ビラテスワールの伝説 その三
山の民クンバ族のゐる地はヒマラヤ山脈に近き山間地なりき。さてスルヤ技官長ども交渉し、ビラータ藩王国の王宮庭園の分所設立されき。
分所のあるかたは標高2000メートルの高地なりしため、亜熱帯の王都ビラテスワールとは気候がなかなか異なれり。なほ2000メートル上がると万年雪と氷河もありと知り、スルヤ技官長と羅刹プラランバが大いに喜びきと語られたり。
ただ、この地は土着の神々統べたりき。仏教は既に興れれど、当時は未だこの地まで布教されたらざりきとされたり。
女神サラスワティはヒンズー教に属するため、彼ら土着の神々に慎みて分所への関与を控へき。その一方に羅刹プラランバは積極やうに関はりきと伝へられたり。
かくして10年のうつろふ頃には、分所にはシコクビエと粟の栽培が定着せり。米の品種改良も進み、山米や餅米の品種が数多く誕生せり。家畜には鶏に地鶏が、豚には黒毛豚が育種により広まりきといふ。
これらは羅刹魔法による品種改良にて実現せるため、スルヤ技官長が大いに感謝せり。羅刹プラランバによると会心の作はシコクビエとオレンジと自慢せりといふ。バナナはなほ後回しにされど、代はりにサトウキビの品種改良進められき。
カルナ神を祀るチャッテ大祭にては、このサトウキビを人体に見立てて使ふ事になれり。
土着の神々も喜び、彼らの幻術により数多くの発酵食品誕生しゆく。ただ、後に仏教やヒンズー教、イスラム教の広まりしためしに土着の神々移動して去に、これらの発酵食品の多くはそれと共に失はれき。
今のネパールに残れる酒などの発酵食品は、ウグラセーナとカムルによる保存努力によるものと語られたり。
彼らの世以降は、ヒンズー教やイスラム教を国教とする王国ばかりの続きしため、発酵食品は酒生み出だすわろき物といふ評価なりき。
残りしはヨーグルトくらいならむや。ゆゑに土着の神々の姿や名も含め、それらは今に伝はりたらず。
さるほどに、20歳になりしウグラセーナがスルヤ技官長の招きに宴に招待されき。当時ウグラセーナはカーラショーカ侯の下に地下組織の頭目として活動せるため、この時になるまで自身恥じて直接会ふ事はしたらざりき。
されどクンバ族が豊かになり酒の流通量が増えこしため、いよいよえ逃げきらずなりけり。友人のカムルに背中押され、膝つきてスルヤ技官長どもに合掌したと語られたり。
宴のかたは、標高4000メートルなる氷河のきはなりき。黒みがかりし青空と雪景色が麗しかりきといふ。
招待されしはウグラセーナの他に、女神サラスワティと土着の神々に、クンバ族の長、それにマデシ族代表してバハドル大隊長参加せり。スルヤ技官長と羅刹プラランバが歓待し、カムルが宴の用意を整へき。
女神サラスワティもこのかたへ来るは初めてなりき由、ウグラセーナや土着の神々、それにクンバ族の長どもと初対面の挨拶を笑顔に交はしき。
ただ、ブラーマ神や姉の女神ドゥルガどもは招待に応ぜざりき。
女神サラスワティの巨大なる氷河を見上げつつ、さうざうしさうにつぶやありきといふ。
「ここには巨人カンチェンジュンガは眠りたらねど……この麗しき風景を他の神々にも見させまほしかりけりかし」
宴が始まり、地鶏と黒毛豚の料理の振る舞はれき。山米の飯には澄ましバター振りかけられ、イラクサなどの山菜料理出だされき。シコクビエや粟は粉にしてバター練り込みて炊きしディーロとして供せれき。
山米のドブロクや、シコクビエや粟の酒もありきといふ。
女神サラスワティもショウガ酒飲みて談笑せり。かくてヴィーナ奏でて子守唄と恋歌歌ひ、幸せなるほどをふりき。
言の葉の女神にもあれば、宴の参加者全員が梵語を使ふべきやうに神術をかけきと伝へられたり。ただ、多少酔へるために正確性には欠けきめれど。
ウグラセーナが歌に感じ、天下は広しとまねびき。かくて、この酒を他の所にも仕込みて売らまほしと夢を語りき。友人のカムルがウグラセーナの夢をかなふと誓ふ。
それを聞きし女神サラスワティと土着の神々が、彼らに祝福と加護を授けき。
クンバ族の長と土着の神々も宴を楽しみ、一曲披露せり。
そは、蝶がサナギより羽化して、万丈の山と千尋の谷を越ゆる冒険の旅に出でし、麗しき花園を見つけせば、いかでか我らにも知らせておくれ……といふ正味なりきといふ。
土着の神々の1柱が女神サラスワティの歌に感じ入り、姿を似せき。この女神が窓口役となり、女神サラスワティと土着の神々との交流始まりき。その交流は、土着の神々がこの山を去ぬるほどまで続ききと伝へられたり。
一方に、スルヤ技官長がクンバ族長より高原に自生せる大麻を紹介せさせき。麻酔しるしと幻覚しるしありと聞き、興を抱く技官長。王都にも栽培してみる事となりき。
この大麻は花が大輪にて華麗なれば、50歳になる藩王とカーラショーカ侯や、40歳代のチャヌラ二世のごとき貴族にも好評なりき。ただ、スルヤ技官長はしるしを知らせで観葉植物として普及しゆききといふ。
同時に動物実験して研究しゆく。
とばかりの間研究を続くれど、スルヤ技官長と羅刹プラランバは副作用のいみじさに戸惑ひき。麻酔しるしは期待せられめど、それ以上に心を病みつる恐れの高きものなりきといふ。
そのため慎重に使用する事になりき。その一つは、今も飲料パングーとして天竺に残れり。
その頃、ウグラセーナは地下組織の頭目として勢力伸ばし、カーラショーカ侯の影として汚れいとなみを遂行せり。
されどスルヤ技官長の意見聞き入れしため、大麻を麻薬として取り扱ふ事はせざりき。代はりに酒づくり進め、新たなる産業興して物流路を広げゆく。
陸路と海路組み合はせし交易路も開拓し、当時の地中海や唐土の諸国とも貿易を始めたりきといふ。
カムルは30歳となるとも王宮庭園勤務を続けたれど、ウグラセーナに対して経営面の支援を続けたりき。
ウグラセーナはその影のいとなみゆえ、盗賊団や無法者のさばる国との抗争も頻繁に起こりき。カムルは戦術立案や傭兵の募集と編成、武器兵糧の調達と備蓄などの後方支援も行けりと伝へられたり。
クンバ族も当初は盗賊を生業とする無法者といふ扱ひなれど、王宮庭園の分所せられてからは農産物の生産拠点に働く優秀なる農民となりゆきき。わざと温帯性のオレンジは、特産品としてビラータ藩王国のみならずマチャ帝国全土に人気となりき。酒も人気商品となれり。
マデシ族のゐる平野部や丘陵地には、麻栽培が盛んになりゆきき。大量に織られし麻布には独自なる色彩による絵描かれ、マチャ帝国内に販売流通されたりき。
香り米の品種も増え、栽培面積拡大しゆく。この米を炊くと、蜜を含みし花のごときにほひが村包み込みきと伝へられたり。
されどナンディンとチャヌラ三世は、マデシ族とクンバ族への支援はいたづらと吐き捨つるばかりなりき。げにビラータ藩王国の穀倉地帯は、カーラショーカ侯の治むるビハールの地なり。豊かなる土地なれば多くの人が集ひ、ガンジス河の水運により産業と物流の一大拠点となれり。
藩王も同意見なれど、マデシ族やクンバ族が盗賊と化してビラータ藩王国へ攻め込む危惧は低くすべしといふことわりなりきといふ。そのため、消極やうにスルヤ技官長を支持せり。
ビハールの地に建てしカーラショーカ侯の屋敷には、20歳になりし息子のナンディンに家督を継がする式典執り行はれき。
その式典には大麻の花飾りており、チャヌラ二世などの貴族からの羨望と称賛を集めきと伝へられたり。ここに、ナンディンはマハーナンディン侯となりき。彼の右腕としてチャヌラ三世就き補佐する事となる。
チャヌラ三世も父親の二世より家督を相続せり。同じ侯なれど、チャヌラ三世は父親と同じやうにマハーナンディン侯の家臣のごとく従ひきといふ。
家督の相続式典終はると、やがて宴始まりき。ブラーマ神をはじめとする神々も参加せり。
されどスルヤ技官長と羅刹プラランバは参加せで、いとなみがあればと言ひて退席せり。
女神サラスワティをブラーマ神と女神ドゥルガのいひけちしためしと、マデシ族のバハドル大隊長と将軍アリシュタとが諍ひを始めしためなりとも言はれたり。
そのため、女神サラスワティとバハドル大隊長も続きて退席せり。
スルヤ技官長どもは合流して王都ビラテスワールへ戻りき。そこには新築や増築工事進みて、官吏の寮も造られたりき。
建築指揮を執れるはバハドル大隊長なりきめり、彼がけしき直して建築のけしきをスルヤ技官長どもに紹介せり。ビハールの地生まれの官吏も多ければ好評といふ。
バハドル大隊長の生まれ地には大森林あるため、建物の多くは木造なりき。王宮と庭園にも木造建物が多かりきと語られたり。
羅刹プラランバが建築現場のごみ山見て、実は王宮内にごみ捨て場の結界をつくりきと話しき。
昔の戦にては多くの羅刹用の甲冑や武器使はれて、それらが野に捨てられしままになれり。それらは魔法を帯びたれば、人触るとケガや発狂するゆゑになりかねず。
「ゆえに、この20年ほどの間に地道に回収せるぞ。それらを捨つるための結界を王宮内部に設けき。その回収作業の際に、なほ太古の遺物も発見されたり。それらも危険なればもろともに捨てたるぞ」
今にいふと、不発弾処理に似ためる作業ならむや。
王宮内に設けしよしは、野良の魔物や盗賊の羅刹の近寄らぬやうにするためといふ。
「盗まれて悪用さると良からず。羅刹の鎧の破片が人に当たりしばかりに、下手すと発狂しぬ」
女神サラスワティがクスクス笑ひつつ心得き。
「王宮はブラーマ様の結界に包まれたり。確かに魔物や羅刹除けといふ心には、ここが最も安全なりとぞ思ふ。神々も神術を制限さるれば、好戦やうなる神が来とも安し」
王宮内へスルヤ技官長どもを案内せる羅刹プラランバが、羅刹語の呪文唱へて結界を出現させき。古びし木製の扉が王宮の片隅にうちいで、それを開く。
女神サラスワティ苦笑せり。
「神々が羅刹や魔物を封印する神術式を基に成せるかな。ごみ捨て場なりや……をかしき使ひ方なりとぞ思ふ。されど、結界内部の羅刹魔法場がなかなかこはめかな。誤りて人が中に入りぬと被害をうくる恐れあり」
羅刹プラランバが真摯に聞き、人迷ひ込まぬやうに偽装と対策を講ずとちぎりき。なほ、神々の警戒考慮して、神も自在に結界内部にふるまふべきやうに魔法術式を修正すといらへき。
スルヤ技官長が扉の外より結界内部見て、目を輝かせき。
「我もごみ捨て場こそ欲しかりけれ。王宮庭園にも扉追加してもらふべしや。いちいち焼却し埋みするがうるさがりたりしぞかし」
羅刹プラランバが女神サラスワティと顔見合はせてから、愉快さうに笑ひて了解せり。
「明日にも対処せむ。たよりに結界内部をいま少し広くしおくかし」
その後は王宮の外に控へたりしカムルとウグラセーナに会ひ、彼らに王都ビラテスワールの繁華街と下町を案内せさする事になりき。
退廃の気配はなほこはくなりて、道端に乞食転がれり。娼婦も多し。
ウグラセーナが女神サラスワティに謝りき。
「ビラテスワールの街は汚職と利権争いに汚れきりにけり。何もせられざりしためしを、申し訳なく思ふ」
女神サラスワティさうざうしく微笑みき。
「神々の力は年々うつろひきたり。近きゆくすゑ、神々に頼る事の叶はずなる世来む。今はその過渡期なれば、人世の汚れぬるは避かれず」
さ言ひつつ、右手を緑色に変へて乞食や娼婦を祝福し、ヴィーナ奏でて病を治しき。
大量の病魔が悲鳴上げてわたりの体より逃げ出だし、やがて断末魔のののしりを上げつつ消滅しゆく。病魔の魂までもが消滅しゆきき。羅刹プラランバも若干の影響受けきめり、地面に片膝をつけり。
女神サラスワティが冗談混じりの口調に話しき。
「昔の我なりせば……ここまで汚染進むと怒りて、神術にてビラータ藩王国焼き尽くして浄化しもこそ」
驚きて聞くスルヤ技官長どもなりき。女神がさる過激なる事を言ふとは思ひたらざりけむ。わざと驚けるは羅刹プラランバとウグラセーナなりきといふ。
女神サラスワティのこうじきめる笑顔を浮かべつつ昔語りせり。
ここには昔、多くの羅刹や人の国ありき。それらは当時の羅刹王マヒーシャスラのしるカラヤヴァーナ帝国に従ってありて、神々に反逆しきたり。
それらを女神サラスワティとドゥルガの二人にて、10日かけて滅ぼしき。ダサイン大祭はその戦勝祝いが祭祀化せるもの。
「最近には我ら神々は、羅刹プラランバの勤めたりしシシュナーガ王国滅ぼせりかし。結構、やらかせるぞ」
シシュナーガ王国を滅ぼしし功績を上げしは、父親のカーラショーカと聞きたれば驚くウグラセーナなりき。
「嘘なりきや……」
カムルも当時は瀕死の重傷にて気絶せるため、今回初めて知りしけしきなりき。
バハドルが苦笑しつつ、カーラショーカは当時逃げ回れるばかりと教ふ。
ウグラセーナが無礼を先に謝りてから、女神サラスワティに問ひを投げかけき。
「神々は国滅ぶとも怒らずや」
女神サラスワティがさうざうしげに微笑みき。
「我らは信仰する人の多き際を祝福す。ここには年々、我ら神々を信仰する人口が減りたれば、加護や祝福も弱まりきたりかし。我らにとりて、この藩王国とマチャ帝国は無価値になりきたるぞ」
ウグラセーナのきはが不可触民といふ点につかば、奴隷以下のきはが国を治めきといふ前例はあらねど……と前置きして、女神サラスワティが天下情勢を語りき。
西の彼方なる共和政ローマには、二人の執政官のうち一人は平民より選出さるるやうになりき。また、貴族を含めしローマ市民の所有せらるる土地面積に、一定の上限設けられき。
「きは低くとも、国の長となる仕組みせられきたり。貴族による富の独占に対すとも、制約出でそめき。人が神々に頼らぬ天下といふは、さるかたなるもこそ」
ウグラセーナが涙流して聞き入りき。
「サラスワティ様。諦めたりし夢を今度こそかなふれと、今ここに誓ふ」
カムルも彼の後ろに両膝つきて女神サラスワティに合掌せり。
「我もウグラセーナ様の願ひをかなふと、ここに誓ふ」
女神サラスワティ優しく微笑みてマタンギ化し、二人を祝福せり。
「まず始めに物流網の拡大かな。旨きお酒がいづこにも飲むべきやうになるとぞ期待せる」
公園管理人のラムバリが一息ついて水を飲んだ。ナラヤンも水筒の水を飲んでいたが、とりあえずツッコミを入れた。
「あの、ラムバリさん。まるでビラータ藩王国が、インドの作物を全て開発したかのような話なんですが……インド人観光客や他の地域のネパール人から怒られませんか?」
キョトンとするラムバリだ。
「ん? そのくらい別に構わんだろ。なんたって伝説なんだからなっ」
それを聞いたナラヤンが、両目を閉じて軽く腕組みした。
「まあ、それはそうなんですが。それと、マデシ族を持ち上げ過ぎのような気がします。嬉しいですけど」
ニンマリ笑ったラムバリが胸を張った。
「ワシもマデシ族のナラヤン君には、草刈り仕事で世話になってるからな。このくらいの優遇はするさ。さて、観光客も来ないようだし、伝説の続きを話してあげよう」