異母弟イグレシアス② side ヴォルフガング
奇妙な兄弟の時間は、急に終わりを告げる。
『イグレシアス!!何故貴方がここにいるの!!』
あの女がイグレシアスを連れ戻しに来た。
いつも魔力で身代わりを立てて城を抜け出していたようで、その誤魔化しがついにバレたらしい。
居場所が魔塔だと知った王妃が激怒して乗り込んで来た。
『親子揃って誑かすのがお上手ね。卑しい血のクセに!!私の可愛いイグレシアスに二度と近づかないで。イグレシアスは貴方と違って正統な血筋の王子なのよ。次期魔王なの!下賤な貴方と一緒にいたら穢れるわ』
肌がピリつくほどの殺気を込めた威圧を放たれる。
人間から人種差別される事に異を唱えている魔族の中でも、こうして身内で差別しあっているのだからとんだお笑い草だ。
ふと隣に視線を向けると、笑顔だったイグレシアスが無表情になっていた。
『行くわよ、イグレシアス』
護衛達に連れられて部屋を出る時、イグレシアスが振り返った。
『兄上・・・』
先程まで無表情だったイグレシアスの顔に、不安の色が浮かぶ。縋るような目でこちらを見ていたが、俺は目を逸らした。
今思えば、あの時俺は行動を起こすべきだったのかもしれない。
幽閉された当時、父に付けられた魔力制御の魔法陣は、成長と共に膨れ上がった魔力量に対して許容を超え、綻びが生じていた。
少年程の体型に成長した当時の俺なら、逃げ出す事が出来たはずだ。そうする力があった。
だがそんな気力は起こらず行動しなかった。全てが面倒で、考える事を放棄していた。
次の刺客が来たら、このつまらない人生を終わりにしよう。何となくそれだけを、ぼんやりと思っていた。
視線を逸らした先で、イグレシアスが傷ついた顔をしていた事にも気づかずに。
俺があの時動いていれば、イグレシアスは死なずに済んだのだろうか───。
あの後、しばらくしてから俺は魔塔を出され、各地で起こっているスタンピードの制圧に駆り出された。
当時、急に増え始めた瘴気により、大陸中で魔物が異常発生していた時期があったのだ。
まだ少年の域を超えないガキに、同じくらいのガキ共と魔王軍の三軍にいた小隊をつけ、王命で最前線に放り込まれた。
本格的な戦闘経験もないガキを最前線に送るなど正気の沙汰ではない。魔法陣に綻びが生じている事に気付いた父は、俺をスタンピードにかこつけて始末したかったのだろう。
ついでに自分と意見が対立する派閥の子息を俺の側近兼護衛として召し上げた。あわよくば目障りな奴らの弱みを握り、スタンピードで俺達が致命傷でも負ってくれたら邪魔な奴らの力を削ぐ事ができる。そんな思惑もあったに違いない。
ガキの俺でもその短絡的思考が容易に見て取れ、心底呆れた。本能と思いつきだけで生きている父が国のトップに座っている事に初めて疑問を持った。
その時召し上げられた息子達が今の四天王だ。
魔王命令で突然最前線に送られた奴らは、ずっと刺客相手に戦っていた俺より遥かに弱くてどっちが護衛だかわからない戦いぶりだったが、長い間共に死線を掻い潜るうちに、気づいたら一軍と変わらない戦果を挙げていた。
そんな中、父と愛人達が王妃に毒殺され、王妃も自死したという知らせが届いた。ずっと秘密裏に新種の毒を開発して殺すという怨念じみた殺意に周りは震撼した。
「父が死んでから城に呼び戻されて、何十年かぶりにイグレシアスに再会した時には憎悪の目を向けられていてな。次期魔王の座を巡って、水面化での上級魔族達の争いが激しくなり、内乱に発展しそうだったから力でねじ伏せて俺が魔王になった。───・・・だが結局、クーデターが起きて同族が沢山死んだから、何が正しい選択だったのか今でもわからないけどな」
「・・・・・・・・・」
───今でも、イグレシアスの最期を忘れた事はない。
処刑前に地下牢で話したアイツの顔を───。
◇◇◇◇
『・・・何故俺に、止めを刺さなかったんだ?』
『兄上こそ、何で最後の攻撃を避けなかったの?死ぬつもりだった?』
『・・・・・・・・・』
『ほんと、馬鹿だよね。弟に甘いっていうか、そこにつけ込まれてるのに自ら引っかかってさ。そうやって俺より優れてるのに一歩引いて弟に道を譲ろうとする所、すっごい上から目線でムカつくよ』
『・・・・・・・・・そうか』
『───・・・弟に甘い兄上にお願いがあるんだけど』
『何だ?』
『俺の仲間は全員殺していいから、アデリーヌだけは助けてくれない?アイツ今妊娠しててさ、今回の計画には関わってないんだよ。下級魔族でそんな力もない事知ってんでしょ?』
『頼むよ。これで反乱分子を大量に始末出来るんだから今後のガウデンツィオは安泰でしょ?赤子抱えたアデリーヌが1人で何か出来るわけない。だからアイツだけは見逃して欲しい』
俺は知っている。
反乱分子を大量に始末する。
クーデターと見せかけて、お前の真の目的がそっちだったことを。
両親や俺の心の内を見透かすお前が、自分が周りにいい様に担ぎ上げられていた事に気づかないわけがない。
だが、俺を憎んでいたのも事実である事を知っている。
そんな簡単に分かり合えるほど、自分達の間にある溝は単純なものじゃない。割り切れるほど些細な事ではない。
『・・・アデリーヌは国外追放だ』
『そっか。ありがとう』
『───2人で国を出れば良かったんだ』
そうすれば、これから生まれる子と3人で生きられただろうに。何故その道を選ばなかったのか。
『───そうできれば良かったんだけどね・・・。でも俺は王弟だから、彼女のためだけに生きられない。───何でだろうな。ここ数日、子供の頃に兄上と遊んだ時の夢を見るよ。ホント最悪』
そう言いながら浮かべた笑みは、子供の頃に見た弟の無邪気な笑顔だった。
何が正解だったのかわからない。
あんな親じゃなければ───、
俺があの時行動していれば───、
俺がさっさと刺客に殺られていれば───、
お前の人生はもう少し優しいものになっただろうか?
視界が滲んでいる事に気づき、イグレシアスに背を向けて歩き出そうとしたその時、
『兄上・・・・・・俺やっぱり兄上の事、死ぬほど嫌いだわ』
『・・・・・・・・・知っている』
『ははっ、そっか』
◇◇◇◇
「・・・貴方は───弟の事が可愛かったのね」
「・・・・・・は?」
「だから、守れなかった事を悔やんでいるんでしょう?こうして弟が1人で寂しくないように、隣に奥さんのお墓を建ててあげたんでしょう?」
「・・・・・・・・・」
───そうかもしれない。
俺はきっと、イグレシアスが俺の元に通ってくる事が嬉しかったのだ。俺に笑顔を向けてくれる肉親は、アイツが初めてだった。
なのに俺は何も返せないまま、アイツから目を逸らした。
あの甘ったれな異世界人が俺の中に住み着いて初めて、何故ずっと生きる事に無気力なのか、その原因に嫌でも気づいた。
それが自分の中の異世界人を消さなかった理由だ。
あの甘ったれ野郎が、似ていたんだ。
イグレシアスに───。