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ビラトナガルの魔法瓶  作者: あかあかや
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パトナ騒動 その一

 ティハール大祭が終わると、道路の渋滞も緩和されて通常に戻っていった。旅行をしても支障が出ないので、ロボ研がインドのビハール州都パトナへ向かう事になった。

 長距離バスに乗ったのだが、サンジャイ部長は不機嫌そうな表情をしている。

「このバス格差は何とかしないとな。ネパールのバスはボロボロで困る。インドのバスは居住性が良すぎだ」


 ナラヤンは部長の隣の席だったのだが、深く同意した。

「ですよね。僕もネパール国内ですらインド発のバスを使ってますよ。ポカラ行きのバスは快適でした」

 快適といっても日本の基準では普通だ。ネパールの長距離バスがボロボロ過ぎるだけである。ダニやノミ、南京虫などが潜んでいる席もあるので、対策を講じて利用した方が良いだろう。


 ナラヤンが部長に感謝した。

「僕たちマデシ族は、ティハール大祭の後にチャッテ大祭を控えているんですよね。大祭が始まる前にパトナ遠征ができて感謝しています」

 部長がご機嫌な表情で首をふった。

「俺の家では祝わないのだが、ロボ研隊員の事情は考慮しないといけないからな。バスの手配にはラズカラン氏の世話になったんだ」


 東ネパールの平野部からビハール州にかけては、ティハール大祭の1週間後にチャッテ大祭がある。主神はスルヤという太陽神で、一般的には4日間続く。2日目には英雄神カルナを祝う祭祀があり、3日目が本祭だ。

 ガンジス河やその支流に浸かって沐浴したり、川に浸かったままで神に供物を捧げて家内安全を祈る。カルナを祝う日の供物には、彼の好きなバナナを加える人が多い。


 陸上で行う祭祀の特徴としては、5本のサトウキビの茎を互いに立てかけた小さな屋根を作り、その中に土器製のランプを入れる。それぞれのサトウキビの茎は、人体を構成する5大要素の土、水、火、風、エーテルを象徴する。人間賛歌の側面もある祭りだ。


 パトナ市に到着するとティハール大祭直後なので、街中が電飾と花で覆われていて華やかだった。巨大な都市なので、ビラトナガル市とは桁違いの派手さである。

 早くも部長と部員たちがスマホを取り出して、熱心に写真を撮りまくっている。すっかり田舎者の行動だ。

「すげーすげー」


 ナラヤンも数枚ほど撮っていたが、スマホ画面を見て口元を緩めた。パトナ州庁舎の上空に女神が浮かんでいる。ガネシュに乗っていて、スマホのスピーカーからお嬢様笑いの声がかすかに聞こえてきた。

(ラクシュミ様が上機嫌で舞っているなあ……多分、分身じゃなくて本人だよね。やっぱり、派手な都市に来てたんだ)


 ビラトナガル市内を飛んでいたのは小人型だけだった。この州庁舎は見上げるように高い高層ビルで、デザインも秀逸なため観光地の一つになっている。ビラトナガル市にはこのような高層ビルは一つもない。

 パトナ市はヒンズー教の聖地でもあるため、巨大な寺院が数多く建っている。ビラトナガル市内ではクリシュナ寺院とカーリー寺院が有名なので、ここパトナ市でも寺院巡りをするロボ研一行であった。


 サンジャイ部長が時刻を確認して、気合が入った表情になる。

「そろそろ相手高校に向かうぞ。うちのロボと機材が届く時間だ」

 ロボと関連機材は別送で相手高校へ送ってあるようだ。気勢を上げる部員たちとナラヤン。


 ナラヤンはスマホ画面越しに、こっそりカーリーとクリシュナの小人型分身に合掌して戦勝祈願をしている。

(善戦できますように)

 彼ら分身たちは大忙しの様子なので、聞き入れられたかどうかは怪しい限りだったが……


 今回の遠征先は、パトナ市にあるパトナ工科大学付属高校のロボ研だった。ここはインドでも中堅クラスの実力を有している。

 さて、ロボだがこれは高さ1メートル以下、重量30キロ以下で独立駆動の二足歩行型だ。このロボが剣や刀、槍を装備して戦いながら、所定の場所から荷物を拾って目的地まで運んで届けるゲームを行う。


 早速試合を始めるが……結果はボロ負けだった。高周波ブレードの鉾でロボを見事に一刀両断されてしまった。

 パトナのロボ研の部長から散々にからかわれて、地団駄を踏むロボ研の部長と部員たちである。


 ナラヤンも落胆していたが、負けは負けだと割り切ったようだ。散乱したロボの部品や破片をホウキで掃いて回収し始めた。部長と他の部員たちも敗戦のショックから立ち直って、一緒に掃除を始める。

 それが終わると、配送業者に壊れたロボと関連資材をビラトナガル市の自校まで配送してもらった。

 以降は、すっかり元気を取り戻した部長と部員たちが、相手校の部員たちと談笑を始めた。遠征目的の一つは技術交流なので、これも立派な部活動になる。


 この交流会は夕方まで設けられていたので、その時間を使ってナラヤンが一人、市内の部品市場へ向かった。ラズカランからもらった紙切れを手にして、市内バスを乗り継いでいく。

(ラズカランさんも後ろめたい事情があるのかな。僕一人だけで部品屋に行けって……)

 まあインドには盗品などを扱っている市場や店があるので、そういう理由だろう。


 市場に到着して、ラズカランが指定した店に入り注文した部品を受け取る。市場も店もごく普通の見た目だ。むしろ一般よりも豪華ですらある。

 ナラヤンが部品を確認して肯定的に首をふった。

「はい、確認しました。では僕の高校宛てに送ってください」


 手続きを済ませて店の外に出たナラヤンが、ふと思いついた。

(あ。そうだ。サラスワティ様に試合結果を知らせておいた方が良いよね)

 近くのチヤ屋台に入ってチヤを注文してすすりながら、軽量プラスチックのイスに座る。そしてスマホをポケットから取り出して、クジャクを指タッチして電話をかけた。すぐにサラスワティが電話口に出る。

「試合はどうでしたか? ナラヤンさん。圧勝でつまらなかったでしょ」


 ナラヤンが申し訳なく頭をかきながら謝った。

「すみません、サラスワティ様。真っ二つに斬られて負けてしまいました」

 具体的な勝敗内容を告げると、電話口でサラスワティが絶句している。

「そ……そんなはずは」


 ナラヤンが慌てて話を続けた。

「ロボの操縦技術も大きく勝敗に関わっているんですよ。決してサラスワティ様が作成したプログラムが悪かったせいではありません。対戦相手もプログラムの出来には感心しています。実に美しいコードだと褒めていました」


 それを聞いてようやくサラスワティも狼狽から回復したようだ。口調が落ち着いてきた。

「そうですか……ですが、やはり残念ですね。操縦技術について私は専門外ですから、姉に頼んでみます」

 負けず嫌いですよねえ……と感心するナラヤンである。


 そのような電話を続けていると、スマホのクジャクが突如虎に変化した。しかも姿が実に禍々しい。

 驚いたナラヤンがサラスワティに報告した。

「クジャクが凶悪な形相の虎に変わってしまいました。ゾンビみたいな虎になっています」


 サラスワティが電話口で小さくため息をついた。

「……やっぱりマタンギ化しちゃいましたか」

 パトナ市の汚染による変化だと説明する。白鳥、クジャク、緑色のオウムの順でアイコンも変化していくのだが、さらに汚染された場所になるとゾンビ虎に変化するという事だった。


 ナラヤンが市場を見回して苦笑している。

「うーん……言われてみればゴミやハエが多いですね。ですが、ネパールの首都に比べるとキレイな方だと思いますけど」


 ネパールの首都カトマンズ市は盆地なので大気汚染が酷い事で有名だ。河川もヘドロで汚染されており、地下水も8割以上の場所で大腸菌汚染されている。ゴミ捨て場問題が深刻なので、市内にはゴミが散乱している。加えて下水道やトイレが普及していない。

 そのためネパールの地方に住む人たちは、あまり首都へ行きたがらないのが実情だ。ナラヤンもその一人だったりする。


 サラスワティが冷たい口調で答えた。

「キレイな不潔なんて存在しません。不潔な場所は不潔なんです。カトマンズ市もそうですが、パトナ市も私は訪問できそうにありませんね。マタンギになって暴れてしまいます」

 ムカスラから聞いた羅刹世界でのマタンギの暴走を、ナラヤンが思い出した。

「パトナ市はカルナ様の拠点ですし……神と神との戦いになってしまいますよね」


 と、その時。ゾンビ虎が画面上のイノシシを食べてしまった。目を点にするナラヤンだ。

「え。ちょ……ゾンビ虎がイノシシを食べてしまいましたよ。いったい何が起きたんですか」

 サラスワティが電話口で再びため息をついた。

「……マタンギ化すると悪食になるんですよ。プログラムであっても食べてしまいます」

「マ、マジですか」


 サラスワティがコホンと咳払いをした。

「これ以上電話を続けると、もっと暴れてしまいそうですね、これで電話を切ります。水や食事には気をつけてください」

 ナラヤンが素直に同意する。

「わ、分かりました。では明日、展望台へご挨拶に向かいますね。パトナのお土産を何か買っていきます」


 サラスワティが通話を切ると、ゾンビ虎が伏せて眠り始めた。

(なるべく刺激しないように気をつけた方が良さそうだよね、これ)

 見るからに凶悪な姿なので、さすがに警戒しているようだ。


 そこへ今度はムカスラが直接転移して姿を現した。スマホの画面越しにナラヤンと挨拶を交わす。

「緊急通知が発せられたので、慌てて来ました。いったい何があったんですか? ナラヤン君」

 ナラヤンが合掌して挨拶を返してから、チヤをすすった。

「このゾンビ虎がイノシシを食べてしまったんです」


 ナラヤンから事情を聞いたムカスラが、少し呆れながら腕組みをした。屋台の周囲では買い物客が多く行き来しているので、隅の方へ移動する。

「はあ……そんな隠しキャラがいたんですか。ここにはカルナ様という強力な神がいますので、あんまり本体で歩き回りたくはないんですよね」

 ナラヤンが素直に同意した。

「ですよね。カルナ様は叙事詩とかで大活躍してますもんね。間もなくするとチャッテ大祭が始まるんですが、そこでもカルナ様を祀るんですよ。正真正銘の英雄です」


 ただインドは広いので、アルジュナを信仰する地域ではカルナは悪役として描かれている場合がある。


 ゾンビ虎がムカスラの気配を察して起き上がり、ガウガウ吼え始めた。それを見て肩を落とすムカスラである。

「イノシシの復旧まで時間がかかりそうですし、仕方ないですね。その間は、論文情報の依頼を止めておきましょう」

 どうやら、まだ依頼があるようだ。軽く両目を閉じて嘆くナラヤンである。


 その時、屋台の上空から神々しい神術場が発生して威厳のある声がした。

「コラ。ナラヤンよ。パトナ市へ来ておきながら、我が寺院を訪問しないのは何事だ。不信心だぞ」

 ムカスラが神術場に当てられて、悲鳴を上げてナラヤンの胸ポケットの中へ転がり込んだ。ナラヤンが急いで水筒を取り出し、その中へ避難してもらう。


 特にケガを負っていないようなので安心したナラヤンが、合掌してカルナに挨拶した。

「失礼しました、カルナ様。サラスワティ様に報告してから寺院へご挨拶に伺おうと思っていたのですが……道草を食いすぎましたね。申し訳ありません」


 カルナが路面に降り立って、軽く腕組みをした。体が実体化していないので、通行人は普通にカルナの体を通り抜けて歩いている。

「そのサラスワティから連絡を受けてな。ナラヤンと羅刹がパトナ市へ来て、魔物や羅刹どもの回収に来ると聞いている。歓迎とまでは言わぬが、よく来てくれたな」

 内心でサラスワティに感謝するナラヤンとムカスラであった。


 少し表情を緩めたカルナだったが、ゾンビ虎を見てジト目になった。

「まったくあの潔癖症の婆様は……パトナ市も一時期より清潔になってきているのだぞ」

 サラスワティの悪口が始まった。


 このパトナ市を含むビハール州と東ネパールの平野部は、実は何度もヒンズー教以外の宗教が盛んになった歴史がある。

「最初にチャンドラグプタが皇帝になったマウリャ帝国ですら、当の皇帝はヒンズー教ではなくて拝火教を信仰したからな。続く皇帝は仏教だ。その後に興った歴代帝国もイスラム教の影響を何度も受けてきている」

 どうやら、そのたびに信者が減ったため眠りについていたらしい。


(あー……百年くらい寝ていたって話はこの事かな)

 ナラヤンがそう理解した。実際には数百年単位だが。

 カルナが言うには完全に眠っていた訳ではなくて、南インドに向かった分身が活躍していたそうだ。実際、ヴィーナは南インドの広い範囲に広まっていて、スリランカでも使われている。


 その後は英国などの植民地となったので、宗主国のキリスト教による影響が強まっていたようだ。そのため本格的に目覚めたのはインド独立後という事になるらしい。

「引きこもって居眠りし過ぎだ。由緒ある女神なのに、今ではマイナーだしな。姉のドゥルガは有名だというのに。むろん俺も有名だがな」


 実際の所、サラスワティを祀っているのは欧米型の大学や病院が多い。どちらもインド独立後に増えている。インドの伝統的な教育機関や病院では別の神を祀っている事が多かったりする。ビラトナガル市内でもサラスワティ寺院は少ないのが現状だ。


 このままでは延々と悪口が続きそうだったので、ナラヤンが話題を変えた。

「カルナ様。ここパトナ市には数多くのツボや水差しがガンジス河に沈んでいて、魔物や羅刹が封印されていると聞きました。不届き者の呪術師も暗躍していたとか」


 ムカスラが水筒の中から飛び出て、通常の背丈に戻った。そのまま両膝を路面につけて合掌する。カルナの神術場を浴びているので苦しそうだが、大真面目の表情だ。

「カルナ様。マガダ帝国を代表して、封印されている魔物や羅刹の救出を許可していただきたく、申請いたします」


 カルナが自身の神術場放出を加減してから、鷹揚にうなずいた。

「うむ。魔物は汚染を呼び込みやすい。人間の努力で、パトナ市が徐々に住みやすい都市に変貌しているからな。俺も掃除に協力するのは、やぶさかではない」

 合掌して感謝するムカスラである。

「ありがたい事でございます、カルナ様」


 ナラヤンも一緒に合掌したが、さすがに通行人の目があるため、路面に両膝をつく事はできなかった。代わりにチヤをもう一杯注文して、それをスマホ画面に映した。

「こんな安いチヤで恐縮ですが、供物としてどうぞお受け取りください」

 口元を緩めたカルナが、スマホ画面の中に入り込んでチヤをつかんだ。

「金欠の学生だそうだな。まあ、よかろう。ちなみにここではチャイと呼ばれているぞ」

 そのまま画面の中で空中に浮かびながら、あぐらをかいてチヤをすする。現実のチヤも連動して量が少なくなっていく。


 ムカスラが立ち上がり、念話で羅刹世界へ連絡を入れた。

「では早速、マガダ帝国に救助要請をいたします」


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