もう1人の彼女
レストランに、沈黙が響き渡る。
いつもは饒舌なカケルも、今日ばかりは不自然にも、その口を閉ざしていた。
「お父さんも、この件には関わってる? ……ううん。むしろ、お父さんたちでないと、こんなこと出来なかったか」
アリアは、カケルに質問を投げつつも、その答えが返ってくる前に、自問自答を進める。
アリアも馬鹿では無い。すぐさま、この件はアキラだけではなく、A-TECも関わっていることに勘付いた。
「やっと、疑問が繋がった……。お父さんが、私を必要以上に監視すること、進路のことも。当たり前だよね。だって、私は本当の娘じゃないから」
アリアが置かれていた、過剰なまでの監視環境。全ては社長令嬢だからだと思ってきたが、そうではなかった。世話係として、ヒサトが常に側に居ること、定期検診という名の、A-TECでの異常なまでの検査。そして、頑なに禁止されていたこの旅行も、今となっては、その理由に納得がいく。
「そして、カケルも」
顔を上げたアリアの瞳が、カケルを捉えた。その瞳は、まるであらゆる感情を押し殺しているかのように、揺らいでいる。
「……違う、俺は――」
カケルは、咄嗟に否定の言葉を続けようとした。しかし、アリアがそれを否定するように、首を横に振った。
「私が、何も知らないだけだった。ごめんね、カケルをいっぱい巻き込んだ」
「止めろ、俺はそんなつもり……、っ……」
いっそのこと、責められた方がマシだった。しかし、こんな時でもアリアは、カケルではなく、自分自身を責めた。
その妙な潔さが、カケルに不安を駆り立てる。
今は、アリアを引き留めなければ……。柄にもなく、焦りだけがカケルを頭を支配する。
「とにかく、今はみんなの元へ戻ろう。話の続きは、地球に戻ってからでも――」
カケルは、咄嗟にアリアの腕を掴もうとした。今ここでアリアを繋ぎ止めなければ、何もかもが壊れたしまう気がしたからだ。
『いやッ! 私に触らないで!!』
「……いっ!」
伸ばされたカケルの手から、アリアは逃れるように抵抗をした。それは、カケルに対しての、初めての拒絶だった。
さらに、不運にも手を振り払った際に、アリアが所持していたワイングラスの破片が、カケルの腕を切り裂いてしまった。
カケルは、鋭い痛みに表情を歪めるが、すぐに片方の手で押さえると、アリアに見られないよう、その傷口を隠した。
「あ……あぁっ……!」
カシャン――。
アリアの手から、血の付いたワイングラスの破片が、零れ落ちる。
鋭利な刃物で切られた傷口は、カケルが必死に押さえようとも、指の隙間から血が溢れ出していた。
「ち、違うの。私、そんなつもりじゃ……」
アリアは、床に落ちたカケルの血を目にしながら、その顔を一気に青ざめさせた。
「ちょっと切れただけだ。俺は平気だから――」
「私……、私が、カケルを……傷付けたッ!」
この状況に、アリアは両手で頭を押さえ、叫び声を上げる。
カケルは、慌ててアリアをなだめようとするが、もはやその言葉は届いていなかった。
「アリア、頼むから落ち着いてくれ! そうだ、一緒に考えよう。この状況も、これからのことも――!」
『もう嫌っ、誰も信じられないっ! カケルも、お父さんもっ、なにより自分自身が……! 何もかも、信じることが出来ないッ!!』
アリアは何度も首を振りながら、悲痛な叫び声を上げる。
必死に冷静を保っていたが、ついに限界が来たのだ。コップになみなみ注がれた水は、一度溢れ始めると、もはや止まることを知らない。
アリアは涙を流しながら、カケルから距離を取るように、ゆっくりと後ずさる。
「頼む、アリア。俺の話を、聞いてくれ……」
カケルは懇願するように、アリアに手を差し伸べた。その手は血で赤く染まっているが、気にしている余裕も無い。カケルもまた、必死だった。
「……ごめん。本当にごめんね、カケル」
しかし、アリアから紡がれたのは、拒絶の言葉。
その言葉に、カケルは、まるで鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を受けた。思考がうまく回らない、次の対策を打たなければならないのに、体は、まるで硬直したかのように動けなかった。
「待て……。駄目だ。アリア、行くな……!」
カケルの瞳に、走り去るアリアの後ろ姿が映る。動揺したカケルの力ない呼び声は、アリアの耳に届くことは無かった。
伸ばしたカケルの腕が、重力に逆らえず、だらりと下に垂れ下がる。
本来であれば、カケルはすぐにアリアを追いかけなければいけなかった。フロントラリーの今の状況、アリアに知られてしまった真実。どれも早急に対処しなければならない一大事だ。
「ねぇ」
俯いていたカケルの目が大きく見開く。
背後から聞こえてきたのは、カケルのものではない、第三者の声。この場にはカケルと、アリアしか居なかったはずだ。そして、何よりも、この声にカケルは聞き覚えがあった。
「さっきの話、本当?」
問いかけと共に、カケルの方へ近づいてくる1人の気配。
カケルが振り返らずとも、それが誰なのか、既に理解していた。
何故、こんな場所に? と問いたいのも山々だが、投げかけられた言葉が、全てを物語っていた。先程までの、アリアとのやりとりが、全て聞かれていたのだ。
「……サイト」
覇気を失った声と共に、カケルは少し遅れてサイトと向き合った。
カケルの側に居たのは、どこか動揺したように視線を泳がせるサイトの姿。
「どういうこと? ちゃんと説明してくれるよね? あの子が、アリア本人じゃない……なんて」
アリアとの会話内容は、途切れ途切れだったが、サイトは既にあらゆること推測を終えているようだ。
カケルには、いつものように誤魔化すという選択肢も残されていた。しかし、今日ばかりは、度重なる出来事に、もはやその余裕は残されていない。
「大方、察している通りだよ。『あのアリア』は、アリア本人であって……そうじゃない」
カケルはサイトから目を逸らすことも無く、真実を突きつける。
サイトには、目の前にいるカケルの感情が読めなかった。苛立ち、諦め、自暴自棄なのか。まるで全てを投げ出したかのように、淡々と答えるカケルに対し、サイトの背に嫌な冷や汗が流れた。
「アリアは、10年前のあの日……助からなかった」
「なっ……、そんなはず……嘘だ。だって――」
そして、カケルの口から紡がれたのは、衝撃の真実。
「俺は、助けられなかったんだ。アリアを」
カケルは、まるで泣き顔を誤魔化すように、不自然な笑顔を作ると、10年前の真相をサイトに告げた――。
レストランから飛び出したアリアは、無我夢中で走っていた。
一刻も早く、カケルの側から離れたかった。これ以上、カケルに見られたくなかったからだ。それは、紛い物でしかない、自分自身の姿を。
どれだけ走り続けたかは、わからない。体に限界が来たところで、ようやくアリアは速度を緩め、壁に手をつき、乱れた呼吸を繰り返した。
「ハッ……はぁっ……。私じゃ、なかった……」
息も絶え絶えの中、アリアは思いの丈を吐き出だした。
顔をうつむけ、痛む胸元を、力の限りくしゃりと握りしめる。
「全部ッ! 私のものじゃ、なかったッ……!!」
叫ぶ言葉と共に、再びその瞳からは、大粒の涙が零れ落ちる。
それは、今までアリアが、己のものだと信じてきた感情――人格、思い出、そして、カケルへの気持ち。
アリアは悟ったのだ、これらが全て、自身の脳にインプットされた情報にすぎないことを。そして、この体に宿る「アリア本人」の記憶なのだと。
『ふっ……、うぁ……うあぁぁぁっっ!』
その場に崩れ落ちたアリアは、まるで幼児さながらのように泣きじゃくった。
どうしてヒューマノイドである、自身が泣いているのか? この感情、そして涙は、一体誰のものなのか?
その答えを、自身が知ることが出来ないと理解していても、アリアは泣くことを止めれなかった。
声が枯れるまで、ひとしきり泣いたアリアは、ようやくその口を閉ざした。呆然とする瞳に、覇気は無く、何を考えているのかもわからない。
そして、アリアは、涙で濡れた瞼をそっと閉ざす。どうしてそうしたのかは、アリアにも分からない。
「行かないと……。でも、何処へ?」
目を閉じたまま、アリアは自問自答を始める。その言葉は、今後の行き先を定めているようだ。
そして、ついにアリアは、ゆっくりと目を開けた。赤茶色の瞳は、どこか遠くをぼんやりと見つめている。
「……そうだ。私、――に、行かないと」
アリアは、かすれた声でそう呟くと、立ち上がり、ゆっくりと前に進み始めた。
カケルからの衝撃の告白に、サイトは、しばらく言葉を失っていた。
それは、今まで信じてきた事実が、全て打ち砕かれたからでもある。
「ありえない……。だって、あの子はどこからどう見てもアリアだ。僕も10年前のことは覚えてる。一時的に意識を失っていたとはいえ、その後すぐに、僕もアリアの姿を見たんだ!」
あの水難事件の後、アリアと同じく重体であったサイトは、一時的に意識不明となり、入院をしていた。しかし、それも1週間程の話だ。
意識を取り戻したサイトは、真っ先に、幼馴染みの安否を確認した。
カケルが、すぐにサイトの病室に顔を出してくれたことは、今でも鮮明に覚えている。そして、アリアは――。
「そうだ。アリアは、アキラさんが用意した、特別な場所で……。直接会話をした訳では無いけど、僕はこの目で、確かにその姿を確認した! 呼吸はもちろんのこと、アリアの意識は戻りつつあった!」
サイトは、まるでカケルの言葉を、嘘だと打ち消すように、過去の記憶を口にする。それは、仮にアリアに類似した、別人を用意したとしても、圧倒的に時間が足りないということ。
しかし、どれだけサイトが訴えようとも、カケルの表情が変わることはなかった。ただ何も言わず、静かにサイトの次なる言葉を待っている。
「そ、それに、僕は今までにアリアが怪我をしたのを見たことがある! ちゃんと血が出ていたし、この手で治療を――」
次にサイトが証明しようとしたのは、アリアの肉体に関してだった。それは、ある1つの仮定――アリアが、A-TECによって用意された、ヒューマノイドではないということだ。
「アリアは、脳死だったんだ」
しかし、サイトの言葉は無慈悲にも、カケルの言葉によって、否定されることになる。
「間に合わなかった。脳に酸素が届かなくなって、既に時間が経ちすぎていたんだ」
カケルは、淡々とあの時の真相を語る。
「だったら、『あの子』は一体……」
サイトが、やっとの思いで声を絞り出す。
「あの子は――」
その質問を受け、カケルは瞳を、一度地面に伏せた。
「元のアリアの肉体にインプラントの脳を持つ、『アリアとは異なる子』だ」
インプラントの脳? カケルは、確かにそう言った。しかも、人の肉体を持った、だって?
たった今、耳にしたカケルの言葉を、サイトは何度も脳内で繰り返した。しかし、何度考えようとも、決して理解のできないことがサイトを襲う。
「あり得ない。アリアは、脳のインプラント移植を行ったって言うの? そんな事例、聞いたこともない。今の地球中の全ての技術を駆使したところで、脳移植なんてことは実現できないはずだ」
脳移植。それは、現在の地球の技術をもってしても、オーバーテクノロジーの領域だ。仮に、インプラントの脳を用意できたとしても、それを全身の神経につなぎ合わせるなんて、神なる所業ともいえる。
「それに関しては、俺にも詳しいことは説明できない……」
カケルも、この点に関しては知らないのか、答えることが出来ないと、首を横に振った。
「だったら――」
「けどな、俺はあの事件の後も、ずっとアリアを側にいた。治療という名目で一時的に別れたのも、ほんの1日程度。それに何より、俺だからこそ、あの子が……アリアの体――アリア本人であることを確信しているんだ」
それは、論理とはかけ離れた答え。物的証拠もなければ、確証すらもない。
ただ、曇り無き眼で答えるカケルのその言葉を、サイトは信じざる得なかった。幼馴染みだから、そして、何よりカケルが、アリアの1番の理解者であるからだ。
「ごめんな、サイト。今までずっと騙してきたこと、そして――」
サイトからの質問が落ち着いたところで、カケルは話題を今に戻す。
「俺は、お前たちとの約束を果たせなかった。アリアを救うことが……出来なかった」
「っ!」
数年にも渡り、つき続けられた嘘。しかし、誰よりも苦しそうな表情した幼馴染みを、サイトは責めることなんて出来なかった。
「さて、そろそろ俺はアリアを追いかけないとな。質問はあるだろうが、残りは無事に戻ってからで良いか? サイトはまた、スペースポートに――」
「僕も一緒に行く」
サイトの思わぬ言葉に、カケルは驚いた様子で振り返った。
「もう置いてけぼりなんて、まっぴらだ」
カケルは、すかさず提案を拒否しようと口を開く。しかし、それよりも早く、サイトの決意が籠もった声が辺りに響き渡った。
筆者からのお知らせです。
お仕事で更新低下のまま、妊娠後期→出産まで終えました。
改めて、本日より更新を再開します。
育児と両立のため、更新は不定期となります。ご理解いただけますと幸いです。
(2023/6/23記 犬鴨)




