シャルロットの告白
レストランのテラス席を離れ、カケルとシャルロットは海を一望できるベンチに座っていた。
暖かい照明が水面に映り、とても幻想的な光景となっている。周りに人気も無く、まさに絶好のデートスポットだった。
「シャルロット」
「はっ、はいっ!?」
「ははは。俺ら以外は誰も居ないし、もう落ち着いて大丈夫だ。相談したいことがあったんじゃないのか?」
むしろ、カケルが居るせいで緊張しているのだが……。そんなシャルロットの気持ちも露知らず、カケルはベンチにゆったりと腰を掛け、リラックスした様子で辺りを眺めている。
カケルはいつも気が利く。すぐに周りの異変に気付いては、こうして自然と寄り添ってくれるのだ。そんな淡い想いを抱きながら、シャルロットは隣で座るカケルを、熱の籠った視線でじっと見つめていた。
「覚えていますか? わたくしと初めて出会った時のこと。あの時もカケルは、こうして手を差し伸べてくださいましたよね」
「ん? そりゃ忘れられないって、なんたって『静電気王女』だったからなぁ」
「そのあだ名まで! はぁ……。ずっと嫌いなあだ名でしたのにね。今となっては、それも良い思い出だと言えるようになりましたのよ」
カケルも当時のことを鮮明に覚えているのか、懐かしそうにそのあだ名を口にした。
静電気王女――それはシチヨウに入学してすぐの頃に、シャルロットが周りの生徒から呼ばれていたあだ名だ。その名の通り、決して良い意味で付けられたあだ名ではない。
これは、カケルとシャルロットが初めて言葉を交わした時の出来事である。まさに入学して間もない、新入生の頃の話だ――。
「そこの貴方たち。他の人たちが待っているのですよ。食事が済んだのならば、席を譲ってあげるべきではなくって?」
昼時の食堂は混み合っている。みんなが大人しく席が空くのを待つ中、シャルロットだけは違っていた。既に食事を終えた生徒たちを見かけたら、それを注意して早々に席を空けさせるのだ。
「チッ! また『静電気王女』のお出ましか。何様なんだよ……ったく」
「いつまでも貴族ぶってんじゃねーよ。元ロイヤルの分勢で」
「何か言いまして!? お待ちなさい! まだ机のゴミが片付いませんわよ!」
男子生徒たちは、突然現れた部外者に邪魔されたことが不服なのか、シャルロットに聞こえるように嫌味を零しながら立ち去って行った。
「ねぇ、私たちも行こう。変に目を付けられたら嫌だし」
その様子を見ていた周りの生徒たちも、巻き込まれるのは嫌だと思ったのか、早々にシャルロットの周りから立ち去っていく。
「一体、どんなマナーを身に着けてきたのかしら……。さぁ、ここが空きましたわよ。どうぞ使ってくださ――」
シャルロットは、散らかったテーブルを自ら片付けた後、席を探していた生徒の方へと振り返った。しかし、既にその姿は無く、まるでシャルロットを避けるようにして人々が立ち去っていた。
静電気王女。そのあだ名は、シャルロットの傍に居ると、注意や小言といった、まるで静電気のような面倒事に巻き込まれてしまう。そんな皮肉が込められた由来から来ていた。
「せっかく空きましたのに……。いいですわ! ならば、わたくしが利用させていただくまでです」
「もっしもーし」
「っ!?」
急に後ろから肩を叩かれたシャルロットは、驚いた様子で振り返る。するとそこには、変わった髪色のした東洋系の男が立っていた。
「もしかして、君が噂の『静電気王女』?」
「なっ……! なんですの、貴方! 初対面で無礼なことをっ!」
この時既に、シャルロットは周りから呼ばれている自身のあだ名について知っていた。しかし、面と向かって堂々と呼ばれたのは初めてである。この瞬間、シャルロットの中で男が、失礼な人であるという部類に分けられた。
「ねぇ。ここ空いてるなら、使っていい?」
「何故、突然現れた貴方に席を譲らなくてはならないのですか?」
「いや、だって……。この座席を全部1人で使うつもり? もしかして、『静電気王女』のいう名には傲慢さも含まれてるのか?」
マイペースなのか、想像以上に失礼なのかは分からないが、目の前の男はどうやらシャルロットの地雷を踏むのが上手いらしい。
「わたくしには『シャルロット・クラウゼ』という名がありますの! 金輪際! 二度と!! そのあだ名で呼ばないでちょうだい!!!」
「あ、そう。じゃあシャルロット、俺の連れはあと1人だから、同席しても良いかな?」
「なっ……!? な、名前を、しかも呼び捨て!?」
しかし、シャルロットの怒りも虚しく、男はペースを全く崩さない。しかも、相変わらず座席のことばかりを気にしている。
男は怒りで顔を真っ赤にするシャルロットには目もくれず、ついには空いている席に、図々しくも腰を下ろしてしまった。
「俺はカケル・カザマ。同じ1年生だ、よろしくな」
今にも地団駄を踏みだしそうなシャルロットに対し、カケルはいつもの人懐っこい笑顔を向けた。この時、シャルロットはカケルの笑顔に対し、妙に毒気を抜かれたのを覚えている。
これが、カケルとシャルロットの初めてのファーストコンタクトである。それは、決して良い出会いではない。むしろこの時は、シャルロットにとってカケルは完全に関わりたくない男だった。
どうしてこうなったのかは分からない。その後、シャルロットは出会ったばかりのカケルと、向かい合って会話をせざる得ない状況になっていた。
「ここはシチヨウでガリ勉が多いから、大きな問題になってないけどさ……。余所だと危ないぞ?」
「わたくしは、間違ったことをしていませんわ」
カケルの言い分を、シャルロットがキッパリと突き返す。こういった類の指摘は、聞き飽きているからだ。しかし、この時のシャルロットの心情は複雑だった。
やはりカケルも周りと同じで、やることを否定してくる。このことに対し、妙にショックを受けている自分自身に、シャルロットは驚きを隠せなかった。
「いや。シャルロットのやってることは正しいよ」
「……はい?」
「俺が言いたいのは、そうじゃない。もっと器用にやれってこと」
しかし、シャルロットの予想に反し、カケルはシャルロットの行動自体を否定はしなかった。
「俺が見本を見せてやるよ。ちょーっと待ってろ」
「ちょっ……。貴方、何をなさるつもりですの!?」
すると、徐に席を立ちあがったカケルは、2つほど通路を挟んだ席に座る、男子生徒のグループに近付いて行った。その集団はまるで、先ほどシャルロットが注意した男子生徒たちによく似ている。
「よぅ、ケビン! 元気か?」
「カケルか。というか、お前の方が大丈夫じゃないだろう。見てたぞ、もしかして『静電気王女』から逃げてきたのか?」
どうやら集団の中に居る1人と、カケルは顔見知りのようだ。カケルは挨拶がてら、スムーズに会話に割り込むと、そのままケビンの横に腰を掛けてしまった。
その一連のカケルの行動を、シャルロットは内心冷や冷やとしながらも、目が離させないでいた。
「やだ。見てたの? うかつに手を出したは良いが、今にも火傷しそうなの」
カケルは冗談っぽく乙女の仕草をすると、ケビンに「きもい!」と言われながら頭をはたかれていた。
そんな手荒いケビンの突っ込みに対し、カケルは笑顔を絶やさない。そして、自身の頭をさすりながら、本題に持ち込んだ。
「それよりもさ、あそこに可愛い女子生徒いるだろ? あの子が席が無いって言ってたのが耳に入ったんだよな。なぁ、ちょっくら帰りがてら声掛けてこいよ。お近づきになれるかもしれないぞ?」
「……マジで? お前ら、さっさと片付けろ! あの子たちに席を譲りに行くぞ!」
「おいおい、俺たちまで巻き込むなよなぁ」
「うるせぇっ! 隣の金髪の子なんて、まさにお前好みじゃねーか!」
「うっそ、どこどこ!? やばっ、レベル高ッ!」
たった一言である。カケルのその言葉は、みるみる内にケビンたちの集団で盛り上がりを見せた。そしてついに、誰もが自主的に片付けをし始めたのである。
テーブルの上が綺麗に片付け終わると、ケビンは最後にカケルに向かって親指を立てた。そして、席を待つ女子生徒たちの元に、自ら声を掛けに行ったのだ。
「どうよ。ざっとこんなもんよ!」
それからすぐに戻ってきたカケルは、シャルロットに満面の笑みでピースをした。
シャルロットは、驚きで言葉が出なかった。確かにカケルは先ほどシャルロットがやったことを、そっくりそのまましてみせたのだ。しかも、揉め事を一切起こさずに。
「シャルロットは賢いだろ。俺が何を言いたかったのかは、既に理解してくれているはずだ」
「わたくしは……。貴方を随分と誤解していたようです。己の正論を押し付けるあまり、周りのことに気を配れていなかったのですね」
「アイツらにも、プライドや信頼関係はあるからな。特に正論をいう時は、必要以上に気を配れってよく言うだろ? こっちの意見を聞いて欲しい時こそ、それ相応の気配りや努力は必要になってくる」
すっかり大人しくなってしまったシャルロットをみて、やっぱり良いとこのお嬢さんだなぁ。とカケルは感心していた。
カケルがシャルロットに対してしたことも、正論を言ったのと変わらない。しかし、反発することもなく素直に受け入れてくれたのは、シャルロットの性根の素直さがあったからこそだ。
「何かを変えたければ、まずは信頼関係を築いていこうぜ。というわけで、不器用なシャルロットに、とっておきの友人を紹介しまーす」
「ごーめん、待った……って、もしかしてデートのお邪魔だった? この短時間でゲットしたの?」
どうやら、カケルが待ち合わせてしていた相手が到着したようだ。現れた女性は、思わずシャルロットも視線が釘付けになってしまうような、とても可愛い容姿をしていた。
「アホか。それより、よーく見てみろ?」
「んん~? わぉ! この子って噂の『静電気王女』じゃん!!」
前言撤回。失礼な男の知り合いは、やはり失礼だった。可愛らしい仕草と共に、口にするあのあだ名に、シャルロットは今にもテーブルを叩きそうだった。
「この、品のない女性は……どちら様でしょうか?」
しかし、カケルの時のように、初対面の女性を怒鳴りつけるわけにはいかない。シャルロットは笑顔を引きつらせながらも、丁寧な口調で問いかけた。
カケルと女性は、そんなシャルロットの言葉を聞いて、目を丸くした。そして、なにやら不思議そうに互いに顔を見合わせている。
「はははっ! 『品のない女性』だってよ~!! ウケる!!」
「面白い子だねぇ~! 初めまして、僕はマシュー・ハワード。嬉しいなぁ、僕のことを女性だって思ってくれているんだね!」
「女性? それのどこが……待って、マシュー・ハワード? どこかでその名を耳にしたことがありますわ……確か……っ!? 貴方はもしや、あのハワード家のご子息!? しかも、殿方でしたの!?」
少々世間知らずなシャルロットに対し、マシューはとっておきの相手であるとカケルは予想した。こうしてカケルが、シャルロットとマシューを引き合わせたことをきっかけに、2人はかけがえのない友情を築いていくことになる。
「いやー、懐かしいな。あの頃と比べると、シャルロットは随分と丸くなったな」
「過去の自分を思い返されるのは、少々恥ずかしい気もしますが……。しかし、世間知らずなのもまた、あの時のわたくし自身ではありました」
過去の思い出話に花を咲かせながら、シャルロットは少しずつ落ち着きを取り戻していた。
それは、思い返せば返すほど、自身がどれだけカケルに救われたかを実感できたこともある。
「カケル。わたくしは、貴方に本当に救われましたの。カケルとの出会いは、貴方が考えている以上に、わたくしの人生に大きなきっかけを与えてくれました」
「そうか? 改めてお礼を言われると、何だか照れるな。でも、そう言ってもらえるのは、俺も嬉しいよ」
カケルはその性格から、普段通りの行動をしたに過ぎない。それに対し、こうして丁寧にお礼を言われると、何だかむず痒くもある。カケルはそんな自身の照れを隠すように、指で頬を掻いていた。
「あの頃から、わたくしは貴方を尊敬していました。共に過ごすようになってからも、その想いは薄れるどころか、積み重なるばかり――」
「シャルロット?」
まるで心の中を整理をするかのように、気持ちを吐露し始めるシャルロットに、カケルは不思議そうに首を傾げている。
カケルが隣を見ると、そこには何かを決心したかのように、胸の前で両手を握り合わせるシャルロットの姿が目に映った。
「カケル、驚かないで聞いてくださいね。わたくしは、あの頃からずっと貴方のことをお慕いしておりました。その中には尊敬の気持ちもありますが、それだけではありません」
カケルは思わず息を呑み込んだ。それは、シャルロットから向けられている視線が、今まで見たこともないくらい、真っすぐとカケルを捉えていたからだ。白い肌は赤味を増し、薄紫色の瞳が水分を増しているのか、いつも以上に潤って見える。
ここまでくると、カケルは何となく予想ができた。これからシャルロットが、何を言葉にするのかを――。
「わたくしは1人の男性として、貴方のことが好きです」
シャルロットは透き通るような声で、真っすぐな気持ちをカケルに伝えた。




