予感的中
人が居ない町中で、アリアは1人、呆然と歩いていた。その目に覇気は無く、何を考えているのかもわからない。ただ一点を見つめながら、目の前に現れた建物の扉を開けた。
中に入ると、暖かい色の照明が、アリアを出迎える。香ばしいスパイスの香りが漂っている。しかし、辺りはまるで人が神隠しにあってしまったような、いびつな光景が広がっていた。作られたばかりの暖かそうな料理。これから食べてようとしていたのか、小さな皿には、綺麗に取り分けられた料理が置かれている。生活感が漂っているが、そこにはアリア以外の人影は無かった。
「お父さんは、知っているの? サイトなら、答えてくれる?」
アリアは、側にあったテーブルに手を添えた。そして、思案するように、独り言を呟いては、その手を一定のリズムで動かしている。
卓上のワイングラスに、アリアの顔が写り込む。次の瞬間、その顔がくしゃりと歪んだ。
「っぅ、カケルっ……!」
消え入りそうな声で紡いだのは、ピンチの時にはいつも駆けつけてくれる、幼馴染の名前。いつもであれば、すぐにでも連絡をするが、アリアはPMCに目を向けなかった。アリアは、ふいにワイングラスを手に取ると、ゆっくりとそれを持ち上げる。
「……確かめる方法は、1つだけ」
そして、大きく手を振りかざすと、力の限りワイングラスを床に叩き付けた。
パリン! と純度の高い音が、レストラン内に響き渡る。高価な代物だったのか、薄い飲み口の部分は、原型をとどめないほど粉々に砕け散っていた。
アリアは腰を下ろすと、上部を失ったワイングラスの持ち手を手に取った。欠けたことで先端部分が尖っていることを確認すると、アリアはそれを自身の左腕へとあてがう。
「お願い、どうかっ……!」
アリアが、ぎゅっと目を閉じる。その眉は、まるで苦痛に耐えるかのように歪んでいる。目を閉じたことで、溢れ出した涙がアリアの頬を伝った。そして、アリアは割れたワイングラスを頭より高い位置に持ち上げると、勢いよく左腕に振り下ろした――。
セキュリティゲートを無事に通過した、カケルとシャルロットは、エントランスに集まる人々の中から、友人の姿を探していた。
「カケル! 居ましたわっ! あそこ、マシューたちですわ!」
シャルロットの大きな掛け声に気付いたカケルは、みんなの集まる場所へと駆け寄った。
「みんな揃っていたのか! これで全員か!?」
「カケル! シャルロットも無事だったか!」
カケルとシャルロットの無事な姿を見て、その場にいたカークたちが安堵した。
「それが、僕たちレストラン組は、全員揃っているんだけど……」
マシューの回答には含みがあった。その違和感に気付いたカケルは、ハッとして周りを見渡す。そして、カケルはすぐに、不安気な表情をしているフィオナに目を留めた。
「アリアちゃんが……。ここまでは、無事に2人で辿り着いたの。でも、セキュリティゲートで、トラブルが起きてしまって――」
フィオナは、ほんの数分前に起きた出来事を、自身が把握している範囲で、説明をし始めた。
「私にも一体何が起きたのか……。係員に詳細を聞いても、誰も答えてくれなくて。そんな時、マシューくんたちが、ちょうど私を見つけてくれて――」
「僕たちも、ちょうど合流したところなんだよ」
フィオナは、アリアと2人でこのスペースポートに避難してきたこと、そして、セキュリティーゲートで、アリアに何かしらのトラブルが起きたことを説明した。
レストランを離れた後、アリアが別行動をしていたことも初耳だったが、カケルの内心はそれどころでは無かった。
「本当にごめんなさい。私が側に居たのに、何も出来なかった!」
カケルが言葉も出ないほど驚愕している姿を見て、フィオナはさらに顔を青ざめさせ、自分を責め始めた。
「落ち着けフィオナ。内容からも、それよりもカケル、どうする? 係員を問い詰めてみるか?」
カークはその場を冷静に治めると、反省より対策をと、次なる手段を提案した。
カケルは未だ沈黙を保ったままだった。それは、カケルの予想を遙かに超える事態が起きていたということもある。しかし、それ以上にカケルの頭の中では、あらゆる思考が巡らされていた。
カケルは人知れず、一飲みすると、ようやくその口を開いた。
「いや、まずは混乱したアリアを探し出すことが優先だ」
やらなければいけない対策は山のようにある。その中でも、カケルが導き出した最優先事項は「アリア本人」だった。
「探し出すって、どうするつもりだ? 既にエントランスに入った俺たちは、ここから出られないんだぞ?」
カークは、カケルの無謀な提案に対し、すかさず待ったを入れる。しかし、カケルのカークを見上げる瞳は、真剣そのものだった。
「ま、待ってくださいませ。戻ったりしたら、カケルの身が危険ですわ!」
シャルロットもすかさず抗議の声を上げる。それは、純粋にカケルの身を案じての言葉だ。
「俺は大丈夫。見たところ、怪我人は居なかった。そこからもテロではなく、事故の確率が高そうだ」
心配するシャルロットを落ち着かせるため、カケルは今の状況に対する考えと、それに対すると根拠を述べた。もちろん、どれも確証があるものではないが、今は行動を制限されることは避けたい。
「それでも危険なことに、変わりは無いですわ! サイト、貴方からも何か言ってくださいませ!」
行動を変える気の無いカケルをみて、シャルロットは咄嗟にサイトに助けを求める。
しかし、既にサイトの中では、ある1つの答えが出ていた。
「残念だけど、こうなったカケルを止めるの無理。カケルは一度自分で決めたことは、曲げないから」
サイトは、シャルロットに向けて両手を上げると、不可能だと言わんばかりに首を横に振った。
「本気でやるつもりか?」
「もちろん。頼めるか?」
改めて問いかけるカークに対し、カケルは決心が変わらないことを伝えた。
「……わかった。俺も出来る範囲で協力しよう。ただし、これだけは約束しろ。お前もアリアも、必ず無事で戻ってくること。これが条件だ」
「ありがとな、カーク。恩に着る」
そうと決まれば、後は行動あるのみだ。
周りが見守る中、カケルとカークは肩を並べ、セキュリティーゲートへと近づいていく。
「すみません。俺の友人が落とし物をしたそうで、一度出口の方に戻りたいのですが」
カークは係員たちの中で、一番小柄な男性係員を見つけると、すぐに行動に移した。
「落とし物ですか?」
「亡くなった父から貰った、大事な物なんです!」
カケルも話を合わせるように、係員の腕にすがりつき、いかに必死であるかをアピールする。無論、言うまでもなく、カケルの父親はピンピンしている。
一概に断りづらい内容のため、係員はすぐに通信を使って、上司への確認を行った。
「申し訳ございません。今は非常事態ですので、やはりお通しすることはできません。代わりに私の方で対応いたしますので、落とし物の特徴を教えていただけますか?」
残念ながら、カケルたちの要望は通らなかった。こうなった以上、強行突破をするほかに方法はない。
こなったなら、やるしか無い。
カークに緊張が走る。カークの体格を持ってすれば、この小柄な男性を押さえ込むのは簡単だ。しかし、問題は他の係員たちだ。辺りを確認する限り、他に2名、すぐにこちらの異変に気付く距離に居た。
カークは本来、このような無謀なことをするキャラでは無い。しかし、今の状況はそうも言ってられないことは重々承知していた。そして、ついにカークが腹を括った、その時――。
『きゃあぁぁぁっ! この人、今! 私のことを触ったわぁーーー!!!』
カークが行動に移そうとした瞬間、突如、スペースポート内に甲高い女性の叫び声が響き渡った。
カークは自身の心臓が飛び出たかと思いつつ、慌てて声のした方を振り返る。すると、人々の注目を集めていた人物は、あのマシューだった。
マシューは係員の側で、ヒステリックな怒声を上げ続けている。カークの側にいた係員たちも、何事かと現場に向かい始めた。
カークは起きている状況を把握すると、すぐに行動に移した。周りと同じく、気を取られていた男性係員の背後に回り込むと、その体の自由を奪うように、後ろから羽交い締めにしたのだ。
「カケル! 今だ、走れっ!!」
「な、何をっ……。離してくださいっ! 妨害罪に問われますよ!?」
「カーク、ありがとなっ!」
カケルはその一瞬の隙に、セキュリティゲートの間を全力で駆け抜ける。
辺りはまさに大混乱だった。1人の係員は大柄の客に捕まり、少し離れた場所ではマシューが、係員にセクハラされたと泣き喚いている。
「ちょっと! そこの貴方、止まりなさい!! 誰か! 今、男の子がここを――」
「出る分には、またここを通る! それよりも、あちらの方が優先だ! 私は暴れている男を、君は女性の方を頼む!」
「は、はいっ!」
だからこそ、1人の少年がセキュリティゲートを逆走するなんて、今は優先されるような問題ではなかった。
こうしてカケルは、仲間たちの助力の元、スペースポートを抜け出すことに成功した。
「よっしゃ! カケルくんが無事に抜け出すことができた!」
「それはそうと、マシュー! 貴方、この状況をどう対処するおつもりなのですか!?」
呑気にカケルの動向を見ていたマシューの周りには、この場では一番とも言える警備員の数が集まっていた。
「あっちも大変! カークくんが警備員に乱暴されてるわっ!」
マシューたちの状況もまずいが、カークの置かれている状況はより深刻だった。カークは行動の代償として、警備員によって乱暴に地面に押さえつけられてしまっている。警備用のテーザー銃を、いつ使われてもおかしく無い状況だ。
「どうしよう。こんな時こそ、頼りになるのはサイトくんの頭脳……って、あれ?」
このような状況だからこそ、主席の頭脳を借りようと、マシューはサイトに声を掛けた。しかし――。
「あれ? サイトくんは、何処に行ったの?」
マシューは視線で、シャルロットとフィオナにも問いかけてみるが、誰もが首を横に振っていた。
カケルは、迷わず来た道を戻っていた。それはアリアの性格上、このような見知らぬ土地で、足を運んだことのない場所を選ぶ確率が低いと予想したからだ。
「クソッ! せめてPMCの電波が繋がっていれば!」
カケルは右手を見下ろしながら、悔しそうに悪態をついていた。カケルは今日この時ほど、アキラの手を借りたいと思ったことはない。
「セキュリティゲートか……」
その言葉を口にした瞬間、カケルの顔が一気に強張った。フロントラリーに来るときは問題は起こらなかった。ならば、全てはあの忌々しい爆発が原因だ。まるで、全てを見計らったようなタイミングでのトラブル。最悪、意図的に起こされたものだという可能性も捨てきれない。
「とにかく、急いでアリアを安全な場所に連れて行かないと」
ホテル周辺に到着すると、カケルは行ったところがある場所をくまなく探し始めた。そして、ついにレストランの建物内でアリアの姿を見つけることができた。
「ビンゴ。やっぱこの辺りに居たか」
レストランのドアを握った際、カケルは一瞬、中に入るのを躊躇した。その表情は、いつにもなく不安に満ちている。
アリア落ち着かせて、一緒にスペースポートに戻れば良い。そうすれば、あとは地球に帰るだけだ。またいつもの日常に戻る……。
カケルは焦る気持ちを落ち着かせ、目の前のドアを一気に開け放った。
「お待たせ、アリア。迎えに来た。みんながいる所へ一緒に戻ろう」
カケルは、背を向けるアリアに声を掛けながら、ゆっくりと近づいていく。
辺りには人影はない。だからこそ、アリアがカケルに気付いていないはずはなかった。
「なあ、アリア。聞こえて――」
「試してみたの」
アリアがようやくカケルの方を振り返る。しかし、いつもの笑顔は無く、まるで氷のような無機質な表情をしていた。
アリアが何のことを指しているのか、カケルには理解できなかったが、その右手に握られている物は理解できた。
「ガラスの破片? 落ち着け。この周辺には俺ら以外の人影はなかった。だから――」
「これをね、さっき自分の腕に突き刺してみたの」
アリアの発言に、カケルの目が大きく見開いた。
しかし、アリアはカケルの反応を気にすることもなく、淡々と言葉を続けていく。
「でもね、刺せなかった……。 私、本気だったんだよ? なのに、ダメだった」
アリアは喉の奥から精一杯絞り出した声で、不自然な言葉を紡ぐ。その大きな瞳からは、止めどなく溢れ出した涙が、何度も頬を伝っては床に零れ落ちていた。アリアの視線は、手元のワイングラスに向けられたままだ。そして、その表情は、まるで自身をあざ笑うかのように冷笑を浮かべている。
「自傷行為を防ぐ、セーフティ機能……。これで疑問が、確信に変わっちゃった」
本来であれば、この言葉だけでは情報が明らかに不足している。
しかし、カケルは違った。愕然と口を開け、その頬には汗が滲み出ている。カケルが動揺しているのは、一目瞭然だった。
そんなカケルの状態を見て、アリアは悲しそうに眉をひそめると、首を横に振った。
「やっぱり、カケルは知ってたんだね。私が『私』じゃないってこと」
「違う。違うんだ、アリア……」
カケルは声を震わせながら、なんとかアリアの言葉を否定しようと言葉を絞り出すと、一歩前に踏み出した。
『止めて!! 私をその名前で呼ばないで!!』
しかし、アリアはそんなカケルを拒絶するかの如く、かっと目を見開くと、大きな声を張り上げた。
「私は、アリアじゃない……。だって、アリアは……『この子』の名前でしょ?」
アリアは苦しそうに顔を歪めると、そのまま自身の胸元を握りしめた。




