幸せは崩れた
「お嬢様は懐妊されています」
私は専属侍医の診断結果に目を見開いて言葉を失う。
部屋にいた公爵家の人間達も同様に固まっていた。父に関しては顔が真っ青になってプルプルと震えている。
「それは確かなの?スヴェン」
母が侍医に念を押して確認をするが、
「はい。間違いありません。3ヶ月目に入る頃かと」
再度スヴェンは私の妊娠を告げた。
「何てことなの・・・っ、あと半年したら結婚式だと言うのに!もうドレスも全て注文してしまっているのよ!?その頃にはもうお腹が大きくなってるじゃないっ、それ以前に大きなお腹で結婚式なんて醜聞だわ・・・っ。どういう事なのレティシア!」
母の怒号に私の肩が跳ね上がった。
「も・・・、申し訳ありません!お母様・・・っ」
「一応聞くけど、お腹の子の父親はルイス殿下なのよね?」
「も、もちろんです!私は彼を愛しています!彼以外の子なわけありません!」
そう、私はルイスを愛してる。
彼以外に体を許した事なんてない。愛してるから、彼の求めに応じてしまった。拒めなかった。でも後悔してない。
お腹に手をかざすが、まだここに命が宿っているなんて実感が湧かない。結婚前に令嬢が妊娠するなんて醜聞になるのはわかっている。
それでもこの湧き出る感情は、
────喜びだった。
愛するルイスとの子供。
嬉しい。幸せが胸に広がる。
最近までずっと不安な日々で、ストレスで体調を崩してしまったけれど、どうやらそれはつわりの症状だったらしい。
「どうするんだ・・・っ、ただでさえ今は異世界から来たユリカ様のせいでウチの立場は微妙なのに・・・っ」
父が頭を抱えて唸っている。
「・・・・・・・・・」
ユリカという名前を聞いて、私の心に陰りが差す。
ユリカ──。
異世界から来た神の巫女─────。
3ヶ月前に突如この国に現れた神の使い。
王族しか入れない私有地の森の泉に、天まで届く光の柱と共に空から泉に舞い降りた巫女。
光の柱は王都中から見えた為に国は騒然となった。
彼女は王家に代々受け継がれている歴史書に記述された、200年に一度現れる神の使いだと言われた。
『神の巫女が現れる時、世界に厄災をもたらす魔王は神の名の元に裁かれるであろう』
代々王に言い伝えられる伝承が200年ぶりに国中に伝えられ、人々は希望に歓喜した。
誰もが魔物に怯える日々から抜け出せると、巫女を希望の象徴として扱った。
学園に通う若者達は皆巫女の虜になり、彼女を崇めたて、彼女の気分を害する者は全て粛正していった。
中には明らかに冤罪の者もいたが、誰も巫女の言う事に疑問を持たない。
異変はついに婚約者である王太子のルイスにまで及び、常に自由奔放なユリカを腕に絡ませて歩くようになった。
貴族マナーがなっていない彼女に私は何度も注意を促し、その度に彼女は涙を流してルイスに身を寄せる。
『レティ、ユリカはこの世界に来て日が浅いんだ。この国の貴族マナーを異世界人のユリカに押し付けても仕方ないだろう』
『でも殿下は私の婚約者ですよ?そうやって私以外の女性を腕に絡ませて歩いて、周りの者達が何と噂しているのか知らないのですか?これでは他の者に示しがつきません』
『噂は噂。事実無根だ。僕は王である父の命で神の巫女の護衛をしているだけに過ぎない。──大丈夫だレティ。何も心配いらない。僕の婚約者は君だよ?半年後には僕らは結婚するんだ。ユリカの神力が高まるまでは役目を降りる事はできない。魔王討伐の為だ。世界の為だ。未来の王妃である君ならわかってくれるね?レティ』
そう言われてしまったら、私は頷くしかない。
ルイスはズルイわ。
小さく頷くと、ふわりと柔らかく表情を崩したルイスが私を抱きしめた。
『ありがとうレティ。やはり君は僕の自慢の婚約者だよ』
いつもなら彼の温もりに包まれて幸せな気分になれるのに、彼の肩越しに見えるユリカの顔が憎悪に満ちていて、私の背筋に冷たい汗が流れる。
そして「中ボスキャラの癖に」と聞いた事のない単語を呟かれた。
◇◇◇◇
それからも、彼の隣にはいつもユリカがいた。
どう見ても護衛と巫女の距離ではない。まるで恋人同士のように蕩けた瞳でお互いを見ている。
彼の側近達も巫女を愛しむような表情で眺めており、それぞれ自身の婚約者を放置して巫女に侍っていた。
私は次第に憐れみの目で周りに見られるようになり、密かに婚約者が巫女に変更になるのではないかと噂する声が聞こえる。
そんな不安な日々を過ごす中で判明した妊娠。
ルイスと愛し合って出来た子だから、私は嬉しかったのに、
彼に妊娠を告げようとしたある日、
開きかけた扉の隙間から私は見てしまった。
「ユリカ・・・。君が愛しくてたまらない。もっと早く君に出会えていたら、君を妻に欲したのに」
「ルイス様・・・私も貴方を愛しています」
王宮の彼の私室で、神の巫女と愛を交わし合っている婚約者の姿。扉の前で待機していた彼の護衛が、私を見て青ざめているのが視界の隅に見える。
私の愛するルイスが・・・、
私に触れた唇で、巫女に触れている。
私に触れた手で、巫女を抱きしめている。
私に愛を囁いた声で、巫女に愛を囁いている。
嘘つき・・・。
どうして!!
──その瞬間、一瞬で私の世界は真っ黒に染まった。
どうやって邸に帰ったのか覚えていない。
でも、目覚めた時に私は全てを思い出した。
この世界が、自分が前世でハマっていた神の巫女であるユリカを主人公にした恋愛ゲームの世界だと。
私の婚約者のルイスも、攻略対象者なのだと。
そして私は3ヶ月後の卒業パーティで悪役として断罪される公爵令嬢レティシア・アーレンス。
王太子ルートの私の結末は、婚約破棄の原因となった巫女への憎悪で闇堕ちし、魔王の力に体を乗っ取られて中ボスとして巫女の命を狙うのだ。
そして最後はルイスと巫女に討伐される。
つまり、殺されるのだ。
そんなこと、許さない。
お腹を守るように手を添える。
この子を死なせたりしない。
もうこの子は、私一人の子。
ユリカに心を移すルイスなんか要らない。
お腹の子と二人で生きていく。
ゲームの強制力が働いている以上、私の取る行動は一つだけ。それは舞台を降りること。
公爵家の皆には悪いと思うけれど、私は所詮両親にとって政治の駒だ。役立たずになれば簡単に見捨てられるだろう。
そんな両親とお腹の子供、どちらを選ぶかなんて答えは分かりきっている。
どうか子供を守る為に国を出る私を許して下さい。
そして、どうぞ私の存在など忘れて下さい。
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