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(3)

 翌日は風の法一回生全員で授業の準備をするため、リリーは先に一人で登校した。

 父が珍しく渋ったため母の髪型をまねするのはやめて、編んだ髪を束ねて髪留めでとめたのだが、途中で会ったソールはリリーのすっきりしたうなじ周りを一瞥してから、目をそらした。

「もうすぐ武闘学科一回生の野外研修だね。班分けはくじ引きで決めるって聞いたけど」

「……ああ、まあ」

「神法学科生の野外研修は二回生からだから、ちょっとうらやましいな。ソールとオルトとフォルマがいない二日間は寂しくなりそう」

 返事がない。いぶかしんだリリーが横目にとらえたソールは、頬がどことなくこわばっている気がした。

「ソール……怒ってる?」

「いや、別に」

 ソールがちらりとリリーを見て、また顔をそらす。

「……お前、この時期はずっとその髪型で過ごすのか?」

「変かな?」

 もしかして似合っていないのだろうか。反応の悪さにしょんぼりしたリリーに、しばしの沈黙後、ソールがぼそりと答えた。

「俺は昨日のよりはそっちのほうが……」

 好きだが、と言ってから、ソールは目を伏せてため息をついた。

 そのとき後ろから「リリー、おはようっ」とキルクルスに飛びつかれた。

「ちょっと、キル!」

 そうやってすぐ抱きつくのはやめてよね、とリリーが怒ると、キルクルスはくすくす笑って手を離した。 

「えー、だってリリー、昨日からきれいな首筋を見せてるから、ついくっつきたくなるんだよね。汗ばんでるのがまたいいよね」

 キルクルスの指がつうっとリリーのうなじをたどる。「ひゃっ」と首をすくめたリリーに、キルクルスはにんまりした。

「ソールだって目のやり場に困るって顔してるよ」

 まさかと思ってリリーがソールをふり返ると、ソールはこぶしで口元を隠しながら完全によそを向いていた。その耳が見事に色づいている。

 態度のおかしかった理由がわかり、リリーも真っ赤になった。

「実はソールも触りたいって思ってるでしょ?」

「そんなわけあるか! お前と一緒にするなっ」

 キルクルスに怒鳴ったソールが、気まずそうにリリーを見てから去っていく。ぼうっと見送ったリリーは、やっぱり親子だなと、くすりと笑った。

 照れ隠しで言う言葉が、昨日のドムス教官とそっくりだった。



 昼食時、弁当を持ち寄って中庭に集まったところで、リリーたちはすぐさま法衣を脱いで椅子の背もたれにかけた。周囲の神法学科生たちも同じようにしている。

「オルト、これ取っていい?」

「だめだ」

「だって、これじゃ意味がないよ」

 リリーは首にかけている布をつまんだ。暑いから髪をまとめ上げたのに、一限目が終わるなり駆けつけたオルトが無理やり布を首にかけていったのだ。絶対に外すなと言われたが、熱気がこもって息苦しい。

「僕たちの誰かがそばにいるときくらいはいいんじゃない?」

 リリー、顔が赤くて倒れそうだよと言いながら、噴水池で濡らしてきた布をレオンがリリーに渡す。

「はい。あそこの水、この時期でも冷たいみたいだから」

「ありがとう、レオン」

 リリーが喜んでレオンの布で首周りを濡らすのを見て、オルトが眉をひそめた。

「暑さに耐性のある君にはわからないかもしれないけど、無理をさせると本当に体を壊すよ」

 同じように濡らしたもう一枚の布を首に巻きながら、レオンがオルトに非難のまなざしを送る。

「まあ、男子の視線がリリーに向いてるのは確かなんだけど」

 セピアのように元々髪をくくっていれば、そこまで注目されなかったのにね、とフォルマも苦笑する。ルテウスが水筒に口をつけながら、リリーを見やった。

「今だけだろう。一日二日もすれば、別に珍しくなくなる」

「……やっぱり髪を切ろうかな。フォルマくらい短いと涼しそうだよね」

 ぼやいたリリーに、みんなが反対した。

「そこまでのばしてるのに、もったいないよ。短いのも似合うだろうけど、リリーは長いほうが絶対にいいと思う」

 セピアの言葉に仲間たちがうなずく。リリーはぐったりと机に突っ伏した。

「でも、暑くて死にそうだよ」

「そもそも法衣が暑いんだよね」とレオンも愚痴をこぼす。

「もういっそのこと、法衣の下は素っ裸でいいんじゃない?」

 七人の輪に入ってきたキルクルスがにこりと笑った。

「お前、何を言ってるんだ!?」

 オルトが弁当をひっくり返す勢いで円卓をたたく。その隣では、ソールがうつむいて片手で顔を覆っていた。

「別にリリーだけ裸になれだなんて言わないよ。神法学科生みんなでやれば怖くないでしょ」

「いや、怖い。想像するだけで怖い」

 どこの変態集団だとルテウスが渋面する。

「まあいいや。リリー、口を開けて」

 キルクルスに言われたとおりにしたリリーは、口の中に放り込まれたものをもごもごさせ、目をみはった。

「冷たくて気持ちいいでしょ」

「うん」

「氷飴っていうんだ。昨日エスキーが送ってきてくれた。向こうよりこっちのほうが暑いだろうからって」

 本当に氷でできているわけではないようだが、なめていると不思議と体中のほてりが鎮まってきた。しかもおいしい。

「レオンにもあげるよ。はい、あーん」

 あーん、と口を開けたレオンにも氷飴をやってから、キルクルスはそのままレオンとリリーの間に座った。

「うわ、本当にひんやりしてきた。すごいな」

 口の中で飴を行ったり来たりさせながら、レオンも感嘆の息をつく。

「食べすぎると体温が下がりすぎちゃうから、一日に一回くらいでちょうどいいんだ。必要ならもっと送ってもらうように頼んでおこうか?」

「それはすごく助かるけど、僕の病気のこと話したっけ?」

「うん、ヘルツクロブフェン病でしょ。しかも暑さに弱い」

 次は君かもね、とレオンに対してつぶやくキルクルスに、全員が首をかしげた。

「何が僕なの?」

 尋ねるレオンに微笑して、キルクルスは七人を見回した。

「最初はリリー、次がルテウス、その次はセピア。みんな、ここにいる仲間に支えられながら、何か困難なことを乗り越えてきた。違う?」

 つい先日紫色の玉が手に入ったセピアだけでなく、他の六人も目をみはる。

「虹の森」

 キルクルスの短い返答に、リリーたちははっとした。

「まだ『虹の捜索隊』なんていうクソみたいな冒険集団を神法院がせっせと管理していた頃は、『冒険者の集い』がその審査となっていたんだよね。今は純粋に冒険を楽しみたい子供たちのための行事として、正常に機能しているけど」

 キルクルスが椅子の背もたれに寄りかかる。当時の神法院がかかげていた方針を馬鹿にするような冷笑に、リリーはほんの少しぞくりとした。今まで見たことがない表情だったのだ。そのとき、ルテウスがある言葉を暗唱した。


   七つの星がひらく道

   先に見えるは虹の森

   宝の欠けることなかれ

   宝の欠けることなかれ


「まさかこの玉が、虹の森に通じる宝だというのか?」

 ルテウスの確認に、キルクルスは目を細めた。

「そうとも言うし、そうでないとも言う。玉は鍵でしかないからね」

「つまり僕たちは、虹の森につながる道を進んでいってるってこと?」

「そう。今のところは順調といっていいと思う。ただやっかいなことにね、それを妨害しようとしている者たちがいる」

 レオンの問いにキルクルスが答え、ルテウスが眉根を寄せた。

「また欲の深いおっさんたちが何か画策してるってのか?」

「今回はおっさんだけじゃないよ。老若男女勢ぞろいだ。だから、君たちには十分気をつけてもらいたいんだ」

「なんで俺たちが狙われるんだ? 虹の森を目指している連中は他にもいるだろうに」

 納得がいかないという顔つきのオルトへ向けた視線をリリーへ移し、キルクルスは言った。

「彼らの目的がリリーだからだよ」

 大きな寒気に襲われた。目を見開いたままかたまるリリーに、六人も息をのんで注目する。

「入学して早々に大地の法担当教官に襲われたのは、偶然じゃない。リリーを手に入れるために、彼らは準備していたんだよ」

「どうしてリリーなの?」

 蒼白したセピアが尋ねる。キルクルスはリリーをじっと見つめたまま説明した。

「彼らは、奪われた『アペイロンの心臓』の代わりが欲しいんだ。リリーは暗黒神との絆ができているうえに、人間としては暗黒神の力を十分に満たせるほど器が大きい。まさに代替品として最適なんだよ」

 吐き気がした。うつむいて震えるリリーの背中をさするように、キルクルスがそっと手を置いた。

「怖がらせてごめん。でも、一度きちんと話しておかないと、心構えも何もできないから」

「キルは……本当に私たちの味方なの?」

 セピアの疑問には、この場にいる全員の気持ちがこもっていた。

「……そうだね。僕たちは彼らとは相いれない。少なくともこの件においては、僕はリリーを守る立場にいる。君たちが虹の森にたどり着くのを見守るために来たと思ってくれていい」

 ほっとみんなが肩の力を抜いた。背中に当てられた手のぬくもりに安心して、すがるようにキルクルスを見たリリーに、キルクルスがにっこりした。

「だから、僕がリリーにべたべた引っ付いても文句言わないでほしいな」

 ぐいっと肩を抱かれる。頬と頬をぴったりあわせてきたキルクルスに、リリーは悲鳴を飲み込み、オルトが怒った。

「それとこれとは話が別だ!」

「ついでに言うと、この布邪魔なんだよね。せっかくの目の保養が台無しじゃないか」

 リリーが首にかけていたオルトの布を、キルクルスがぽいっと放り捨てる。

「勝手に捨てるな、馬鹿野郎!」

 ついにオルトが席を立ってキルクルスにつかみかかった。それをリリーとレオンがとめに入り、ルテウスたちはあきれ顔でその様子を眺めている。

「お前、席を換われ。向こうに座れ」

 オルトが今まで自分が座っていた席を指さす。この場から追い払わなかっただけ、オルトにしてはかなりの譲歩だ。

「はいはい、しょうがないなあ」と肩をすくめてキルクルスが立ち上がった。その際、「……二か所か? ばらけて行動してるのか」とキルクルスがつぶやくのを聞き、リリーはとっさに周辺を見回そうとして、キルクルスに両手で顔をはさまれた。

「よそ見はだめだよ、リリー。今は僕だけ見てて」 

 きれいな顔が間近に迫り、ドキリとする。内緒だとばかりに人差し指をリリーの唇に押し当てて微笑み、キルクルスはおとなしく席を移動した。



 日付が変わろうとする時分、カロ市でもサルムの森にほど近いオスクーロの町にある大きな館に、途切れ途切れに馬車が到着した。貴族や金満家による会員制の娯楽場であり、入り口で許可証を提示する入場者は皆、仮面をつけている。

 興行の内容は日によって異なり、主催者もまた都度変わる。ごくごく普通の見世物もあるが、月に一度おこなわれる今日の催しは、数年前から特に人気を博していた。

 ただし参加者はかなり厳選されている。噂を聞いても誰に仲介を頼めばいいかはっきりしないのだ。そんな、一番熱狂的で一番秘匿されている『賭け事』に今日選ばれたのは、一人の少年だった。

 中央に設置された広い舞台は頑丈な檻で囲われ、その周囲をぐるりと客席が取り巻いている。

 すでに着席している観客たちが静かに見守る中、剣一本だけを手に舞台に押し出された暗赤色の髪の少年は、何が行われるかも知らずただ震えていた。

 まもなく、別の扉から現れたものに見物客がどよめいた。

「今夜は()()か。さすがに勝ち目がないだろう」

「そうだな。前回は多少腕に覚えがありそうな子だったが、かなわなかったからな」

「今日の()()()は彼自身だったな。ずいぶん残酷なまねをする」

「私の大事なものに手を出そうとしたからですよ」

 会話に加わった男に、客たちはくつくつと笑った。

「しかし相手が()()では、始める前から勝敗は見えている。面白くないよ」

「せめて見目がよければ同情もわくが、どこにでもいるみっともない子だ」 

 やれやれと首を横に振る観客の前で、少年は剣を手に檻に背中を張り付け、わあわあと泣き叫んでいる。

 両者が舞台に登場した時点で『賭け事』は始まっているのだが、やはり明らかに結果が予想できるせいか、真剣になりゆきを気にしている者はいないようだ。

「嫌だああっ! 助けて! お願いだから、誰かっ!」

 少年が檻の外にいる大人たちに懇願するが、誰一人加勢しようとはしない。その間にゆっくりと接近した獣がついに牙をむいた。

 もともと凶暴な性質だったのだろう、獣は初めてこの舞台に立ったときから常に獲物を仕留めてきた。繰り返される薬の投与で肥大した体躯は、もはや犬とは呼べないほどにまで成長している。

 まず左足が食いちぎられた。次いで右腕。

 せめて一突きでも試みるだけの気概を見せてくれればよいものを、少年は首をかみ砕かれるまで泣いて逃れようとするばかりだった。

 引き出された内臓が動きをとめる。辺り一面を血の海に変えながら、獣は少年を貪った。この時間は自分の食事を邪魔されないとわかっているのか、咀嚼するその顔は満足げだ。

「興ざめさせて申し訳ない。次回はとびきりかわいい子を用意しておきますよ」

「楽しみにしておくよ」

 すべてきれいに平らげた獣が毛づくろいを始めるのを尻目に、客たちは腰を上げた。


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