<閑話>天才と呼ばれる少年①
あぁ。今日もまた、退屈な時間がやって来た。
僕は机に頬杖を付きながら、ある一点を眺める。それは、教室に設置された、レトロな壁時計。長い針があと2周するまで、この牢獄からは解放されない。
「では、次のページを開いて。今度は――」
小学校に入れば、授業が格段に楽しくなると、母さんに聞かされていた。が、とんだ期待外れだった。
どうして教科書に書かれていることを、重複して教えるのか。読めば、それだけで理解することが出来るのに。さらに厄介なのは、教師――人を経由することだった。純粋な知識に、個人の主観が混ざってしまう。僕にとって、それも不快な原因の1つだった。
「――で、おーい。――」
この退屈な時間をやり過ごすのに、考えついたのは「間違い探し」――授業内容を、徹底して予習しておく。そして、些細な知識の漏れや、ニュアンスの違いを探し出すのだ。
間違いが少ない場合は、優秀。逆に多い場合は、微妙な教師だということだ。
ちなみに、この教師は既に6つ。つまり、微妙である。
「聞いているのか、クロイワ!」
「へっ?」
突如、教室に響き渡る大声に、頬が机に向かってずり落ちる。
くろいわ、クロイワ、黒岩――。それは、僕のファミリーネームだ。
慌てて顔を上げると、今にも射殺さんとばかりに、こちらを睨み付ける、男性教師と目が合った。
「えっと……。なんですか?」
「なんですか? じゃない。さっきから、授業を全く聞いていなかったじゃないか。賢いお前にとっては退屈かもしれないが、今は授業中だ。もっと協調性を身につけろ!」
協調性――それは、僕が最も苦手とすること。全く努力をしていないわけではない。しかし、いくらこの頭で考えても、いつも失敗してしまう難問だ。
周りの視線が背中に突き刺さる。その居心地の悪さに、僕は慌てて口を開いた。
「授業はちゃんと聞いていました。その証拠に、先程話していた内容で、語弊があった点を指摘することが――」
次の瞬間、教室の温度が1、2度下がった気がした。同時に、教師の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
あぁ……。僕はまたやらかしてしまったようだ。
「お前っ――」
『せんせー! さっきのページで解らなかった箇所があったので、質問してもいいですか!?』
すると、この気まずい雰囲気をぶち壊すかのように、男子生徒の軽快な声が割り込んできた。この教室には、僕より空気の読めない生徒がいるようだ。
「あ、あぁ。質問内容を言ってみなさい」
幸いなことに、男子生徒のおかげでお咎めは中断となった。僕は小さく溜め息をつくと、目立たないよう教科書で、その顔を隠した。
終礼のチャイムと同時に、僕は逃げ出すように教室を後にした。向かうはいつもの公園だ。
行きつけの公園は広さも無ければ、めぼしい遊具も無い。だからこそ、人気が無く、お気に入りの穴場スポットだった。
年中花が咲かない藤棚のベンチに腰を掛けると、僕は急いで鞄からある物を取り出した。それは、読み始めたばかりの新しい本。
本来であれば、読書は自室に限る。しかし、連日帰宅ダッシュをすると、婆ちゃんに心配を掛けてしまう。
実際は、心配事が起きる相手――友達すらいないけど。
「やっと自由時間の始まりだ」
待ちわびたといわんばかりに、学校で見せることのない笑顔を浮かべながら、僕は本に視線を落とした。
「ふぅ~ん。前々から物識りだと思っていたけど、そんな高度な本も読んでいるのか」
開いたページに、ふと影が落ちた。それと同時に、心当たりの無い声が耳に入ってくる。
「……えっ?」
慌てて振り返ると、ぶつかりそうな距離に見知らぬ第三者の顔。それが、僕の本をまじまじと覗き込んでいた。
「う、うわぁっ!?!」
驚いた僕は、体を大きく仰け反り、ベンチから転げ落ちそうになった。その際、視界に入ったのは、第三者の制服と鞄。それは、僕が持っている物と同じ物。つまり、この第三者は同じ学校の生徒ということになる。
「まずは自己紹介からだな。俺は――」
男子生徒が喋っている最中だったが、そんなこと僕には関係ない。
「ひぃぃっ、ご、ごめんなさいっ!」
「って、あ! おいっ!? 待てって!」
あまりにも唐突、かつ距離の近さに、僕はパニックを起こしながら必死に鞄を抱えると、一目散に逃げ出した。
「大切な本を忘れてるぞー! ……あー、行っちゃった」
背後で男子生徒が呼び止めていたことなど、当然、僕は知るよしも無かった。
その翌日から、僕の平穏な学校生活は、がらりと変わることになる。
「よう、おはよー」
「っ!?」
教室で僕を出迎えたのは、公園で出会した、あの男子生徒だった。彼は爽やかな笑みを浮かべながら、こちらに向かって手をひらひらと振っている。僕の記憶が正しければ、彼が座っている場所は僕の席だ。
どうしよう。変な奴に目を付けられてしまった。こんな時は、どう対処するべきか……。
「気が済むまで、使ってください」
登校したばかりにも関わらず、僕はUターンして教室を後にする。それは、対人に関する経験が乏しい僕なりの、たどり着いた最適解だった。
落ち着け。こういったとき、反応するのは逆効果だ。どうせ僕を面白がっているだけだ。退屈だとわかれば、相手も直に飽きるはずだ。
「いや、ちょっと待て! マジか。行っちまった」
「なぁ、カケル。さっきからクロイワの席で何してんの?」
僕が教室を去った後、周りの視線は男子生徒に向けられる。誰もが彼の行動、ましては僕に関わろうとしていることを、怪訝に思っていた。
「ん? あぁ、ただ己の勘に従ってるだけ」
「はぁ? お前もあいつみたいに変になっちまったか? 何言ってるか訳わかんねー」
しかし、僕は予想は見事に外れることになる。一連の行動は、彼の好奇心を刺激してしまっていた。
「やぁやぁ。また会ったな! 奇遇だねぇ」
「っ!?」
「その弁当のおかず、もしかして手作り? 変わってるけど美味そうだな!」
「何を食べるかなんて僕の勝手でしょ。放っておいてよ」
「少しだけでいいからさぁ、俺と話を――」
「ちょっと! トイレにまで、付いてこないで!」
移動教室、昼休み、あまつさえトイレにまで。僕の行く先々に、彼は現れた。その執念は相当のものだ。
「カケル、クロイワなら向こうに行ったぞ」
「お。サンキュー」
突如、始まった追いかけっこに、クラス中が注目し始める。しかも、クラス全員があの男子生徒の味方ときた。あまりの分の悪さに、僕はなすすべもない。
「ハァ、ハァ。なんで、僕が、こんな目に……」
放課後を迎える頃には、経験したことの無い疲労感がどっと押し寄せた。インドア派の体は、既に悲鳴を上げている。
「まるで被食者の気分だ」
ようやく学校から解放された僕は、力ない足取りで公園に向かっていた。すり減った心が、いつも以上に読書時間を欲求している。しかし、公園にたどり着くと、ベンチには先客がいた。
まるで今朝のデジャヴだ。優雅に胡座をかき、こちらを楽しそうに眺めているのは、今日一日僕を苦しめた「彼」だ。
「嘘だ、あり得ない。先に教室を出たはずなのに!」
その場で地団駄を踏みそうになった。教室を出る際、僕は彼の姿を確かに確認した。つまり、この公園に向かっている間に、先回りされたということになる。
「もういい、僕の負けだよ。話を聞くから、さっさと用件を言って」
厄介な人物を相手にしていることに気付いた僕は、これ以上の抵抗は無駄だと悟った。
「嬉しいなぁ。やっと俺と話す気になってくれたのか」
白々しい態度で、彼は満足げに口を開く。
「用件の前に。この本を返すよ」
彼が鞄から取り出したのは、公園に忘れた僕の本だった。
「もしかして、これを渡すためだけに、僕を追い回していたの?」
「まさか! 話のきっかけにするつもりだったけど、あんな露骨に逃げられるとはな。逃げられると、逆に追いかけたくなるよな?」
そう言うと、彼はにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「その本、小学生が読むには、いささか高度すぎるよな。それに、一般の書店で手に入る代物でもない」
彼は片手で僕の本を持ち上げながら、問いかけてきた。
その的を得た発言に、僕は驚きを隠せない様子で顔を上げ、彼に視線を合わせる。
「民族学は、単に僕が好きなだけで。本の入手ルートは、母さんが出版社で勤めていて……」
そこまで口にしたところで、僕はハッとして口を押さえた。初対面にも関わらず、何をペラペラと、自分のことを口にしているのか。
「なるほどなー。学校での発言といい、やっぱ俺の見立てに間違いはなかった!」
その発言に対し、僕は不快感を露わにした。やっぱり彼も、僕を変な奴だと思っているに違いない。こうして声を掛けてきたのも、どうせ好奇心や罰ゲームの何かだろう。
「どうせ僕は変わり者だ。それがわかったなら、僕のことは放っておい――」
「だったら、この本とか興味ない?」
僕の発言などお構いなしに、彼は次なる本を鞄から取り出す。そして、それを僕に突き出してきた。
「対軍用兵器 基本教練」――彼が手にしている本は、単色の表紙に、シンプルに印字された冊子。それは、明らかに一般に販売されている書籍では無く、軍関係者が利用している、教本そのものだった。
「それ……見せて!」
僕は欲望のままに、彼から本をひったくると、すぐさまページを開き、内容に没頭した。
「外に持ち出せるのは、ほんの一部だけど。ちなみに、俺の親は軍関係者ね」
僕が本に興味を示したことが嬉しかったのか、彼は目を輝かせ、ベンチの上で前のめりの姿勢になった。
「凄い……。本物の教本なんて初めて読んだ。どれも普通の本には書かれていない内容ばかりだ!」
「だろ? 軍関連の本なら、家にもっとあるぞ。ところで、俺の名前は――」
「『カザマくん』でしょ。加えるなら出席番号は、僕の3つ前。それに、この前の授業で僕を助けてくれた人だ」
僕は本に視線を落としたまま、彼の名前を言い当てた。今ならわかる。授業中に割り込んできたのは、僕を助けるためにわざとしたことなのだと。
「なんだ。知っていたのか」
「カザマくんを知らない人なんて、そういないと思うけど」
いかに周りから浮いている僕でも、クラスメイトを全く知らないわけではない。特にカザマくんは、クラスで中心になりうる、リーダー系の人だ。彼に関する話題は、何度も耳にしたことがある。
「その本を貸す代わりにさ。さっきの本、読み終わったら俺にも借してくれよ」
「それは構わないけど。民俗学なんて、マイナーなジャンルに興味あるの? それに、さっきから、どうしてそんなに嬉しそうな顔をしているの?」
カザマくんの提案は、僕にとっては願ってもない申し出だった。けれど、あまりにもうまい話に、疑問もこみ上げてくる。
「民族学に関しては普通かな。ってか、そうじゃない。話が通じる相手を見つけたことへの喜びって言えば伝わるか? クロイワも自分の顔を鏡で見てみろよ。同じような表情をしているぞ」
カザマくんと言葉を交わすのは初めてなのに、彼の言わんとしていることは理解できた。本の内容や会話からも伝わってくる。彼もまた、僕と同じで小学生の水準をゆうに超えた、頭脳の持ち主だということに。
胸の鼓動が高鳴る。僕はカザマくんに言われるがまま、顔に手を当てた。すると、頬が吊り上がっているのを感じた。
閑話は一人称視点で書いていきます。
(2023/7/3記 犬鴨)




