黒岩才人
シャトルから降りたカケルは、自習室が集まる区域を歩いていた。
自習室は、パーテーションでいくつかの個室に区切られたAからL室。スペースが広く、機材も充実したグループワーク向けの1から7号室がある。
カケルが向かうのは、この廊下の端に位置する――第7自習室だ。
部屋の前に辿り着くと、そこには「第7自習室」と表示された扉が現れる。しかし、扉の前には、赤く警告の意味を表した、侵入禁止のホログラムが投影されていた。
「何度見ても、この暴虐不尽っぷりには感心させられるな。が、これによって、俺が助けられているのも事実だ」
通常であれば、進入禁止表示を無視して通過しようとすると、アラート音が鳴り響く。
しかし、カケルは気にする素振りもなければ、堂々とホログラムを突っ切った。しかし、どうしてか警告音は鳴らなかった。どうやら、このホログラムはフェイクのようだ。
自習室の中は、日中にも関わらず薄暗かった。その理由は、窓の設定が全て、遮光に切り替えられているからだ。
そして、部屋の中央に設けられた長机には、誰の姿も見当たらない。しかし、机の上や床といった、部屋の至るところには、大量の本が散らかされている。その様子からも、誰かがこの部屋を利用しているのは間違いない。
カケルは、部屋の不気味さを物ともせずに、窓の設定やらを操作しながら、奥へと進んで行った。
「だ、誰!?」
すると、本の山に見えていた場所が、少しだけ揺れ動いた。真ん中から突き出ている丸い物体は、どうやら人の頭部のようだ。
「今更、『誰?』じゃない。というか、俺しかいないだろう」
「か、カケル? ビックリした……。驚かさないでよ」
本の隙間から顔を覗かせたのは、小柄で色白の男。その表情はどこか怯えた様子で、眉は自信なさげに垂れ下がっている。
どうやら、彼が噂の「サイト」と呼ばれる人物のようだ。
小柄な男は、サイト・クロイワ(黒岩 才人)。サイトもカケルと同じ日本出身で、2人は幼少期からの幼馴染だ。
両サイドに分けられた長い髪は、カケルと同じ黒色でも、サイトの方が深みのある色だ。癖毛なのか毛先部分だけが、それぞれ弧を描いて四方に散っている。そのおかげか、無造作に伸びている割に、重みを感じさせない印象に仕上がっていた。
大きな下三白眼が特徴的で、人に与える印象はカケルと対照的である。さらに、小柄な体と猫背が合わさって、その挙動は可愛らしい小動物のように見えなくもない。
この外見に騙されて、今まで何人もの人が大怪我をしたことやら……。
あどけない表情を見せるサイトに、カケルはそう思わずにはいられなかった。
サイト本人の姿が確認できたので、カケルは一度視線を逸らすと、部屋の隅へと視線を向ける。そこには、不自然に重ねられた本の集まりが置かれていた。
不思議に思ったカケルは、近付いて中を覗き込む。本の間で、身動きを取れない自動清掃機が、何度も同じルートを徘徊しているではないか。
「おいおい、本来の仕事くらいさせてやれよ。この子、すっごく困ってるじゃん」
「だって、視界に入って気が散る……。待って! 勝手に本を移動させないで! グループ分けしているんだから!」
本を移動させようとしているカケルの行動に、サイトは慌てるようにして大声を上げた。
サイトの言うグループ分けとは――読了、再度読む、調べたい箇所有り。なのだろうと、付き合いの長いカケルは瞬時に理解した。
その細かさを、ちょーっとだけ周りに割いてくれれば、俺の心配も減るんだがねぇ……。
カケルはそんなことを考えながら、迷える自動清掃機に視線を落とした。そして、永久迷路から脱出できたことを確認すると、動かした本を黙々と元の場所へと戻した。
「ちゃんと戻したからな。ほら、昼飯の時間だ。食堂に行くぞ」
「待って。あと数ページで、この本が読み終わるから」
どうやらカケルが此処に来たのは、サイトを昼食へ連れ出すのが目的のようだ。しかし、相手もなかなかの強腰だ。動く気配も見せなければ、本に視線を向けたまま、会話を続けている。
「だぁぁー……いっつもそう言う。俺は毎日、寸分狂わず時間通りに来ているんだが? いい加減、カケルアラームでも設定しとけ」
「そう言いながらも、カケルは待ってくれる。優しいから」
毎日。そう、カケルが大学に来ている日は、こうしてサイトを昼食に連れ出すのが日課だ。もはやそれは、仲良しの度を超えて、異常ともいえる。
しかし、こうでもしないと、サイトは永遠にこの場所から動かない。冗談に聞こえるかもしれないが、サイトの知識への執着は、周りの人間だけではなく、大学内でも有名だ。
それは、サイトが、このシチヨウ開校以来の「天才」だからではない。
サイトは、入学早々ある事件を起こしている。それは、カケルがシチヨウに入学して、2週間も経っていないときのことだ――。
シチヨウは、世間一般で知られる普通の大学ではない。地球規模の組織――「UTE」が管理する大学の1つだ。
これらの大学は、三大星門大学と称され、アメリカ圏の「コスモバード」、ヨーロッパ圏の「プリンスブリッジ」、そして、アジア圏の「シチヨウ(七曜)」の3つだけが存在している。
三大星門大学に入学するには、優秀な頭脳だけではなく、家柄なども含む、あらゆる条件を満たす必要がある。入学条件が難関であるからこそ、三大星門大学を卒業した者には、将来において、特殊な選択権を得ることができる。
例えば、UTEの幹部クラスを目指すには、いずれかの三大星門大学を卒業していることが最低条件だ。他にも、地球全土で貢献する一流企業へと就職する者も多い。
そんな名門大学であるシチヨウに、晴れて合格したカケルは、入学早々多忙な毎日を送っていた。高校と大学では、あらゆる事柄がガラリと変わる。大抵のことは何でも卒なくこなすカケルでも、入学して間もない頃は、新しい生活に手一杯となっていた。
目まぐるしい初週を終えた頃、カケルはふとサイトの家へと足を運んだ。同じ地区に住むサイトの家は、カケルの家から徒歩圏内にある。
「カケルくん、久しぶりね。ところで、うちのサイトを大学で見かけたかしら? オリエンテーションとは聞いているのだけど。あの子、ここ数日ずっと家に帰ってきていないのよね」
しかし、玄関から姿を現したのは、サイトではなくサイトの母親だった。
「…………はい?」
そして、紡がれた言葉にカケルは絶句した。同じ大学に通っているからこそ、その話が嘘であることに、カケルはすぐに気が付いた。
大学生の外泊といえば、サークル活動や異性関係が一般的だが、どれもサイトには当てはまらない。そう思ったカケルは、急いで大学へとUターンした。
本日2度目となる通学を終えると、辺りは既に真っ暗だった。昼間は賑わっていた校内も、今やほとんど人影がない。
「ありえない。少し目を離した隙に、こんな事態になっているとは……。というか予測できるか? もう俺らは大学生だっての!」
周りに人が居ないことをいいことに、カケルは胸につかえていた思いを吐き出した。そして、ぶつぶつと文句を言いながらも、PMCにインストールしたばかりの校内マップ開く。
校内マップに記された施設は、カケルもまだ足を踏み入れたことがない場所ばかりだ。一通りマップを見渡した後、カケルはある区域に目を止めた。
「絶対ここだな。というか、ここ以外はありえない」
サイトが今何をしているか。カケルには予想が出来ていた――新しい知識の探求だ。
新入生でそれが叶うのは、図書室か自習室のどちらか。そして、サイトは他人を避ける傾向がある。さらに、何日も家に帰っていないとなれば、十中八九、自習室で間違いないと、カケルは確信した。
場所を特定できれば、後は限られた空間で本人を探し出せばいい。そこから、カケルがサイトの姿を見つけるまでに、あまり時間はかからなかった。
「なんてこった。シチヨウの神聖たる共有施設が、サイトに私物化されているなんて……!」
この日、初めて第7自習室へと足を踏み入れた時のことを、カケルは一生忘れないだろう。
籠った部屋の空気、鼻を刺すのは人の油臭さ。そして、暗闇の中、ガサガサと動き回る1つの人影。
「カケル? 随分と久しぶり。それより見てよこれ。グリストバースが『L-PLN6』に宛てた、未開拓の惑星に関する報告書! それに、こっちは――」
――それより?
それが夜中にわざわざ探しにきた、友人に対する言葉か?
カケルは心の中でため息をつくと、ある違和感に気付いた。
興奮するサイトの後方には、暗闇の中、怪しく光る電子画面が点灯している。その光景と、先ほどのサイトの発言を合わせると、そこから考えられることは1つだった。
「他星の資料が、なんでこんな所に……。うっわ! やっぱりこいつ、ハッキングしてやがった!」
UTEと繋がりのあるシチヨウでは、一般では極秘とされる情報を取り扱うことがある。そのため、生徒の閲覧権限などは厳重に管理が行われているはずだ。
しかし、サイトは自習室に設けられた共有端末から、シチヨウのメイン端末にアクセスをしているのだ。それも、厳重なセキュリティなど物ともせずに。従って、サイトが取り憑かれたように読み漁っていたのは、どれも禁書と定められるデータで間違いない。
「ソルス3号星には、僕らと同じ……。あれ? おかしいな。景色とカケルが回って、見え――」
まるでスローモーション映像を見ているようだった。呆然と立ち尽くすカケルの目の前で、サイトはその言葉を最後に、ゆっくりと後頭部から真後ろへ倒れていった。
「さ……サイトぉぉぉーーー!!?」
あまりにも突然の出来事に、カケルはぎょっと目を見開き、慌ててサイトの元へと駆け寄った。
「ちょ、ありえないんですけど。この状況、どうしろと!? というか、こっちも放置していたらマズいだろ!」
カケルの視界に映るのは、サイトが犯した数々の証拠。いかにシチヨウの生徒とはいえ、セキュリティ管理された、国家機密にも関わる情報にアクセスするのはまずい。
この後、カケルは限られた時間の中で、容態確認、関係者への連絡、証拠隠滅といった全てを同時にこなした。
本人曰く、半泣きだったという。
深夜のシチヨウには、教職員、救急隊員、そして大勢の人が駆けつけた。
この夜の出来事は、シチヨウの歴史でも伝説として、今もなお語り継がれている。
ちなみに、医療施設がサイトに下した診察結果は、不健康の代名詞といえる単語が数多く並べられていた。
そんな過去の出来事を思い出しながら、手持無沙汰であるカケルは、置かれた本の中から1冊を手に取った。この場にある本の中にも、禁書は含まれている。
しかし、あの頃とは違う点が1つだけあった。たった2年足らずで、サイトは大学から功績を認められ、正式に禁書閲覧権限を手にしたのだ。
「今は何を読んでいるんだ?」
「バイドゥー民族の本。生活習慣を軸に、独自の民族語を解読できないか試しているところ」
「ふーん。相変わらず好きだな、そういうの」
サイトの知識はあらゆる分野に精通している。しかし、中でも本人が社交性を不得意とする割には、民族学や言語学といった人に関する分野を好む傾向がある。
こういったサイトの一面を、カケルは面白いと感じている。
「そういえば、カークから伝言。『たまには中庭に顔を出せ』って」
会話をきっかけに、カケルはカークからの伝言を思い出すと、サイトへと伝えた。
「僕が? なんで?」
サイトは珍しく本から視線を外すと、眉間に皺を寄せ、心底嫌そうな顔をカケルに向けた。その心境は「面倒」という2文字で埋め尽くされているのだろう。
「その頭を使って、よーく考えろ。バイドゥーの前に、まずはカードゥーだ」
カークも生きる人間だ。従って、好みの分野との違いはない。そう言わんばかりに、カケルはサイトに設問風で問いかける。
少しは興味が湧いたのか、サイトは机に肘を付くと、両手の人差し指をリズミカルに合わせながら考え込んだ。
「中庭……あ! じゃあ、後でドローンをそっちに送るよ。顔も出せるし、要件も聞けるよね」
「やっぱりそう来るか。んー……まぁ、いいか。後は言い出しっぺのカークに任せれば」
予想的中。といわんばかりに、カケルの笑い声が自習室へと響き渡る。
おそらく、次にカケルの脳裏に浮かんでいるのは、戸惑いを隠せないカークの未来の姿だろう。
そんなカケルの姿を見て、サイトは理由が解らないのか、不思議そうに首を傾げている。
天才であり天然――彼がカケルの幼馴染のうちの1人、サイトだ。