最後の3人目
例の銃撃事件から数時間が経った頃――。
早くも噂を嗅ぎつけてきたのか、何組かの報道陣がA-TEC本社前の広場に集まっていた。
「本日のお昼頃、A-TEC本社に銃器を持った何者かによる、乱射事件があったという衝撃の速報が入りました。犯人は既に拘束されており――」
やはりマスコミの耳は早い。どこから情報を仕入れたのかは不明だが、既に大まかな概要は把握しているようだ。
「あの、A-TEC社員の方でしょうか? よろしければ、少しお話を――!」
「す、すみません。通してください、お話しすることは出来ません。会社の決まりですので……」
ビル周辺を歩くスーツ姿の社員は、格好の餌食である。すぐに周りを囲まれ、少しでも情報をこぼさないかと複数のマイクを向けられている。
「これはこれは、随分と賑やかですね」
普段とは異なる辺りの様子を、とても楽しそうに眺めながら歩く1人の男が居た。男は長く伸ばした襟足を風になびかせながら、その華奢な体格を活かして、人混みの間をするりと抜けていく。
その男のすぐ後ろには連れなのか、長い髪の女性が続いている。毛先にかけて綺麗な青のグラデーションが描かれており、とても美しい。
緑と青。その2人組は、一際目立つ髪色をしているにも関わらず、報道陣の目には止まらない。その容姿が派手すぎて、A-TEC社員だと思われていないのかもしれない。
「なぁ。今通った奴に、話を聞かなくていいのか?」
「どの人? あぁ、あれね。来客とかじゃないかしら」
2人が通り過ぎた後に気づいたのか、特徴ある後ろ姿を目にした報道陣は、スルーして正解だったという結論に至った。
すると、その話が耳に入ったのか、別の1人が話題に挙がっている人物を振り返った。
「……おい、ちょっと待て。馬鹿野郎ッ! なんて大物を逃してくれてんだ!!」
「え? 今のが大物?」
しかし、その男が大声を出した時には、既に手遅れだった。
2人は会社関係者しか入ることが出来ない、侵入禁止区域の先に姿を消していた。
「嘘でしょう……。そんな……これは、夢ですか?」
エントランスに入るや否や、緑色の髪の男は、目の前に広がる光景に絶句した。先程まで浮かんでいた爽やかな笑みは消え、手をわなわなと震わせている。
事件から時間が経ったとはいえ、エントランスは現場証拠として、今もなお事件当時のままで維持されていた。床一面に散らばったガラスの破片、壊されたヒューマノイド。血痕という生々しいものも、未だ拭き取られず残ったままだ。
当時のことを知らない人が見れば、この変わり果てたエントランスに驚いてしまうことは仕方がなかった。
「あぁ……! 僕の『H6』が! あちらにあるのは、『B4』ですか!? 一体、誰がこのような酷いことを!?」
男はすぐさま、一番身近に転がっている、ヒューマノイドの残骸がある場所に駆け寄った。シワひとつないベスト姿にも関わらず、汚れた床に膝を付き、横たわっているヒューマノイドへと手を伸ばす。
「リアム様、触れてはいけません。証拠として保管されているものです」
付き添いの女性は、今にもヒューマノイドに触れてしまいそうなリアムに対し、すぐさま静止の言葉を入れた。
リアムは、あと少しというとこで、何とか思い止まった。そして、悔しそうに顔を上げると、近くに居た他社員の存在に気付いた。
「そこに居る貴方。誰がこのようなことをしたのか、ご存知ですか?」
「ひぇっ!? り、リアム統括!?」
社員は急に声をかけられたこと、しかも、その相手が統括であることに気付き、完全にパニック状態だ。
「早く答えなさい。リアム様が問いかけているのです」
追い討ちを掛けるようにして、女性がすかさず睨みを利かせる。まるで日本人形のように、切り揃えられた前髪から覗く瞳には、相手を威嚇する目力が宿っていた。
休出を強いられた挙句、他部署の上長に絡まれるなど、完全に不運の重なりだ。偶然にもこの場に居合わせただけなのに、可哀想である。
「これは、そのっ……。外から男が乱入しまして、それをガイルズ統括が……!」
緊張からか、社員の声は裏返り、説明する内容はあまりにもたどたどしかった。
「ガイルズさん? 少々荒い方ではありますが、まさかこのような蛮行をされるとは」
リアムはこの状況を、ガイルズがしでかしたものだと解釈していた。完全に話が食い違っている。
社員は慌てて訂正しようとしたが、その声を遮ぎったのはテレサだった。
「消しますか?」
「いえいえ、消してはいけませんよ。テレサ」
消すとは、もしやガイルズのことだろうか? おっかない発言をするテレサに、リアムは爽やかな笑顔を浮かべながら冷静に否定する。
その対照的なやりとりは、まるで茨とスポンジのようだ。そして、部門間での派閥争いにも取れるその発言に、社員は体を震え上がらせた。
「2人共、もう到着していたのね。まずはその人を解放してあげましょうか。パワハラで訴えられますよ?」
すると、エレベーターホールからヒール音を響かせ、姿を現したのはシェリーだった。社員にとって、その姿は女神にでも見えただろう。
「言っておきますが、ガイルズ統括は何もしていませんよ。むしろ、この混乱を迅速に治めた、感謝すべき相手です」
「おや? 危うく勘違いしてしまうところでした」
笑顔で首を傾げるリアムのあざとさに、シェリーはメガネの奥でその目をひくつかせた。
彼はリアム・ニルソン。物腰が柔らかい男ではあるが、その功績はA-TECでも歴史に残るほどだ。何しろ、A-TECのヒューマノイド事業を最初に手掛け、立ち上げたのは、このリアムである。そして、現在はその名前を変え、「研究開発部門」として統括を勤めている。天才的な頭脳と、周りから一目置かれるような美貌をかね揃えており、今までも数多くの女性を魅了してきたであろう。「早くに身を固めて欲しい」とは、統括補佐であるシェリーが頻繁に口にするぼやきである。
「遅くなりましたが、出張お疲れ様でした。ここにいてもしょうがないので、上に行きましょう」
「せめて1人だけでも、上に連れていきたいのですが……」
リアムは目の前に倒れている「H6」の側を離れられず、まるで捨てられた子犬のような目をシェリーに向けている。
「駄目です。明日の午後までは現場保存という指示が出ています。テレサ、リアム統括をお願い」
シェリーはリアムのお願い事をキッパリと断ると、無視するようにエレベーターへと向かう。
後ろでは、「あぁっ……!」と妙に色気のある声が響き渡るが、シェリーが振り返ることはなかった。十中八九、テレサがリアムを強引に引きずっているに違いない。
研究開発部門の部屋に入ると、3人は各々の自席に着席した。とはいえ、統括補佐であるシェリーとテレサの席は、リアムの両隣に位置している。
「ガイルズさんもですが、今日はリーフェイの双子に、社長も居たのですよ。珍しいですよね? 役員会議でもないのに、こうして統括が全員揃うだなんて。しかも休日に」
書類仕事で手を動かしながらも、シェリーは統括が全員この本社に集まっていることを、珍しそうに呟いた。
言うまでも無く、社長や部門統括は多忙である。生物部門であるミラを除けば、他は出張や営業など、各地に赴いていることが多い。こうして同じ日に本社に集まるなど、重要な会議や臨時招集くらいで、それ以外は通信を概して、個々で連絡を取り合うことがほとんどだ。
「それは随分と珍しいですね。他に変わったことありませんでしたか?」
リアムの視線は、初めから書類やモニターに向けられておらず、手元にあるヒューマノイドの部品に夢中である。もしかすると、その部品は1Fからこっそりくすねてきた物なのかもしれない。
「偶然ですが、久しぶりに社長の娘のアリアちゃんと、連れのカケルくんに会いましたね。2人共、少し見ない間に、すっかり大人びていました。来年から社会人だそうです」
すると、リアムはその話題に興味を持ったのか、顔を上げ、全体重を椅子に預けるようにして体を傾けた。
「それはそれは。前回に訪れたのも、ちょうど半年前でしたね。その前は7ヶ月前。8ヶ月、11ヶ月……と、必ず半年から1年の間に、彼女は此処に訪れていますね。ふむ、実に定期的だ」
リアムは、手元でネジをくるくると回しながら、まるで何か面白いものでも見つけたかのように目を輝かせた。
シェリーはその呟きを聞いて、ハッとしたように顔を上げた。
「もしかして、調べたのですか!?」
「はい。気になったもので。少々、来客記録を拝見させていただきました」
リアムはいつもの笑顔を浮かべながら、サラリと答えた。リアムの言う拝見とは、十中八九、無断で会社の記録データにアクセスをしたのだろう。
その行為は、如何に統括と言えど、個人情報の取り扱いに関するコンプライアンスに抵触する。
頭痛がすると言わんばかりに頭を抱えるシェリーに対し、リアムは反省した様子も無ければ、椅子を左右に揺らしていた。
「また勝手に……。せめて一言くらいは相談してください。それに、アリアちゃんは社長のご家族ですし。何ら不思議な点はありませんけど?」
「そう思いますか? 僕は逆に気になりますけどね。あの社長が個人的な案件を、わざわざ社内に持ち込むだなんて、ね?」
つらつらと楽しそうに考えを述べるリアムに、シェリーはすっかり顰めっ面になっている。
「社長と揉め事なんて、絶対にやめてくださいね?」
興味を持ったことに関して、遠慮を知らないリアムに対し、シェリーは念押しを欠かさない。
無断でアリアの訪問記録を調べた事実ですら、あのアキラに知られるのだけは絶対に避けたい。
「安心してください。僕から何かをする気はありませんよ。社長は怒らせると怖いので」
リアムもアキラとの揉め事は避けたいのか、すぐに両手を上げて降参ポーズを見せた。過去にリアムはあのアキラを怒らせたことがあるのか? そのような話、一般社員が耳にすれば、顔面蒼白ものである。
そして、リアムは椅子をくるりと後ろ向けると、ガラス張りの窓の外を眺めた。既に日は落ち、辺りはすっかり暗くなっている。街頭が照らされた綺麗な街並みの横に、反射したリアムの顔が映し出される。その表情は先ほどまでとは違い、とても真剣な眼差しをしていた。
「もちろん、必要がなければ……ですけどね」
最後に呟かれた言葉は、出張から大量に持ち帰った仕事の山を対処するシェリーの耳には届かなかった。
テレサだけは一言も発さずに、綺麗な姿勢を保ったまま、そんなリアムの姿をじっと見つめていた。




