理想の恋
人を好きになって、共にいたいと願って、それが叶ってるかもしれないって、ドギドキしたり。
好きな人の良い所を知って、悪い所を知って、それでも好きって思えて、運命のような恋にときめいて。
悪い所をたくさん見て、ちょっぴり喧嘩してしまって、それでも好きだって思って、また、心地良い恋に心をゆだねて。
そういう、優しく甘い恋のスパイスみたいなものが、この恋には一切感じられなかった。
あるのは、きっと一生こっちを見てもらえないって言う絶望と、それでも好きだと思えてしまう、悲しく一方的な執着心。
「見て、『悪役令嬢』よ。」
「あら、本当。怖いわ。早く行きましょう。」
皮肉めいた女の子の声。
まるで聞こえないように、みたいな喋り方なのに、やけに大きな声が耳を通って、脳みその中で緩く響く。
皆私の事を嘘吐きと言うけれど、皆のほうが、よっぽど嘘つきだ。
「……しかも、傷心中の女の子に、こんな出鱈目なうわさ流しやがって。あほう、あほーう。」
少しだけ口をとがらせて、小声で言ってやったよ。
ほら、あの子たちは私に聞こえるように言ったのに、私はあの子たちに聞こえないように言ってやった。私の方が良い子だ。エライエライ。
馬鹿馬鹿しい。反吐が出る。私だけ馬鹿みたいに言いやがって、アホどもめ。
「どーせ無駄にちっさいあの頭の中に、それよりもちっちゃい脳みそが詰まってるんだろ。しわもないツルツルピンの。そんなかに蛆虫でも入れて、ちょっとでもしわをつけてやろうか。」
お前みたいなアホなやつ、好きになったのが間違いだった。
私の方は、「王子様なんてどうでも良い!」って気持ちでいたのに。
だから勉強に専念して、社交界の華にまでのし上がってやったというのに。
私が少し悪く言われたくらいで「どうせお前が悪いんだろ」なんて悪口。しかも私に堂々聞こえる静まり返った教室の、たくさん人がいる真ん前で。
「どうせ外面だけいい奴。皆の目の前で私に聞こえるように言うなんて、私よりずっと嫌なやつ。私よりずっと始末が悪い奴。」
私なんか、ずっと好きでいてやろうと思っていたっていうのに。
何なら今も最高に好きだ。大好き、大好き。
どーせ、私がお前を好きだなんて、これっぽちも思って無いんだろ。
外面だけ良いんだからさ、教師の中でも、なかなか好成績取っちゃって。なかなか賢くて。おかげでお前の授業に追いつくのが大変だったんだよ?きっと、一番難しい授業は、私しか分からなかった。
たくさん、たくさん頑張った。1位取ってやったんだ。お前が、小さい頭して、無駄に賢い面してくれるから。
「それなのに、それが嫌で離れて行くなんて、贅沢者だ。変なヤツ。こんなに自分を思ってくれる女の子が近くに居るってのに、それ以上何を望むんだよ、バカ。アホ。マヌケ。」
賢いくせに、こんな近くに居る可愛い女の子に気づかないなんて、本当にアホだ。きっとどこかでアホになってしまったんだ。もう賢いお前じゃないんだ。賢者なんかいないんだ。
それでも好き、だなんて、ちょっとだけ甘い恋に似てるかもね。
……馬鹿みたいだ。
「いっぱい望んでやったのに、お前は、私が堕落する事しか望んでくれないのね。こんなに泣いてやったのに、それでも私を無視するんだね。それとも、この意地の悪さが『悪役令嬢』だなんて言ってくれるのかしら。理不尽ね。」
さっきの女の子たちみたいに喋ってみたのに、全然オブラートに包んでくれない。
憎いって感情から抜け出せない。
本当は、好きな人にこんなこと考えたくないのに。
私は完璧って言われているけれど、すごーく人間なんだから。
自分が馬鹿だってことも、人間だからわかってるんだよ。
お前が好きだっていう自分に浸っているなんてことも、本当は少しわかってるんだよ。
でも、お前が私を嫌いって言う事実だけで、一回死んじゃったんじゃないかって思うくらい心臓を締め付けられてしまう、そんな、お前から抜け出せない自分がいると言う事も、分かってるんだよ。
「それでも、分かってても、抜け出せないんだろう?」
それなら考えるだけ無駄だよ、と、好きでもない男がやって来た。
いつの間に口に出ていたのだろう。誰にも聞かれてたまるかって、思っていたと言うのに。
でも結局、こんな可哀想な自分を、誰かに知ってほしかったのかもしれない。誰かに憐れんでほしかったのかもしれない。面と向かって哀れまれると、それはそれで、ムカつくけど。
「どうして来たの。」
「……泣いている女の子を、慰めないで通り過ぎるわけにはいかないだろう?」
「いいよ、別に……君は本当に、何がしたいの。」
泣いてなんかいない、そう思ったのはきっと、この憎らしいと言う感情を、まだせき止められていないから。
きっと、それ以外の感情なんて無いんだ。きっと、きっと。
ああ、憎らしい。憎らしいのに、好きだなんて。好きなのに、憎らしいと思ってしまうだなんて。
やっぱりとことん、甘い恋じゃない。これっぽちも似てない。
「……君を慰めたいんだ。きっとそれだけ。」
「あは、……そう。」
「……そうだよ、きっとそうなんだ。」
信じれなかった。
好きでもないけど、そんな瞳を向けられるのは辛いものなんだ。
そういうの、分かるよね?誰か知らない人でも、自分を悪口をいってたら、酷く傷付く。
そういうものだろ、きっとそう言う物だ。
「大丈夫さ。こんあ噂すぐにやむ。なんなら、僕がこの噂、消したげるから。」
「……。」
「きっとまた、君は幸せになれるよ。」
「……君はきっとそれを、自分のおかげと言うんだね。」
そう言うと、不満げな顔をされたが、流石に心は動かなかった。
お前が好きだったから、きっと目の前のコイツの事は好きになれないんだろうな、と思った。
ただ、少しお前への憎さが、言葉に出たのも明らかだった。私は苛ついていた。それは確かだった。
「どうやら僕の言葉は、全然君に響かないらしい。」
「響かないよ。心が籠って無いんだから。」
「ちゃんと込めてるよ。君に幸せになってほしいって言う心を。」
「……意味わかんない。」
そいつが、何のために喋っているのか分からなかった。
もう長らく話していなかった人間だった。
ただ、私が罵られているとき、いつも視界の端の方にそいつはいた。
そんな時そいつは、何か言いたそうにこちらを見ていた。それが何を言おうとしていたのか、私には分からないが、きっとろくでもない事なのだろうと、そう思っていた。
何処かで期待はした。でも、私が期待したら、そこで終わりなのだと、どこか非科学的な事を考えた。実際、それは毎回当たっていた。
不思議でならなかった。
「僕は、君に幸せになってもらいたいんだよ……あんな男のために流す涙なんて、価値がない。幸せになれない。」
「知ってる。でも、幸せじゃなくても好きと思えるのは、本当の恋でしょう?」
「それは幻想だよ。理想を求めすぎだ。そんなに彼が好きなら、自分に理想を押し付けずに、彼に向けて、悪い所を出せばいい。」
「……私だって、こんなに憎くなった。そんな事をしたら、もう好きになってもらえない。」
「それは、君の理想の恋なのか?」
意味が分からなかった。
本当に、分からなかった。
私はお前が好きだ。だから理想を自分に押し付ける。
理想なんかじゃない。でも、どこかにそんな矛盾が無いと、私は恋なんかできない。
だから、そんな事言われても、本当に意味が分からなかった。
そんなの、私が知らない恋の形だ。そいつの理想がどんな恋でも、私の理想がそれに似ていても、どこか根本的な違いがあるもんだ。
「私に、君の幸せの形を押し付けないで。」
「……言っただろう、僕はそんな物のためにここに来たんじゃない。君を慰めるためにここに来たんだ。今の言葉は、その一部にいすぎないんだよ。」
「それは、君の言葉に深い意味がないってことになるよね?」
少しキツめにそう言うと、そいつは困ったように笑った。
私が「出てけよ」って言ったら、仕方がないように出て行った。
図星を突かれたのだと思った。もしそれが少し違う形だったのだとしてもかまわなかった。
そいつが多分、今の私の運命なのだとしても。
私はお前が好きだ。他の奴なんて、必要なかった。