最悪な状況
ジァンが拘束され、既に30分は経過していた。大人しく従っているように見えるが、ジァンは静かに状況を分析していた。
――A04が2体。このリーフェイという男、腕に余程の自信があるのか。
拘束と護衛にしては、いささか少人数にも見える。だが、リーフェイという人物像から、油断は考えにくい。つまり、リーフェイも1戦力であると、ジァンは考えた。
次に、ジァンは拘束されたときのことを思い返していた。
ジァンには護衛がついていた。それも、かなりの人数で。並大抵のことでは、突破されることはない。ならばあの時、一体何が起きたのか。
爆発が起きた瞬間、ジァンの護衛体制は「Code 03」に切り替えられた。1桁台のコードは、護衛対象の命の危機を表す。
緊急時は、集団で行動すると思われがちだが、実際はそうではない。徹底されたルールを元に、護衛は個々で行動を取る。敵が内部に侵入している可能性もあるからだ。
今回の場合、最寄りに居た護衛は、ジァンの避難および安全確保。そして残りは、避難誘導や原因解明に動いた。無論、散けて終わりではない。各護衛は、本部とよばれる母体機関と連携し、そこから指示を仰ぐのだ。
ジァンは立場上、非常時の経験は何度かあった。だからこそ、気付けなかった。護衛の動きに、違和感を感じなかったからだ。
――いつから仕組まれていた? 敵は何処まで侵入している?
言うまでもなく、ジァンの周辺には、信頼のおける護衛しか居ない。その者たちが黒だったのか。はたまた、本部に間者が紛れ込んでいたのか。過去を遡っても、思い当たる節は一切なかった。
現時点でわかっていることは、これは極めて綿密な誘拐計画であり、起案者が只者ではないということだ。
――最悪な状況だな。
現場がフロントラリーであることや、周辺状況。そして何より、誘拐犯の1人がリーフェイであることもだ。もはや、ジァンが誘拐されたことを、本部が把握しているかすら疑わしかった。
一通り思い返したところで、ジァンはゆっくりと目を閉じた。
――私に残された時間は、そう長くはないか。
助かる見込みがないことに、ジァンは気付いていた。これは、ジァンがリーフェイの素顔を見たときからである。
「お前はガイルズの部下だったな。これはガイルズの命令か?」
ここに来て初めて、ジァンはリーフェイに問いかけた。
しかし、リーフェイからは、返事どころか反応すら返ってこない。ジァンを拘束してからというもの、リーフェイは沈黙を守っている。
――目的は何だ?
UTE本総督である、ジァンの命。これだけでも、立派な理由にはなる。しかし、そうではないと、ジァンの勘が告げていた。
「このような計画、お前のような若輩者だけで行えないことはわかっている。得るのは金か? 栄誉か? はたまた、私のポストか?」
ジァンは言葉を続けた。
「どれもお前に利があるとは思えないな。だとすれば、ソン家の命令か? ガイルズの側に逃げようとも、奴らに付けられた首輪は、そう簡単には外せんか」
ジァンはリーフェイを挑発したいのか、皮肉を込めてあざ笑う。
すると、ようやくリーフェイが口を開いた。
「貴方は賢いですネ。その心意気も感服しまス。ですが、私は何も答えませんヨ」
リーフェイは気付いていた。この問答が、ジァンのパフォーマンスに過ぎないことを。目撃者が居なくとも、情報を残すことは可能だ。現にリーフェイの周辺には、あらゆる電子機器が置かれている。
すると突然、ジァンが高笑いを始めた。死が目前に迫っている者とは、思えない行動だ。
「優秀だな。だが、お前はまだ若すぎる」
ジァンの不可解な言動に、リーフェイは嫌な予感がした。
「――なるほど。忠誠ゆえの行動か」
リーフェイの指先がピクリと動いた。前を向くジァンには見えないし、見えているはずがない。しかし、リーフェイは全てを見透かされている気分だった。
何も答えない。その言葉だけで、ジァンに見抜かれてしまったのだ。
かの星外戦争を生き抜いた化け物の1人――ジァン・ワン。このとき初めて、リーフェイは口先だけではなく、心の底からジァンに敬意を示した。
「最後に言い残すことはありますカ? 貴方に恨みはありませんが、これも必要なことなのデ」
リーフェイが右手を挙げると、両脇に居たA04が歩みを止めた。
そして、リーフェイだけが、ゆっくりとジァンに近付いていく。
「ガイルズは、やはり私を許していなかったか……」
ジァンはゆっくりと空を仰いだ。
その言葉が憂いなのかはわからない。ただ、このときのジァンの顔には、年相応の老いが見えた。
「さようなラ、本総督殿」
リーフェイは懐から銃を取り出すと、背後からジァンの左胸へと当てた。そして――。
「……~~~っ!!!」
サイトは大きく口を開け、息を呑んだ。
同時に、カケルはサイトの口を覆うと、その小さな体を床に押さえつけた。悲鳴を抑えるにしては、力が入りすぎていたかもしれない。しかし、そうすることで、カケルは何とか冷静を保つことができた。
銃声は聞こえなかった。カケルが目にしたのは、ジァンが地面に倒れた瞬間だ。まるで壊れた玩具のように、崩れ落ちたジァンの体。重力に抵抗する素振りは、全くなかった。だからこそ、あれが死体であると、カケルの直感が告げていた。
最悪だ。最悪すぎる。暗殺の現場、しかも、それがUTEの本総督なんて、やばすぎるだろ……!
カケルの全身が、アラートを鳴らした。国家を揺るがすレベルの危機。それは同時に、目撃者も危険だということだ。
「サイト! 立てるか!? 急いで此処から逃げるぞ!」
カケルは慌てて立ち上がると、サイトの腕を掴んで引き上げた。
「人が死んだ……。あの人が、殺した?」
しかし、サイトの四肢は力が抜けたままで、起き上がる気配がない。それもそのはず、人が殺される瞬間など、目撃することもなければ、経験もないだろう。
「早く立て! このまま此処に居たら、リーフェイに見つかって終わりだ!」
「今更逃げたって、無駄だよ!」
サイトは、まるで駄々をこねるかのように、カケルの手を振り払った。
「お前、いい加減にっ……!」
カケルは怒鳴りそうになったが、寸前のところで口を噤んだ。カケルは、サイトが自暴自棄になっていると思っていた。しかし、そうではない。むしろ、冷静さに欠けているのは、カケルの方だった。
既にカケルたちは、入口に居たA04に攻撃を加えている。サイトの言う通り、逃げたところで、リーフェイにバレるのは時間の問題だった。
なら、通報するのはどうだ?
「駄目だ。相手にされるとは思えない」
カケルは次の手を考えるが、口に出す前に、その考えを打ち消した。
混乱の最中、UTE本総督が殺されたと伝えたところで、信じてもらえる可能性は低い。それにカケルは、避難所でトラブルを起こしている身でもある。
助かるにはただ1つ――リーフェイに捕まる前に、フロントラリーを脱出すること。
しかし、避難所のスペースシャトルを利用するとなると、上手くいく保証がなかった。まず、出発タイミングが未定であること。次に、乗客リストの中に、リーフェイも入っているからだ。
「ふざけんな! よりにもよって、訳のわからん事情に巻き込まれて、詰んだだと? そんなの知るかってんだッ! 俺たちはただ、アリアを追って来ただけなのに!」
窮地に追い込まれたカケルは、声を荒げた。今の地球にとって、ジァンは重要人物だ。しかし、カケルにとって、命を賭けるような間柄ではない。むしろ、アリアの方が重要だといわんばかりに、カケルは目の前の画面を睨み付けた。
「……そうか、アリアだ」
カケルはしばらく呆然としていたが、何かに気付いたようだ。
「ソルス3号星は、俺たちが降りれる星か?」
カケルは画面を見つめたまま、意味深な言葉を呟いた。
「こんなときに、冗談なんてやめてよ……」
このタイミングに、カケルが冗談を言うはずがないことは、サイトも理解していた。しかし、あまりにも受け入れがたい内容に、咄嗟に否定の言葉が出てしまう。
「時間が無い。頼む、教えてくれ」
カケルの真剣な眼差しに、サイトは何も言えなくなった。そして、静かに目を伏せると、指をリズミカルに合わせ始める。これはサイトが考え込むときの仕草だ。
しばらくすると、サイトの指の動きが止まった。
「結論から言うと、可能だよ。ハビタブルゾーン圏内に存在しているし、大きさも地球とほぼ同じなんだ」
サイトは、L-PLN8の調査記録に記録されていた、ソルス3号星の情報を語り始めた。
惑星における基本項目――質量、大きさ、重力は、どれも地球と同等。正確にいうと、どの項目も地球よりも気持ち小さい程度だ。なにより、気温や酸素といった、生命が生きるうえで必要な条件が揃っていた。つまり――。
「問題なのは、文明の存在が確認されていること。地球でいう中世くらい? 当時の記録だから、今はさらに発展してるかも」
文明が存在するということは、そこに生命体が存在するということだ。
星外戦争を経験し、グリストバースの傘下に入った今、地球外生命体が存在することに驚きはない。ならば、何が問題なのか。
「カケルも気付いたと思うけど、ソルス3号星は『保護指定惑星』に指定されているからね」
サイトは最後に念を押した。
「保護指定惑星」とは、宇宙文明に到達していない惑星を示しており、L-PLN8の調査で定められるものだ。
そして、保護指定惑星には「宇宙不可侵条約」という宇宙規約が該当する。文字通り、許可なく侵入することは固く禁止されている。これは先進惑星による侵略や、文明への不当な介入を防ぐためである。
「俺だって、好きで法を破りたいわけじゃない。けど、他に助かる手段が思いつかない。それに、アリアもこのまま放っておけない」
「それは僕たちの都合であって、罪に問われるのは避けられないよ」
淡々と話しを進めているが、これはれっきとした宇宙規約違反だ。地球で罪を犯すのとは、訳が違う。
正直、前例がなさ過ぎて、サイトも具体的な注意喚起ができなかった。
「わかってる。だが、死んだら元も子もないだろう。それに時間が経てば、リーフェイについて告発も、まだ可能性があるとは思わないか?」
ジァンが殺害されたことは、その立場からも、いずれ明るみになる。そうすれば正当に調査が行われ、目撃者であるという話にも信憑性が増すというのが、カケルの考えだ。
「少しの間でいい。ジァンさんが殺されたという事実が、公になるまでの辛抱だ」
ソルス3号星で、まずはジァンの件が明るみになるあで身を隠す。その間に、アリアを見つけることができれば一石二鳥。仮に見つけられなくても、カケルたちが保護されたタイミングで、正式な捜索願いを出せば良い。
「信じらんない。こんなの無茶苦茶だよ……。けど、痛いのはもっとごめんだよ。だったら僕も、法を犯す方を選ぶ」
カケルの提案は、常識の枠を超えていた。しかし、命が懸かっているとなると、サイトも同じ考えだった。
「俺だって、もうなにがなんだか……。アドレナリンが出ているとしか思えないな。さて、脱出ポッドは何処にある?」
サイトの同意を得たところで、さっそくカケルは脱出ポッドについて調べ始めた。
「アリアは数ある惑星の中から、どうしてソルス3号星を選んだんだろう。言っておくけど、僕はソルス3号星について話したことはないからね」
カケルが情報を調べている間、サイトは改めて根本的な疑問と向き合った。偶然という可能性もなくはないが、サイトはそれで納得する程、単純ではない。
「課題も疑問も山積みだが、まずは逃げきることが優先だ。続きは向かいながら話すぞ」
行き先が確認できたところで、カケルは端末から離れようとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
しかし、今度はサイトが入れ替わるようにして、端末を操作し始めた。
管制室の画面には、サイトが入力したソースコードが、次々とスクロールされていく。
「あと5分……いや、3分だけ!」
サイトはコードを打ちながらも、さらにタイピング速度を上げていく。
「情報を置換しているのか? ……アリアの情報を書き換えているのか!」
カケルは流れるソースコードを見逃すまいと、画面を注視した。そして、サイトが何をしているかを理解したとき、ちょうどサイトの作業も終わったようだ。
「脱出ポッドの行き先情報を書き換えてた。知られたら困るしょ? こっちは僕たちの分。カケルにも送っておいたから」
「全く、お前って奴は……!」
この後には、「天才」という言葉が続くのだろう。カケルがPMCを開くと、サイトからスクリプトが届いているのを確認した。
「この貸しは、地球に戻ったら返してもらうからね。行こう!」
こうしてカケルとサイトは、脱出ポッドに向かうべく、外へと飛び出した。
この時、カケルは気付いていなかった。
ターミナルに居るリーフェイが、管制室を見上げていたことを――。
「鼠が2匹……」
リーフェイは、長く伸ばした前髪を掻き上げていた。
前髪に隠されていたのは、黒い左目とは異なる、小麦色の瞳を持った右目。その右目は、鮮やかに発光していた。




