酷い話ですよね その二
徹夜明けでフラフラになりながら学校へ登校すると、放送部のジトゥが泣きついてきた。ナラヤンには足を踏ん張る余力があまりないので、危うくジトゥと一緒に転んでしまいそうになる。
「ちょ……今の僕は弱ってるんだよ。トドメを刺すなコラあ」
泣き顔を起こしたジトゥが、ナラヤンに抱きつきながらボロボロ涙をこぼした。一応、美男子の部類に入る顔つきなのだが、今は見事にブサイクだ。
「シディちゃんとシャイラちゃんに振られたー。死にたいー」
あの女神どもはー、と内心で呆れるナラヤン。
(あー……そう言えば2体の泥人形を使っているって、サラスワティ様が言ってたっけ。今もまだ勝手に使ってるのか。困った女神様たちだな)
放送部の友人を慰め、君には放送という立派な任務があるじゃないかと励ます。
ナラヤンの励ましを聞いて、ジトゥもようやく落ち着いてきたようだ。涙を拭いて鼻も拭く。
「そうだよな……それに打ち込んで男を磨くしかないよな。よし! 今から俺は仕事に生きるぜっ」
「そうだジトゥ、頑張れジトゥ!」
一緒になって気勢を上げるナラヤンとジトゥであった。
それを見ていたサンジャイ部長が大きくため息をついている。
「おいおい……奇行って伝染するのかよ。俺も気をつけようっと」
ジトゥを励ますために、その晩は寮近くの飯屋へ行ったナラヤンだ。そのため、論文情報の読み上げ作業に費やす時間が2時間ほど削られてしまったが。
(仕方がないな、これは。腐れ縁だけど友人だし)
その後、自室へ戻って作業を再開した。サンスクリット語の読み上げ速度が上がっている事に気がつく。
「お? 僕もサンスクリット語にかなり慣れてきたみたいだぞ」
やがて24時間が経過して、スマホ画面上から論文情報が表示されなくなった。背伸びをしてから、軽く頭をかく。
「……それなりにたくさん翻訳できたかな。僕も、やればできるじゃないか」
早速、音声ファイルと模写した図表をムカスラに送信した。
「これでよし。さて、トゥルシービバハからずっと働きっぱなしだし、寝よう」
その前に、まだ少し残っていた果物とお菓子を腹に詰め込むナラヤンであった。
ナラヤンがこうして頑張って送った論文情報だが……多くは工業省が既知のものだった。しかし、いくつかは興味を持ったらしい。
10日後、ムカスラから以下の論文が特に参考になったという電話がきた。
〇偽造困難な商品情報タグの情報が一つ。
10ナノグラムほどの微量の分子状の金は、レーザー光を当てた際に特有の反射をする。この分子を様々な方法で制作し、色を添加する事で反射が多様化するという論文だ。反射が多様化するという事は、多くの情報を持たせる事ができるという意味でもある。
この分子状の金を商品に貼りつける事で、商品情報を提示できるようになる。既存の半導体タグやQRコードなどより小さいため、薬の錠剤表面に直接貼りつけてもいい。微量の金なので食べても特に害はない。
「ドワーフ製の機械では、さらに高度な偽造防止技術や商品情報の付与が行われていますが……全てドワーフによる管理下にあるんですよね。マガダ帝国独自の技術が必要になっています。その参考になりそうだと、工業省の技官が言ってました」
ムカスラの話では、マガダ帝国でも田舎では燃料不足が深刻らしい。羅刹世界では石油や石炭、天然ガスなどはすでに枯渇している。そのため、この世界が廃棄されたのだが。
ただ、魔法使いは化石燃料をあまり使わない。錬金術の系統の魔法があるためだ。なので、ドワーフ世界がこっそり採掘して持ち去ったのでは……という噂があるらしい。真偽のほどは分からない。
「汎用元素を用いた自然エネルギー利用が求められているんですよ。太陽光とか有望視されていますね。工業省の主要な仕事の一つです」
〇その太陽光利用では、水を電気分解して酸素と水素ガスにする事業が行われている。この電気分解で用いる電極に、鉛とチタンからなる酸フッ化物が有望という論文が一つ。
電気分解する際に太陽光も当てると、効率よく2つのガスが発生するという内容だ。
〇水素ガスは爆発しやすい上に、ガスなので体積がかさばるのが難点だ。水素ガスを何かに吸着させて安全性を高めながら、体積を小さくする必要がある。
ホウ素と水素の組成比が一対一のホウ化水素というものがあり、これをシート状に加工すると便利だという論文が一つ。このシートは爆発の恐れが低く、軽量だ。
シートに紫外線を照射すると、簡単に水素ガスを取り出す事ができる。
ナラヤンがため息をついて、窓の外を見た。
「実用化できると素晴らしいですよね。ネパールじゃ燃料不足が本当に深刻なんですよ。停電もよく起きますし。工業化を進めるためには燃料と電気って必要ですよね」
ムカスラが答えた。
「人間世界にはまだ石油や天然ガス、石炭があるじゃないですか。ネパール政府に頑張ってもらいましょう。マガダ帝国では省エネも重要なんですよ。この論文情報も役に立ちそうですね」
〇木材にホウ酸ナトリウムを染み込ませる事で燃えにくくでき、加熱する事で生じる泡によって断熱効果も期待できるという論文が一つ。
木材は元々微細な空隙が多いので断熱効果があるのだが、それを強化する事になる。さらに、もし火災が発生しても木材をホウ酸ナトリウムの泡が覆うため、酸素と木材とが接触しなくなる。
〇断熱効果を期待したい場所は、窓ガラスや天井なども挙げられる。既存技術では真空断熱層を間に挟んだ窓ガラスや天井があるのだが、コストが高い。
そこでエビやカニの殻の材料であるキチンを加工した素材を提案している論文が一つ。
キチンをアルカリと薄い酢酸で溶かし、ホルムアルデヒドを加えてゲル状にする。含まれる水分をメタノールに置換してから、これを炭酸ガスを使って高圧で噴射する。
すると、超低密度の乾燥多孔体になる。色が透明で柔軟性もあるので広い用途が期待できる。
羅刹世界で商品化されたら、逆輸入してロボづくりに使ってみようかな……と考えるナラヤンであった。
「知らせてくださって、ありがとうございました。24時間頑張って良かったです」
「お疲れさまでしたナラヤン君。今日はここまでにしましょう。ではまた」
ムカスラからの報告を聞き終えたナラヤンが、電話を切って背伸びをした。
「この寮の断熱工事も、いつかやってほしいなあ。雨期前とか暑いんだよね」
ナラヤンがコンロで湯を沸かしてチヤを淹れようとしていると、シディーダトリがシャイラプトリを連れて部屋へ飛んで入ってきた。白鳥の翼をバサバサさせたので、コンロの火が吹き消されてしまう。
「おーいナラヤン君。お腹が減ったから何かよこせー」
ナラヤンがコンロのガスツマミを閉めてから、スマホを介してジト目で話す。
「それは構いませんが、僕の友人を振るなんて酷いじゃないですか。彼すっごく落ち込んでましたよ」
シディーダトリがニコニコしながら、ナラヤンの抗議を聞き流した。
「気に入ってるのはナラヤン君だけだしなー。適度に変人でお人好しな所がつけ込みやすいっていうかー。さっき市場を見てきたらリンゴが売ってたぜ。さっさと買ってこーい」
シャイラプトリも笑顔で首をふる。
「私はオレンジが好物でね。ジュナールを買ってくるのだぞ」
はいはい、と了解するナラヤン。
「僕はお金持ちじゃないんですよ。一人一袋で我慢してくださいね」




