イリヤは後ろで結んだ長めの白い髪を揺らしながらはしゃいだ。

 マオマオはこたえる気力がわかずにしばらく黙っていたが、引っこ抜いた草を熱心に観察する様子を見て、しぶしぶ口を開いた。

「そんなことおぼえて何になんの? こんな生活を続けてる限り、何したって無意味だよ」

 イリヤは唐突な問いかけに一瞬こたえあぐねたが、言葉をかみ砕いてから少しはずかしそうに言った。

「誰かの役に立ちたいから、かな」

「はァ? 役に立つって、そこら辺の人の役に立って何になるの? もっと世界全体とか、未来のこと考えた方がいいんじゃない? だいたい……、どうしてそんなこと思ったの?」

「えっ、それはその、あの、好きな人のため、かな。うふ」と、イリヤは照れ笑いしながらうつむき加減で言った。

「学問はそんなもののためにあるんじゃないって……」と言って額をおさえてマオマオはため息をついた。

 彼女は踵を返そうとしたとき、ふとひらめいて言った。

「てかそんな相手がいるんじゃ陽の国に行けないじゃん! いつ死ぬかわからないんだから!」

「行く、あ、まあ、あっ、その、マオマオとならいいかな、って……」

「ちょっと心配……」とマオマオはぼやいた。

 採集もおおむね済んでそろそろ帰ろうかと思い始めたとき、遠くから男の声がした。見ると手を振っている男を先頭にして、三人の男がこちらにやってきていた。同じ村の人たちだった。

 二人は話を聞いておどろかされた。

「え? シバさんが病気? あの人に限ってそんなことがあるとは……」とマオマオ。

 彼らの伝えるところによると、最初は誰も気づかなかったが、マオマオたちが発ったころシバが寝込んでいるのに気づいたのだという。話を聞いたマオマオたちはすぐに村へ向かった。

 村につくと、何人かの中年の女が石造りの屋敷の前でうわさをしていた。男たちが不在の間にさらに三人が高熱で倒れたらしい。マオマオとイリヤは顔を見合わせた。どうもただ事ではないようだ。そのとき夕方の鐘が鳴った。底冷えした空気が濡れた後の足に冷たかった。

 次の日その次の日も、一人二人と病人が増えていき、五日目には合わせて村の一割が病床に伏していた。高齢の患者からは死人が出て、高齢者なりかけのシバの容態も依然芳しくなかった。

 五日目の夜、マオマオが眠気が来るまでの読書をしていると誰かがドアをノックした。彼女は返事をせずに、きいときしむドアを開いた。そこにいたのは予想通りイリヤだった。

「最近夜更かししてるけど眠くないの?」

「眠い……」

 そう言ってイリヤは、たいそう眠たそうに寝ぼけ眼をこすってみせた。

「はあ。てか最近本ばっか読んでるでしょ。何読んでんの?」

「あ、植物の本……」

 相変わらず人の役に立とうと一人であくせくしているのだろうとマオマオは考えた。もっとも、イリヤが表舞台に出てくることは今のところ皆無と言ってよかった。

「村の医者が手ぇつけられないって言ってるものを治そうだなんて無茶だよ。やめた方がいいって。自分が病気になって死んだら本末転倒だし」

「ま、まあそうだけど……」

「それで? 今日は何しにここに来たの?」

「あ、うん、もう読める本は見てみたんだけど、お医者さまに聞いたら全部試したって言うから。残ってるのが一冊だけあるんだけど、読めなくて……」

「読めない?」

 イリヤは片手に抱えていた本を差し出した。見ると、大判ハードカバーの風化しつつあるた古書だった。

「それがなんで読めないの?」

 イリヤは彼女に目配せした。促されるようにマオマオは本を両手で受け取って、ゆっくりと古ぼけたページを繰った。そこに書かれていたのは陽の国の文字だった。

「ボクじゃさっぱりわからないけど、マオマオなら読めるかと思って……」

 言われて、彼女は両手で抱えたその本に目を落としながらきびすを返して机へ向かった。ろうそくの明かりに照らして文章を目で追った。彼女は無意識に左手を口元に添え、横書きのその文字列を指先でなぞり始めた。

「陽の国の本なんて」

 めずらしくか細い声に、イリヤはどぎまぎしながら体を硬直させた。しかしそれは続いたセリフでゆるんだ。

「私じゃなきゃ読めるはずない……っ!」

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