オチャコ初めてのタイムスリップ
空気がとても冷たく、乾燥していて、真冬のように思える。鼻をつくような異臭と、砂埃を含む風も吹いている。
「ねえ光男さん、あたしたち、本当に平安時代へ飛ばされたの?」
「博物館の係員を装っていたお婆さんの言葉通りなら、いわゆるタイムスリップということだね」
「あたし、タイムスリップなんて、初めてだわ」
「僕もだよ。もしも時空間旅行ができるのなら、一度は体験してみたいと思っていたけれど、こういう強制的なのは困るね」
光男さんは話しながら、スマホを操作している。
「電波がまったく届いていないよ」
「あたしのも同じだわ」
オチャコは、スマホの電源を切り、ショルダーバッグの中へ収めた。
その一方で、光男さんは、手に持っていた博物館のガイドブックを開き、載っている地図を調べる。
目の前にある土塀と門を見つめながら、オチャコが問い掛ける。
「ここ、どこかしら?」
「平安京の大内裏かもしれない」
「門が開いてるよ」
「物騒なことだね」
「うん。それにしても寒いわ。建物の中にでも、入れて貰わないと」
「この中が内裏なら、御殿があるよ。試しに行ってみるかい」
「でも許可を得ないと、敷地へ入るだけでも不法侵入でしょ?」
「そうなるね。僕たちの二十一世紀なら、刑法第百三十条に触れるよ。三年以下の懲役、または十万円以下の罰金。この時代にどういう刑罰を与えられるかは、僕も知らないけれど」
光男さんは検事を目指していて、法律に詳しい。
オチャコが珍しく弱気になってしまう。
「そっかあ。どうしよう……」
「刑法第三十七条に、緊急避難というのがあってね。非常事態に遭遇した場合、危難を避けるためであれば、程度によっては、罰せられずに済むのだよ」
「まあ、そうなの!」
「兎も角、今は選択肢が二つ。凍えるか、行くか」
「え??」
「いつもの茶子さんなら、どちらを選ぶのかな」
「決まっているわ。行こう!」
光男さんに励まされたオチャコは、勇んで前へ進む。
月明かりを頼りに見たところ、敷地内は、庭がよく手入れされていて、ところどころの木が、なかなかに雅な雰囲気を醸し出している。建物は、いかにも平安時代を感じさせるような造りで、整然と立ち並んでいる。
突如、女性の大きな叫びと、泣きわめく声が響き渡り、趣に満ちた夜の静寂が、一瞬のうちに破られた。
「なにか事件かしら?」
「そうかもしれないね」
声のする方へ向かっていると、誰かが勢いよく飛び出してきた。
「きゃあーっ!!」
「危ない!」
光男さんが、咄嗟に抱き寄せてくれたので、激突を免れた。
相手は、軽業師のような切れのある動きで身体を曲げ、敏速に走り去る。
「間一髪だったね?」
「うん、ありがと」
しかしながら、安心するのも束の間だった。今度は、落ち着いた態度の男性が現れ、手に掲げる松明で、オチャコたちの顔を照らした。
「わぁ!?」
「はっ!」
眩しい火の光と鋭い視線を浴びせられ、オチャコと光男さんは、身体も心も硬直してしまう。
男性が険しい口調で問い掛けてくる。
「おぬしたち、なに奴かっ!」
「僕たち、決して怪しい者ではありません」
「見慣れぬ姿をしておるのう。どこからやってきたか?」
「ええっと、それは……」
光男さんは、返答に迷ってしまう。不審者だと疑われているので、どう説明するのがよいか、慎重に考えざるを得ない。
突如、十二単のような衣装を着た女性が姿を現す。
「どうなさいまして?」
「怪しげな者が二人おりますもので。盗人の輩かもしれませぬ」
「あら、どれどれ」
女性が品定めするかのように、オチャコたちの顔を眺める。
「あれま、茶子姫ではありませんの!」
「えっ、あたしのこと??」
「はるばる、会いにきてくれましたのね。ささ、こちらへ」
知り合いの誰かと勘違いしているのか、女性が親しげな様子で迎え入れてくれるのだった。