12、花開く
「ずるい」
小さな呟きに、キャロルは思わず目を開ける。
鏡台の前に腰掛けて、化粧を施されている最中であった。
声の主は、キャロルの後ろに立つ少女。
紺色のお仕着せを纏い、幾つかのリボンを手に持っている。
鏡越しに目が合って――
「あ……申し訳ありません!」
少女は勢いよく頭を下げた。
グローブス侯爵家から宛てがわれた侍女達の中でも、一番年少の彼女は、思いのままに物言う時がある。
キャロルの隣では、同じお仕着せ姿の女性が目つきを鋭くしていた。
「あの……リラ?」
『リラさん、ですって? 自分の立場を理解しなさい』
侍女達に初めて挨拶した際に、ビクトリアに叱られた事を思い出した。
それでも、居候の立場では、少し気後れしてしまう。
「何が『ずるい』のか……教えてもらえるかしら?」
自分に非があるのならと思い、尋ねてみる。
その問いに、リラは顔を上げた。
「失礼致します」
彼女は断りを入れると、キャロルの髪に触れた。
両耳の横から一房ずつ取り、若草色のリボンと一緒に編み込む。
後ろでリボンを結び、下ろしている髪を緩く巻けば出来上がり。
装飾品を着けなくとも、華やかな雰囲気を醸し出していた。
リラは『粗忽な面は多々ありますが、流行りに詳しくて手先も器用なので』と周囲に評価されている。
そんな彼女の技術に感心する間もなく、リボンは直ぐに解かれた。
次いで濃紺のリボンを手に取り、キャロルの髪を高い位置で結ぶ。
毛先が落ちてこないように纏めれば、夜会用の髪形となった。
大きく結ばれたリボンは目立つが、落ち着いた色合いの為か幼くなりすぎず仕上がった。
肉眼と鏡越し。両方でキャロルの姿を見た後、リラは満足そうに頷いた。
「キャロルお嬢様は、どんな色だってお似合いだから、ずるいなと思って」
(……そうなのかしら?)
鏡に映る自分を見て、内心首を傾げた。
辺境伯に嫁ぐ可能性のあるキャロルに対して、グローブス侯爵家が支援を申し出たのが数か月前。
瑕疵のある自分を迎え入れてもらい申し訳ない、とキャロルは恐る恐るグローブス家の門を潜った。
侍女が三人も付いた事に恐縮し、数日はぎこちない空気を漂わせていた。
しかし、リラが『なんか、とても病弱らしいって噂を聞いていたから……触ったら死んじゃうんじゃないかって心配していたけど……思ったより華奢じゃなくて安心しました』と発言した事が切っ掛けで、彼女達とも打ち解けた。
……その時は、リラの両親まで謝罪に来て、騒動となったが。
アンヘルとの婚約破棄やドロシーの処遇に関しては社交界でも話題になっていた為、キャロルは侯爵家の敷地から出る事無く生活している。
悪しざまに言う者もいるらしいが、侯爵家の人達はキャロルの耳に届かぬよう配慮してくれている。
時折訪ねてくる父や兄も話題にする事は無かった。
グローブス侯爵家は、心の籠った世話と高水準の教育を提供してくれていた。
侯爵夫人は、ビクトリアとよく似た容姿で、表情の変化も乏しく冷たい印象を与える女性であった。
口数も少なく、声を聞くのは、キャロルの不足を指摘する時だけ。
それでも、自分の目を見て、丁寧に諭してくれる姿にキャロルは優しさを感じていた。
時には、教師役として招かれた婦人達と会話する事もあった。
分別があり口の堅い女性達を、侯爵家は厳選してくれているらしい。
彼女達との交流は、キャロルにとって良い刺激となった。
「ほら、キャロルさん。姿勢が歪んでいます。しっかりと前を見て……」
ビクトリアは、トリアン伯爵家を立て直すために兄と奔走しているらしい。
多忙な身である筈だが、侯爵家に戻った際はキャロルへの忠告を忘れない。
「ビクトリアはね、今日も茶会で“将来の妹”の事を自慢して……」
「も、もう……お父様は来ないでください!」
キャロルに触れながら小言を言い、途中で侯爵に揶揄われて憤慨する――いつしか、グローブス侯爵家では馴染みの光景と化した。
母の事やエルネスト・クルークの事……悩みや不安は尽きないが、周囲の気遣いによって、キャロルは心穏やかに過ごす事が出来ていた。
『王都はとても暑いので、貴女でなくても焼けてしまいそうです。貴女の岩塩のように白く輝く髪が傷付いていないかと――』
エルネストとは、手紙の遣り取りを続けている。
互いの立場から、表立って対面する事は出来ないので、あくまで内密に。
数日を置かずに届く手紙は、キャロルを不自然に褒め称えたり、自省を書き連ねていたりと、非常に返答に悩む内容ばかり。
人付き合いが苦手で、手紙という行為すら厭わしい事がありありと分かるが、それでも書き続けてくれる姿は、好ましく思う。
キャロルも頑張って返事を書くのであった。
『妻を迎える機会があるならば、何もしなくていい、妻と名乗ってくれるだけでいいと頼む予定でした』
お飾りの妻だと宣告しているようなものであるが、彼に他意はない筈。
『それでも、貴女と知り合ってからは、貴女とあの景色を見たい、この工芸品について貴女の意見を聞きたい……などと、色々な事を思うようになってしまいました。自分には過ぎた望みだとは分かっているのに』
アンヘルと婚約していた時は、二人での結婚生活について考えた事は無かった。
彼は伯爵領で淡々と仕事をこなし、キャロルは出来るだけ干渉せずに生涯を終えていたのだろう。
エルネストと結婚する未来は、まだ想像出来ない。
それでも、彼と話し合いながら歩んでいく人生は楽しそうかも……と、少し思ってしまったり。
トリアン伯爵家の周囲が落ち着いた頃、グローブス家で茶会が開かれた。
キャロルに興味を持っていた令嬢達を招待してくれたらしい。
「デビュタントの時にお見かけしてから気になっていて……」
「なんて可憐で、健気な方なのって……」
アンヘルの影に隠れていた姿が、そう見えていたのなら申し訳ない――キャロルは澄ました顔を保ちながら、心の中で謝罪していた。
「茶会にお誘いしたくても、その……ドロシーさんが『他の健康な女の子を見るとキャロルが傷付くからやめて欲しい』と怒ってしまわれるから……声を掛けにくくて……」
令嬢達の言葉を聞いて、溜め息を隠せなかった。
(ドロシーったら、そんな事を言っていたのね……)
場を暗くするような話題はそれきりにして、互いの領地での流行りや、発表された詩集についての感想などを話し合う。
今まで他者との交流を避けていた事が勿体ないと思えるぐらい、キャロルにとっては充実した時間だった。
しかし、令嬢達の中には『思っていた方と違う』と失望する感情を隠さない者も。
『貴女の見た目や体質は、華奢で繊細な令嬢だと思ってしまうのでしょうね』
自分は周囲からどう見られていたのかと愚痴を書いた手紙にも、エルネストは丁寧に返事を寄越してくれた。
『互いを知るには、模擬戦や酒に誘う事が手っ取り早いと思います』
こんな冗談を書くぐらいには、エルネストも心の余裕が出て来たようだ。
(……冗談、よね?)
手紙の遣り取りを続けている内に月日が経ち、いつの間にか次の社交期に備える季節。
『そろそろグローブス侯爵家を訪問しようと考えています』
末尾の文章を読み、キャロルは思わず声を上げた。
エルネスト・クルークの訪問が正式に決定した日から、眠れない夜が続いた。
幻滅されたらどうしようと思い悩み、自信がついた筈の所作も覚束ない。
その日は、静かに雨が降っていた。
キャロルが部屋の窓から外を見ていると、見覚えのある馬車が門を潜った。
(クルーク家の馬車だわ)
思わず、部屋から飛び出していた。
淡い紫色のドレスを翻す彼女を、侍女達が慌てて追う。
侯爵夫人とすれ違うが、キャロルの足は止まらない。
「あら、お行儀が悪いですよ」
いつもなら『令嬢の振る舞い』を厳しく教える夫人も、口元を綻ばせてキャロルを見送っていた。
玄関広間に辿り着いた時、扉が開く。
エルネスト・クルークらしき客人を見た時、キャロルは少し戸惑った。
(こんな方だったかしら……)
彼は執事の案内を受けながら周囲を見渡して――階段の上にいる此方に気付いたようだ。
「ああ、キャロル嬢、お久しぶりです!」
聞き覚えのある声を受けて、キャロルは階段を駆け下りる。
「エルネスト……様? お久し振りです」
以前はほぼ黒一色の正装を纏っていたが、今日は少しくだけた服装。
顔を覆っていた筈の長い髪は撫でつけられ、彼の怜悧な顔がよく見えるようになった。
鋭い目つきも、硬く結ばれた口元も、記憶のまま。
それでも、以前のような暗い印象は与えなかった。
「随分と元気になられたように思います。今日の服も良くお似合いで……天気が悪い日でも、気分を明るくしてくれますね」
少し細められた目には、優しさを感じて。
自分を見つめる眼差しに、何故か胸が高鳴った。
「エルネスト様、は……あの……雰囲気が、変わったような気が……」
自分は変な顔をしていないだろうかと緊張しながらも、キャロルは言葉を絞り出す。
エルネストは、自分の髪を摘んで苦笑した。
「キャロル嬢にお会いしに行くと伝えたら、屋敷の者達に弄られまして……どうも、私には似合わないような気がして……落ち着かないですね」
「いいえ、素敵だと思います」
気付けば、間髪入れずに返答していた。
暫ししてから、エルネストは目を逸らす。
「そ、そうですか……どうも」
頭を掻き毟る癖は変わらないらしい。
(やだ、私ったら……)
自分の発言に恥ずかしくなってしまい、キャロルは俯いた。




