3、萎れる
トリアン家の広間で、キャロルは婚約者と対面していた。
「その……久しぶりだね、キャリィ」
「……はい、アンヘル様」
柔らかそうな茶色の髪と、少し吊り上がった青い瞳――『猫みたいで可愛らしいって、彼、人気なのよ? くしゃっと笑う顔も素敵って……狙っている子も多いみたいだから気を付けてね』とドロシーに言われた事を思い出す。
しかし、キャロルの前では、強張った顔で口角を上げるだけ――昨年の記憶と殆ど変わらない。
アンヘル・ペダルファが家紋の入った馬車で迎えに来たのは、夕暮れの頃。
「今日の予定は分かるかな?」
「はい。中盤に、王太子妃殿下のお披露目があるのですよね?」
今年の社交期は、先日結婚した王太子夫妻が関わる催しが多くなる。
今日の夜会は、最初の催し。
階級を問わず、王太子夫妻と年齢の近い子女達と交流を図ろうと考えているらしい。
「御夫妻で、ダンスを披露する……」
「そう……一曲目は、殿下達だけ。二曲目から、僕達も加わる……まあ、殿下達は、王太子妃殿下のお友達候補になるような御令嬢しか見ないと思うから……隅の方で、気楽にやってくれればいいよ」
アンヘルは自らの婚約者に期待していないらしく、何処か投げやりに答える。
(私だって……)
外を出歩けないキャロルであるが、運動神経には少し自信がある。
曲目を聞いて、父を相手に練習を怠らなかった。
「少し時間がありますわね。おさらいしてから行きましょう」
些か憤慨していたキャロルは、勢いよく席を立った。
「……凄いな」
アンヘルは僅かに目を見開いていた。
キャロルが一度の間違いなく踊って見せた事が、予想外だったのだろう。
「どうでしょうか?」
誇らしい気持ちで、胸を張る。
「いや、こんなに踊れるとは思わなかった。ドロシーより上手いんじゃないか? あいつは、前の夜会でも僕の足を踏んで……」
彼が目を細める――この表情が『くしゃっと笑う』というものなのだろうが。
その笑顔を見て、先程までの高揚感は、あっさりと消え去ってしまった。
(ドロシーに、よく……)
自分がいない間は、ドロシーをパートナーにしていたらしい。
『私はキャリィの姉だから』と、アンヘルの手を握る彼女の姿が容易に想像出来た。
「まあ、アンヘルったら、もう来ていたの?」
甲高い声と共に、ドロシーが広間へと入って来た。
「しかも、ダンスなんてしていたの? 駄目よ、夜会前にキャリィを疲れさせたら」
「仕方ないだろ? 一度くらい合わせておかないと……」
ドロシーはキャロルをそっと抱き寄せ、自分がアンヘルの前に立つ。
婚約者同士の自分達より、二人の距離は近かった。
「アンヘルは上手なのだから、練習はいらないでしょう?」
「お前と踊らされていたら、誰だって上手くなるさ。早く他の相手を見つけろ」
「いいじゃない、将来の家族みたいなものでしょう? 勿論、私がお姉さんよ?」
ドロシーは、王都のセダム伯爵夫人の元へ礼儀作法を教わりに通っているらしい。
そして、騎士だったセダム伯爵は若い子女達に剣技を教えており、アンヘルも時々赴くと聞いている。
二人が、よく顔を合わせる仲だとは知っていたが。
(何だか、二人が本当の恋人達みたいね……)
将来の兄にダンスを強請っただけの幼子――自分がそのように思えて、泣きたい気持ちになった。
「アンヘル様は、セダム伯爵に剣を教わっているのでしょう?」
「まあ、自分の身を守るくらいはね」
「凄いわ、私も剣を振るえたら格好いいのに」
「ドロシーに僕が怒られるよ」
父に急き立てられて、アンヘルと二人、ペダルファ家の馬車に乗っていた。
向かい合って座るが、婚約者は閉じられた窓の方を向き、キャロルから目を逸らしている。
「領地では、今、ペチュニアが見頃で……」
「ああ、君の手紙にも書かれていたね。トリアン伯爵領の名物は教えられているから大丈夫だよ」
「……うちの庭園には、向日葵が咲いていて」
「ああ、あれは凄いね……ドロシーがやったんだろ? 良かったじゃないか」
「ええ……」
沈黙を恐れて、キャロルは必死に言葉を絞り出す。
婚約者が領地の話題を嫌っているように見えたので、キャロルは苦心していた。
(無理矢理、トリアン家の領地に行かされるんですもの……仕方がないわね)
二人が婚約した切っ掛けは、幼き頃の事件。
父親同士が友人だった為、アンヘルがトリアン家の領地に遊びに来た事がある。
キャロルは、自分の体質を知らなかったアンヘルに強引に外へ連れ出されて、死の淵を彷徨った。
そのため、『お詫び』という形で、二人の婚約が纏まったのだ。
キャロルは、成人してからも領地で静かに暮らす事が出来る――トリアン家にとって、都合の良い婚約であった。
無論、アンヘルの待遇も約束するが。
キャロルに断る理由は無い。
家族が自分の将来を案じている事は理解しているし、アンヘルも婚約者の義務は果たしてくれる。
しかし――
「素敵なドレスをありがとうございます」
キャロルが見下ろした先には、光沢のある上等な生地。
淡い薔薇色のドレスは、やや幼い印象を与える意匠であるが、キャロルによく似合っていた。
「いや、それはドロシーが選んでくれたんだ。『どうせアンヘルには決められないでしょ』って……」
彼は、ドロシーの真似をして見せる。
「まあ……」
口元を押さえて、笑みを隠した――ような振りをして、ごまかすが。
(これで、何度目かしら)
彼の言葉に、キャロルは内心辟易していた。
先程から『ドロシーが』『ドロシーと』という言葉を何回も聞いていた。
婚約者の身内、という建前で行動を共にしているらしいが、自分より親しい仲だろうとキャロルは思っている。
しかし、情けで婚約してもらっている身としては、何も言えない。
少なくとも、公の場では、自分を婚約者として扱ってくれるのだから。
(今は、離れた場所にいるから仕方ないのよ……きっと、結婚した後は……)
結婚し、共に暮らすようになれば、もう少し、関係を深められる筈――そんな希望に縋っていた。
キャロルの話題が尽きてきた頃、揺れが止まる。
やっと、王宮まで到着したようだ。
アンヘルの手を取り、馬車から外へ――
昨年に来た時は、周囲の視線が気になってしまい、ずっと俯いて歩いていたが。
(今年も変わらないわね、私)
臆病な自分を、内心自嘲した、
至る所に光が灯された会場内には、既に多くの貴族達が集まっていた。
各所で穏やかに、密やかに会話が交わされているが、キャロル達が脇を通り過ぎると、彼等は会話を止めて、ちらりと此方を見る。
キャロルは全てを見ないように、俯いて、アンヘルに付き従っていた。
彼は、会場の隅で立ち止まる。
目立たない場所で婚約者の陰に隠れ、ダンスの時までやり過ごす――昨年に出た夜会の時と、同じ行動をとりそうだった。
いつも、ダンスを一曲踊って、中座していたのだ。
キャリィは疲れたでしょうと、ドロシーに急き立てられて。
しかし、今夜はそうするわけにいかない。
王太子夫妻のお披露目となる場で、失礼な振る舞いは許されないだろう。
会場を見渡せば、同年代の男女の姿がちらほらと見える。
皆が一様に緊張した面持ちで、顔を突き合わせていた。
ダンスのおさらいに、謁見の時の作法、他家に挨拶をする順番――婚約者同士で話し合う姿は、とても微笑ましく思う。
『キャリィは、何もしなくていい。僕に任せてくれ』
馬車を出る際の婚約者の言葉に従い、キャロルは口を噤んでいる。
話し合い、協力し合う関係など、自分達は得られないのだろう。
(ビクトリア様に、直接、お礼をしたかったのだけど……)
それ以外にも、手紙の遣り取りをしたことがある他家の令嬢にも挨拶をしたい。
(アンヘル様は許してくれるかしら)
婚約者の顔を覗き見るが、彼は会場の奥を見つめており、キャロルの視線には気付かなかった。
賑わっていた会場が、ふと水を打ったように静かになる。
王太子夫妻が、奥の扉から姿を現した。
「まぁ……」
キャロルは、思わず声が漏れた。
(綺麗な方……)
クラリス妃殿下は、黒髪に紫紺の瞳を持つ佳人だと噂では知っていた。
すらりと背が高く、体に沿う藤色のドレスを纏う姿は、遠目でも分かる程、気品ある美しさを醸し出していた。
楽師達の動きが変わる。
ダンスの為の楽曲を、ゆっくりと奏で始めた。
大きく空けられた会場の中央で、王太子夫妻は踊り始める。
手を取り、見つめ合う二人の姿は美しく、本当に想い合っているのだろうと見てとれた。
「キャロル、僕達もそろそろ……」
アンヘルに手を引かれ、中央へと歩み寄る。
近くにいる若い男女達は、緊張の色を隠せないようだ。
アンヘルの表情も固い。
皆が思っている筈だ。あの夫妻のように、自分達も踊れるだろうか――と。
(……頑張れるわ。さっきと同じようにやるのよ)
キャロルがそう思っていると。
「キャリィ」
緑のドレスを翻して、ドロシーが駆け寄って来た。
「ドロシー……どうしたの?」
「ダンスがあるから来たのよ? ほら、キャロルは、こんな大勢の前で踊るのは辛いでしょ?」
息を切らしながら答える。
「私、別に……」
キャロルの声を遮るように、拍手が鳴り響く。
いつの間にか、一曲目が終わったようだ。
「早く行かないと」
ドロシーは、アンヘルとキャロルが繋いでいた手を解く。
そして、アンヘルの手を引いた。
「ドロシー……落ち着けって」
アンヘルはキャロルを一瞥したが、ドロシーに抵抗するつもりはなさそうだった。
そのまま、二人は歩き出してしまった。
「やっぱり、あの二人が婚約していたのかしら」
どこかから、そんな呟きが聞こえたような気がした。
二曲目が奏でられ、若き男女が踊り始める。
王太子夫妻を彩るように、皆で踊る光景は壮観であった。
アンヘルとドロシーも息の合った動きを見せている。
(どうして……)
冷えた指先で、思わず我が身を抱きしめていた。
周囲に目を向ければ、憐憫や侮蔑の感情が込められた人々の眼差し。
今の遣り取りを、多くの人間に見られていた事に、今更気付いた。
(私……どのように見られているのかしら?)
婚約者を取られた惨めな女か、若しくは婚約者のいる男に付き纏う恥知らずか――
思わず、逃げるように、その場を走り去っていた。




