パトナ騒動 その二
羅刹世界から救出隊が次々に転移してきた。彼らもスマホ画面の中のカルナに合掌して挨拶をしてから、作業に入っていく。スマホの中にいると神術場の放出量はかなり減少するようで、挨拶して倒れる羅刹はいなかった。
救出隊の隊長もカルナに合掌して挨拶し、そのままスマホのそばに待機した。ここから彼が救助の指揮を執るらしい。
ナラヤンがチヤのお代わりを注文して、カルナに追加の供物として捧げる。
「凄いですね、このスマホ。いつの間にこんな機能が……」
カルナがチヤをすすりながら、軽く肩をすくめた。
「あの婆様の事だからな。予告なく勝手に機能改変をするのだよ。困った御方だ」
既に座標を特定しているので、救出作業は順調に進んだ。以前に呪術師たちが川底から引き上げていたツボや水差しは、今もそのまま倉庫に収められていた。それらからも順番に救出していく。
並行してガンジス河の川底に沈んでいるツボや水差しにも対応しているようだ。
魔物や羅刹が次々に出てきて、そのまま羅刹世界へ転移されていく。しかし救出が遅すぎると皆、口々に文句を言っているが。
カルナが同情する。
「まあ、千年二千年も閉じ込められていれば、文句の一つや二つもあるだろう」
しかし羅刹や魔物の中には、発狂状態になって説得が通用しない状態になっているものもあった。彼らは仕方がないので、カルナが神術を撃って殺していく。呆気なく肉体が破壊されて消滅し、赤色の炎型の魂になっていく魔物や羅刹たち。魂状態で封印されていた者は炎が半分以下に小さくなって下火になり、おとなくしくなった。それらの合計数は、数十ほどにもなるだろうか。
軽くため息をついたカルナが、スマホ画面の中で新たな供物であるバナナを手に取って食べた。彼の好物である。
「哀れとは思うが、こうするしかないな。滅殺はしないから、魂を回収するがよかろう」
「カルナ様の慈悲に感謝いたします」
救助隊の隊長が、両膝を路面につけて丁寧に合掌して礼を述べた。
「魂の回収を始めろ」
隊長が命じると、救助隊員が魂を専用の封印器に吸い込んで回収し始めた。掃除機のような形だ。
ムカスラは再び小さくなっていて、今はナラヤンの胸ポケットの中に収まっていた。
「ワタシは記録係ですね。法術省と救助隊とは別の管轄なんですよ」
ナラヤンがチヤをすすりながら軽くうなずく。
「何かと大変そうですよね」
救出作業は順調に進み、最後の1つになった。隊長が険しい表情になり、カルナに報告する。
「カルナ様。最後の1つですが、事前調査によると凶悪で強力な魔物の可能性が高いのです。つきましては、周囲に危害が及びにくいガンジス河の上で作業を行いたいのですが……」
両膝を路面につけて合掌した。
「ご足労をお願いいたします。我々の手に負えない場合には、カルナ様によって討伐してもらいたく存じます」
スマホの中でバナナを食べて寛いでいたカルナが鷹揚にうなずいた。
「うむ。俺もその封印ツボが気になっていたのだ。この街はどうなっても構わぬが、河の上であれば存分に対処できるだろう」
ナラヤンも興味が湧いたようで、スマホで時刻を確認した。
「まだ出発まで時間があります。僕も見物して構いませんか」
カルナがスマホ画面の外に出てナラヤンに振り返った。
「好きにしろ。死んでも見捨てるから、生き返るのは自力で何とかするように」
羅刹の隊長も肯定的に首をふった。まだ緊張した表情のままだが。
「貴方の保護は、残念ながら我々の任務外です。ムカスラさんに頼ってください」
気楽な表情で首をふるナラヤンだ。
「分かりました。ムカスラさんと一緒に見物しますね」
カルナと隊長が転移して姿を消した。ナラヤンが財布の残高を確認して小声で嘆いている。
「むむむ……帰りのバス代しか残ってないか。どうしよう、サラスワティ様にお土産を買うと約束していたんですよ」
ムカスラが胸ポケットから飛び出て、元の大きさに戻った。今もステルス魔法を使用中なので、スマホ画面越しに会話をしている。
「そんな事になるだろうと思いまして、インドのお金を持ってきています。経費で落ちますので、どうぞ使ってください」
ムカスラからお金を受け取ったナラヤンが合掌して感謝した。
「わー……ありがとうございます、助かります」
早速、ここの市場でお土産となりそうな果物やお菓子を買い求めていく。パトナ市は物流の拠点でもあるので、様々な産物が揃っている。
とりあえず、ビラトナガル市では買う機会が少ない熱帯果実にしたようだ。ランブータンやロンガン、ライチ、熱帯性のオレンジなどを少量ずつ購入していく。
インド菓子もパトナ市では種類が異なるので、これも少量ずつ買うナラヤンであった。
「こんなもので十分かな」
両手で抱えるほどに買い込んでしまったが、それらを自身の水筒の中に入れて保管した。水筒の中をのぞきこんで、小首をかしげる。
「良くできていますよね。水も入れているんですが、土産はちゃんと別の場所に保存されているんですね」
試しに水筒に口をつけずに水を飲んでみるが、問題なく水だけが出てきた。
ドヤ顔になるムカスラだ。
「今はサラスワティ様の神術で動作していますが、元々の術式は羅刹魔法ですからね。法術省制作の自信作なんですよ。収集作業で重宝します」
パトナ土産も買ったので、ガンジス河の土手へ向かう事にするナラヤンとムカスラであった。
「あ。その前に、部長さんたちの位置情報を確認しておきましょう。あんまり離れてしまうと、合流するのに時間がかかってしまいますし」
ムカスラが肯定的に首を軽くふった。
「なるほど。でしたら、リアルタイム追跡しておきますか。ちょっとスマホを貸してください」
ナラヤンから受け取ったスマホに指を当てて、羅刹魔法をかけた。術式はナラヤンには聞き取れなかったので、暗号化処理されているのだろう。
十数秒ほどでインストールが終わり、ムカスラがスマホをナラヤンに返した。
「これでサンジャイ部長の位置が常時分かります。彼のいる場所へ転移する事もできますよ」
ナラヤンが感謝して動作確認した。
「あ。地図上に動くアイコンが出てますね。ありがとうございます。別のアイコンは、カルナ様と救助隊長の位置情報ですか。便利だなあ」
ドヤ顔しているムカスラに、ナラヤンが少し考えてから提案した。
「救出作業の邪魔になるといけませんから、少し離れた場所から見物しましょうか。土手のこの辺りでどうですか?」
ムカスラがスマホ画面の地図を見て、気楽な表情でうなずいた。
「もう少し離れましょう。300メートルくらい距離をとれば、とっさの時でも対処できますし」
「了解です」
ムカスラの転移魔法でガンジス河の土手に移動すると、すでに周囲から人影が消えうせていた。野良犬すら見当たらない。その無人範囲は、カルナと救助隊長のアイコンから半径500メートルほどだった。その外はいつも通りの混雑状態である。
(人除けの魔法って事だよね、これ)
スマホを介して周囲を眺めたナラヤンが、とりあえず1枚写真を撮った。
「人っ子一人いないガンジス河なんて、初めて見ました」
ムカスラは早速小さなドーム型の防御障壁を展開している。その中へナラヤンを招き入れた。
「あんまりキレイな河ではありませんね……カルナ様には申し訳ないですが。あ。そろそろ始まるようですよ」
ムカスラが指さす方向にスマホを向けると、河のちょうど真ん中あたりにカルナと隊長が浮遊していた。ナラヤンが次に川面にスマホのカメラを向ける。それなりに波があるので探すのに戸惑ったが、何とか見つけたようだ。目がキラキラしてくる。
「あれかな? ツボのようなモノが浮かんでいますね。フタは……閉じてます」
救助隊長とカルナとも通話できるようにムカスラが調整してくれた。隊長の声が聞こえてくる。
ムカスラが軽く頭をかきながら口元を緩めた。
「盗聴になってしまいますが、これも法術省の仕事ですので。救助隊長がちょうど今、カルナ様に解説していますね」
救助隊長の説明によると、このツボに封印されている可能性が高いのは、ダキニという魔物の眷属だった犬型の魔物らしい。
カルナも同意見のようである。ダキニとその犬型の眷属魔物は、彼がその昔に討伐して魂をツボに封印したと語っている。その犬型の魔物は部隊長で、多くの犬型の魔物を指揮していたらしい。
ムカスラがナラヤンに補足説明した。
「法術省でも調べたのですが、ワタシたちが日本へ行った際に出会った2柱の神様とも関わりがあるようです」
毘沙門天と弁才天だ。この神様は中国から日本へ渡ってきたのだが、今では日本の神様として馴染んでいる。
カルナが討伐した魔物軍は壊滅して封印されたのだが、逃げのびた犬型魔物もいた。その魔物は中国を経て日本へ逃げ込み、騒動を引き起こしたらしい。
「毘沙門天さまと弁才天さまの加護を得た日本の軍兵によって討伐されて、大岩に封じられたという事ですね。日本では九尾の狐と呼ばれているそうです」
ナラヤンが呆れている。
「へえ……そんな遠くまで逃げたんですか。よっぽどカルナ様が怖かったんですね」
ムカスラも苦笑して肩を軽くすくめた。赤い髪が少し逆立っている。
「怖いですよ。羅刹や魔物にとっては、まさに死神ですから。日本へ逃げた魔物も尻尾が9本という事は、下っ端ですから余計に怖かったでしょうね。魔力が強いほど尻尾の数が減るんですよ。尻尾がない魔物は帝国軍の中隊並みの攻撃力と魔力を持ちます」
救助隊長が空中に浮かびながら作戦開始を命じた。
ガンジス河の波間に浮かんでいた石製のツボが粉砕される。遠いので破壊音は聞こえなかったが、ムカスラが慌てだした。赤い瞳が赤と黄色の点滅を始めている。赤髪も完全に逆立っていた。
「ちょ……この魔力量はヤバイですよ。全力で防御障壁を張ります。耐えてくださいねナラヤン君」
ナラヤンがスマホを川面に再度向けると、画面に犬型の魔物が1体浮かんでいるのが見えた。大きさは数メートルほどで尻尾は1本だ。悠然とガンジス河の上空に浮かんでいるカルナを睨みつけて、明らかに激怒している。
「カルナあああっ! 長年の恨み、ここで晴らす!」
しかしカルナは小首をかしげて口元を緩めただけだ。三又槍などの武器も持っていない。
「あー? 魔物の顔など俺が覚えていると思うか」
ナラヤンがツッコミを入れた。
「いやいやいや……さっきまで、隊長さんと話してたじゃないですか」
「!」
ムカスラがドームテント型の防御障壁の街側の面を、重ねがけして強化した。パトナ市の中から数多くの魔物が飛んできて、犬型の魔物の下へ集まっていく。その際にムカスラの防御障壁に体当たりしたので、激しく火花が飛んだ。
しかし表層の障壁が吹き飛んだだけで、重ねがけした内側の障壁は無事だったようだ。
ほっとしたムカスラが簡単に解説する。
「犬型の魔物に惹かれて、パトナじゅうの魔物が集合していってます。まだこんなに残っていたんですね」
カルナは余裕の表情を浮かべたままで、武器も持たずに腕組みしてふんぞり返ったままだ。一方の救助隊長は早くも隊員たちに退避命令を出した。隊長自身も転移して姿を消す。
ムカスラが肯定的に首をふった。
「救助隊なので戦闘訓練はそれほど積んでいません。ここはカルナ様に任せた方が良いという判断なのでしょう」
数秒後、パトナじゅうの魔物を空中で整列させた犬型の魔物が、ドヤ顔になって吼えた。魔物は犬型、カラス型、ヘビ型、トカゲ型など様々で、その数は百ほどだ。
「カルナよ! その生意気な顔をするのもこれが最後だ。偉大なるダキニ様の将、ヒランヤクシャがここに宣言する。憎っくき神との再戦を開始する!」
ムカスラがスマホからの音声を聞いて納得した。
「やはり名ありの魔物でしたか。救助対象になりますね。ダキニ様もマガダ帝国の教育省で元気に働いていますよ」
そして青い顔をしているナラヤンの肩に手をかけた。
「ワタシたちも逃げましょう。動けますか?」
ナラヤンがよろめいて、土手に座り込んでしまった。
「……すみません。魔法酔いで無理です。水筒の中へ入れてもらえますか」
ムカスラが困ったような表情になった。
「ワタシも全力で魔法行使中なんですよ。ナラヤン君を水筒へ封印する魔力が用意できません」
そうかー……とナラヤンがうなだれて、ここへ来た事を後悔した。
「調子に乗った報いですね……ははは」
そんな会話をしていると、カルナとヒランヤクシャの罵り合いが終わったようだ。激怒し過ぎて真っ赤になっているヒランヤクシャが叫んだ。
「もう許さん! 魔物どもよ、一斉攻撃だ!」
百体ほどの魔物の群れが一斉に吼えた。それだけで衝撃波が発生して、ガンジス河の川面を同心円状に走り抜けていく。衝撃波は沿岸の建物にも到達して、全ての窓ガラスが粉々に粉砕されていった。人も薙ぎ倒されて倒れているようだ。
街からは悲鳴と怒声が上がり、自動車が衝突する音がいくつも聞こえてくる。ムカスラとナラヤンは防御障壁のおかげで無事だった。
そんな街の様子を一顧だにせず、カルナが不敵な笑みを浮かべた。目の前に殺到して襲い掛かってきた魔物の群れに対して、鼻で笑う。
「愚かモノどもめ」
その一言で百体の魔物の群れが粉砕された。爆発が起こりガンジス河上空に大きな火球が発生する。当然その爆発による衝撃波も発生して、容赦なくパトナの街を破壊していった。悲鳴が上がって、さらに騒然となっていく。
その様も全く見ていないカルナだ。
ヒランヤクシャが再び吼えると、今度はガンジス河の中から魔物の群れが飛びあがってきた。しかし、カルナは平然としたままである。
「伏兵か。しかし、稚拙だな」
今度はガンジス河に爆発が連続して発生した。大きな水柱が何十本も立ち上がり、爆炎に焼かれた魔物が次々に消滅していく。運悪く航行していた漁船や観光客船も巻き添えを食らって爆散していった。バラバラになった人が空中に散らばって、川面に落ちていく。
ムカスラが冷や汗をかきながら眺めている。
「人除けの魔法の範囲外まで爆発させてますね……半径1キロくらいにすべきでした」
その爆炎と水柱で視界が利かなくなるのを、ヒランヤクシャは想定していたようだった。カルナに向かって怪光線を乱射し始める。
げっげっげ、と笑い、パトナ市街にも怪光線を乱射し始めた。
ナラヤンがスマホでパトナ市を見ると、上空を飛んでいたラクシュミが撃ち落されていく場面が。一緒にガネシュも撃ち落されている。
「うわー……神様がやられちゃいましたよ。メチャ強じゃないですか、ヒラ……何とかさん」




