アキラとの対談
受付を出ると、開けた廊下がアリアたちを出迎えた。ちょうどビル正面、ガラス張り部分に当たるその場所からは、広大な景色が一望できる。このパノラマ風景の何処かに、シチヨウやアリアたちが住む街も含まれているのだろう。
目の前で艶やかに揺れる金髪の後を、アリアは必死に追いかける。その背中からは、アリアの身近にはいない、華やかなコロンの香りが漂ってくる。
ミラさん、相変わらず大人の女性らしさがあって、羨ましいな。
アリアはそんなことを考えながら、ふと自身の体へと視線を落とした。チャコールワンピースの胸元からは、小さな膨らみが見える。しかし、ミラのような豊満さは無く、きっちりと肌の部分までが布地に隠されている。
「なぁに? もしかしてアンタ、あのガキに気でもあんの?」
アリアの一連の行動に気付いていたのか、ミラはその足を止めアリアを振り返った。
「えっ!? ち、ちがっ……!」
ミラに気付かれているとは思っていなかったのか、アリアは頬を赤く染め、必死に頭を横に振る。
「ふぅーん。まぁ、アタシには関係ないし、興味なんて一ミリもナイけど」
ミラは前を向き、再び歩き出した。しかし、その視線はガラス越しにアリアの様子を追っていた。言葉とは裏腹に、気になっている様だ。
気まずい沈黙が流れる中、ミラは大きなため息を着くと、再び足を止めた。
「いい? 女ってのは、いろんなタイプがいんの。だから、アンタがアタシを目指しても無駄ってこと。自分に合った良さを磨きなさい」
ミラは腰に手を当て、まるでアリアに言い聞かせるよう、指でその小さな鼻をつついた。
「えっと、それは……つまり?」
思わぬミラからのアドバイスに、アリアはキョトンとした。そして、意味を理解しようと、必死に頭を回転させるが、アリアには難題のようだ。
「ほら、男のアンタからも何か言ってやりなさいよ。大切なお嬢様が悩んでいるってのに、気の利いた言葉1つ言えないなんて、世話係失格よ」
「ミラさんが言い出したことに、私を巻き込まないでください」
ヒサトは頭痛がすると言わんばかりに、その額に手を当てた。最後尾で出来る限りの気配を消していたが、どうやら無駄だったようだ。
「ヒサト? ヒサトもアドバイス、あったりする?」
アリアから期待の眼差しを向けられて、無視するわけにはいかない。
「アリア様の魅力は、カケルくんが1番理解していますよ」
ヒサトの言葉に、アリアの表情がパッと明るく切り替わった。
「それよ、それ。澄ましてないで、最初っからアンタが教えてあげなさいよ」
ヒサトを思い通り動かせたことが嬉しかったのか、ミラは勝ち誇った笑みを浮かべている。
「――ですので、ミラさんを参考にしようだなんて、決して考えないでください」
「う、うん。わかった」
「ハァ!? その言い方はアタシに失礼でしょ!?」
そんなやり取りをしているうちに、3人はミラが管理する検査室に辿り着いた。
「カケル様、お待たせしました。準備が整いましたので、奥のエレベーターにお進みください」
「わかりました」
一方、受付で待っていたカケルは、エマに声を掛けられた。
奥のエレベーターとは、1階から使用したものではなく、受付先にある、もう1基のエレベーターのことを指している。
アリアには待っていると伝えていたが、カケルには別の用事があるようだ。
「さてと……、行きますか」
行先は既にエマが指定しているのか、カケルが乗ると、エレベータは自動で動き始めた。
カケルの顔に、いつもの笑顔はない。エレベータの扉を見つめるその眼差しは、どこか緊張を帯びている。
そして、エレベーターは目的地に到着したのか、そのドアが開いた。
カケルを出迎えたのは、エレベーターから直結した大きな部屋、そして窓際に佇む、ある1人の人物だった。
「お久しぶりです。アキラさん」
振り返った男は、昨日ニュースで報道されていた人物。A-TEC社長であり、アリアの父親――アキラ・シラヌイだ。
カケルが今いるこの部屋は、最上層に位置する社長室。すなわち、アキラ専用の部屋だ。
「座りなさい」
アポ無しで、この場所に訪れることは到底不可能だ。つまり、アキラがカケルを此処に招いたことになる。
2人は対面する形でソファーに腰を掛けると、互いにその顔を突き合わせた。アキラは動じない様子で、カケルの方をじっと見つめている。対してカケルは、生唾をゴクリと飲み込み、膝の上でギュッと拳を握りしめていた。
「さっそくだが、定期報告を」
「わかりました。ではまずは、アリアの大学生活から――」
定期報告と言われる通り、カケルとアキラがこうして顔を突き合わせて話すのは、初めてではない。年に1、2回、アキラの都合に合わせて、カケルはA-TECに呼び出されているのだ。今回は偶然、アリアの定期健診と被ったにすぎない。
主な連絡手段は、PMCのメッセージ。つまり、カケルのPMCに登録されている「アキちゃん」とは、アキラのことである。
「――という感じで、単位はほぼ取り終えている状況です。サークル活動は後輩のサポート程度。最終学年ですので、新たに問題になりそうなことは無い状況が続いています」
やり取りの内容は、カケル視点のアリアに関する報告。どのような経緯で、このやりとりが設けられたかはわらからない。だが、カケルはアキラの言われるがままだ。
「なるほど。他に報告すべきことは?」
アキラはソファーで長い足を組み、カケルの話に耳を傾けた。その様子は、まるで上司と部下だ。
「俺の個人的な懸念にはなりますが、アリアの進路に関してです」
「というと?」
「アキラさん自ら、アリアをA-TECに勧誘していないそうですね」
カケルが何を言いたいか察したのか、アキラは「なるほど」と口にした。
「アリアは、不安に思っています。だからこそ、まだ進路を決め切れていない」
アキラも心当たりはあるのか、それ以上は問いかけず、静かに頬杖をついていた。
「ふむ。ミラの居る『生物部門』に、という話はしたのだがな」
アキラの口から語られたのは、「生物部門」への推薦。
それを聞いて、カケルは複雑そうな表情で、首を横に振った。
「それですよ。アリアはご子息ではありませんが、誰がみても優秀な血縁者です。アキラさんの側近、もしくは経営に携われる部門に配属されてもおかしくない」
生物部門も、中枢を担う部署ではある。しかし、どちらかというと職人寄りだ。いずれミラのポジションという見方もあるが、アリアが生物学に特化しているわけでもない。
「現に、アリアは経営学を率先して学んできました。ちなみに、アキラさんの側近にすることは――」
「残念だが、今のところ考えていない」
間髪入れずに答えるアキラの様子からも、アリアを後釜に据える気は無いようだ。
「A-TECに入社することは?」
「問題ない。ただし、ミラの部門に限る」
「では、他社に行くことは?」
「内容によるが、危険性がなければ問題ない。むしろ、此処より安全かもしれないな」
A-TECを危険だと表現するのは、アキラが社長というポジションに、居るからこその言葉なのだろう。
カケルにはその全てを計り知れないが、少しは理解できた。そして、アキラが経営からアリアを遠ざけようとする理由には、そういったことが絡んでいるのだろう。
カケルは、アキラから得た情報を一通り纏めると、納得したように頷いた。
「わかりました。俺も機会をみて、アリアと直接話してみます。今のところは、ミラさんの所が最有力候補になりそうです」
アリアがA-TEC以外を選ぶことは無い。というのがカケルの見解だ。
「それで問題ない」
カケルの対応に異論はないのか、アキラは端的にこの話は終わりだと告げた。
「あとは、俺自身の事前共有になります。年明けに卒業旅行を兼ねて、友人とフロントラリーに行く予定です」
次にカケルが話題に挙げたのは、フロントラリーの件。先の話だが、アキラと次に会うのがいつになるのかわらからないので、カケルは念のため伝えておくことにした。
「1週間程ですが、俺が不在になります。いつものメンバーなので、サイトも含まれていますが……アキラさん?」
説明しているカケルの視界に、珍しくも驚いた様子のアキラが映った。
「すまない、少々驚いてしまった。よくチケットが手に入ったな」
「マシューのおかげですね。あのハワード家のご子息です。ご存知かと思いますが、アリアは留守ですので、念のための報告となります」
「ヒサトも居るので、こちらは気にしなくて構わない。楽しんできなさい」
この件について、カケルは軽い報告だけのつもりだった。が、アキラの反応が珍しかったので、カケルは少し話題を掘り下げることにした。
「アキラさんは、フロントラリーに行く予定は?」
「いくつか招待は来ているのだが、都合が合わなくてな。近々、部下が代わりに行く予定だ」
近々ということは、一般ではなくVIP枠なのだろう。そして、その招待すらも断るとは、A-TEC社長はやることの次元が違うとカケルは痛感した。
淡々と報告を続けてきたカケルだが、最初に触れた通り、大学4年ともなると、あまり報告すべき内容はない。
カケルが話を切り上げようとしたところで、今度はアキラが口を開いた。
「進路をUTEに決めたと聞いた」
「あぁ、俺ですか。最後まで悩みましたが、俺にはUTEの方が向いているかと。でも、A-TECとは最後まで悩みました」
カケルはすかさずフォローを入れた。なんたって、カケルをA-TECにスカウトしたのは、このアキラなのだから。
「君が決めたことだ。UTEで行き詰まることがあれば、いつでも訪ねて来てくれ」
「……ありがとうございます」
アキラの言葉が意外だったのか、カケルは気まずそうに視線を逸らした。
「これから社会に出るからこそ、いつも私が言ってきた言葉を忘れるな」
「『真実を隠せ』ってやつですか?」
アキラが頷いた。
それは、アキラがいつもカケルに言い聞かせてきた教訓――真実や目的は決して相手に悟らせるな、時に真実をおり混ぜた嘘をつけ。
一見、殺伐とした大人びた教訓に思える。だが、誰彼構わず信じ、相手に己の意図を晒すをことは、賢いことではないというのがアキラの持論である。
アキラが社長というポジションだからこそ、現実味を帯び、説得力のある言葉。それは決して、カケルを陥れるのではなく、護るために言い聞かせてくれているということを、カケルは理解していた。
「1つ、聞いても良いですか?」
カケルがおずおずと、アキラに質問を投げかけた。
こうして顔を突き合わせて話してはいるが、アキラの絶対的な立場は揺るがない。それは、カケルですら委縮させるオーラだ。そして、こういった威圧感のある人物が居るからこそ、サイトはA-TECに足を運ぶことを頑なに拒むのだ。
「アキラさんは、誰のことなら信頼していますか? 例えば、A-TECの幹部とかですか?」
アキラが表情を変えることはなかったが、回答までに少し時間を要した。
「確かに、あの3人は優秀すぎる人材だ。仕事においては、申し分ない。だが、個人的な信頼は別問題だ」
アキラの言う3人とは、ミラなどを含む、このA-TECの3部門を担う統括のことだ。
だとすれば、アキラは誰にも真意を明かさないということなのだろうか?
アキラの辛辣な答えに、カケルは思考を巡らせた。
「誰も信頼していない?」
「いや、そうではない。そうだな……。ヒサトは信頼に足る人物だと思っている」
カケルは目を丸くした。アキラのお眼鏡にかなう人物が存在すること。しかも、身近にいたからだ。
「なるほど、ヒサトさんか……。俺はあまり詳しくないですが、そんなに信用できる人なんですか?」
ヒサトはあの通り、あまり他人と密なやり取りをしない。
カケルも長年の付き合いがあるし、悪い人ではないという認識はあるが、正直に言うとよくわからなかった。
「確かに彼は、私以上の堅物だ。だが、その人となりは、信頼できると私は思っている」
妙に言い切るアキラが珍しく、理由が気になったが、カケルが聞いたところで答えてくれないだろう。
アキラさんのことだ。そもそも信頼できない人物を、アリアの傍に置いたりはしないか……。
カケルがそんなことを考えていると、アキラがPMCで通信を受信した。
「社長、一通りの検査が終わりました。どうします?」
PMCから聞こえてきたのは、ミラの声だ。終わったというのは、アリアの健康診断のことだろう。
「今からそちらへ向かう」
アキラは簡潔に答えると、そのまま通信画面をオフにした。
「では、我々も行くとしよう」
アキラの目配せにカケルは頷くと、素早くソファーから立ち上がった。