(4)
休日の朝、深いため息をこぼしてしまったチュリブに、支度を手伝っていた侍女のプレヌが首をかしげた。
「お嬢様、どこかお体の具合が悪いのですか?」
「違うわ。気が乗らないだけ」
チュリブの髪をとき終わったプレヌが、後ろ髪を一部分だけ編んでリボンを結ぶ。
「新作ドレスの試着の前に、デルフィーニーのおじ様とお食事をするの」
トープの父親であるヘイズル・デルフィーニーと叔父のマンティスは商売上の付き合いがあり、たまに会食しているが、これまでチュリブが同席したことはなかった。それが今回、人見知りでおとなしい娘がいるので、ぜひ友達になってほしいとデルフィーニー氏に懇願されたという。チュリブと同い年の息子がいることを知っていたマンティスは最初渋ったが、トープは留守番させると聞き、それならばと許可したのだ。
あの男の娘ならチュリブの引き立て役にしかならないと叔父は高をくくっている。だがチュリブはそもそもトープの妹と仲良くしたいとは思っていないので、憂鬱でしかない。
本当は、叔父との外出も避けて一人でゆっくり過ごしたかった。
おしゃれは好きだけれど、叔父好みの服ばかり着るのは楽しくない。
試着したときのなめるような視線にさらされるのも――。
「ねえ、プレヌ。一緒に来てくれない?」
叔父に引き取られたときから自分付きとなったプレヌは、この屋敷の中では気安く話せるほうだ。
「叔父様には私から言っておくから」
「お嬢様がそうおっしゃるなら」
承知するプレヌが嬉しそうに見えるのは、自分の付き添いに選ばれたからだけではないだろう。
傍目には見目のいい独身男性に映る叔父は、道を歩けばふり返られることが多い。また、柔らかな声音にうっとり聞きほれる女性も少なくない。このプレヌも叔父にあこがれているようで、いつも叔父のことをほめている。
自分も両親を一度に失くして途方に暮れていたときは、叔父の存在がとても心強かったのだ。父の弟である叔父は、双子と間違えられるほど父に顔立ちが似ていたから。
もしそのまま頼りがいのある庇護者でいてくれれば、どこへ出かけようと喜んでついていったのに。
「はい、準備ができました。旦那様がお待ちですから急ぎましょうか」
チュリブの全身を確認し、プレヌがうながす。叔父に対する気持ちだけは誰にも打ち明けられない苦しさを飲み込み、チュリブはにこりと笑って階下へ向かった。
待ち合わせ場所でチュリブは呆然とし、それから隣に立つ叔父の横顔をそっと見上げた。
マンティスは明らかに怒っていた。さんざん罵倒して「帰る」と口にしてくれればいいと期待するチュリブの前で、ヘイズル・デルフィーニーはにやけながら釈明した。
「いやあ、申し訳ない。今朝になって娘が体調を崩しましてな。バタバタしていたら連絡の時間が過ぎてしまい、せっかく予約した席を一つ空けるのもどうかと思っていたところ、お嬢さんを退屈させては気の毒だから僭越ながら自分がお相手をと息子が申しまして」
図々しさは血筋だろうか。トープは親とよく似た顔と体つきで、同じように気持ち悪い笑みを浮かべている。
「プレヌを連れてきたので大丈夫だったんですが、お気づかいありがとうございます、デルフィーニーのおじ様」
トープではなくあえて父親のほうにチュリブが微笑とともに礼を言うと、ヘイズルがでれて鼻の穴を広げた。
「どうかヘイズルおじ様と呼んでおくれ。それにしてもなんて可愛らしいお嬢さんだ」
「義姉に似ましたので」
まだ怒りをにじませながらそっけなく答えたマンティスは、わざとらしくチュリブの肩に手を回して引き寄せた。
「そうですか、義姉君はたいそうお美しい方だったんですな。しかしあなたのご容姿から察するに、兄君も相当……」
「ヘイズル、すまないが私たちはこの後に用事があってね」
「おお、それではあまり時間をむだにできませんな。さあ、チュリブ」
「チュリブ、お前の席はここだよ」
息子を差し置いて自らチュリブを席に導こうとしたヘイズルをさえぎり、マンティスが先にチュリブを座らせる。呆気にとられた様子でいたヘイズルはぎこちなく笑って、トープをチュリブの正面に着席させた。
それからはひたすら忍耐の時間となった。ヘイズルは次の市長選に立候補するつもりのようで、自分が市長になったらどれだけすごいことをやってのけるかという夢を延々と語り、現在のケーティ市長をとにかくこき下ろした。トープもまた同様に教養学科生の中でいかに自分が皆から頼りにされているか熱弁を振るい、マンティスとチュリブがともに微笑と相槌のみの静かな対応であることなど気づいていない。いや、もしかしたらわかっていてなおさら関心を引こうと必死になっているのかもしれないが。
無理やり愛想よくするせいで頬のあたりが痙攣しはじめた頃、チュリブはようやく自分の食事を終えてマンティスに声をかけた。
「叔父様、行きたいところがあるので、プレヌを連れてちょと失礼してもかまわないかしら?」
「ああ、いいよ」
「それならトープを付き添わせよう。人通りの多い街中とはいえ、チュリブのように可愛らしい子は誰に狙われるかわからない」
マンティスの返事にかぶせるように、ヘイズルが提案する。トープもそのつもりで席を立とうとしたのをチュリブはとめた。
「ごめんなさい、デルフィーニーのおじ様、これから行くのは女性しか入れないお店なんです」
「そうなのか。しかし外で待たせておけば――」
「あのお店の外で待つ男性は周囲からおかしな目で見られますが」
大嘘だったが、トープもさすがに嫌な顔をした。
「君が娘を連れてくると言っていたから、チュリブは一緒に行く予定にしていたんだよ。非常に残念だね」
チュリブの言い逃れだと察したらしい叔父が、話をあわせてくれたうえにちくりと嫌味を飛ばす。
デルフィーニー親子のがっかりした顔を横目に、チュリブは一時間ほどで戻る約束をしてその場を抜け出した。
プレヌを従え、特に目的もなく歩いていたチュリブは、脇を通り過ぎた若い女の子たちがはしゃぎながら駆け込んでいく店を見つけた。
周りに男性はいない。まさにチュリブが口にした適当な話がそのまま現実になったかのような店だった。
窓はすりガラスになっていて、中の様子はわからない。でも同年代の少女のうきうきしたさまから想像するに、妙な店ではないだろうと踏んで、思い切って扉を開けた。
入ってすぐ視界いっぱいに映ったのは、たくさんの占いやまじないの道具だった。しかし神法士が本格的に扱うようなものではなく、術力がない人でも気軽に作れそうな感じだ。
どれを試してみたとか、これは当たったとか、あちこちから届く会話を耳にしながら店内を見回したチュリブは、手作りの人形が置かれている場所に心ひかれて近づいた。
説明書きには、想い人に似せた人形を枕の下に入れて眠ると、夢で逢うことができるとあった。誰にも見つからずに十日間を過ごせば相手をふり向かせられるらしい。
特定の人を呪うという危険なものでもないし、これくらいなら遊び気分でできそうだ。効果のほどは知らないが、効くかもしれないと期待するだけでも楽しめる。
「お嬢様、好きな方がいらっしゃるんですか?」
人形作りの一式を手に取ったチュリブに、プレヌが興味深そうに尋ねる。
「叔父様には内緒にしてね。見つかったら困るから。プレヌももちろん十日間、私の枕を触らないでちょうだい」
「承知いたしました」
二人だけの秘密を共有するのが嬉しいのか、プレヌがにこやかに応じる。チュリブは狐色の紐と小さな青い玉も購入し、店を出た。
ちょうどいい時間になったのでマンティスのもとへ帰ると、待ちかねていたとばかりにトープが話しかけてきた。息つく暇もないほどしゃべり続けるトープにチュリブが辟易したところで、マンティスが「そろそろ」と会食の終わりを告げた。
ほっとしてすぐさま腰を浮かしたチュリブは、馬車へ向かう間もトープにへばりつかれたが、店の外でふと見えた同期生の姿にはっとした。
「レオン!」
叔父がそばにいるのも忘れて思わず大声で手を振ってしまったが、おかげでレオンも気づいたようだ。
「こんなところで会うなんて。ルテウスと一緒に買い物?」
今日もひらひらした甘い服で駆け寄るチュリブに、レオンがかすかに眉をひそめる。
「ここの本屋にしかないものがあるってルテウスが言うから。チュリブは……トープとお出かけ?」
レオンの視線がチュリブの後方へそそがれる。トープはマンティスとヘイズルのそばに立ち、レオンをにらみつけていた。
「叔父様とトープのお父様、仕事で付き合いがあって……本当はトープの妹が来るって言ってたんだけど」
好きで行動をともにしているわけではないというチュリブの言い訳も興味がないのか、「じゃあ、僕たちは行くから」とレオンはさっさとルテウスを連れて去っていった。
そっけない態度に傷つきながら、それでもレオンを見送るチュリブを叔父が呼んだ。
「誰だい?」
「炎の法専攻一回生代表のレオンと、大地の法専攻一回生代表のルテウスよ。そこの本屋さんに来ていたみたい。二人ともすごく優秀なの」
チュリブのほめ言葉に、トープが鼻を鳴らした。
「どこが? 自分たちは別格なんだっていつも人を見下してる、傲慢で嫌味な奴らじゃないか」
それはトープのほうでしょとのどまで出かかったのをかろうじて飲み込むチュリブの前で、トープは二人の悪口をせっせとマンティスに吹き込んでいる。
「同じ専攻生なのに、彼はあまりお前に関心がないみたいだね」
チュリブと話すレオンの様子を見ていたのか、トープの話を聞きながらマンティスがチュリブを見やる。
「そうなんですよ。こんなに可愛いチュリブにあんな冷たい対応をするなんてひどいですよね」
うるさいから黙っててとトープに言いたかったが、チュリブはこらえた。へたに反論して叔父の注意をひいてはまずいという気がしたのだ。
「叔父様、早く行きましょう。新しいドレスが見たいわ」
チュリブがそっとマンティスの袖を引くと、ヘイズルがにやけた。
「ほう、新作ですか。きっとよく似合うでしょうなあ。我々もぜひ拝見……」
まだついてこようとしたデルフィーニー親子を視線で黙らせたマンティスが、「では私たちはこれで」と完全に切り上げた。
夜、チュリブは自室で一人、人形作りに没頭した。叔父は帰宅するなり秘書に何やら指示を出して部屋に籠っているので、いきなり訪ねてくることはないだろう。
チュリブがドレスの試着をしている間も、マンティスは少し不機嫌な容相だった。馬車での移動中、デルフィーニー親子についてぼやいていたので、レオンのことはさして気にとまらなかったようだ。
もしまた会食があっても、トープが来ることは二度とないに違いない。マンティスが絶対に許さないはずだから。
叔父は自分が年の近い男の子と親しくなるのを嫌っている。結婚どころか交際の可能性さえなくても、自分に近づこうとする少年を遠ざけてしまうのだ。
両親を失って悲嘆に暮れていた自分をなぐさめてくれた、あの家庭教師も……。
「――できた」
最後に二つの青い目を縫い付け、チュリブは針と糸を置いた。人形を持ち上げ、出来栄えに満足する。
料理はしないので得意ではないが、裁縫はそれなりにしている。頑張って似せてみた人形は、必要以上に仲良くしてくれない炎の法専攻一回生代表だと誰が見てもすぐわかると思う。
枕の下に隠しておくのは十日間だから、たぶんやり過ごせる。叔父はこれまでチュリブを招くことはあっても、まだこの部屋に押し入って来たことはない。それでも念のため、十日間は自分から叔父のもとへ出向いておいたほうがいいかもしれない。
叔父やトープが言うように、レオンは自分に関心がない。というよりむしろ、嫌っているかもしれない。
リリーやセピアたちに向ける笑顔は本物で、自分の前で見せるような作り笑いではないのがうらやましかった。
チュリブは机の引き出しを開け、布でくるんでいた腕輪を取り出した。水の紋章石がついた腕輪は、家庭教師だった神法学院の水の法専攻生がくれたものだ。
水の法は癒しの法だから、きっとチュリブを助けてくれるよと言っていた。彼とおそろいの腕輪を、自分は今もまだ手元に置いている。
神法学科生になれば、またどこかで会えるかもしれない。そう思ってゲミノールム学院に入学したら、彼とよく似た同期生がいたのだ。
他人の空似だということは、初めてレオンと会話した日に確認している。残念だったけれど、そのぶんレオンと親しくなりたいと思っていたのに。
他の男の子はちょっと甘えればかまってくれる。でも、レオンはすり寄ればすり寄るほど逃げていってしまう。
「……ハブロ先生の人形にすればよかったかな」
彼ならレオンのようにそっけない態度はとらないだろう。同じ夢の中で逢うなら、優しい人のほうがいいはずなのに、あのときとっさに頭に浮かんだのはレオンだった。
レオンはきっと助けてくれない。自分のために奮戦するとは思えないし、そもそも自分と同じ子供だから、そんな力はない。
頼るなら、新しく来たホーラー教官にするべきだ。
それでも――叔父から逃げるために手を差しのべてくれるのがレオンだったら……
嬉しい、とチュリブは人形を抱きしめた。