芽生え① side ヴォルフガング
「ありがとう、ヴォルフガング」
初めて見たその笑みに、一瞬息をするのを忘れた。
畏怖でもなく、憎しみでもなく、欲情でもなく、ただ純粋に親愛と感謝の色を乗せた瞳を俺に向けてきたのは、コイツが初めてかもしれない。
俺の中の異世界人も、何の抵抗もなく俺との共存を受け入れている。
アイツの顔は知らないが、もし目の前にいたら、こうして俺に笑いかけてくるような気がした。
異世界人というのは、馬鹿だから俺という畏怖の象徴を見ても平気なのだろうか。
魔王軍以外の奴は、大体が俺を見て恐怖に震えるか、欲情して迫ってくるかのどちらかだった。
いや、魔王軍でさえ、俺の中に異世界人が突然現れるまでは、今のように話せる仲ではなかった。
俺は王で、アイツらは俺の命令を遂行する者。
ただそれだけの関係だったが、俺の中の異世界人がその関係を壊した。
◇◇◇◇
アイツが俺の中に湧いたのは、混血魔族のクーデターで俺が死にかけた時だ。
長すぎる生と変わり映えのしない毎日に嫌気がさしていたから、死んでもいいか。と思った。
だが死に損なって目覚めたら、俺の中にアイツがいた。
体内に魔力を巡らせて殺す事も出来たが、ひたすら混乱して意味不明な単語を撒き散らし、その中でも特に気になったのが『異世界』というワードだった。
異世界とはなんだ?
興味が湧いた俺はアイツに接触し、記憶を探る。
説明を聞くより見た方が早いからだ。
こうして異世界人の記憶を見た俺は、震えた。
なんだこの世界は。
長い時を生きた俺でさえも、見たことのないモノで溢れかえっていた。これが異世界か。どうやったらこの世界に行ける?
ここまで気を昂らせたのは、多分あの時が初めてだったかもしれない。
新鮮で刺激的な光景に、俺はアイツの記憶を見る事に夢中になった。
──────そして、アイツの孤独を知った。
痛み、苦しみ、憎しみ、悲しみ───いろんな負の感情がアイツの心を蝕み、生きる希望を失くしていた。
閉鎖された空間に閉じ籠り、ただひたすら何かを描くだけの変わり映えのしない毎日。
だがそれが唯一アイツの生きる気力を繋ぎ止める理由だったのだろう。
それを否定され、拒絶され、壊された時のアイツの絶望や胸の痛みは、全く関係のない俺でも眉を顰めるものだった。
───ああ、コイツは俺と同じだ。
自分以外に、誰もいない。
こんな面白そうな世界にいるのに、コイツはたった1人だった。
『男のクセにウジウジ泣くな鬱陶しい。耳障りだ』
姿は見えないが、確実に俺の中にいるアイツに語りかける。
『だっ、誰!?』
『俺はヴォルフガング。魔王であり、この体の主だ。俺の体に不法侵入した挙句に耳障りな声を出すな。消すぞ』
『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』
『───泣くなと言っただけで話すなとは言っていない」
『・・・すいません、僕も何で貴方の体の中にいるのかさっぱりわからなくて・・・、でも魔王とかいる時点でやっぱり異世界転生したって事なのかな・・・?でも魔王の人格はあるわけで───え?今どんな状態?訳わからない・・・っ』
『俺の体に、お前という二つ目の人格が生まれた』
『二重人格ということ?』
『まあ、そういう事になるな』
『何それ・・・そんな設定、ゲームでも漫画でもラノベでも読んだことないよ!どうすればいいんだ?』
『まあ、とりあえずお前、魔王やれ』
『は?』
『俺は退屈で死にそうだから療養する事にした。体を貸してやるからお前が魔王をやれ』
『はあ!?ちょっと待って!無理ですって、何言ってるんですか!』
ギャーギャー騒いでいたが、俺はアイツと人格交代して高みの見物をする事にした。
どうせ死んでもいいと思っていた体だ。アイツに渡してどう行動するのか観察するのもいいだろう。
その日から俺の異世界人観察の日々が始まった。
予想外だったのは、思った以上にアイツが甘ったれた情けない男で、やたら俺に話しかけてくる事だろうか。
ウザくて何度消してやろうと思ったことか。
だが、『僕に魔王なんて無理だ!速攻で勇者に討伐されてしまうよ!お願いだから人格交代してくれよぉ~』と泣き崩れる魔王を見た四天王のマヌケ面は傑作だった。
驚き過ぎて4人とも顎が外れそうな程口を開けて固まっていた。
情けない魔王を見て王座を奪うかと思ったが、アイツらは意外にも二重人格というのをアッサリ受け入れ、アイツの世話を焼き出した。
アイツもこの世界に徐々に馴染み、怖いと泣いて引き篭もっていたのが嘘のように、『ファンタジーの世界だ!』と俺の顔で目をキラキラさせて魔王城を探索し始めた。
そして部下や使用人達に声を掛けまくっていた。
その結果、俺の魔力に当てられて気絶する者や、俺に欲情して襲いかかってくるメイド達が発生し、それを見てアイツもパニックを起こして発狂し───という阿鼻叫喚な光景が広がり、慌てて四天王の奴らが俺を回収しに来るという騒ぎが起こった。
俺は腹を抱えて笑った。
こんなに笑ったのは初めてかもしれない。
流石にこれほどの騒ぎを起こせば「いつまでも遊んでないで人格交代して仕事してください」とアドラに圧をかけられた為、渋々交代した・・・。
アドラが俺に遠慮なくネチネチと嫌味を垂れ流すようになったのは、おそらくこの頃からだ。
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