お見舞い
人間世界へ戻ったナラヤンは寝込んでしまった。その晩から熱が出て、今もベッドで横になっている。
(魔法場汚染をかなり受けていたんだなあ……めっちゃ、体がだるい~)
そこへミニスワティが小さな白鳥の背に乗って飛んできた。遠慮なく窓から入って、ナラヤンの頭上を旋回飛行し始める。
「そーかー、だるいかー。治してあげるう~」
そして、当然のようにニームの枝葉を召喚して両手で持った。二刀流である。
熱があるため逃げる事ができず、仰向けに寝たままで観念するナラヤンであった。まな板の上の鯉みたいである。
「二本って事は、治療速度も二倍ですよね」
ミニスワティが喜々としてニームの枝葉を振り上げた。先端部分の小枝がピイッと風切音を立てている。
「そんなわけないでしょー」
そして有無を言わせずに、和太鼓を叩く要領でナラヤンの頭をシバキ始めた。とりあえずナラヤンが、痛い痛いと抗議するが、予想通りミニスワティによって無視されている。
バシバシ顔を叩かれながら、諦観して目を閉じるナラヤン。
「これって絶対に趣味ですよね……痛い痛い」
そんな事をされていると、部屋の玄関の扉を開けてサラスワティ人形が入ってきた。泥人形に憑依しているので、今は実体化している。服装は白いサルワールカミーズ姿で緑のサンダルとストールだ。
「こんにちは、ナラヤンさん。お見舞いに来ましたよ……あらら。治療中でしたか」
寝たままのナラヤンが顔をバシバシ叩かれ続けながら、律儀に合掌して挨拶する。
「わざわざ来てくださって、ありがとうございます。ちょっと今、目を開けられないので不作法を許してください」
ミニスワティもニームの枝葉を交差させて、本体のサラスワティ人形に挨拶した。
「こんにちは、私。羅刹世界とか巨人世界、それに魔法工房世界まで遊びに行って羨ましいー。私たちはずっと病院に詰めっぱなしだったのにー。こうして憂さ晴らししないとストライキするぞっ」
(憂さ晴らしだったのか……)
顔をひたすら叩かれながら、理不尽を感じるナラヤンであった。
サラスワティ人形がジト目になって反論した。
「遊びではありませんよ、そこの私。危うく滅殺されそうになったんですから。情報の共有が上手く働いていないようですね」
こうしてミニスワティとサラスワティ人形との間で口論が始まった。ナラヤンは仰向けで寝たまま、リズムよく頭を叩かれ続けている。
そこへ今度は放送部のジトゥが、勢いよく扉を開けて部屋の中へ入ってきた。
「よお、ナラヤン。風邪をひいたって聞いて見舞いに来てやった、ぞ……あ。美少女がいるっ」
ナラヤンが目を開けられないまま、右手を軽くふった。
「サラスワティさんだよ。僕の見舞いに来てくれたんだ。前に一度会ったよね」
ジトゥはミニスワティを見る事ができないので、紹介を避けている。
口論を中断したサラスワティ人形が、ジトゥに軽く合掌して挨拶をして微笑んだ。
「こんにちは、ジトゥさん。サラスワティです」
ジトゥが絶望の表情になって泣き始めた。
「こ、こんな美少女の彼女がいるなんて、聞いてないぞ。俺にはあんな事言っておいて、この仕打ちかっ。ナラヤンの裏切者ー!」
「ちょ……何を言ってるジトゥ。サラスワティ様は彼女とかじゃないぞ。彼氏は別にいるんだってば」
慌てたナラヤンが体を起こそうとして、両目を開ける。が、そこへミニスワティのニームの枝葉の二刀流が炸裂した。ぎゃあ、と呻いて再びベッドに横になり、両手で目を押さえるナラヤンである。
ミニスワティがご機嫌な表情でバシバシ叩き続けながら歌い始めた。
「治れー治れー、さっさと治れー。治らなきゃ無理やり治すぞーひゃっはー」
ジトゥが泣きながら怒り始めた。
「ちくしょー、見てろよ。俺もしっかり放送部の仕事やって、彼女つくってやるからなっ」
ええーん、と喚きながら部屋を駆けだしていった。
顔を叩かれながら合掌するナラヤンだ。
「がんばれー」
入れ替わりに今度は呪術師のラズカランが部屋に入ってきた。小首をかしげて外を見ている。
「ジトゥを泣かせたのか、ナラヤン。まあ、最近調子に乗ってたし。ヤツにとっては良い薬になるな。うん」
そして、ナラヤンに視線を向けて、袋に入れた見舞いの品を見せた。
「よお、ナラヤン。近くの飯屋で揚げ物を買ってきてやったぞ、それとチソだ。栄養とって、さっさと風邪を治せ……おや? この美少女さんは、いつぞやの」
ラズカランがニヤニヤし始めたので、ナラヤンが改めて彼女ではないと説明した。目を閉じたままだが。
それを聞いて、あからさまに落胆するラズカランだ。
「かーっ……だったら、別のフリーの女くらい紹介してもらえよな。こんなに美少女で見舞いにも来るような良い娘の紹介だったら……ん?」
話を中断して、サラスワティ人形をまじまじと見た。そしてガタガタ震え始める。
「も……もしや、ナラヤンに憑りついていたのって、貴方様ですか?」
サラスワティ人形が微笑んで、あっさり認めた。体全体がほんのりと金色に光る。
「はい。ブラーマ様の傘下で女神をしているサラスワティと申します。今は、泥人形に憑依して実体化しているんですよ。普段は神霊状態ですので人間には見えませんけどね」
ナラヤンが顔を容赦なく叩かれ続けながら起き上がろうとした。しかし、ミニスワティに叩きのめされてベッドに沈んでいく。
「サラスワティ様。この事は秘密にするんじゃなかったんですか」
腰をぬかしているラズカランを落ち着かせながら、サラスワティ人形が穏やかな口調で答えた。
「魔物とか呼ばれるよりはマシです。今も憑りついているとか言ってますし」
我に返ったラズカランが、悲鳴を上げてサラスワティの足元に頭を擦りつけた。北インドでは最上位のお辞儀である。
「し、失礼いたしましたあああっ。サラスワティ様ご本人とは露知らず、無礼の数々、どうかご容赦をっ」
そして、ほうほうの体で見舞いを終えて去っていくラズカランであった。
ようやく治療が終わったので、起き上がったナラヤンが不安そうに見送る。
「……これで良かったんですか? 神様だとばれてしまっては、後で面倒な事になりませんか?」
サラスワティ人形がラズカランのお見舞い品を開けて中を確認した。飯屋の揚げ物はナラヤンに全て渡し、駄菓子については小皿2つに分けていく。
その1皿をサラスワティ人形が手を洗ってから摘まんで食べ始め、ニコニコの笑顔を浮かべた。
「ナラヤンさんはもうすっかり変人だと有名になりましたからね。少々変な人が隣に居ても誰も怪しみませんよ。駄菓子にしては美味しいですね、これ」
ミニスワティも両手に持っているニームの枝葉を消去して、満足そうな笑みを浮かべながら小さな白鳥の背に飛び乗った。
「治療終わりー。良いストレス解消になったよ、ありがとねナラヤンさん。それじゃあ、私は仕事に復帰します。では!」
そのまま白鳥に乗って、窓の外へ飛び出していった。とりあえず合掌して感謝するナラヤンだ。
「風邪もすっかり治った感じです。ありがとうございました、ミニスワティ様」
回復すると腹が減ったようで手を洗ってから、すぐに見舞い品の揚げ物を食べ始めるナラヤン。チソは生ぬるかったので、冷蔵庫から氷を取り出してコップに入れてから注ぎ入れる。今回はオレンジ色のファンタみたいな炭酸飲料だ。
同じチソをサラスワティ人形にも1コップ渡し、改めて部屋が散らかっている事を謝った。
「キレイ好きのサラスワティ様には、全くふさわしくない小汚い部屋ですね。すみません」
サラスワティ人形はそれほど気にしていない様子である。肯定的に首をふった。
「掃除した方が良いのは確かですが、もう慣れました。マタンギ化しなければ、それで構いませんよ」
確かに今のサラスワティ人形の瞳やイヤリングは赤くなっていない。そう言った後で、真面目な表情で付け加えた。
「マタンギ化しても、大暴れなんかしませんけれどねっ」
談笑しながら見舞い品を完食したナラヤンが、小皿を台所に置いて手を洗った。
「僕の話題をネタにニュースにしても、あまり関心が持たれなくなったと、このお見舞い品を持ってきてくれたジトゥが言っていました。でもサラスワティ様は超絶に美少女ですから、どこにいても人目を引くはずですよ」
サラスワティ人形も小皿を台所へ置いてから、ナラヤンの横で手を洗った。
「大丈夫ですよ、私にはもう一つの姿がありますから」
そう答えてからマタンギ化した。
それを見たナラヤンが深く納得する。
「……あ。その姿なら全く問題ないですね」
でしょ、と笑うマタンギ人形。
マタンギ人形がコホンと小さく咳払いをした。
「冗談はさておき、ナラヤン君には感謝しているんですよ」
「冗談だったのですか?」
混乱しているナラヤンの様子を、マタンギ人形がニコニコしながら見る。そして、自身の水筒の水を飲んで再びサラスワティに戻り話を続けた。
「私はこれまでずっと過去ばかり見続けていました。ですが、ナラヤンさんと関わるようになってからは、将来にも興味が湧いてくるようになったんですよ。羅刹たちが努力して平和で文化的な暮らしを目指している事も、今回初めて知りました。巨人の世界もですね」
ナラヤンが小皿を洗い終えて、水切り台に立てかけてからニッコリ笑った。
「ワクワクしますよね。何度死んだか数えるの止めましたけど」
サラスワティ人形がコロコロと笑った。
「ええ、その通りですね。調子に乗って死に過ぎですよ、ナラヤンさん」
サラスワティ人形が部屋から歩いて去っていくのを見送ったのだが……やはり寮生の注目を集めまくっている。サラスワティ人形本人は、そうと気がついていない様子だが。
「あー……食べたら調子が戻ってきたかも」
ナラヤンが扉の外を眺めながら背伸びをする。
(ああそうだ。回復したって実家にも伝えておかないと……)
スマホを取ろうとしたが……手を滑らせて床に落としてしまった。
「あ……ヤベ」
床に落ちたスマホを拾い上げてみたが……調子が悪くなり、再起動してもダメだった。
仕方なくバッテリーを外して、しばらく置いてから別のバッテリーと交換して再起動してみる。これで起動したのでほっとする。
「しかし、データのバックアップができない仕様だしなあ……こういう点は羅刹魔法って融通が利かないよね」
今は羅刹魔法を真似た神術によって動作しているのだが、基本性能はほぼ変わらない。
神術がかかっている記憶素子とか演算素子といった重要部品が壊れると、それっきりだ。これまでは電源回りの故障で済んでいたため、何とか修理できていたようである。
ナラヤンが財布の中身を見ながら、ため息をついた。
(仕方がない……情報工学部のムクタル先生に相談しておこう。できるだけ安くしてもらえると助かるんだけどなあ)
その後、改めて飯屋へ行って夕食を摂っていると、スマホのイノシシが着信通知を知らせた。急いで食事を済ませてから手を洗って、イノシシに指タッチする。
「すみません、食事中で遅くなりましたムカスラさん」
ムカスラは気にしてないようである。口調が明るい。
「今回はお知らせだけですから、構いませんよ」
ムカスラの話では、羅刹世界と巨人世界、魔法世界の偉い人達で会議が行われたという事だった。
「その会議で、この工房世界の所有権がマガダ帝国に移譲されました。早速、先遣隊を派遣していますよ」
あのメイガスが所有していた異世界は、工房世界という名称になったらしい。
調査隊や魔法世界からの情報では、この工房世界は移住先として適していると予想されているそうだ。大きさも十分すぎるほどで、無数の銀河を含む巨大な宇宙らしい。
ムカスラの口調がさらに弾んでいく。
「地球型惑星も無数にあるので移住し放題ですね。皇帝陛下が喜んでいると上司から聞きました。何よりも、メイガスが魔法実験を行うために創造した世界ですので、魔法場汚染が自動で浄化されるんですよ。これは法術省の研究所としても嬉しい事です」
ナラヤンも素直に祝福した。
「おめでとうございますムカスラさん。ちょっと無茶しただけの見返りはありましたね」
ムカスラが照れながらもツッコミを返した。
「ちょっとどころではないですけどね。ナラヤン君、また死んでしまいましたし」




