後編その1
「不作……これじゃ税も下げざるを得ないわね」
帝国との会談から三日。
領内に戻ってきたはいいが、今フィオーレの状況は余りよろしくない。
元々、農作物が不作気味ではあったがここ最近は特に酷い。
特産物である小麦はバッタに食いつくされ、気候も安定しなかった。
領民からは抗議の手紙が殺到し、私もその場しのぎの対応として税を下げようとしたのだが……
「やめてよ!! 税を下げたら私の大好きなアクセサリーとか買えなくなるじゃない!!」
「税はあなたの財布じゃないのよ……今はこうする以外には何もないし」
「ダメよ!! あ、帝国に助けを求めるのは!?」
「今ここで帝国に助けを求めたら王国は黙ってないわ……ただでさえ複雑な関係に亀裂が……」
「お姉様はいつも言い訳ばかりね!!」
「……」
言い訳なのも理解している。
だけど自分の事しか考えないあなたには言われたくない。帝国に頼ろうとしてるのも、今より裕福な暮らしをしたいならだってわかる。
単純な話じゃないのよ。分からなくていいから下がって欲しい。
「そうやって机に座って、何かをしてるつもりなのかしら?」
「私は……」
「現状維持だけで何を変えられるのかしら!? もういい、私がやりますわ」
「え、ちょっと……」
一体何をするつもりなの。
今まで自分から行動を起こした事なんてなかったのに。
……嫌な予感がする。
私は妹の後を追いかけ、屋敷を後にした。
◇
「はぁ、はぁ……どこ、に」
フィオーレはそこまで広い土地じゃないからすぐ見つかる筈。
ただ、私が運動不足なだけ。
少し走っただけでこれだ、情けない。
「どうかしら!! これなら仕事には困らないし、豊かに暮らせるわ!!」
ネメスの声がする。
声の方向には領民が多く集まっていた。
嫌な汗がじわりと流れる。
私は急いでネメスの元へと駆け寄った。
「ネメス!! 一体何を……」
「あぁ、お姉様。今から新しい計画の話をしていましたの!!」
「新しい……計画?」
「えぇ、ここに大規模な水路を作るんですの!!」
「水……路?」
何を言っているの。
妹の意図が全く分からない。
「帝国で大きな水路を見たの。だからあれをフィオーレに作ればもっともっと発展するはずよ!!」
「え……」
「みんなも豊かになるのは嬉しいわよね?」
「まぁ、今よりマシになるなら……」
「仕事があるのはありがたいしな……」
一体どうやってそんなものを作る気なのか。
技術者は? お金は? 道具や設備は?
無から物は生み出せない。
必要なものが何もかも足りてないのに。
そもそも、ローエン家には既に借金がある。
「必要なものは全てお姉様が用意するわ!! だからみんな安心しなさい!!」
「「「おぉー!!」」」
頭の中がぐちゃぐちゃになる。
全て無計画なのに、全て私に押し付けた。
「ちょっと、いきなり言われても……」
「あーあ……また言い訳ですのねっ!!」
「っ!?」
ネメスに詰め寄ろうとした時、懐から取り出したナイフで顔を切りつけられる。
「あら、それでは女としての価値も無くなりそうですわね」
「あ……」
「折角みんなを幸せにできるいい改革案を与えたのですから。せいぜい頑張りなさいな」
頬から赤い血が流れる。
無茶苦茶もここまで来たか。
私は体中の力が抜け、その場で膝を付いた。
現実を受け入れきれない。
だってこんなの……実現すら不可能だと思っていたから。
「ネメスは……」
「はい?」
「ネメスは何をするの……?」
「何もしませんわよ? 私の役目ではありませんし」
「……」
「貴族に話を付けたければ顔くらい貸しますわよ。まぁ、嫌われ者のお姉様に手を差し伸べるとは思いませんが」
そう言い残すと、ネメスは去っていった。
恐らく彼女がやりたかった事は二つ。
税金を減らさない方法。
領民からの支持を集める方法。
その為に適当な改革を立ち上げ、私に全て投げた。
ネメスは考えただけ、実行するのは私。
「あの、大丈夫ですか……」
「大丈夫よ……やりましょう、水路計画」
「え、本当に……?」
「当然よ。フィオーレを統治する当主が言ったのですから。だからみんなは安心して」
「は、はい」
「……恨むなら、私に石でも何でも投げていいから」
そう言い残し、おぼつかない足で歩き出す。
領民への発言は一つ一つ責任を持たなければならない。
ましてや今は領内がピリピリしている状況。
冗談は許されない。
だからやる。責任を持ってやるしかない。
これが私の選んだ道、成し遂げねばならない事なのだから。
「あ、すみません」
「?」
と、立ち去ろうとする私に一人の男性が話しかけた。
「帝国からあなた様に手紙が来ていたんですよ。この場で渡しておきます」
「帝国から……?」
この前の相談の件だろうか?
案外しつこいなと思いながら、手紙の差出人を見ると、
「……!!」
”アーク・キュリオス”
私と少しだけお話をした、サベージ帝国の第二皇子だ。
「……ありがとう」
「いえいえ」
重かった足取りが、少しだけ軽くなったような気がした。
今日は不幸続きで疲れた。
水路計画等のやるべき事も、手紙を読んでから取り組む事にしよう。
◇
「綺麗な文字……」
アーク様の手紙はとても綺麗な文字で綴られていた。その手紙の内容は
まだ話し足りない……
そう思ったので、手紙を書かせて頂いた。
フィオーレの方は大丈夫か?
最近気候があまりよろしくないと聞いている。
カチュアは色々抱え込みすぎだと思うから、何かあれば俺を頼って欲しい。
無理はしないでくれ。
私を心配してくれた。
さっき色んな事があったから、アーク様の優しさが心に染みる。
「……ありがとうございます」
引き出しからアーク様から頂いたハンカチを取り出す。
彼の思いが、今の私の支えとなっている。
まだまだ頑張れる。
私はそう思った。
その日、私はアーク様のハンカチを手に持ち、母のオルゴールを聞きながら眠ってしまった。当主としてだらしないけど、たまにはいいでしょ?
◇
「うぅぅ……」
苦しい。頭が重くて吐き気がする。
急に始まった水路計画の為、私は各地を回っていた。
根本的にお金が足りない。
なのでネメスの伝手を借りて、貴族達へ頭を下げに行ったのだが。
『貴様に貸すお金等ない』
『小汚い伯爵令嬢が、さっさと出て行け!!』
『あなた、いい身体していますね……ふふ』
ほとんどダメ。
状況は一向に良くはならなかった。
進まない計画と貴族達からの罵倒で私は気分が悪い。
だが、唯一支援を約束してくれた人がいた。
グエル様だ。
婚約者として当然だと、快く支援を受け入れてくれた。
「とりあえず話をしなきゃ……」
支援の内容について深く話し合う必要がある。
私は体調が悪い中、グエル様の元へと向かった。
……それでも気分が悪い。
向こうについたらお願いして仮眠を取るか。
そうだ、しっかり眠りたいから母のオルゴールも持っていこう。
◇
「やぁカチュア。待っていたよ」
「あ、お姉様……やっと来ましたのね」
グエル様の元に付いた途端、私は驚いた。
なんでネメスがグエル様の元に?
しかも、やたらと身体が近い。
……更に頭が痛くなる。
「えっと、お二人の距離が近いような……」
「あぁ……そんな事か」
「え?」
グエル様の態度がおかしい。
冷たく、まるで私に敵対するかのようだ。
何があったのか、その理由は……
「俺はネメスと婚約することにしたのさ」
「は……」
グエル様の発言に思わず絶句する。
どうして? 正式な場で決めたことなのに。
分からない、彼の考えが理解できない。
「あんな醜い人より私の方がいいと言ったまでですわ」
「ネメス……?」
「あぁ、聞いた話によればキミはフィオーレで何もしてなかったそうじゃないか。いつも机に座って作業ばかり。だがネメスはどうだ? 領民の為に帝国の良い所を真似て、水路計画を実行したじゃないか」
……やられた。
ネメスのありもしない言葉に、流されやすいグエル様は信じてしまった。
水路計画を支援した理由もネメスの為か。
私の知らない所で、ネメスはグエル様に近づき、自分のものにした。
それは、私よりネメスの方が強い後ろ盾を持った事を意味する。
「まぁ、随分とやつれて……無駄な時間をお過ごしのようで」
「全くだ、汚らしい姿をよくも俺に見せられたものだ」
やばい、吐きそう。
度重なる負担に、私の身体は拒絶反応を示している。
私はその場で膝を付き、口を押えて何かを出さないよう必死で我慢した。
その時、同時にオルゴールが私の服から転げ落ちた。
「まぁ、こんなものまだ持っていましたのね」
「あ、それ、は……」
「あの母親を思い出すだけでイライラしますわ……だから」
ネメスの膝が上がり、母のオルゴールへ視線をやると
「こんなもの……潰して差し上げますわッ!!」
母のオルゴールを、粉々に踏み潰した。
「あ……あああ……」
「ふぅ、すっきりしましたわ。全く、未だにあの人を忘れられないなんて……悲しい人」
「過去に囚われているのさ、きっと」
「えぇ。だからフィオーレがいつまでたっても発展しないのですわ……あははははは!!」
大好きな母のオルゴール。
私の大事なオルゴール。
辛い時、いつも私を支えてくれた。
なのに、なのにそれを……
「……よ」
「はい?」
「母のオルゴールを……返しなさいよ!!」
「わっ!?」
怒りに我を忘れ、ネメスを押し倒す。
「あんたは私から全部全部奪って……なのに、なのに!!」
「いたっ、ちょっとやめなさいよ!!」
「カチュア!!」
と、今度はグエル様に突き飛ばされる。
「よくもネメスに手をあげたな……それが大事な家族にしていい事か!!」
「えぇ、その通りですわ!! グエル様、痛かった……」
「ネメス……もう大丈夫だよ」
突き飛ばされた衝撃で我に返る。
グエル様は完全にネメスの味方となった。
いや、言いなりになったと言うべきか。
「何事だ?」
「なんだなんだ?」
騒ぎを聞きつけた貴族達が集まって来た。
今何が起きているのか、わからない。
私は何をしたらいいんだろう。
その場で固まってしまう。
「皆さん聞いて!! このカチュアという私の姉は、上手くいかないからと私にやつあたりして突き飛ばしたんですの!!」
「何てやつだ……許せないな」
「ローエン家もここまで落ちたか」
「あの可愛らしいネメスに手をあげるなど、どうかしている!!」
みんながネメスの味方であり、私の言葉は信じて貰えずねじ伏せられる。
可愛らしく愛嬌のある人が大好きなのか。
血反吐を吐いて生き続ける人には見向きもしないのか。
「この際ですわお姉様!! 今すぐローエン家から出て行ってください!!」
何かが壊れたような音がした。
今まで支えていた物が全て壊され、何も考えられなくなる。
上っ面だけで構成された世界を目の当たりにし、私は生きる気力を失った。
「いいよ……出ていく」
「ふふ、ようやく理解しましたのね」
壊れたオルゴールをかき集め、私はゆっくりと立ち上がった。
この際だ。妹にされた事を全部お返ししよう。
「家の事はグエル様とネメスに任せるわ……だけど、何が起きても責任は一切取らない」
「はっ、まだえらそうな口が聞けるんですのね……いいですわよ、大嫌いなお姉様がいなくなるなら何でもいいですわ」
嫌だ。
もう何もしたくない。
何も関わりたくない。
全部全部放り投げて、無茶苦茶になりたい。
「さようなら」
こうして、カチュアはローエン家とフィオーレを去った。