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向日葵にはなれないけれど  作者: 長月 灯
向日葵にはなれないけれど
5/19

5、綻ぶ

「百合……ですか?」

(何かの冗談かしら? それとも、お酒とか……何か、倫理に反するような物を……)

 身内以外に容姿を褒められた事の無いキャロルとしては、なんとも反応しがたい台詞であった。

 引き攣った笑みで語られては、なおのこと。


「……花に例えられる程、綺麗じゃないわ」

 思わず、本音が漏れる。

 おとぎ話に登場する亡霊や悪い老婆は、きっと自分のような姿をしているのだと思っていた。

 キャロルの素っ気ない反論を受けて、男は微かに唸る。

 暫し、頭を掻いた後。

「いえ、貴女は美しい。その、何か難しそうな髪はニワトコのようで、その瞳は、濡れて……その、何というか……薔薇……そうだ、雨に濡れる薔薇のようだ」

 自分の台詞に満足したようで、彼は何度も頷いている。

(私……何の花なのかしら……?)

 そして、泣いていた事には触れないで欲しかった。

「……ああ、貴女を悩ませるものは、一体何なのでしょう?」

 男はその場に跪き、片手を広げた。

 重心が不安定で、前後に体がふらついている。

 届かない距離にいても、思わず手が前に出てしまった。


(少し様子がおかしいけれど……悪い方、ではないのかしら……)

 兄よりも年上で背の高いこの男は、どうやら、自分を慰めようとしてくれているらしい――その姿に、少し、心が解れた。

「実は……婚約者が、他の女性と踊っていて……」

 キャロルの言葉を聞くと、彼は両手を広げて盛大に天を仰ぐ。

「ああ、なんてことだぁ! このようなお美しい方を!」

 感情の伴わない声を、わざとらしく張り上げる。

 相変わらず前後に揺らいでいるので、本当に心配。

「私なら、絶対貴女の手を離さないのに……」

「手を……」

 ふと、幼き頃のアンヘルが脳裏に過ぎった。



『手を離して』

 アンヘルと最初に出会った時、キャロルはそう言った。

 彼は屋敷の奥でキャロルを見るなり、急に外へ連れ出そうとしたのだ。

 それに悪意は無く、ただ鳥の雛を見せたかっただけらしい。

 親や使用人達が止める間もなく、キャロル達は裏庭へと出て、太陽が――


(そうね……あの時は、外の世界が怖くて、手を離して欲しかった筈なのに……)

 それから、婚約者となったアンヘルは、義務や同情でキャロルの手を取っていた。

(婚約なんて、しなければよかった)

 互いの両親が話し合った時、自分が断っていれば――それだけが悔やまれる。

 周囲の善意に甘え、安穏な将来を望む為だけにアンヘルを縛り付けた自分がいけなかったのだろう。

(アンヘル様は、ドロシーのような、明るい……向日葵のような子が好きだったのだから)



 再び、涙が溢れ出す。

「え、なんで」

 キャロルの反応に驚いたらしく、目の前の男は跳び跳ねるように立ち上がった。

「また、女性を……私の所為で……どうすれば……」

 もたもたと外套の内側を探りながら此方へと近付き、彼はチーフを取り出す。

 キャロルの前に突き出しては引っ込めて、と何度も繰り返した。

「あの……気分を害したら申し訳ありません。傷つけるつもりは、全く……これ、まだそんなに使ってないし……こんなもの、いくら汚しても構いません。鼻水も拭いて下さい」

 先程の仰々しさは鳴りを潜めた、気弱な声。

 繊細さを欠く言い様に、キャロルは思わず噴き出した。

「……私、そんなに酷い顔をしているかしら」

「だ、大丈夫です。雪原で戦えば、みんな、そうなります」

 酷い顔をしているらしい。

 見知らぬ人間のチーフで拭くのは心苦しかったが、厚意に甘える事にした。

「……ありがとうございます」

「ど、どうぞ……わ、私はあっちを向いているので、どうぞ遠慮なくやっちゃって下さい」

 チーフを渡すと、彼はくるりと後ろを向いた。


 チーフを顔に当て、色々な物を拭き取る。

 少し、気分が落ち着いた。

 持ち主を確認すれば、そろそろ振り向いていいのかと、此方の様子を窺っている。

(何だか、領地で見た穴熊の子どもみたい)

 男の姿を見ている内に、先程までの苦しさは少し和らいでいた。



「……ありがとうございました。あの……もう、大丈夫ですから」

 声を掛けると、男は勢いよく振り向いた。

 キャロルの顔を見て息を呑むが、慌てて首を振る。

「ああ、その顔は大輪のアザレアが咲いたみたいで……」

(も、もう……そういうのは、ちょっと……)

 泣いたり擦ったりした所為か、皮膚が赤くなっているらしい。


「貴女の手助けになって、きっとチーフも喜んでいるでしょう」

 男は手を伸ばしてくれていたが、キャロルはそれに応じなかった。

 持ち主に返して良い状態ではなくなったので、新しいチーフを送ろうと決めた。

「あの、私は、キャロル・トリアンと申します……不躾で申し訳ありませんが、お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

「な、名前ですかっ」

 キャロルの問いに、相手は直立不動の姿勢を取る。

「私は、エルネスト・クルークと申す者であります!」

「クルーク……では、南の……」

 クルーク家は、王都から離れた領土を守る辺境伯。

 王国の南は山間部に囲まれた寒冷地で、雪の降る日も多い。

「はい。今日は、父の名代で参りました」

「そうでしたの……」

 折角の王都への来訪を、自分の為に消費させた事に心苦しさを感じた。

 キャロルは、急いで礼をとる。

「此度は、本当に申し訳ありませんでした……チーフは、新しい物を送ります」



 エルネストと話していると、行動する元気が湧いてきていた。

(あまり見られたくはないけれど、父を探しに行きましょう)

 見苦しい顔をしているようだし、先に会場を辞した方が良いのかもしれない。

(トリアン家の馬車で、待たせてもらえるかしら)

 婚約者と共に帰るなんて行為は、絶対にしたくない。


「では、ごきげんよう」

 頭を上げて、来た方角へと足を進める。

「あの、待ってください」

 キャロルが振り向くと、目つきを一層鋭くしているエルネスト。

 彼は、固く引き結ばれた唇を、ゆっくりと開く。

「……よろしければ、トリアン伯爵の姫を守る権利を、私に」

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