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ビラトナガルの魔法瓶  作者: あかあかや
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王宮跡ダンジョン その一

 季節は西暦太陽暦の9月下旬になった。すっかり空が晴れて、傘の心配の要らない季節である。まだ日差しはそれなりに厳しくて暑いが、夜になると過ごしやすい気温になってきている。


 ネパールでは雨期明けから大祭が続くシーズンになる。今の時期にはドゥルガを主神とするダサイン大祭があり、市場が活気に溢れだす。北のカンチェンジュンガ連峰と南のインドから大量の山羊が運ばれてきて、人々に買われていくのがこの大祭の特徴だ。


 ダサイン大祭は10日間に及ぶのだが、準備期間を含めると2週間にも達する。内容は、大昔に神々が羅刹の軍勢と戦って勝利した事を祝うというものである。羅刹の大将はマヒーシャスラといい、水牛頭をしている。

 山羊は作法に基づいて首を斬り飛ばされ、その生き血をドゥルガに捧げて祝う。山羊はその後、調理して皆で食べる。インドでも昔は行っていたのだが、今は政府が禁じている。


 この大祭期間中は学校も休みになる。そのためナラヤンも実家へ戻って祭祀の準備を手伝っていた。彼の故郷はビラトナガル市の北にあるイタハリの町近郊にあるので、自転車で帰省できる距離だ。

 手伝いもいろいろあるのだが山羊を市場から買ってきて、しばらくの間飼育しないといけない。首を斬るのは8日目なのでそれなりの量の草が必要になる。

 こういう時は、普段の草刈り仕事のコネが生きたりするようだ。ナラヤンは王宮跡公園の草刈りを続けているので、その刈り草をかなり分けてもらえた。


 公園管理人のラムバリも農家なので刈り草を必要としていたのだが、快く分けてくれたようである。その後、草が詰められた袋を、ナラヤンが自転車に乗せて故郷まで運ぶのには苦労したようだが。


 草の手配の他には、家の土壁を新しく塗るという仕事もある。土間も同様だ。マデシ族の伝統的な家屋では、白い粘土を使う。その粘土を水で溶いて泥状にしたものを塗っていく。

 さらにダサイン大祭では、大麦の若葉を頭や耳にかける風習がある。この作業はバフン階級の司祭が執り行うので、これまた農家のラムバリに頼んでいるようだ。


 この時ばかりはナラヤンの両親や親戚も喜んでいた。ナラヤンの肩を叩いて満足そうな表情をしている。

「草刈り仕事でバフン階級の司祭と知り合いになったのは、村にとっても良かったわい。ナラヤンも、たまには役に立つものだな。俺の知り合いの司祭は農家じゃないんだよ」

 マデシ族はカースト制度上、祭祀を執り行えない。今は曖昧になってきて、マデシ族だけでヒンズー教の祭祀を祝う所も出てきているが。ナラヤンの故郷も今は基本的に村人だけで行っている。例えば、山羊の首を切る儀式も本来であれば司祭が行うのだが、今ではマデシ族だけで取り仕切っている。


 そんなこんなでダサイン大祭の祭祀が順調に執り行われていき、8日目になった。アスタミと呼ばれる、ドゥルガに生贄を捧げる日である。

 各家では前庭で湯を沸かして、山羊を引っ張ってくる。この日の男たちは全員きちんとヒゲを剃って、血で汚れても構わない服装に着替える。

 首を斬るのに使うのは、この辺りでは山刀やククリ刀を使う。その刃研ぎもしないといけない。ナラヤンの村では麻栽培をしているので、こういった大きな刃物をよく使っていたりする。


 山羊に家長が冷水をかけ、山羊が身震いしたら決行だ。身震いするまで水をバシャバシャかけ続けるので、山羊によってはズブ濡れになる。

 その後、山羊を男たちが取り押さえる。一人が山羊の角を持って手元へ引っ張り首筋を伸ばす。もう一人もしくは二人で山羊の後ろ脚や尻尾をつかんで引っ張り、動けないようにする。

 そうなった状態で、家長が刃を振り下ろして首を斬り落とす。


 首を持った家長が、トウモロコシの葉の束と、家の玄関に生き血を振りまく。胴体から出た生き血はタライなどに注いで、これをドゥルガの像に振りかける。余った血は料理に使う。


 その後はドゥルガへの祭祀を執り行って、8日目終了となる。

 ナラヤンが山羊の皮むきと解体の手伝いを終えて、一息ついた。この後は女性たちによる山羊料理になる。唐辛子をたくさん使った香辛料煮込みになる予定だ。

「やっぱり血まみれになるよなあ……着替えてきます」


 血が付いた衣服は洗濯しても落ちにくいので、そのまま捨てる。

 ナラヤンが実家の居間で着替え終わりチヤを飲んで寛いでいると、スマホに電話がかかってきた。画面を見て小首をかしげる。

「あれ? ラムバリさんからだ。何だろ」


 ナラヤンが電話に出ると、苦しそうな声でラムバリが助けを求めてきた。

「すまねえ、ナラヤン君。山羊料理を食べ過ぎて動けなくなってしまった。王宮跡公園の草刈りがまだ終わってないんだよ、ワシの代わりにやってもらえないか」

 まあ……山羊1頭まるまる料理して食べるので、量はかなりある。


 快く引き受けるナラヤンだ。

「僕もちょうど暇になったので構いませんよ。観光シーズンですしね、公園内の草刈りは大事ですよね」


 ナラヤンが両親に事情を話して、自転車で王宮跡公園へ向かった。ナラヤン母が声をかける。

「料理は夕方にできるから、それまでに帰ってきなさい」

「はい、かあさん」


 イタハリの町やビラトナガル市内でも山羊の首切りと料理が始まっていた。香辛料とオス山羊の臭いが漂っている。ナラヤンが自転車で通り抜けながら口元を緩めた。

「到着するまでに腹が減ってしまいそうだな、ははは」


 途中で寮に立ち寄り、草刈り機を貸し出してもらう。それを後部荷台に縛りつけて王宮跡公園へ向かった。

 まず最初にラムバリの家に寄って、胃薬を見舞い品として渡した。彼の家は公園のすぐ近くにある。

「お加減はいかかですか、ラムバリさん。僕たち学生がよく使っている胃腸薬です、どうぞ」


 ラムバリの家は農家なのだが、かなり大きい。日本でいうと名主なぬしといった感じだろうか。十数名もの彼の親戚が集まっていて、まだ食事会を続けていた。歌い踊っている人もいる。

 ラムバリが居間のソファーから起き上がって礼を述べた。腹が膨らんでいるのが一目で分かる。

「忙しいのに悪いね。調子に乗って食べ過ぎたよ。草刈りをよろしく頼む」


 そして、わいわい騒いでいる親戚たちを見た。

「本当なら、連中に頼むんだが……見ての通り酔っ払っておってな。ケガをしそうなんで頼めないんだ。女たちは料理で疲れたといって、やってくれそうにない」


 まあ、実際その通りの光景がナラヤンの眼前に広がっている。

「お祭りですから仕方ありませんよ。それでは、ササッと草刈りを済ませてきますね」


 王宮跡公園へ入り、草刈り機を使って丘の下の草刈りを始めた。公園内の大半は草刈りを終えていたのだが、確かに一部にはまだ雑草が残されたままだ。雨期が終わったばかりなので、すぐに雑草が生えてきてしまうのだろう。さすが米の二期作が標準の亜熱帯である。

「なるほど。確かにこれじゃあ見栄えが良くないよね」


 丘の下の草刈りを終えて上の方へ行き、そこの草刈りを始める。

 すると、ナラヤンのスマホに着信通知が来た。イノシシなのでムカスラからだ。ナラヤンがスマホを胸ポケットから取り出して、イノシシを指タッチする。

「こんにちはムカスラさん。こちらはダサイン大祭ですよ。羅刹にとっては面白くない祭りだと思いますので、後日にした方が良いかと」


 ムカスラが明るい口調で答えた。

「気にしませんよ。ワタシもちょうど休暇になったので、手伝いに行きます。実はマガダ帝国でもこの時期は長期祝祭なんですよ」

「へえ、そうなんですか。でしたら手伝いをお願いします。僕一人だけなんですよ」


 かくしてムカスラもやって来て、草刈り鎌を使って掃除を手伝い始めた。ナラヤンが感謝する。

「助かります。雑草の刈り残しは……その一角だけですね。一気に終わらせましょう」

 ムカスラも草刈りに慣れているようで、大鎌でサクサク切っている。ただ、ステルス魔法を使っているので、ナラヤンはスマホ画面を通じてでしかムカスラの姿を見る事はできないが。

 そのムカスラが気さくな笑顔を浮かべた。

「研究所の中や外で、よく草刈りをしているんですよ。運動不足の解消も兼ねていますね」


 ナラヤンが丘の頂上を見上げて指さす。

「あー……そういえば。巨人が現れた時、あの辺りから火花が飛んだように見えたんですよ」

 ムカスラが草刈りの手を中断して、同じように見上げた。

「ふむむ。火花ですか。少し気になりますね。せっかくですから調べてみましょうか。暇を持て余していますし」


 ムカスラが魔法で探してみると、何か異変をとらえた。

「むむむ。王宮跡の丘の頂上に羅刹魔法の気配がありますね。以前調べた際にはこのような気配は感じられなかったのですが……巨人が近くに現れたせいで魔法が起動したのでしょうか」


 ムカスラが手元に小さな空中ディスプレー画面を呼び出した。それを使って上司に相談する。

「……こういう魔法場が検出されたのですが、どういたしましょうかプラランバ様」

 空中ディスプレー画面には、丸顔で彫りが深く、赤い瞳をもつ羅刹の顔が映し出されていた。彼がプラランバだろう。

 その彼が太い眉をひそませて、短くて癖のある赤毛を手でかいた。

「もしかすると、その昔にゴミ捨て場として使った結界かもしれないな……位置情報から、その心当たりがある」


 プラランバが言うには、ゴミ捨て場には羅刹軍が使用した甲冑や武器、それに太古の遺物が多数捨てられているらしい。

「魔法場汚染がかなり酷いはずなので、人間がそのまま中へ入ると危険だろう。ムカスラ君でもキツイかもしれん」


 ナラヤンがジト目になった。

「えええ……そんな危険地域があるんですか。ここ、公園なんですけど」

 プラランバが同じく懸念を示した。

「そうだな。結界を作成してから2300年以上も経過しているので、気密性が悪くなっている恐れもある」

 ムカスラが冷や汗をかいている。

「……結界の中に充満している魔法場が、人間世界へ漏れ出てしまう恐れがあるんですね。確かに危険ですね」


 ナラヤンが事態を理解し始めて、同じように冷や汗をかいた。

「処理する事はできますか? この公園は観光地なんですよ。被害者が出ると公園が閉鎖されてしまいます」


 その問いに即答するプラランバだ。

「ゴミしか中に入っていないので、破壊しても問題ない。だが我々羅刹だけで行動するのは良くないだろう。サラスワティ様に相談してみてくれないか」


 了解したナラヤンが、スマホのクジャクを指タッチして電話をかけた。すぐにサラスワティが電話口に出たので状況を説明する。サラスワティにも心当たりがあるようだ。

「あー……プラランバさんの言う通りかも知れません。私も現場に向かいますね」


 そう言って、サラスワティが転移してきた。王宮跡公園の中を興味深く見回してから、丘の頂上を見上げる。

「本当に何も残っていないのですね……ええと、確かに丘の頂上から微量ですが魔法場が漏れています。機密性が破綻していますね」

 サラスワティがプラランバと挨拶を交わしてから、少し話込んだ。術式に関する話なので、ナラヤンには呪文のようにしか聞こえないようであるが。一方のムカスラは見る見るうちに緊張していく。赤い髪が逆立っていき、顔の形相が本格的に凶悪なものに変わってきた。


 サラスワティが話を終えて、ナラヤンに顔を向けた。大真面目な表情だ。

「ナラヤンさんが巨人と遭遇した際に、隠蔽と封印の術式が壊れてしまったのでしょう。巨人は魔力の塊ですから、居るだけで魔法が誤作動したりするんですよ」

 ナラヤンがジト目になった。

「ええ……迷惑な存在ですね、それ」


 クスクス笑って同意したサラスワティが、ナラヤンとムカスラに手をかざした。瞬時に二人が薄い金色の光に包まれる。

「簡易ですが魔法障壁を付与しました。これでゴミ捨て場の中へ入っても、気分が悪くなったりはしませんよ」

 さらにナラヤンのスマホを指さした。

「スマホ画面に目標を映して、ナラヤンさんが攻撃の意思を示すと、カメラのレンズからストラを撃てるようにしました。単発ですけどね」


 いきなりスマホがビーム兵器になったので驚くナラヤンだったが、すぐに心配になって聞いた。

「あの……そのストラって、ビラトナガル市を消し去る威力じゃないですよね」

 サラスワティがニッコリ微笑んだ。

「一番威力の弱い、対人用の神術にしていますよ。ミサイルが拳銃になったような感じですね」


 まだ少し草刈り仕事が残っていたので、それを急いで終えるナラヤンとムカスラだ。道具と機械の手入れを済ませてから倉庫に一時保管する。

 水筒の水を飲んで一休みしてから、ナラヤンがスマホを握りしめた。

「では、探検してみましょう!」


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