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(1)

 目指す部屋のほうから助命を哀願する泣き声が聞こえ、チュリブは足をとめた。角からそっと廊下の先をのぞくと、暗赤色の髪の少年がいかつい男二人に両腕をつかまれて引きずられていくところだった。

 たしか先日孤児院から下働きとして引き取られたばかりの、年が近い少年だ。初日のあいさつの際にちょっと自分が微笑んだだけで赤面し、それからは廊下でよく出会うようになった。彼がわざと自分の通る場所で仕事をしていたことに気づいてはいたが、不必要に話すことは避けていたのに、いったいどんな不興を買ったのだろう。

 彼が連行されていく方向には、地下牢があると聞いている。数日間の仕置きだけで済めばましなほうだ。チュリブは小さくため息を漏らすと、目的の部屋の扉をたたいた。

 応答があったのでゆっくり扉を開く。大机の前に腰を下ろしていた亜麻色の髪の男性がにこりとした。

「お呼びですか、叔父様」

「うん、おいで」

 断ることは許されない。チュリブはできるかぎり口角を上げて近づいた。

 すぐさま抱き上げられて膝の上に座らされる。

「新作のドレスの見本ができたそうだよ。ぜひお前に試着してほしいと連絡が来た」

「まあ、それは楽しみだわ」

「次の休みにさっそく行こう。ついでに靴下も新調しないと」

「この前買ったばかりなのに?」

「あれはだめだよ。下賤な者に(けが)されてしまった」

「……もしかして、さっきの……」

 言葉をにごすチュリブに、叔父は端正な顔をゆがませた。

「見ていたのか。あの者は、洗濯されたお前の靴下を盗もうとしたんだ」

 叔父の指が太腿を這う。チュリブはびくりと身を縮めた。

「お前の使っているものをこっそり手に入れようとするなんて、気持ち悪いだろう。まったく、本当に不愉快だ」

 低く吐き捨てながら叔父がチュリブの体をなでまわす。その手が背後から服の中に忍び込み、前へと滑ってきた。

「近頃ようやく胸乳がふくらんできたね」

 親指で胸の頂をさっとかすめられ、チュリブがいっそうこわばると、叔父が小さく笑った。

「いい子だ。そろそろ少しずつ慣らしていこうか」

 大丈夫、遺言には抵触しない範囲でとめておくからねと、チュリブの額に音を立てて叔父が口づける。チュリブは叔父に抱き着き、感情がこぼれそうになった顔を隠した。


 大人になんてなりたくない。

 誰か、救い出してほしい。

 傍目にはわからない、裕福で満たされた仮面の下にある、この牢獄から――。  



 朝、レオンは生徒用玄関に立って登校してくる生徒の波を眺めていた。約束の時間はとうに過ぎているのに、待ち人はいっこうに現れない。

「レオン、おはよう」

「おはよう。チュリブを見なかった?」

 やってきたセピアとリリーとオルトに尋ねると、三人は顔を見合わせた。

「あー、チュリブなら向こうでトープに捕まってるよ」 

 セピアの返答に「えっ」とレオンは目をみはった。

「トープってば、リリーに振られてしばらくおとなしかったのに、今度はチュリブを追い回すようになったみたい」 

 まあ、チュリブなら上手に逃げると思うけどね、とセピアが言ったとき、チュリブとトープの姿が見えた。

 とても『上手に』とは感じられないほど、チュリブは必死の形相で駆けている。そしてトープは朝から告白でもするつもりだったのか、いつもより着飾った服装で花束もにぎっている。

 周りの生徒たちは面白がっているのか、それとも関わりたくないのか、誰もとめようとしない。普段チュリブの気を引こうと張り切っている炎の法専攻一回生の男子たちですら傍観している。

 今日もびらびらした格好なので、チュリブはとても走りにくそうだ。何度か転びかけながらも立ちどまろうとしないのは、本当にトープが嫌なのだろう。

 どういう流れでトープに執着されることになったのかは知らないが、甘えた声で無節操に愛想を振りまくからだとレオンはあきれた。

 本当なら自分も無視したいところだが、残念ながら用事がある。

「はあ……まったく、面倒臭いな」

 狐色の髪をくしゃりとかきなでつつ嘆息し、レオンは踏み出した。

「チュリブ! 新しい先生にあいさつに行くから、急いでっ」

 レオンの呼びかけに、いましもトープに捕獲されかけていたチュリブがぱっと笑顔になった。断るいい口実ができたとばかりにトープに何か話し、レオンのほうへ一目散に向かってくる。

「おはよう、レオン!」

 チュリブは息切れを起こしていたが、レオンはそのまま中央棟へ歩きだした。へたに休憩していると、追いついたトープに抗議される恐れがある。

「呼んでくれてありがとう。本当に困ってたの」

「あの様子じゃ、一時しのぎにしかならないんじゃない?」

 後ろをかえりみてトープがあきらめたのを確認してから、レオンは歩く速度を緩めた。

「そうよね。どうしたらいい? 私はレオンがそばにいてくれたら心強いんだけど」

 チュリブお得意のおねだりが飛んできたが、レオンはすげなく答えた。

「武闘学科生ならまだしも、僕にはトープをとめる腕力はないよ。炎の法は使えないし」

 学院内では、自分の専攻で他専攻の生徒を攻撃してはいけない決まりがある。過去に退学になった生徒もいるのだ。

 自分には常套手段が通じないとそろそろわかってくれてもいい頃だが、チュリブはふふっと笑った。

「筋肉ムキムキのレオンも頼りになりそうだけど、私は今のレオンが好きだなあ」

 レオンは内心でため息をついた。こういうことを言われてその気になっても、決して男子側のせいではないと思う。

 もしかしたら自分に好意を寄せているのかもと期待して、その他大勢と同じ扱いだと気づいて落ち込んでから、今度は何とか一番になろうと競い合う同期生たちはそろって口にするのだ。あざといとわかっていても可愛いのだと。

 まもなく炎の法担当教官の教官室が見えてきた。ちょうど部屋から出てきたのは二回生の代表と副代表だ。どうやら自分たちが最後のようだ。

 オルトやセピアの両親とは同期生だというので、どんな教官かはある程度聞いている。教官職からは一番無縁に思われた人物の着任に、二人の両親はひどく驚いていたらしい。

 一回生のくせに上級生より来るのが遅いと嫌味を言われなければいいが。緊張しながらレオンが扉をたたこうとしたところで、先に開かれた。

「おっ……と。何だ? ああ、一回生の代表か?」

 来る気がないのかと思ったぞと、相手がにやりと笑う。見るからに素行の悪そうな顔つきに、チュリブが怯えたさまで一歩あとずさった。

「一回生代表のレオン・イクトゥスと、副代表のチュリブ・フルールです。遅くなってすみません」

 レオンがお辞儀をするのにあわせ、チュリブも慌てて頭を下げる。新任の教官が「ああ、よろしくな」と二人の頭をポンとたたいた。

「一限目は一回生の演習だな。行くぞ」

 意外とあっさり終わった顔合わせに、レオンはほっと肩の力を抜いた。見た目ほど怖い先生ではないのかもしれない。

「ホーラー先生は警兵だったと聞いたんですが」

 レオンの言葉に、なぜかチュリブが先にはっと反応した。

「よく知ってるな。法術部に所属していたんだが、急だったから代員の選定がすぐできないとかで俺のところに話がきたんだ」

 俺もこの学院の出身だから、とホーラー教官が答えたところで、風の法担当のニトル・ロードン教官がやってきた。

「おはよう、レクシス。これから初授業?」

「ああ。ヒドリ―先生が年間計画を細かく記してくれていたおかげで、俺でも何とかなりそうだ」

 正式な後任が決まるまでのつなぎなら大丈夫だろうと言う教官に、レオンは首をかしげた。

「先生たち、昔からの知り合いですか?」

 たしか学年が二つ違うはずだが、ずいぶんくだけた雰囲気だ。

「俺とニトルは同じ冒険集団にいたんだ」

 明かされた新情報にレオンは目を丸くした。童顔で若く見えるロードン教官と、警兵というよりむしろ犯罪者寄りの目つきのレクシス・ホーラー教官が一緒に冒険していたとは。

 炎の法担当のモーブ・ヒドリ―教官が自分の教官室で倒れていたのを発見されたのは七日前だ。そばにはひっくり返ってこぼれた茶があったので、最初は毒殺でもされたのかと大騒ぎになったが、調査の結果、単に休憩するつもりで茶を持って歩いていたときに転んだらしいという結論にいたった。ただ打ち所が悪かったのか、意識が朦朧とした状態が今もなお続いており、まだ安心はできない。

 そのとき、赤朽葉色の髪の警兵がこちらへ近づいてくるのが見えた。やはりぴくりと肩を揺らすチュリブを一瞥してから、ホーラー教官が片手を挙げた。

「よう、マルク」

「おはようございます、レクシスさん。頼まれていた私物を持ってきました」

「悪いな。教官室の俺の机の上にでも置いといてくれ。鍵は開いてるから」

「はい」とうなずいてから、マルクと呼ばれた警兵がレオンとチュリブに視線を向けた。

「おはようございます」と軽く会釈するレオンを、「一回生代表のレオン・イクトゥスと副代表のチュリブ・フルールだ」とホーラー教官が紹介する。

「……ヒドリ―先生、代表と副代表を見た目で決めたわけじゃないですよね?」

「さあ、どうだろうな。あの先生、面食いだから」

 首を傾けるマルクに、ホーラー教官がくくっと笑う。

「というか、女の子が何かすごくこわばってませんか? まさかしょっぱなから脅したりなんかしてないですよね?」

「するわけないだろうが。阿呆か」

 あきれ顔で深緋色の髪をかくホーラー教官を横目に見てから、マルクが二人ににこりとした。

「大丈夫だよ。この人くらい『先生』が似合わない人もそうそういないけど、見た目や口調ほど怖くはないから」

「見た目も口調も怖くて悪かったな」

「あれ、聞こえてましたか」

 わざとらしい二人のやりとりに、レオンは吹き出しそうになった。やはり誰が見てもホーラー教官は『先生』らしくないのだ。

「じゃあ、俺はこれを置いたら帰りますね。少しでも問題を起こしたらすぐ捕まえに来ますから」

「残念だが、お前たちの期待通りにはいかないぜ。俺は模範的な仕事ぶりで任期満了を迎えるほうに賭ける」

 不敵な笑みを浮かべるホーラー教官に「()()()()教官が堂々と賭け事はまずいですよ」と返して、マルクが教官室のほうへ去っていく。それを見送ってから、ロードン教官も「僕はこっちだから」と階段のほうを指さした。

「そうそう、『炎の神が奮い立つ月』に神法学院から教官が来訪するから、そのときまだレクシスが在職していたら対応をよろしく」

 僕は久しぶりにファイさんに会えるから嬉しいなと言うロードン教官の浮かれ具合は、ルテウスといい勝負だ。

「ああ……うん? おい、待て。まさか炎の法の教官はイオタじゃないよな?」

「そのまさかだよ」

 去年は別の人が来たけど、今年は当たりだねと笑うロードン教官に、ホーラー教官は額に手を置いて天をあおいだ。

「勘弁してくれ……俺は逃げるぞ」

「親戚なのに?」

「好きで親戚になったわけじゃない」

 向こうだってそう思ってるさと、ホーラー教官がぼやく。

 恐ろしいものは向こうから避けて通りそうなホーラー教官に苦い顔をさせるとは、神法学院の炎の法担当教官はいったいどんな人だろうと、レオンは興味がわいた。



 炎の法専攻一回生は全員、法塔に集合していた。レオンやチュリブとともに入ってきたホーラー教官を見てざわつく同期生たちにレオンは注意しようとしたが、先にホーラー教官が両手を打ち鳴らして黙らせた。

 まず自分から名乗り、今度は順番に自己紹介をさせていく。一人一人の顔をじっと見つめるホーラー教官の鋭いまなざしに皆びくびくし、自然と声も小さくなったため、そのたびにホーラー教官がやり直させた。

「なんか、すごく厳しそうな先生だな」

 隣にいたドゥーダ・レベルソがひそっとレオンにささやく。レオンが答える前にホーラー教官の視線が刺さり、ドゥーダが姿勢を正した。

 まるで軍隊のような指導がこれから続くのかという重い空気が漂う中、「さて、今日は」とホーラー教官がざっと一回生を見回した。

「『大地の女神が微笑む月』にある交流戦に向けての訓練を始めることにする」

「えっ、もう?」と生徒たちに驚きが広がった。 

「ここ数年、ゲミノールムは連敗しているそうだからな。炎の法は主戦力だから、使()()()奴が一人でも多いほうがいい」

 ヒドリ―教官は理論をきっちりおさえてから実技に入っていたので、座学のほうで合格をもらえないうちは、演習の時間は見学しなければならなかった。それを、ホーラー教官は実際にやりながら覚える方法をとるつもりのようだ。

「危険じゃないですか?」

 ドゥーダと仲のいいジュワン・パレットがおずおずと手を挙げる。炎の法は攻撃が主なので、へたをすると大けがをする。

「いきなり人にぶつけろと言ってるわけじゃない。でも、相手はこちらの法術が当たるまで人形のようにじっと待っていてはくれないからな」

 ホーラー教官は法塔内に設置されている的を見やり、倉庫へ入って箱を抱えてきた。

「冒険に出たことがある奴はわかるだろうが、動いているものに命中させるのはけっこう難しいんだ」

 箱の中から大きな透明の球体を三つ出したホーラー教官が球体に貼られていた紙をはがしたとたん、三つの球は宙に浮き上がり、ゆらゆらとさまよいはじめた。

「光と熱を司りし炎の神レオニス。我は請う、我に仇なすものどもに灼熱の刃を!!」

 ホーラー教官が唱えた『剣の法』は飛んでいた三つの球すべてに当たり、吸収された。

 おおっとどよめきと拍手がわく。

「こんな感じなんだが、今日は一つだけを使う。やってみたい者はいるか?」

 同期生たちの視線が自然とレオンに集中する。普段は積極的に技を披露するドゥーダでさえ自信がないのか動かないので、気が進まないながらも仕方なくレオンは挙手した。入学して間もない頃、大地の法の教官の偽物が学院を襲った際、飛行型の魔物に炎のつぶてをたたきつけたことはあるが、あれは的が大きかったのでうまくいったにすぎない。

 それに比べれば、ホーラー教官が用意した球体は大きいほうであっても小さく感じられる。

 位置につき、飛び回る球を凝視する。初級者向けなのだろう、よく観察していると球は規則正しい動きをしていた。

 一つ深呼吸をしてから、レオンは法術を放った。

「当たった!」

 わっと歓声が上がる。しかしレオンの炎は半分がはじかれてそれた。

「惜しいな。中心に当たれば全部吸収されるんだが……でも上出来だ。本当に初めてか?」

 半月のように半分だけ赤い光を宿した球を目で追いながら、さすがは代表だとホーラー教官が口笛を吹く。周りからもすごいすごいとほめそやされるレオンを見て、ドゥーダたち男子数人が「俺も!」と出てきた。

 完璧とはいかなくてもレオンが一発で当てたので簡単だと思ったのだろうが、その後に名乗りをあげた生徒は誰一人まともに当てられなかった。何度目かの挑戦の末にドゥーダが三分の一ほど吸収するくらいまでいくようになったが、その頃にはレオンの炎はすべて中心を外さなくなっていたので、悔しがられた。

 品位が大切だという考えのヒドリ―教官はしゃべり方もしぐさも気取っていたので、授業は比較的静かにおこなわれていたが、真逆の雰囲気のホーラー教官とわいわいはしゃぎながらする実技に、生徒たちは夢中になった。ヒドリ―教官の指導方針のほうがあう慎重派の子には、ホーラー教官も無理強いせず本人のやる気に沿って実習を進めたし、頻繁に入る突っ込みや冗談のおかげで少しばかり荒い言葉づかいも気にならなくなり、授業終了時にはみんな充実した表情をしていた。

「ホーラー先生、中庭で場所取りしときますから、忘れないでくださいよ!」

 歓迎会を兼ねて今日の昼食はホーラー教官を囲んで食べるという約束をしたドゥーダたちの呼びかけに、「おう。お前らも、おかずを一こずつ差し出すのを忘れるなよ」とホーラー教官が応じる。

「賄賂だ、賄賂だ」とはやし立てながら先に法塔を出ていく同期生を横目に、レオンはチュリブとともにホーラー教官から課題についての指示を受けた。

「よし、じゃあ行っていいぞ」

「ありがとうございました」

 一礼したレオンはきびすを返そうとして、動く気配のないチュリブを見やった。

「何だ? 何か言いたいことがあるのか?」

 ホーラー教官の真紅色の双眸がチュリブをとらえる。

「……いえ、何でもないです」

 チュリブもあいさつをして、レオンと一緒に次の教室へと向かった。  

 一人でいてトープに出くわすと困るからと、チュリブはレオンと肩を並べて歩いていたが、いつになくおとなしいチュリブをレオンはいぶかしんだ。

 何か話題を振ったほうがいいだろうかと迷っている間に、チュリブがようやく言葉を発した。 

「ねえ、レオン。警兵って、どこまで子供の話を真剣に聞いてくれると思う?」

「どういう意味?」

「たとえば、親と子供の言い分が違ってたら、どっちを信じるのかなって」

「さあ……人によるとしか言えないんじゃないかな。何も情報がない場合だと見た目や地位で判断するだろうし。子供は気をひくために平気で嘘をつくと思い込んでいる大人もいるから」

「そうだよね」とチュリブが目を伏せる。

「もしかして、ホーラー先生に相談したいことでもあるの?」

「……ううん。今はいい……かな」

 言ってすぐ解決するなら、という小さな小さなつぶやきにレオンが眉をひそめたとき、チュリブが「それより」と話題を変えた。

「今日はホーラー先生の歓迎会だし、レオンも一緒に食べるよね?」

「ああ、まあ……」

 本当はキルクルスも加えた八人で食べる予定だったのだが、さすがにこの状況で代表が別行動をとるわけにはいかないので、休憩時間中に会った仲間に断りを入れておかなければ。

「ふふっ、レオンとお昼をとるの初めてだね。嬉しいなあ」

 上機嫌なチュリブに、「主役はホーラー先生だからね」とレオンは念を押した。

「わかってるよー。レオンの好きな食べ物って何? 今度作ってくるから教えて」

「いや、いいよ。というか、チュリブの家ってお金持ちじゃないの? 着ている服、いつも高そうだよね」

 弁当も使用人が作るのではと聞くレオンに、チュリブが「うん、まあ、そうなんだけど」と決まり悪そうな顔をした。

「使用人にわざわざ頼んでまで用意しなくていいから」

「じゃあ、私が作ったら食べてくれる?」

 チュリブの真摯なまなざしに、レオンは返事に詰まった。

 今までできるだけ二人きりにならないようにしていたせいか、今日のチュリブはやけに食いついてくる。しかも軽くて甘ったるい調子が今は抜けていた。

 これではまるで、チュリブが自分に本気のようだ。

「……僕、暑いのが苦手だから、たいていこの時期くらいから食欲が落ちるんだよね」

 遠回しに断ると、チュリブが赤錆色の瞳を揺らして「そっか、大変だね」とうつむいた。

 他の男子と同じやり方ではなびかないと思って戦法を変えたのか。それにしてはあまりにもしょんぼりした様子に、レオンはもやもやした。なぜこちらが罪悪感を覚えなければならないのか。

 このがっかりした態度すら、演技かもしれないのに。

 はあ、とレオンは小さく息をついた。どうもチュリブを相手にすると、ものの見方が意地の悪いほうへ流れていってしまう。疑り深くなるのだ。

 ひねくれ具合ではルテウスにひけをとらないなと、レオンは自嘲の笑みをこぼした。



 放課後、学院長室に呼ばれて入室したレクシスは、勧められた長椅子に腰を下ろした。茶を用意した学院長が目の前に座る。

「教官一日目としては上々の滑り出しといったところかね」

「まあ、悪くはないですね。ねじ込んでもらってすみません」

 渡された熱い茶に少し息を吹きかけてから、レクシスは口をつけた。

 うまい具合にと言うとヒドリ―教官に申し訳ないが、いい時に倒れてくれたというのが警庁の本音だ。学院長に頼んで、代員として潜り込ませてもらうことができたのだから。

「君のことを話しながら下校する炎の法専攻一回生たちの声が聞こえたよ。ヒドリ―先生の堅実かつ丁寧な指導もすばらしいが、実践から学ばせる君のやり方に、子供たちは魅力を感じているようだね」

 昼食時はさっそく一回生たちに囲まれていたし、すっかり君になついたようだと、学院長も茶器を手に取る。

「そう言っていただけると嬉しいです」

 こういう授業だったら面白いのにとゲミノールム在学中に考えていたものをやってみたのだが、生徒には好評で安心した。もともと炎の法専攻は勝気な性質の人間が他専攻より多い気がする。 

「ヒドリ―先生の指導案と生徒一人一人に対する細かな所見のおかげですね。先生が復帰後にまたすぐ卒倒されないように努めます」

 几帳面な教官なので、自分の知らないうちに子供たちが枠からはみ出していると発狂する恐れがある。調子に乗ってあまり方向を変えすぎないようにしなければ。

「それで、どうだね?」

「違和感はありました。どうも警兵に何かしら思うところがあるようです」

 身内がしているかもしれないことを本人も知っているのだとしたら、あの年で受けとめるのは精神的にかなりきついはずだ。そんな少女を、自分たちは潜入の足がかりにしようとしているのだ。

 正直、気が乗らない。たとえ解決したとしても、ずっと心に重い痛みが残るだろう。

 これは仕事だ――ここに来るまで何度も繰り返し唱えてきた呪いにも似た言葉を、レクシスは今もまた無理やり胸内でつぶやいた。


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