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ビラトナガルの魔法瓶  作者: あかあかや
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酷い話ですよね その一

 季節は西暦太陽暦の11月上旬になった。日中のビラトナガル市内でも過ごしやすくなる季節である。

 ナラヤンが自転車をこいで実家へ向かいながら、ご機嫌な表情で首をふっている。

「この季節からは自転車で走ると気持ちが良いなあ」


 この日にはトゥルシービバハという祭祀がある。由来は諸説あるのだが、ナラヤンの実家では以下のような由来となっている。


 昔、トゥルシという女性がビシュヌの妻になろうとして厳しい苦行を行った。ビシュヌはヒンズー教の主要な神様の1柱で、シヴァやブラーマと同格だ。

 このビシュヌの妻であるラクシュミは、彼女の苦行を知って激怒した。ラクシュミはトゥルシに神術をかけ、木にしてしまったのである。

 ビシュヌはこれを哀れんで自らの姿を石に変え、常にトゥルシの木の傍らにいて彼女を慰め続けたという。


 この神話からトゥルシの木が神聖とみなされるようになった。ヒンズー教徒では庭に植える人が多い。この木は、英語でバジルと呼ばれているハーブだ。


 祭祀では、トゥルシとビシュヌとの結婚を祝うという形式になる。つい先日のティハール大祭では主神のラクシュミを祀っていたのだが、今回は彼女が嫌った女を祝うという事をしている。まあ、信仰というのはこんなものだ。


 ナラヤンがイタハリ近郊にある実家に到着すると、すでに祭祀が司祭パンディットによって執り行われている最中だった。彼はイタハリ在住のバフン階級の人で、アパートの大家業をしている。ナラヤンの父と友人なので祭祀を引き受けたのだろう。

 ナラヤンが両親や親戚に遅刻を謝って、すぐに食事会の準備を手伝う。すでに酒も用意されていて、早くも酔っ払って出来あがっている親戚もチラホラ。その中には呪術師ラズカランの姿もあった。


 祭祀が滞りなく終了し、その後は食事会となった。司祭が酒を飲んで、ナラヤンの父と陽気に騒いでいる。

 ナラヤンも手伝いを終えて、盆に食事を盛った。酒が注がれたコップを手に取りかけて、ナラヤン母に怒られている。

「コラ! どさくさに紛れて飲むんじゃないナラヤンっ」

「ま、間違えただけですってば」


 水が入ったステンレス製のコップを手にして、ナラヤン母から離脱する。そのまま、同年代の親戚の子たちが集まっている場所へ行って、一緒に歓談しながら食事を摂り始めた。

「涼しくなったから川エビが美味くなってきたね。魚も脂が乗り始めて良い感じだよ」

 マデシ族は魚介料理を好むのだが、ナラヤンの一族には特に多いようだ。親戚の高校生が残念そうに肩をすくめて、大人たちが集まっている会場中央を見つめた。

「タニシ料理は、速攻で年長者に食われてしまったけどな。来年は量をもっと多めに確保するぜ」


「だよなあ……来年に期待するよ」

 ナラヤンがパクパクと食事を平らげて、手を洗いに向かう。一応インド菓子と果物も用意されているのだが、こちらは女性陣に占領されていた。


 それを見て、ナラヤンがスマホを取り出す。

(……サラスワティ様はどうしているんだろう。今回はビシュヌ様の祭祀だから、直接の関わりとかないよね)


 クジャクを指タッチして電話をかけてみると、すぐにサラスワティが応答した。挨拶したナラヤンが、恐る恐る聞いてみる。

「それでサラスワティ様。そちらへ何か果物でも持って行きましょうか? トゥルシさんの結婚式なので、今は果物やお菓子が豊富なんですよ」


 少し考えてからサラスワティが嬉しそうな口調で答えた。

「そうですか? では何か持ってきてくださいな。私もトゥルシさんの結婚を祝いますよ。トゥルシさんは頑張っていましたからね。それに、まだラクシュミさんとガネシュ君が人間世界へ戻ってきていませんし……」

 どうやらビシュヌは今、彼女たちを探しに人間世界の外に出ているようだ。彼に同情するナラヤンである。

(ビシュヌ様、奥様探しして大変だなあ)


 ナラヤンが実家の庭に植わっているバジルの木をスマホで映した。結婚式なので、木には赤い布がかけられている。その写真をサラスワティ宛てに送信した。

「こんな感じですね。結構大きく育っているでしょ。ちょっとした自慢です」

 バジルは雨が多い地域で育つと病気にかかりやすい。


 サラスワティがその画像を見て、ヴィーナを弾きながらサンスクリット語で祝詞を歌った。それを終えてからコメントする。

「トゥルシちゃんは、今では神霊に準じる存在になっています。穏やかに暮らしていますよ。人間の人たちが結婚をずっと応援してくれたからですね。彼女に会う機会があれば、伝えておきます」

 実在する人だったのか……と驚くナラヤンだ。


 そのナラヤンにサラスワティが電話口でいたずらっぽく補足した。

「ちなみに、私はまだブラーマ様とは結婚していませんよ。独身バンザイです」

 ドゥルガとカーリーは結婚済みとも聞いて、両目を閉じるナラヤンだ。

「……神様にも様々な事情があるんですね」


 サラスワティとの電話を終えて、供物として持っていくための果物とインド菓子を少量ずつ確保していく。ナラヤン母や叔母たちも、今はおしゃべりに熱中しているようである。ナラヤンが一人分の供物を用意して、タッパ容器に詰めるのは造作もなかった。


 タッパ容器にフタをしたナラヤンに、呪術師のラズカランが声をかけてきた。それなりに酒が回っているようである。顔が赤くて目が少し据わっている。

「おう、ナラヤン。ちゃんと食ったか……おお、今晩の飯にするのかソレ。考えたな」


 ナラヤンが頭をかいた。

「……そうなりますね。食べきれない分は、寮生にあげますよ」

 うんうん、とうなずいたラズカランが、ナラヤン肩に腕を回した。やはり酒臭い。

「ナラヤンが何かに憑りつかれているという疑惑だけどな。ワシの手には負えないようだ。ポカラの隠者様に相談したんだが、まあ、悪さをする事はないだろうという診断でな。これで調査は終了する」


 ナラヤンが少し呆れながらラズカランを支えた。

「まだ僕の身辺調査みたいな事してたんですか。見ての通り、いたって元気ですよ」

 そう言う割には、奇行のナラヤンという評判はすっかり定着してしまったようだが……


 ラズカランが近くのイスに座って、ナラヤンを見上げた。大真面目の表情だ。

「そのようだな。血色も良いし脈も正常だ。身の回りで悪い事が起きたりもしていないのだろう?」

 一瞬ナラヤンが視線を逸らした。

「そ……そうですね。運が悪いのは生まれつきですから何とも。頭も賢くないですし。至って普通だと思いますよ」


 ラズカランが酔っぱらった顔で満足そうにうなずいた。

「そうか、そうか。普通が一番だよな」

 そう言ってから、次に商売人の顔に変わっていく。

「で、だ。この前デリーへ行った際に、色々と掘り出し物の部品を見つけてきたんだが……どうだい?」


 ラズカランが自身のスマホを取り出して、何枚かの写真を見せた。全て機械の部品だ。ロボ向けだけでなくて、重機や電動モーター用もある。

 それらを見たナラヤンが目をキラキラ輝かせ始めた。

「わ。良さそうな部品ばかりですねっ、早速部長さんに連絡してみます」


 その後、コシ河の展望台まで自転車で行き、サラスワティに供物を捧げて談笑したナラヤンであった。ナラヤンが来る時には、人除けの神術をかけているようで観光客の姿は一人も見えない。

 サラスワティが果物とお菓子に右手をかざして微笑んでいるのを見て、ナラヤンが質問した。

「泥人形がありますので、憑依して実体化しても良いのではありませんか? 直接食べた方が美味しいのですよね」


 サラスワティが満足そうな表情を浮かべて、手を引いた。今の彼女は神霊状態なので実体化していない。スマホを介さないと姿や声を認識できない状態だ。

「泥人形は2体しかありません。今はカーリーさんとシディーダトリちゃん、シャイラプトリちゃんが交代で憑依している頃ですよ」


 3柱はパトナ騒動の後始末で雑用をしていたようだ。ラクシュミとガネシュが不在なので、その代わりに慣れない宝飾ファッションや商売関連の仕事をしていたと話すサラスワティである。

「今日は、ゆっくりビラトナガル市内を食べ歩いてもらっています。私が行くとマタンギ化してしまいますしね」


 ナラヤンがカーリーたちに同情している。

「カルナ様は……そういう仕事をしないでしょうね。怒って、またパトナ市を灰塵にしてしまうかもしれませんし」

 クスクス笑っているサラスワティである。

「人間だった頃は真面目な軍人でしたので、仕事には真摯なのですけどね。仕事以外にはあまり関心がないんですよ」

 とりあえず今は、カルナ様がサラスワティ様を『婆様』呼びしていた事は黙っていよう……と思うナラヤンであった。


 そのような談笑を続けていると、ナラヤンのスマホにムカスラから電話がかかってきた。サラスワティに断ってから、イノシシを指タッチして電話に出る。

「はい、ナラヤンです。今はサラスワティ様と一緒にいますよ」


 ムカスラが明るい口調で挨拶した。

「それは好都合ですね。実は、新たな論文情報の提供要請が来まして。今度は工業省からです」

 どうやら、ダランやパトナでのロボ研の部活動の話が、工業省の偉い人の耳に届いたらしい。ナラヤンが内心でため息をつく。

(部長さん……24時間の徹夜作業をどうもありがとうございます)


 ムカスラの話によると、マガダ帝国を含む羅刹世界ではドワーフ世界から多くの機械類を輸入しているという事だった。ナラヤンが目をキラリと輝かせて反応する。

「お。ついにドワーフとの接点ができましたね。やっぱり太っていて背が低いんですか?」

 ムカスラが素直に肯定した。

「そうですね。ナラヤン君が想像する通りの体型だと思いますよ。法術省としては法術や魔法具と、ドワーフ製機械との競争という一面がありますので、あまりドワーフとは深く関わっていません」

 その割には、研究所では多くのドワーフを見かけたのだが……


 ドワーフ世界は非常に高度な機械文明を持ち、様々な異世界に機械を輸出している。一方でドワーフは魔法や法術適性が乏しい。そのため法術省で働いているドワーフは、主に機械類の整備を担当しているという事だった。

「我々羅刹は、光や生命関連の魔法適性が弱いですからね。それを補うためにドワーフ製の機械を使っているんですよ」


 なるほどと納得したナラヤンとサラスワティに、ムカスラが小声で話を続けた。

「ですが、そのドワーフ製の機械にも様々な問題点がありまして……」

 ドワーフ製品には全てモニターユニットが取りつけられていて、常時監視していると話す。さらに機械類の調整作業もドワーフ世界からの許可を得て、ドワーフの技師を召喚する規則だそうだ。

「でも、ドワーフ技師には適当な者が多くてですね……必ずしも要求通りの調整をしてくれるという保証はないんですよ。酒を飲みながら作業する事も多いですし」


 クレームを出しても無視される事が多いとグチを漏らすムカスラだ。

「こういう状況ですので、機械設備について帝国独自で研究開発する必要があるんです。そのために設立されたのが工業省ですね」


 大変だなあ……と同情しているナラヤンだ。

「僕も機械の修理をしていますけど、それぞれの機械に特有のクセがありますしね。工業省の羅刹さんの苦労は想像できます。分かりました、協力しますよ」

 サラスワティは隣で困ったような笑顔を浮かべているが、特に反対はしていない。

「ナラヤンさんがそう言うのでしたら、私も協力しましょう。工業分野は農業同様、多岐にわたります。分野を指定してくださいな」


 かくしてナラヤンが寮の自室に戻ってから、いつもの手順で24時間かけての録音作業が始まったのであった。

「果物とお菓子をタッパ容器に入れておいて正解だったかも。つまみ食いしながら進めようっと」


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