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ビラトナガルの魔法瓶  作者: あかあかや
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ビラテスワールの伝説 その二

 それより10年うつろひき。

 カウシキ河東岸にて、女神サラスワティとスルヤ技官長散策せり。時の経るは疾しと笑ひあふ。

 スルヤ技官長はいとなみによりて結婚のついで逃し、40歳やもめのままなりき。当時とせばむげに行き遅れなり。

「いまこの年齢には見合ひ相手もあらずかし、ははは……」


 一方、マデシ族のバハドル大隊長はとく結婚してわらはもまうけたりき。

 女神サラスワティがスルヤ技官長に相づちをうつ。16歳くらいの少女の姿のままなり。そのため、傍より見ると親子にしか見えぬ。白き衣装を川風になびかせて微笑みき。

「我もブラーマ神より結婚せむと詰め寄られたるぞ。されど、今のいとなみ落ち着くまではあながちといなびたり。スルヤ技官長の退職するまでは、育種や開墾に忙しければぞ」


 女神サラスワティが岸辺に居りき。幅2キロのカウシキ河を眺む。

「このきはに昔、我の実の母親ともろともにヴィーナ弾きて談笑せるぞ。あれより幾度も河が流れ変へ洪水が驚けば、そのかたはいま失はれて久しけれど……」

 ヒンズー教なれば墓碑はあらず。


 スルヤ技官長が隣に居ると、女神サラスワティがヴィーナに子守唄弾き語りせり。良き曲とめづるスルヤ技官長。

 かくて、彼も一曲披露せり。

 ビラータ藩王国の王宮庭園に働く技官の教へし歌ななり、彼の故郷なるカウシキ河の西岸なるジャナクプールといふ町に流行せるものと言ふ。

 歌詞の正味は、稼ぎに出でし男が夜にカウシキ河の東岸に立ち、川向かふの西岸を眺めつつ恋人の安否をつつむといふものなりき。


「我も川向かふの生まれなり。官吏となりて王宮勤めになりき。おかげに多忙になり、結婚する暇なく両親には申し訳ながれり」

 スルヤ技官長が頭かきて苦笑す。次男や三男結婚してわらはをまうけたれば、長男としての立場こそ危うけれと笑ふ。


 王都ビラテスワールより少し南に離しかたに王宮庭園があれど、歩みて行き来せらるる距離なりきといふ。

 さて連日忙しく育種を続くるスルヤ技官長と羅刹プラランバなりき。そのこころばみが実結び、シコクビエや麻に続きてショウガの品種改良にも成功せり。それを栽培普及させ、マデシ族の特産品として現金収入源の道を拓ききと言はれたり。


 カムルは20歳の青年になり、ひたぶるにスルヤ技官長、羅刹プラランバ、女神サラスワティの手の者としていとなみをたばかれり。

 いとなみ後のある日、カムルがスルヤ技官長、女神サラスワティ、バハドル大隊長それに羅刹プラランバ招待して、下町の居酒屋に案内せり。さて、すり潰ししショウガに干し葡萄加へて発酵させ、水牛乳と蜂蜜を加へし飲み物を紹介せり。


「知り合ひの奴隷娼婦の子に、歌舞伎者せるウグラセーナといふわらはこそ拓きけれ。未だ10歳なれど心ばせあふるる友人なり」

 ウグラセーナは娼婦の子なれば不可触民なり。山間地の民と交流があり、彼らより発酵わざ習ひて処方箋を作りけむ。カムルがショウガ酒と名づけき。


 マデシ族のバハドル大隊長が、山間地には多くの少数民族移りゐくれば話しき。

「ヒマラヤ山脈にも住みつく民ありかし。さらには向かふ際の西蔵高原、なほ東には王国まで誕生せなり」

 ゆかしく聞くスルヤ技官長と女神サラスワティ。東の王国とは当時未だ小国なりし秦なり。


 早速ショウガ酒を味見して、その旨さに驚愕する女神サラスワティとスルヤ技官長、羅刹プラランバとバハドル大隊長なりき。

 ショウガ酒飲み干しし女神サラスワティが、少しほろ酔ひになりつつも真剣なるけしきになりき。

「驚きき。かくて不浄の民なればといひて我の触れぬままなるは、女神といへどもなめくあたるかし……」

 一呼吸おきてから、言の葉を続けき。

「決意せり」


 居酒屋の不浄な生ごみをてづから口にせり。驚愕するスルヤ技官長どもなれど、構はで食ひ続く。

 すと顔が緑色に変化せり。瞳の色が羅刹プラランバと同系統の赤にうつろへど、こは元の黒に戻りゆく。


 唖然とするスルヤ技官長どもにおだしく微笑む。

「名は……さりかし、マタンギとも名乗らむや。この姿ならば、カムルやプラランバに触るとも問ひなからむ」

 げにマタンギが緑色の腕にてカムルと羅刹プラランバに触るれど、拒絶反応は何も驚かざりき。それ見て、満足さうに笑ふマタンギなり。酒に酔ひし有様にマタンギに変身せるため、けしきにその影響うちいでたり。


 感ぜしカムルがマタンギに宗旨替へせり。早く、女神サラスワティを信仰したれば実質上はうつろひたらねど。

 かくして女神サラスワティはマタンギ介して、不可触民や羅刹に加護や祝福を制限なく与ふべきやうになりき。

 ブラーマ神と姉の女神ドゥルガが衝撃を受けしはさらならむ。以降、なほ疎遠になりゆく事になる。


 スルヤ技官長は始めこそ驚きたれど、女神サラスワティの決意を称賛せり。かくて、ショウガ酒を飲みつつ彼も決意す。

「山の民につくとも支援すべきかな」


 ビラータ藩王国の王宮庭園は亜熱帯の平地なるため、低温を要とする作物や家畜の育種には向かず。

 シシュナーガ王国の王宮庭園には羅刹王カンサによる気候操作魔法もちて温度湿度管理が行はれたれど、ここビラータ藩王国の王宮庭園にはあながちなり。羅刹プラランバの魔力には足らず。

 ブラーマ神をはじめとせる神々に支援を頼むとも冷笑さるるばかりなりき。


 マタンギより元に戻りし女神サラスワティがスルヤ技官長に謝りき。

「我は氷雪系統の神術は知らぬなり。低温なりや……標高の高きに育種する要あらむかし」

 この一言に目標定まりき。王宮庭園の分所を涼しき山間地に設くといふものなり。


 藩王も積極やうなる賛成ならねど、黙認せり。されどビハールの地の方の豊かなる土地なり。山もなく、ガンジス河による水利や地下水も豊富なり。

「ビラータ藩王国とせば、ビハールの地の開拓を行ふ方が貴族や御用商人らにとりて都合が良けれど……されど、マデシ族は戦の際に協力すれば無視する事も難し。ほどほどにするやうに」

 両膝つきて合掌するスルヤ技官長なり。

「かしこまりき。これにより、藩王国の食生活はなほ豊かにならむ」


 スルヤ技官長が謁見終へて王宮と王都より出でて、歩みて王宮庭園へ戻ると、羅刹プラランバありがたく憤れり。

「先程カルナ神が来けれど、ビハールの地の開拓と貯水池づくりを優先しろと文句を言ひこしぞ」

 カルナは戦後にビハールの地を拠点にせる神なり。彼は早く人なりけれど、戦功認められて神となりき。


 羅刹プラランバの愚痴止まらず。

「いま十分に開拓されたるに、いづればかり強欲なりやっ。我はビハールの地の農業開発を、シシュナーガ王国時代にさんざん行けるぞ。未だ足らずと言ふや」


 女神サラスワティが苦笑しつつ羅刹プラランバをなだめき。

「神の力は、今には信仰する人の人数に定まるやうになりきたればぞ。昔よりも人の人気取りがせちになれるぞ。カルナは、アルジュナやクリシュナと好敵手関係なれば、なほさらならむ」

 この3柱の神はともにマハーバーラット叙事詩にて活躍せり。


 スルヤ技官長も、ビハールの地を治むるカーラショーカ侯のこころざしあらむと話しき。

「今や、ビハールの地はビラータ藩王国の経済や食糧生産の中心地にもあればぞ」

 されど、羅刹プラランバのけしきは直らざりき。そのため、カルナ神の恋しきバナナの品種改良は後回しになりきと言はれたり。実際、種なしバナナの誕生するは近代になりてからなり。


 さる由がありけれど、ビハールの地は発展を続けゆきき。この地を任されしカーラショーカ侯による功績が大ならむ。

 彼は他の有力貴族も次々に自身の派閥に組み込みていき、勢力を着実に拡大せり。チャヌラ二世といふ貴族と懇意になりきと言はれたり。彼の位もカーラショーカ侯と同じなれど、ひとへに家臣のごとく振る舞へりといふ。


 40歳になるカーラショーカ侯には息子のナンディンありき。当時は10歳なれど、既に貴族としての威厳を備へたりしと伝へられたり。

 カーラショーカ侯はせちにビハールの地の商家巡回してたよりを謀れるため、彼の後ろには貴族や商人が列なして付き従ってありき。その列の先頭はナンディンに、彼の後ろにはチャヌラ二世と10歳になる息子の三世が連なる風景なりき。


 カーラショーカ侯は多数の妾も抱へたりき。その一人に産ませし子にウグラセーナありき。当時10歳なれど、彼の役割は父親のカーラショーカ侯と同じ年齢のナンディン、それにチャヌラ二世と三世の警護なりき。


 ウグラセーナはまめやかに警護のいとなみをたばかれり。

 されど、カーラショーカ侯どもが王都ビラテスワールの繁華街を歩めるに些細なる失態をおかしけり。雨上がりなれば道きはの泥水跳ねて、カーラショーカ侯とナンディンの豪勢なる衣装に付ききと言はれたり。


 カーラショーカ侯が怒り、ウグラセーナを多くの人の前に罵倒せり。

「娼婦に産ませし子は、育つともくらきままかな。ワシとワシの後継者となるナンディンの盾となるよりほかに、オマエの価値はあらず。その盾の役目も満足にせられずや、この不可触民め。かくして話すばかりにもオマエの穢れがまとわり付く」


 ウグラセーナに反論は許されざりき。

 チャヌラ二世が近くの酒場へカーラショーカ侯を案内すれど、ウグラセーナは入店を禁ぜられき。店の外に警備に立つやうに命ぜらる。


 毒づきつつも警備のいとなみするウグラセーナに、買ひ物にやり来たりしカムルが声をかけき。ショウガ酒につきて話し、女神サラスワティや羅刹プラランバ、それとスルヤ技官長ども試飲して大喜びしたと報告す。

 ウグラセーナがそれ聞きて驚きき。

「不可触民に対すとも神様が接すや」


 カムル涙ぐみてうなずきき。

「サラスワティ様は生ごみ食ひて自ら穢し、マタンギとなりて私に接せり。早速、帰依せるぞ」

 ウグラセーナが大いに感じき。

「まことか。女神サラスワティは浄化の神ぞ」


 ウグラセーナが街を見回しき。酒場の店よりは、カーラショーカ侯どもの笑ひ声がきこえく。繁華街には多くの人行き交ひたれど、そこかしこに怒声や罵声、それに悲鳴上がれり。

「サラスワティ様がこれ以上自らを穢しつるはつらし。されど、ビラータ藩王国はいま汚れきれり。いかにすべしな。我に協力せよカムル」

 カムルはその場に了解せり。


 スルヤ技官長は山の民への支援を定めけれど、知り合ひあらざりき。ゆえに、カムル介してウグラセーナより紹介を受けきといふ。クンバ族と呼ばるる民なりき。

 酒好きなる民に、彼らの仕込みし酒をここ繁華街の酒場へ流せりといふ。



 公園管理人のラムバリが水を飲んで一息ついた。

「……とまあ、いきなり日常の話になるんだな、これが。戦の話じゃないから拍子抜けしたかい? ナラヤン君」

 ナラヤンも水筒の水を飲んでから、肯定的に首をふった。

「そうでもありませんよ。昔の人たちの生活には興味があります。ショウガ酒ってのがあったんですね。今は見かけません」


 ラムバリも同意した。

「チヤにとって替わったんだろうさ。チヤは結構最近の飲み物だしな。その前はショウガ湯だったらしいぞ」

 ナラヤンが指を鳴らした。

「あ。祖父母がそんな事を言ってました。でも、あんまり美味しくなさそうな気がします」


 ラムバリが目元を緩めてうなずいた。

「だろうな。さて、それじゃあ、伝説の続きを話そうか」



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