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向日葵にはなれないけれど  作者: 長月 灯
向日葵にはなれないけれど
10/19

10、根は腐る

 王太子妃を披露する夜会の日、デニス・トリアンは一人で伯爵家を出て行った。

 きっと準備があるのだと思いながら、ドロシーは伯爵夫妻と馬車に乗った。


 まず視界に入ったのは、ビクトリア・グローブスの手を取る兄の姿。

 周囲の目を忘れて詰め寄る夫人を制し、兄は婚約者だと紹介した。

 トリアン伯爵も、それを当然のように受け入れている。

 ドロシーは、その時に気付いた――自分達の知らない所で、話を進めていたのだと。

「ひどいわ、お母様を除け者にするなんて」

 ドロシーの非難に、誰も反応しない。


「随分と派手ね……伯爵家には、侍女を飾り立てる習慣でもあるのかしら」

「母の趣味だよ」

 なおも言い縋る夫人を伯爵は強引に連れ出して、ドロシーの隣に立つ者は誰もいない。

 そんな恰好では妃殿下に対して失礼だから、とドロシーは隅に追いやられた。

 会場を見渡せば、顔見知りの令嬢達は、みんな婚約者と一緒。

 ドロシーの存在に気が付いている筈なのに、誰も声を掛けてくれない。

(きっと、これはビクトリアの嫌がらせなんだわ)

 デニスと結婚すると期待させておいて、こんな恥までかかせるとは――

 普段の態度から、下位貴族の出身である自分が、気に入らないのだろうとは感じていた。

(あの女がトリアン家に嫁いで来たら、私……)

 自分がなる筈だった『本当の家族』の立場を奪われてしまう、と焦燥感に駆り立てられていた。


(もうすぐ、ダンスが始まる時間かしら)

 王太子夫妻のお披露目の後、若い男女達は一緒に踊る事が決められている。

 ドロシーだって、アンヘルと練習していた。

 それぞれ、互いの婚約者と踊る事を信じて――

(……そういえば、キャリィは大丈夫かしら?)

 アンヘルを見上げていた、キャロルの瞳を思い出す。

 彼女は、どこか、不安そうで――

(そうよ、きっと、踊りたくないんだわ。キャロルは休憩させてあげないと)

 自分が代わってあげなければという善意と、彼女なら隅で待たせても大丈夫という慢侮。

 長きに渡って形成された『姉』としての振る舞いは、もう、誰にも止められなかった。


「良かったわね、アンヘル」

 ドロシーは間に合った。

 ダンスが始まる寸前に、アンヘルの手を取る事が出来た。

 キャロルをその場に置いて、会場の中央へと足を進める。

「あ、ああ……」

 ドロシーの予想に反して、アンヘルは不満げな表情を浮かべていたが。

「ほら、曲が始まるわよ。キャリィの為に頑張らないと」

 キャロルの姿を見ていたらしきアンヘルも、その言葉に、此方へ向き直る。


 ダンスの時間は、とても心地よかった。

 時々、視界に入るデニスとビクトリアの姿は癪に障ったが、美しい王太子夫妻の前では些細な事。

(クラリス妃殿下って本当に美しい方なのね。あとでキャリィに教えてあげなきゃ)

『妹』の代わりに踊ってあげたのだから、王太子夫妻の覚えも良く、きっと『マギーお母様』も喜んでくれるだろう――ドロシーは、そう信じていた。

「楽しかったわね」

 沈んた表情を見せるアンヘルに声を掛ける。

(何か不満でもあるの? 完璧だったと思うわよ)

 彼は重々しく口を開いた。

「なあ、ドロシー……これからは」

「アンヘル」

 冷ややかな呼び掛けに、アンヘルの言葉は中断される。

「……お兄様」

 振り向いた先には、デニスの姿があった。

 ドロシーの声には反応せず、アンヘルを鋭く睨んでいる。

「お前の本心は分かった。手続きは此方がしておく」

 周囲に配慮してか、小声で告げると、彼は踵を返す。

 当然の様に付き従う、ビクトリアの姿が目に付いた。

「違うんです、そんなつもりは無かった」

 アンヘルは慌てた様子で二人の後を追う。

 縋られたデニスは、不快そうに顔を顰めた。

「キャロルを裏切っておいて、今更……」

 その言葉に、ドロシーは思わず声を上げていた。

「裏切る? 何て事言うの、お兄様。キャロルの為に代わってあげただけじゃない」

「キャロルの、為に? 思ってもいない事を……」

 反論は、デニスの隣から。

 ビクトリア・グローブスは、大きな茶色の瞳を吊り上げて、ドロシーを見据えていた。

「郭公ならば、それらしい装いをしておきなさい」

 その言葉に、息を呑む声が聞こえた。

 気付けば、多くの人達から注目を浴びていたらしい。

 ドロシーを見て苦笑する者もいた。

「郭公だなんて……ひどいわ。私、そんなつもり……」

「アンヘル・ペダルファ様、それにドロシー嬢も、此方へ」

 王宮の使用人達が集まってくる。

 反論する間もなく、ドロシーは会場から連れ出された。



 会場から少し歩いた距離の控室に、トリアン伯爵家とペダルファ伯爵家の関係者が集まっていた。

「ドロシーちゃん……」

 褒めてくれる筈だったトリアン伯爵夫人は、目に涙を浮かべている。

「悪気は無かったのよね? キャリィちゃんの事を嫌いだったわけじゃないのよね?」

「……勿論よ。どうして?」

 ドロシーには、夫人の質問の意味が分からなかった。

 泣き続ける『母』を慰めてあげたかったが、宰相と呼ばれる男に連れられて、トリアン伯爵夫妻は部屋を出て行った。


 残ったペダルファ伯爵達から、キャロルを差し置いて踊った事を咎められても、ドロシーは理解出来なかった。

「だって、私はキャリィの姉だもの。代わってあげるのは当然でしょう?」

 ペダルファ伯爵夫妻は、困ったように顔を見合わせる。

 暫しして、伯爵の方が口を開いた。

「ドロシー嬢……愚息と……アンヘルと、結婚する気はあるか」

 その問いに、ドロシーは首を傾げる。

「どうして? アンヘルと結婚なんてしたら、お母様の娘じゃ無くなっちゃう」

 諦めたように溜め息を吐く夫妻には目もくれず、隅に座るアンヘルの手を取った。

「ほら、はやくキャリィを迎えに行きましょう?」

 いつもは従ってくれるはずの手が、何故か重い。

「俺は……キャロルの事が、好きだった筈なのにな……どうして間違えちゃったんだろう」

 弱々しく笑ったまま、彼は動かなかった。



 それから、ドロシーは王宮の馬車で帰された。

 トリアン家に戻っても、使用人達に部屋で大人しくするように告げられて。

 キャロルの姿を見る事はなかった。



 翌朝、いつものように、一人で着替えて部屋を出る。

 夫人の付き人という扱いなので、ドロシーの世話をする侍女はいない。

 しかし夫人に髪を整えてもらう事を日課としていたので、今日も寝室へ向かった。

「マギーお母様、おはよう」

 既に起きている筈の夫人は寝台の中にいた。

「どうなさったの?」

「……ごめんなさい」

 夜会で疲れたのかとドロシーが声を掛けても、得られるのは謝罪だけ。

「ごめんなさい、キャロル……そんな事を言わないで……」

 顔を覆い啜り泣く夫人は、ドロシーを見る事は無かった。


 居心地が悪くなり、自室に戻ると、見慣れない女中達の姿。

 彼女達は、衣装棚を勝手に開けていた。

「何をしているの」

 咎めても、『旦那様の命令だから』と素っ気なく返される。

 夫人に買って貰った服は、全て持ち去られた。



 朝を迎え、ゆっくりと身を起こす。

 爽やかな朝の日差しも、自分の心を慰めてくれなかった。

 衣装棚を開けると、中には黒や紺、灰色のような地味な服ばかり。

 その中から適当に選んで、髪も適当に整える。

 鏡に映った姿を見て、溜め息を吐いた。


 あの夜会以降、ドロシーの生活は一変した。

 屋敷にいる時は、部屋から出ないように言いつけられて、キャロルとは一度も会っていない。

 伯爵夫人の部屋に行っても、すぐに使用人に追い出される。

 それに、礼儀作法を教わる先生も替わった。

 セダム夫人の屋敷には、いつも澄ました顔をしていて、ドロシーを無視するような意地悪な令嬢ばかりだった。

 しかし、新しい場所は、男爵や商家の娘が多かった。

 学ぶ内容も、給仕や掃除の仕方など、使用人を目指す少女達に向けたもの。

 ドロシーに許された外出はそれだけで、茶会や買い物に出掛ける機会は無くなった。


 全て、ビクトリア・グローブスの嫌がらせだ――ドロシーはそう思い込んでいた。

 きっと、自分を召使としてこき使うつもりだろうと。

 唯一の救いは、新しい通い先には、自分とおしゃべりに興じてくれる少女が多かった事。

 社交と縁の無い少女達にとって、ドロシーの話題は物珍しかったのだろう。

 久方振りに得た機会に、ドロシーは気分を良くしていた。

「もっとお話したいわ。是非、うちに来て頂戴」

 その場で適当に招待状を書いて、少女達に渡した。



 不格好な招待状を手にした少女達を前に、トリアン伯爵家の使用人達は頭を抱えていた。

 招待した覚えはない。しかし失礼な真似は出来ない。

 客間を使う訳にいかず、急いで庭園に茶会の席を準備した。

 即席ではあるが、少女達が普段目にする事の無い上等な茶器や菓子。

 皆、上機嫌で話に花が咲いていた。


「ユキウサギ……」

 会話の合間に、ふと、一人の少女が呟く。

 彼女の視線の先には、キャロルの部屋の窓。

 おそらく、彼女が見ていたのだろう。

「キャリィがいたのね。あの子は可哀想な……」

「ユキウサギと郭公みたいね」

 ドロシーの言葉を遮って、少女が口を開く

 その視線の先には、自分の姿。

 青みがかった灰色の服が、件の鳥に似ていたのだろう。

『郭公ならば――』

 ビクトリアの言葉を思い出し、ふと、胸が痛んだ。



「……自分の立場を理解していないようだな」

 その日の夜、トリアン伯爵に呼び出された。

 彼は、冷たい眼差しでドロシーを見据えていた。

「マーゴットが心を病んだのは、私の落ち度だ……君が、妻の慰めになるなら、多少の醜聞は……と思っていた。せめて、君の将来に関しても責任を取るつもりだったが……これ以上、当家の娘のように振る舞われていては困る。こうなっては――」

「……そんな」

 彼の言葉は、この世の終わりを告げるかのように感じられた。



 夜半に、こっそりと部屋を抜け出した。

「マギーお母様……」

 トリアン夫人は、寝台に座っていた。

 前に立つが、夫人は自分に気付いていないかのように涙を流している。

「私、修道院へ行くんだって」

 ドロシーの呟きだけが、空しく響く。

「私、あんな恐ろしい所へ行きたくない……助けて、お母様」

 トリアン夫人は、何も言わなかった。



 ドロシーを修道院へ送る日はすぐに決まり、支度をするようにと命じられた。

「こんなきれいな髪を……勿体ないねぇ」

 職人を手配したのは、最後の情けだったのだろう。

 招かれた老婦人は、ドロシーの髪を梳き、労わってくれた。

「せめて、綺麗に整えてあげようね」

 鏡の向こうで、鋏を構える姿に、思わず身を竦める。

 震えるドロシーの耳に、じゃきん、と大きな音が響く。

「どうして……」

 ――どうしてこうなったんだろう?

 鋏を入れられた金の髪を見て、自分の魂も切り落とされたような感覚に襲われた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ドロシーの行動は完全に大人の発達障がい マナーの先生もついていながら、誰も常識を彼女に教えていなかったのか? というか、みんなが『基本的な事は言わなくてもわかるだろう』もしくは『誰か教えて…
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