その真意
アキラに連れられ、カケルは生物部門が管理するフロアに移動した。部屋に入ると、そこにはアキラを呼び出したミラ、そしてヒサトの姿があった。
部屋は機器の都合か、全体的に薄暗く、大きなガラス張り区切られ2つの空間に分けられていた。奥の部屋に設置されたベッドの上には、診察服に着替えたアリアが横になっていた。
「ミラ。休日の対応に感謝する」
「いいですよ。その代わりに、ちゃーんと代休を取らせていただきますから」
アキラとカケルが到着したことに気付いたミラは、大きなモニターから目を離し、椅子を回転させて後ろを振り返った。短いスカートにも関わらず、大胆に足を組むミラは、社長であるアキラの前でも変わらない態度だ。
「一通り調べたけど、今回も特に異常はなし。問題は見当たらないわね」
ミラは指差した画面には、細かい波形がいくつも映し出されていた。こうして何度も見てきたカケルは、それが何を計測しているかを理解していた。これは全てアリアの脳波である。
波形は一定のリズムを刻みながら、綺麗なサイクルを描いている。一般人が見ても、規則的に刻まれており、異常があるようには見えなかった。
「このまま終わりにしますけど、構いません?」
「あぁ。問題ない」
アキラの許可が下りたところで、ミラは手元のキーを操作し始める。検査終了に向けての準備を進め始めたようだ。
「では、私は戻るとしよう。カケル、またこちらから連絡をする」
アキラはそのまま踵を返すと、カケルの肩を数回叩き、そのまま部屋を後にした。
アキラが去った後も、カケルはしばらく呆然と横たわるアリアを眺めていた。その表情はどこか硬い。
アリアは今もベッドに横たわったまま、静かに目を閉じている。その頭には、脳波を計測するための機器がいくつかも繋げられている。
ガラス越しの向こうからは、こちらを見ることはできない。そのため、アリアは、この健康診断をアキラやヒサト、そしてカケルが見ていることを知らない。
「あと5分もすれば、目を覚ますわ。それまでにアンタは戻っときなさいよ」
「……了解っす」
脳波を測定するためなのか、今のアリアは本当に眠っているようだ。
ミラに声を掛けられたカケルは、小さな返事を返すと、そのまま部屋から退出した。
カケルは長い廊下を、1人歩いていた。差し込む日差しとは対照的に、その表情は暗く、黙々と前を向いて歩いている。
いつもと何一つ変わらない、アリアの健康診断。しかし、アキラが何故、わざわざこの場に足を運び、カケルを連れて来たのか。その意味を、カケルは十分に理解していた。
「アキラさんは、今でも俺を赦していない」
アキラは、カケルを戒めているのだ。アリアの存在、そして、この状況を。この平凡にも見える一連のやり取り全てに、アキラの思惑が含まれている。
これらは、「10年前のあの出来事」から欠かさず繰り返されている。それは、アリアとサイトにも知られていない、アキラとカケルだけの暗黙の了解。
そして半年後には、再びカケルのPMCにメッセージ届くのだ、「アキちゃん」からの呼び出しが。
カケルはその後、共有フロアに設けられた社員食堂に来ていた。あまり食欲は無いが、テーブルには軽い軽食と飲み物が置かれている。なんとなく気分転換をしたかったのだ。
すると、カケルを見つけたアリアが、こちらに手を振りながら歩いて来た。その服装は元のワンピース姿だ。
「お待たせ。言うまでも無く、問題なかったよ。思ったよりも早く終わって良かった」
「そりゃよかった。悪いな、ちょっと小腹が空いちゃってさー」
食堂に移動するというカケルの伝言は、どうやら無事にエマからアリアに伝わったようだ。アリアは向かい側の席に座ると、飲み物を注文していた。
「ヒサトさんは?」
「ついでにお父さんとの仕事を済ませてくるって。お父さんを捕まえるのは大変だからね」
アキラは普段から多忙なため、こうして社内で捕まることは珍しい。それもあってか、ヒサトは一時的に社内業務を優先させたようだ。もちろん、アリアがA-TECを出る際には、連絡する約束になっているらしい。
「ここに来る時、偶然お父さんを見かけたんだけど、カケルも会って話をしたみたいだね?」
「あぁ。ついでに俺の進路に関する報告とか。そうそう、例の『人体保護法案』の件とかな」
カケルはアリアの問いかけに対し、本当にやり取りした内容とは別のことを話題に出した。
アリアの中では、カケルとアキラは仲が良いと認識されている。それは、あの気難しいアキラが、カケルと頻繁に会ったり話す機会があることは知っているからだ。しかし、実際に話される内容に関しては、具体的なことは知らない。
「お父さん、落ち込んでいた?」
「いいや。ケロっとしてたよ。まだまだ戦う気満々だったし、心配は不要じゃないかな」
「そっか。良かった!」
安心したように胸を撫でおろすアリアを見ながら、カケルは注文していたドーナツを口に含んだ。
実際には、アキラとこの話題については一切触れてはいない。しかし、他に追及されるよりはマシだと判断したカケルは、そのまま話題に乗っかることにした。
「あれ? もしかして、アリアちゃんとカケルくん?」
すると、少し離れた場所から、カケルとアリアの名前を呼ぶ声が聞こえてきた。2人が振り返ると、そこには背が高い、白衣を着たメガネの女性が立っていた。
「シェリーさん!」
「やだ。ほんと、偶然! 今日は2人でどうしたの?」
口いっぱいにドーナツを含んでいたカケルは、声を出すわけにもいかず、咄嗟にアリアに合わせて立ち上がりお辞儀する動作だけを真似る。
「今日はお父さんに届け物があって。最近忙しくて、家に帰ってこれていないんです」
アリアは健康診断のことについては触れなかった。職権乱用とも言えるそれは、関係者だけの秘密だと、事前にアキラから言い聞かされているからだ。
「あの社長が忘れ物を? ふふっ、それ社内のネタになるわよ! それにしても大きくなったわね~。もう大学生だっけ? ここ座ってもいいかしら?」
女性の名前は、シェリー・ホワイト。所属は「研究開発部門」で、若くして統括の片腕とも言える役割を担うキャリアウーマンだ。スーツの上に白衣と、ミラと類似した格好をしているが、シェリーの服装はとても上品である。長いボリュームある茶髪は、後頭部で1つにまとめられており、肩辺りまでかかっていた。気さくで明るい性格、そして今年で30歳と年も若いため、幼い頃からA-TECに通っていたカケルとアリアとは、こうして面識があり仲が良い。
「……んぐ! シェリーさん、お久しぶりでっす」
「大きくなっても、相変わらず仲良しなのね~。微笑ましいわ」
ようやく口の中の物を飲み込めたカケルは、2人の会話に参加した。
「それを言うなら、シェリーさんとリアムさんだって。今日は一緒じゃないんですか?」
「あれは仲が良いんじゃなくって、見張っておかないと大変なことになるから……。リアム統括はちょうど出張中なの。今日の遅い時間に戻ってくる予定だから、こうして私も休日出勤に巻き込まれ中」
疲れたようにがっくりと項垂れるシェリーに、カケルとアリアは「おつかれさまです」と、心から同情した。
何度も言うが、今日は土曜で公休である。A-TECのような大手企業となると、前線にいる者ほど多忙になっていくのは、避けられないようだ。
「盗み聞きする気は無かったんだけど、『人体保護法案』の件は残念だったわね」
すると、シェリーが先ほどカケルたちが話していた「人体保護法案」の件を持ち出してきた。
「シェリーさんは賛成派ですか?」
「もちろんよ! むしろ、私ような人間だからこそ必要としている。とも言えるわね」
アリアの問いかけに、シェリーは両手で拳を作りながら、断言するように答えた。
「とはいえ、前回の改定でも私は十分救われたけどね。社長には出来ないから、代わりにアリアちゃんにお礼を伝えておくわ」
シェリーはそう言うと、眼鏡の奥でニコニコと笑みを浮かべながら、アリアの丸い頭頂部を優しく撫でていた。
「そうか。シェリーさんの場合、3割だと厳しいのか……」
カケルは気付いたように、シェリーの足があるテーブル下へと視線を落とした。
一見は全く分からないが、シェリーの両足は義足なのだ。それを知るカケルたちは、シェリーのいう「3割」という言葉の重みをすぐに理解した。
「そうよー。仮に私が会社の前で車に引かれて腕でも切断しちゃった場合、治療する前から何も出来ないってことだからね」
その例えはどうなのか……。とカケルは思いつつも、分かりやすい例えに納得した。両足義足ともなれば、それは既に全身の3割に達している。そのため、過去の法律のままだと、万が一があった場合、シェリーは体に医療器具を足すことができなかったのだ。
こうして身近な人間から具体的な話を聞けると、アキラが行った偉業が、いかに世の中の人間に影響を与えているのかを実感できるいい機会でもある。
シェリーのように、A-TECに何らかの縁があって、勤めている社員は少なくはない。シェリーは幼少期に、研究開発部門の現統括であるリアムと出会い、両足義足という人生における新たな選択肢を手に入れた。実際にリアムの片腕として貢献する立場に辿り着けたのも、きっとその恩を返したかったからだだろう。
「そうだ! せっかくの機会だし、ウチのラボを覗いて行かない?」
「ま、マジっすか!? いいんですかっ!?」
「いいわよー。私もリアム統括が戻ってくるまで暇だし。エントランスにも置いていない、とっておきを見せちゃうわよ!」
そのシェリーの提案に、立ち上がりそうな勢いで食いついたのはカケルだ。
何故なら、シェリーの言うラボとはあの「研究開発部門」の心臓部にもあたる場所だ。本来はおいそれと部外者に見せて良いものではないが、カケルとアリアの立場や仲だからこその、特別待遇なのだろう。
「アリアっ、アリアっ! まだ時間、あるよなっ!?」
「うん。もちろん私は良いよ。ふふ。良かったね、カケル」
まるで少年のように目が輝やかせているカケルに、アリアは思わず吹き出してしまった。
「じゃあ、決まりね。善は急げ、さっそく行きましょうか!」
「ぃよっしゃー!」
喜ぶカケルとアリアの姿を見て、シェリーは満足気に頷くと、2人をラボに案内すべく立ちあがった。