<閑話>天才と呼ばれる少年②
それから僕たちは、ベンチで一緒に腰を掛けながら、本について語り合っていた。
カザマくんは、僕の話に理解を示してくれるだけではなく、彼なりの意見も聞かせてくれた。それが不思議なことに、とても興味深く、惹き込まれる魅了があった。
「そうなんだよ! 僕たちの文明もさ、実は原点がここにあって――。それに、この法則は地球だけではなく、他の星でも類似ケースがあってね。僕なりに調べてみたら――」
「なるほどな。なら、こっちの星も同じことがいえるのか? って、もうこんな時間か」
「そ、そうだね。家に帰らないと、婆ちゃんが心配しちゃう」
気がつけば、辺りは既に暗くなり始めていた。
時間があっという間に過ぎていたことに、驚きを隠せない。それだけではない。カザマくんとの時間が終わることに対し、僕は寂しさも感じていた。
「うーん、まだまだ語り足りないなぁ。クロイワもそうだろ? 明日もこの場所で集合な」
「う、うん! 用事もないし、べつにいいよ」
僕なりの精一杯の照れ隠し、用事なんていつもないのに。本当は初めての約束事に、心の底から喜んでいた。
「それにしても、全く気付かなかった。カザマくんは、学校で上手に隠しているよね」
学校でのカザマくんは、周りにうまく溶け込んでいる。成績優秀者なのだろうが、僕のように悪目立ちをしていなかった。
「意識して隠しているわけではないが、クロイワよりは上手に世渡り出来ている自信はあるな」
こうして皮肉を混ぜてくることもあるが、カザマくんの言葉は、何故か嫌みを感じさせない。
「僕はカザマくんに、協調性を学ぶべきなのかもしれないね」
「『カケル』。俺のことはカケルでいいよ。俺もこれからは『サイト』って呼ばせてもらうから」
カケルは、他人との距離の詰め方が上手だった。欲しい言葉をくれる、まさにそんな感じだ。たまに強引すぎる面はあるけども。
「今度、俺の家に来ない? 親父の部屋に、もっと珍しい本があるからさ」
カケルは良いことを思いついたとばかりに、隣に座る僕に向かって、その顔を一気に近づけてきた。
それに対し、僕の体は不本意に反応してまった。不自然に体を仰け反らし、相手に失礼な態度をとってしまったのだ。
「ご、ごめん。実はスキンシップが、すごく苦手で……」
焦った僕は、慌てて理由を伝えた。潔癖症とまではいかないが、他人と距離を詰めることが、極端に苦手なのだ。
「なんだ、もっと早く教えてくれたら良かったのに。前に見た海外ドラマでもさ、そういうキャラがいたな。そいつもサイトみたいに賢い奴だった。頭が切れる分、周りに対して敏感なのかもしれないな」
しかし、カケルは怒った素振りも無ければ、このことすら興味深そうに考察をしている。
この反応は意外だった。小学生といえば、スキンシップに遠慮がなく、例外に対して厳しいものだ。それが、このようにあっさり理解を示してくれたのだ。さらに付け加えるなら、海外ドラマ――これも小学生が好んで見るような内容じゃ無さそうだ。
するとカケルは、すぐに1人分の距離をベンチに設けると、そこに本を置くようにして退いた。
これなら大丈夫だろ? というカケルの笑顔に、僕の強張った体から力が抜ける。
「怒らないの?」
「怒る? なんで? 誰にだって得意、不得意はあるだろ」
その言葉に、僕は初めて同級生の前で笑みを零した。
これが僕とカケルの出会いだ。
この後すぐに、せっかちなカケルが、僕とアリアを引き合わせるまでに時間はかからなかった。
「急に女の子を連れてくるなんて、聞いてないんだけど!」
「そう慌てんなって。アリアはそこいらの女子とは違うぞー」
「アリア? アリアって、まさか……あのシラヌイさんのことじゃないよね?」
「なんだ、紹介するまでもなかったか。そりゃそうか。アリアは有名だからなぁ」
「っ!? カケルのそういう所、本当に信じらんない! どうしていつもそう、唐突なの!?」
「そんなに怒ることか? 女子が1人増えるくらい、どうってことないだろ」
「誰もがカケルのように女の子慣れしているなんて、思わないでくれる!?」
「女慣れって、俺が随分と軽い男みたいに聞こえるんですけど!?」
周りに人が居ないことをいいことに、僕たちはぎゃーぎゃーと言い合いを始めた。
付き合いが長くなったことで、気付いたことがある。カケルはたまに、ノリで物事を進める節があるということ。サプライズと言って、わざとやるので余計にたちが悪い。
そして今回、カケルが無断で連れてきたのは、あの有名な「シラヌイさん」ときた。彼女は、世界級のお嬢様――A-TEC社の社長令嬢だ。
その容姿は、まるでビスクドールだ。絹のようなブロンドの髪に、陽が透き通るような白い肌。アジア系の僕からすると、見るだけで緊張してしまう美しさを漂わせていた。
「そろそろ、いいかな?」
高いソプラノ声が、辺りに響き渡る。その瞬間、僕とカケルの言い合いが、ピタリと止まった。
「あ! サイト、隠れるなって」
僕は瞬時に身を隠すと、カケルの背後に張り付いた。
むり、ムリ、無理! 女の子と話すなんて! しかも、相手はあのシラヌイさんだよ!? 初心者には高難易度すぎるって!
視線を逸らしながら、僕はカケルの服をこれでもかと握り締めた。
すると、視界に何かが入り込んできた。最先端の建物が印刷された写真には、「A-TECの社内規定」という題名が書かれている。
「本が好きだって聞いて。これならクロイワくんでも、読んだことないよね?」
カケル越しに、控えめなシラヌイさんの声が聞こえてくる。
確かに本は好きだが、それ以上に突っ込むべき点があった。まず、本は僕の餌付けか何かか? 加えて、いくらマイナーとはいえ、社内規定というチョイスはどうなのか。無論、喜んで読ませていただきますけど。
「シラヌイさんって、天然?」
「それな。そこらの女子より、ズレているのは間違いない」
カケルの背後でそんな会話が繰り広げられているのも露知らず、シラヌイさんは僕に声を掛け続けた。
「私とも、本の交換をしてくれませんか?」
僕のことは、既にカケルからいろいろ聞いているのだろう。にも関わらず、僕と関わろうとすることは、シラヌイさんも「変わり者」だということだ。
シラヌイさんの誠実な申し出を無視するほど、僕も薄情ではない。勇気を振り絞って、僕はおそるおそる、カケルの背後から顔を出した。
「……あれ? シラヌイさんは?」
「あそこ。猛ダッシュで、あの木の後ろに走って行ったぞ」
いつの間に移動したのか、シラヌイさんは遠く離れた木陰から、こちらの様子を伺っていた。
その不自然な行動に、僕は理解できず首を傾げる。
「サイトが近付かれることが苦手だってことを、俺が教えたからだろうな」
一連の行動は、彼女なりの気遣いのようだ。しかし、この距離では会話すらままならない。
困った僕は、カケルにアイコンタクトを送ってみた。しかし、カケルは不敵な笑みを浮かべて首を横に振るばかり。どうやら助け船を出す気は無いようだ。
僕は勇気を振り絞って木に近付くと、木を挟んだ場所から声を掛けた。
「あの……、シラヌイさん」
彼女からの返事は無かったが、足下のに見える小さな影がピクリと動いた。
「本をありがとう。あの、好きなジャンルとかある? 人や動物の本なら、たくさん持っていると思う」
端からみれば、まるで木に話しかけている滑稽な姿だろう。それでも僕にとっては、木の存在が頼もしくて仕方がなかった。
「海洋生物とかも、ある?」
「うん、持ってるよ。地球と他星だと、どっちがいいかな?」
すると、小さな頭がひょっこりと顔を出した。
「どっちも読んでみたいな」
まるで一輪の花が咲いたかのような、可憐な笑顔を浮かべるシラヌイさんは、僕が今まで出会ってきた女の子の中で、一番可愛かった。
こうして、カケルとアリアと僕――3人の関係が始まった。
アリアは控えめで、いつも僕とカケルの後を付いてくる存在だった。でも、物静かなだけではない。僕たちのマニアックな会話に付いてこれる聡明さを持ち、時には芯が強い面も見せてくれた。
この心地よい関係は、互いの進路が異なるまで、ずっと続くと思っていた。しかし、それは些細なきっかけで、脆くも崩れてしまう。そう、「あの事件」が起きたからだ。
朦朧とする意識の中、僕は体を動かそうと必死にもがいていた。しかし、いくら脳が命令しようとも、体は微動だにしない。これが俗に言う金縛りかと考えていると、視界に何かが写んだ。
カケル――? お見舞いに来てくれたの?
僕の顔を覗き込んでいるのは、カケルだった。カケルは僕に話しかけているが、何を言ってるか聞き取れない。
カケルに怪我はなかった? それに、アリア! アリアは無事なの!?
僕は必死に問いかけるが、カケルには僕の声が届いていないようだ。
カケルは悲しげ目を伏せると、背を向けて立ち去っていく。
「……って、ねぇ、……ないで……カケルッ!!!」
叫び声を上げながら、僕は病室で目を覚ました。辺りを見渡すが、カケルの姿はどこにも見当たらない。
入院期間、僕はひたすら反省に費やした。その間、カケルがひょっこり顔を出してくれないかと期待もした。
カケルは怒っているだろうか、僕のことを許してくれるだろうか。あの時の罪悪感といったら、思い出すだけで今でも吐きそうになる。
不安に駆られながらも、時間が許す限り、僕は病室の扉を眺め続けた。しかし、退院するまで、カケルが姿を現すことは無かった。
アリアは、アキラ叔父さんが用意した、特別な施設で治療されていた。なので、僕のような一般人が見舞いに立ち入ることは出来ない。だけど、いてもたってもいられな僕を、アキラ叔父さんは一度だけ、その施設に招いてくれた。
そこで僕が見たのは、隔離された病室でベッドに横たわるアリアの姿だった。意識は未だ戻っていないのか、目を閉ざしたままだ。その白い肌には、いくつものチューブが繋がれていた。
その後、僕はあの公園のベンチで2人を待ち続けた。どのくらい日が経っただろう? 1ヶ月? 半年? それ以上だったかもしれない。とにかく、久しぶりの独りの時間は、想像していたより長く感じるものだった。
すると、ある日のことだった――。
「やぁやぁ、そこの少年。よければ俺と一緒に読書でもしませんか?」
待ちに待っていたその声に、僕は膝から本が転げ落ちるのも気に止めず、勢いよく立ち上がった。
「カケルっ! えっ、その髪……」
どうしたの。という言葉を続けることはできなかった。
久しぶりのカケルは、雰囲気が以前と異なっていただけではない。僕と同じ黒髪が一部、白く染まっていたのだ。
「あぁ、これな。気付いたら、なってた。笑えるよな、この歳で白髪だなんてさ」
カケルは白くなった前髪を指でいじりながら、自虐的な言葉を紡ぐ。かつての自信に溢れたオーラは無く、憔悴しきっているように見えた。
あの事件がきっかけであることは、間違いなかった。溺れたのは僕たちだが、残された側の苦痛は計り知れない。仮に僕がカケルの立場だったら、耐えれなかっただろう。
さらに、カケルを追い込んだ原因は、もう1つある。
僕は手に汗を握りながら、震える声で質問をした。
「……アリアの、容体は?」
その瞬間、ぼんやりと虚空を眺めていたカケルの瞳が揺らいだのを、僕は見逃さなかった。
少しの間、静寂が流れる。
その間、僕の鼓動は徐々に早くなり、その音が今にも耳に届きそうだった。
「無事だよ。ただ……、重体には変わりなくてさ。ここに戻って来るには、少し時間がかかる」
アリアが今も無事であることを知れただけで、僕の心は幾分も軽くなった。しかし、この時のカケルの表情が、妙に印象に残っていた。
それは、ほんの一瞬だった。真っ青な顔色に、くしゃりと泣きそうな表情。そして、一度だけ、僕の方をちらりと見たのだ。何か言いたげに口を開いていたが、カケルは何も言わず、そのまま口を閉ざした。
「僕は大丈夫だよ。だから、カケルはアリアの側に居てあげて」
できる限り、カケルの負担を減らしてあげたいと思った。
「ありがとな、サイト」
カケルは優しい。大変なのにも関わらず、こんな僕にも気を遣ってくれる。でも、長い付き合いだからこそ、カケルが無理をしていることは一目瞭然だった。
なにが天才だ。こんな時、友達のために出来ることすら思いつかないだなんて。
――僕は無力だ。
それからしばらく間、カケルはアリアの看病に尽きっきりとなった。多忙なのか、カケルはたまに学校を休むこともあった。それでも、月に一度は僕のために、あの公園に顔を出してくれた。
カケルと公園で一緒に居ても、以前のように、言葉を交わす機会はめっきり減った。
言うなれば、心ここにあらず。ぼんやりと本をめくるカケルは、どこか憔悴しきっていた。
カケルに聞きたいことは山ほどある。けれど、今はどれも口にしてはいけない。そんな気がした。
ねぇ、カケル。僕はきみに感謝してもしきれないんだ。
あの日、僕に声を掛けてくれたこと。アリアを連れてきてくれたこと。僕の毎日に楽しみをくれたこと。
だから、今度は僕の番だ。独りぼっちだった僕の側に居てくれたように、今度は僕がカケルの側にいる番だ。
僕は、大切な友達を横目で見ると、心の中でそう決意した。




