パトナ騒動 その三
スマホがカルナの声を拾った。既にガンジス河上空は爆炎と水柱で何も見えていない。その中から何十本もの怪光線が放たれていた。パトナ市には流れ弾が当たっていて、建物が破壊されていく。
近くの鉄筋コンクリート造りのビルが怪光線を食らって穴だらけにされ、そのまま倒壊していった。その際に巻き上がった大量の粉塵を防御障壁で除けながら、ムカスラがナラヤンの肩に腕を回して引き起こしてくれた。
「ここにいては危険ですね。離れましょう」
ナラヤンがスマホの地図表示をムカスラに見せた。
「部長さんが心配です。彼らがいる場所へ向かいましょう。できれば彼らも障壁で守ってもらえませんか」
肯定的に首をふるムカスラだ。凶悪な悪人顔なのだが、こういう場面では頼れるヒーローに見えるものだ。
「できる範囲で守りますよ」
ガンジス河から今度は大量の黒いガスが流れてきた。すぐに検知したムカスラが困った表情になる。
「うわ……ヒランヤクシャさん、毒ガスまで吐きましたね。人間にとっては致死性ガスです。皮膚に触れるだけで即死しますよ、注意してください」
マジですか……とガスの黒霧に包まれながら絶句するナラヤンであった。視界も急激に低下して、今は2メートル先までしか見えない。
急いでガンジス河の土手から転移して、部長たちがいる座標へ向かう。ここにはまだ毒ガスの黒霧は来ていないようだ。ただ街は大混乱に陥っていて、人々が右往左往しながら悲鳴を上げていた。ムカスラが周囲の様子を確認してから、比較的広い場所に防御障壁を張った。
「10人くらいなら収容できます。ナラヤン君は部長さんたちをここへ運び入れてください。ワタシはここで障壁を維持します」
「了解しました、ムカスラさん」
ごった返す人混みをかき分けて、ナラヤンがサンジャイ部長と部員たちに合流した。
「部長さん! こちらへ避難してくださいっ」
「おおっ、ナラヤン隊員か! どこに行ってたんだ。心配していたんだぞ」
素直に謝ったナラヤンが、ロボ研の連中を率いて避難していく。パトナのロボ研部員たちも一緒だったので、少し焦る。
(15人か……でも見捨てるわけにもいかないよね)
ガンジス河方面からは断続的に怪光線が放たれていて、そのたびに高層ビルが倒壊していた。その粉塵を浴びながら、何とか防御障壁の中へ避難する。
呆れているムカスラにナラヤンが頼み込んだ。
「すみません、ムカスラさん。これだけの人数なんですが、何とかしてください」
サンジャイ部長たちには当然ながらムカスラの姿は見えていない。しかし、周囲は粉塵で視界が全く利かない状況なので、ナラヤンの奇行に付きあう余裕はなさそうだ。路面に座り込んで呆然としている。防御障壁の中にいる事も理解できていない様子である。
ムカスラがため息をついて了解した。
「生命活動を弱めれば保護できます。羅刹魔法は闇魔法の系統ですから、元気な人が多いと都合が悪いんですよ」
即座に頼むナラヤン。粉塵に混じって黒霧がここにも到達し始めている。防御障壁の外で右往左往している人たちが、この黒霧に触れて即死しバタバタと倒れていくのが見えた。
「死なない程度で弱めてください。お願いします」
サンジャイ部長がようやくナラヤンに注意を向けた。
「ナラヤン隊員、何を虚空に向けて言ってるんだ……ぐはっ」
白目をむいて部長が倒れた。同時に部員たちもバタバタと倒れていく。合掌して謝るナラヤンだ。
「ごめんなさい、部長さん。騒動が収まるまで気絶していてください」
しかし、それでもまだ不十分だったようだ。防御障壁内に黒色の毒ガスが染み込んできた。頭をかいたムカスラがナラヤンに提案する。
「ナラヤン君。スマホを起動してクジャクをゾンビ虎にしてください。ソイツに毒物を食わせましょう」
「そんな事ができるんですか? あ。できた」
すでにスマホ画面にはクジャクから変化したゾンビ虎がいた。スマホのカメラで黒い毒ガスを映すと、ゾンビ虎が大口を開けてガスを吸い込んでいく。さらには防御障壁に近寄ってきた、運の悪いヘビ型魔物のムシュキタもペロリと食べてしまった。
感動しているナラヤンである。
「おお……大活躍じゃないですか。ゾンビのくせに」
喜んでいると、怪光線が近くを何本か通り過ぎた。同時に目の前のアパートが倒壊して、ナラヤンたちのいる方へ倒れてきた。
「うわわっ」
顔を青くするナラヤンだったが、ムカスラは平然としている。
「大丈夫ですよ」
ドドーン……と大音響がしてアパートが防御障壁の上に崩れ落ちた。が、そのままの勢いで弾き返された。アパートが粉々に粉砕されて、細かい瓦礫の山になっていく。その瓦礫の山に半ば埋まる形で、ドーム型の防御障壁が残っていた。
防御障壁が無傷なので感心しているナラヤンだ。
「うおー……魔法すげえ」
ムカスラが少しドヤ顔をしながら、ナラヤンに告げた。
「このままですと、防御障壁が瓦礫に埋まってしまいます。外の様子が見えなくなるので、ゾンビ虎に瓦礫を食べてもらってください」
「りょうかーい」
せっせと瓦礫を食べさせて、防御障壁の周囲を空けるナラヤンであった。目がキラキラしている。彼の足元には15人の仲間たちが昏倒しているのだが。
ガンジス河とパトナ市の全域が黒い毒ガスと粉塵で覆われていき、視界がほとんど利かなくなった。太陽も見えなくなり薄暗い。その限られた視界の向こうでは、建物が倒壊していく轟音と爆裂音が耳をつんざくような音圧を伴って鳴り響いている。
ナラヤンが仮死状態になって倒れている部長たちを丁寧に並べながら、防御障壁の外側を見つめた。
「ムカスラさん……これって、カルナ様も大量破壊兵器の神術を使っていますよね。パトナってヒンズー寺院が集まっているんですけど」
ムカスラが周囲を探査魔法で調べながら苦笑している。
「また造り直せばいいと思っているのでしょう。不老不死ですから、時間はいくらでもありますし。それよりもですね……」
大真面目で深刻な表情に変わる。
「観測した範囲内ですが、生物は何一つ生きていません。ネズミや虫も全て死んでいますね」
そう言って早速、黒い毒ガスを採集し始めたムカスラに、顔を青くしたナラヤンが聞いた。
「マジですか……パトナ市って人口が百万人とか、そんな大都市ですよ」
採集した毒ガスを簡易測定したムカスラがゲジゲジ眉をひそめた。
「おお……凄い毒性ですね。羅刹でも死んでしまいますよ」
まあ、羅刹の場合は死んでも魂状態になるだけだが。
ナラヤンがスマホのゾンビ虎を応援しながら、右手の平をクルリと返す。ゾンビ虎は相変わらず元気に、防御障壁内へ染み入ってくる毒ガスを吸い込み続けている。
「ムカスラさんには悪いですが、この魔物は酷いですね。カルナ様を応援しましょう。魔物がパトナ市の外に出たら大変です」
そのカルナは笑顔で戦いを楽しんでいた。といっても三又槍や剣などの武器は持っておらず、太陽神スルヤが所有している長い杖だけだ。
しかしその杖の先から、四方八方に青い光線を撃ち放っている。視界がほとんど利かないのだが、その光線は確実にヒランヤクシャの分身を撃ち抜いて蒸発させていた。
問題は、撃ち抜いた後の光線がそのまま直進してパトナ市を大破壊している点だが……
ヒランヤクシャは数百もの分身を発生させて、カルナを包囲しつつ怪光線で攻撃を続けていた。ほとんどの怪光線はカルナに命中する前に消滅している。もしくは軌道を逸らされているが、数十本のうち一本くらいの割合で命中していた。
さすがにカルナの体に傷がつくのだが……次の瞬間には完全に治癒している。衣装や鎧まで瞬時に元通りになっている余裕ぶりである。
カルナが杖を軽く振り回しながら、鼻で笑った。
「フン。しょせんは犬畜生の魔物だな。こんなものか」
ヒランヤクシャが粉塵と爆炎の中で吼えた。同時に、カルナがこれまで倒したザコ魔物の魂を全て食らって力を蓄えていく。尻尾が小さくなり、見た目が狼男のようになってきた。身長は数メートルくらいあるが。
「その傲慢が貴様の命取りだ! 食らえカルナああっ」
残っている全てのヒランヤクシャ分身が一斉に怪光線を撃ち込んだ。さらにヒランヤクシャ自身も渾身の怪光線を大きく広げた口から放つ。
次の瞬間、カルナが浮かんでいる場所に直径数十メートルほどの真っ赤な火球が発生した。
猛烈な熱が火球から放射されて、直下のガンジス河の水が全て蒸発し川底が見えた。その川底も高熱に炙られて、ヘドロが自然発火で燃えていく。衝撃波も容赦なく発生して、パトナ市をさらに崩壊させた。
ヒランヤクシャ本体が魔力を使い切って小さくなり、尻尾が再び大きくなっていく。
「ど、どうだカルナ。魔物と侮るなよ!」
しかし、その真っ赤な火球が突如かき消された。その中から無傷のカルナがニヤニヤ笑いながら姿を現す。
「この俺に杖を振らせた魔物は数少ない。貴様の顔は覚えておこう。誇りに思いながら死ね」
カルナが太陽神の杖を一閃した。
瞬時にヒランヤクシャの全ての分身が光の粒と化して消滅する。さらに毒ガスや粉塵も一気に光の粒と化して消滅していった。数秒もかからずに、地平線までくっきりと見渡せるような快晴となっていく。
同時に瓦礫の山となったパトナ市の全容も曝されたが、カルナは一瞥しただけで特に表情を変えていない。
ヒランヤクシャ本体も杖の攻撃をまともに食らい、全身をズタズタにされていた。大きな口から大量に吐血しながら、パトナ市の中央へ向けて飛んで逃げていく。
カルナが面倒臭そうな表情をして舌打ちした。
「ちっ。存外にしぶといな」




