ヘビ羅刹もいるんです その二
サラスワティとナラヤンが立っている場所へカーリーが着地した。6本脚の獅子に乗ったままで周囲を見回す。手にはいつもの三又槍を握っていた。
「おい、サラスワティ。魔物が出たとシディーダトリから緊急通報が入ったんだが……どこにいる」
カルナも続けて着地し、さらにシャイラプトリも空飛ぶ水牛の背に乗ったまま着地した。彼女の背後で軍服姿の女神たちが次々に着地していくのだが、カーリーの9柱の部下女神だろう。
サラスワティが再び小さくため息をついてから答えた。彼女の水筒を手元に呼び出してカーリーたちに見せる。
「もう封じましたよ。ナラヤンさんの説得に応じてくれました。今頃はムカスラさんの手配で羅刹世界へ転移していると思いますよ」
ナラヤンが内心で冷や汗をかいている。
(結構、平然とウソをつくんだな……)
しかし、この返答はいささか宜しくなかったようだ。
カーリーがジト目になりナラヤンを上から睨みつけた。さらに三又槍の穂先で彼の制服を突っつく。
「またお前か、人間。ナラヤンとかいったな。魔物退治だと喜んで来たのに、神々の楽しみを邪魔するな。愚か者」
ナラヤンが空気を読んでカーリーに反論した。手に持っているスマホは、すでにサラスワティの水筒に投げ入れている。
「お言葉ですがカーリー様。神様たちがふがいないので、この周囲が被害に遭っているんですよ。何人のケガ人が出ていると思っているんですか」
サラスワティがクスリと笑いそうになり、ナラヤンから視線を逸らした。
カーリーが獅子の上で不敵に笑う。
「ほう。人間の分際で神に口答えするか。見上げた度胸だな。褒美だ」
蚊を叩き潰すような気楽さで、ナラヤンが三又槍によってペシャンコにされた。あっという間にただの肉塊と化す。
サラスワティが手馴れた動きで、ナラヤンの魂を水筒の中へ収めた。
「カーリーさん……すぐに殺すのは止めた方が良いですよ。何回ナラヤンさんを殺しているんですか、もう」
フンと鼻で笑うカーリーである。
「魔物退治は人間が行う類のものではない。分相応、不相応というものがあるのだよ。で、シディーダトリはどこにいるんだ?」
サラスワティが軽く肩をすくめた。ナラヤンの肉塊も水筒の中へ吸い込む。人間の少年がいきなり潰れて肉塊になったので、周囲の野次馬が悲鳴をあげてパニックに陥っているのだが完全に無視している。
「あの子でしたら、因果律崩壊に巻き込まれましたよ。今頃はどこかで漂流していて泣いているでしょう。助けに行ってあげてくださいな」
今度はカーリーが大きなため息をついた。
「あのバカ……分かった、これから助けに向かうよ」
そう答えてから、カルナやシャイラプトリたちに顔を向けた。
「神々よ。ここでの騒動は片づいた。シディーダトリを探しに向かおう」
神々は全くやる気のない返事と反応を示しているが、一応は救助に同行するようである。
カーリーが乗った獅子が空中に浮きあがった。再びサラスワティに振り返る。
「人間はすぐに死ぬから扱いに困るよ。では、後の始末は頼んだぞ」
サラスワティが無機質にうなずいた。
「任されました」
続いてカルナがサラスワティに声をかけてきた。彼は金色と赤を基調としたインド風の鎧姿である。戦闘する気は元々なかった様子で、手ぶらだ。ただ肩には大きな弓をかけていて、矢筒も腰にぶら下げているが。なお、矢筒には矢が1本も入っていない。
「パトナから流れてきた廃人どもを治療したそうだな。まったく、人間に甘すぎだぞ。その廃人どもだが、どうやら何者かに操られていた痕跡があった。何か分かったら知らせよう」
サラスワティが水筒のフタを閉めて、軽く微笑んだ。
「カルナさんと同じで、元々人間でしたからね、私。人間には甘々なんですよ。続報がありましたら、教えてください」
カーリーの部下女神たちも去っていったのだが、シャイラプトリだけは最後まで残った。水牛の背であぐらをかいて三又槍を持っている。
「この人間は最近よく活躍しているようだな。ブラーマ様も少し気に入っている様子だ。我らも今後は邪険にはできぬだろうな」
その割には、カーリーが見事に叩き潰していたが……
シャイラプトリが三又槍を振り回した。それだけで破壊された家が元通りになり、ケガ人が全員元通りに治っていく。破けた衣服まで完全に元通りだ。
この溜め池はジョグパニ市内から少し離れた郊外にあったので、周囲にはそれほど家屋やビルは建っていない。
野次馬たちは虚ろな表情になって、フラフラしながら立ちすくんでいる。その表情を見て、業務的にうなずくシャイラプトリだ。赤い軍服姿なので、本当に職業軍人のように見える。女性なのだが、短髪にしているため遠くから見ると美少年と見間違うほどだったりする。
「記憶消去と改ざんは、こんなもので良いだろう」
そして三又槍を消去して、水牛に乗ったまま空中に浮かび上がった。溜め池の一角に視線を向ける。
「ムカスラとかいったかな。羅刹よ、仕事ご苦労。ではまた」
そう言い残して、すうっと上空へ飛びあがり姿を消した。ついでに雨雲の残りもかき消されて消えていく。
シャイラプトリが去った瞬間、野次馬たちが何事も起きなかったかのように歩き去り始めた。しかし、ジョグパニ市内までは記憶消去が及んでいなかった様子で、入れ替わりに新たな野次馬が流れ込んできたが。
騒ぎが再び大きくなっていく中で、サラスワティが苦笑した。
「……ナラヤンさんが言う通り、雑ですよね。あはは」
サラスワティもステルス魔法で隠れているムカスラを容易く察知して声をかけた。
「ムカスラさんも羅刹世界へ戻って構いませんよ。ここの後始末はシャイラプトリさんが行ってくれましたし。残るはナラヤンさんの復活だけです」
ムカスラが感心しながら答えた。まだ姿は現していないので声だけだ。
「さすがですね。簡単にワタシの居場所が分かってしまいましたか。要改良ですね、この魔法術式。では、お言葉に甘えてワタシも帰ります。ナラヤン君の事をよろしく頼みます」
サラスワティが水筒を軽く振って微笑んだ。
「頼まれました」
ムカスラが去った後で、サラスワティもコシ河の展望台へ転移した。川の水を水筒に入れてから、水筒をよく振る。
「こんなものかな」
サラスワティが水筒のフタを開けて、展望台の床に傾けるとナラヤンの体がスルリと出てきた。すでに制服を着た状態で、それも完全に修復されている。
床にペタンコ座りしていたナラヤンが、数秒後に意識を取り戻した。自身の状態を確認して安堵している。
「おおお……治ってる。サラスワティ様、ありがとうございます」
サラスワティが穏やかに微笑んで、肯定的に首をふった。癖のある長い黒髪が川風に吹かれて揺れている。
「どういたしまして」
ナラヤンが立ちあがり、軽くその場でジャンプしてから首と肩を回した。
「カーリー様ですが、あの暴力癖なんとかなりませんか」
サラスワティがコロコロと笑う。
「性分ですから治りませんよ。彼女は私やカルナさんと違って最初から神ですから。ですが、文句は言っておきますね」
自転車を機械修理屋に預けていたままだったので、サラスワティに頼んで転移したナラヤンである。一応周囲を見て、誰も気がついていない事を確認する。
「サラスワティ様。無事に転移しました。周囲も大丈夫です」
サラスワティがスマホの電話口で答えた。
「分かりました。ではステルス魔法を解除しますね」
次の瞬間、近くを歩いていた通行人が驚いた声を上げたが無視するナラヤンだ。
(ムカスラさんが使っているステルス魔法か……さすがサラスワティ様だな)
そのままパンク修理が終わった自転車を店のオヤジから受け取る。代金を支払うと、店のオヤジが眉をひそめながら聞いてきた。
「ああ、ナラヤン。先ほどからインド側がうるさいんだが、何か起きたのか?」
視線を宙に迷わせるナラヤン。
「さ、さあ……ナンノ事デショウ。では僕はこれで。修理の仕事がありましたら、また呼んでください」
寮に戻り自室に入って着替えると、下着をはいていない事に今になって気がついた。
「下着までは修復できなかったか……仕方がないな、市場で買おう。ええと次の金曜日は、と……」
東ネパールの平野部では、週一で開かれる市場がある。露天商が集まってきて商品を売るのだが、場所と品目によって曜日が異なる。
ビラトナガル市内には百貨店や服屋もあるのだが、この露店市場の方が安かったりする。貧乏学生の味方だ。
曜日を確認していると、部屋に放送部の友人ジトゥが駆け込んできた。目をキラキラ輝かせている。
「おい、ナラヤン! インド国境で爆発騒ぎがあったらしいな。これから現地取材に行ってくるぜっ」
ナラヤンが視線を逸らしたので、すかさず肩に手を回した。
「何か知っていそうな素振りだなオイ。洗いざらい吐け」
再びナラヤンが片言になった。
「知ラナイデスヨ。僕シラナイ」
ジトゥがニンマリと笑った。
「よーし。後でじっくり聞かせてもらうぜ。今は現場へ急行しないといけないからなっ。それじゃ夜にまた来る。飯でも一緒に食おう」
きびすを返して、バタバタと忙しく部屋から駆け出していった。その後ろ姿を見送ったナラヤンが声をかける。
「ケガするなよー、それから警察に怪しまれるような行動は慎めよー」
ジトゥが階段を駆け下りながら苦笑した。
「たまにナラヤンはまともな事を言うから困るな」
一方、インドの現場では警官隊が事故調査を始めていた。とはいえ、シャイラプトリが神術を使って大雑把に原状回復していたので、大事件とは認識していない様子だ。
野次馬も興味を失って次々に去っていく。ケガ人も出ていないのでなおさらだ。ちなみに割れた石製の水差しは粉になり、溜め池の底へ沈んでしまっていた。
この溜め池には呪術師のラズカランも来ていたようで、今は警官から事情聴収を受けている。
それに適当に答えながら、ラズカランが確信したような表情になった。
(ナラヤンに何か憑りついているのは、これで確定だな。やはり悪霊だろう)
ナラヤンが肉塊にされたのも見ていたのだが、これは記憶消去されてしまっていたので覚えていないようである。
その後、事情聴収を終えるとスマホを取り出して、ナラヤンに電話をかけた。すぐにつながる。
「おう、ナラヤンか。今、ジョグパニの溜め池にいるんだけどな。姿を見かけた気がするんだが……今どこにいる?」
ナラヤンの上ずった返事がきた。元気そうではある。
「な、なななな何の事ですか? インドには行っていないですよ」
全く信じていないラズカランであったが、とりあえずはナラヤンが無事そうなので安堵した。
(ナラヤンに危害が及んでいないという事は、悪霊ではないのか……仙人の類がナラヤンに憑りついているのかな?)
叙事詩ヴェーダには悪い仙人も多く記述されている。マハーバーラットやラーマーヤナ叙事詩でもそんな仙人がいたりする。
とりあえずは無事そうなので、もうしばらく様子を見る事に決める呪術師のラズカランであった。
同時に、彼の首に巻きついていたヘビ魔物のムシュキタがスルリと離れて、溜め池の中へ泳ぎ込んでいった。ラズカラン本人は憑依されていた事に気がついていない様子である。
そのヘビ魔物が水中に潜ろうとした時、ナーガがそれをバクリと食らった。同じヘビ型なので、丸呑みである。
「……まったく神々め。騒ぎだけ起こして、後始末はせずに放置しおってからに」
ヘビ魔物を飲み込んでから口をモゴモゴさせて、ペッと透明の糸を吐き出した。
「ん? なんだこの糸は」
透明の糸はすぐに消滅した。
「ふむ……まあいいか」
特に気にせずに、他のヘビ魔物が残っていないかどうか巡回を続けるナーガであった。
一方、ラズカランがスマホをポケットに突っ込むと、公園管理人のラムバリがやって来た。
「よお。やっぱり来ていたか。ワシも野次馬しに来たぞ」
爆発騒ぎがあったと聞いて越境して見に来たと話すラムバリだ。ラズカランが右手の平をクルリと返しながら目元を和らげた。
「お互いに暇だな。小さな爆発だったみたいでな、特に何も壊れてなかったよ。気晴らしにネパールに戻って居酒屋にでも行こうぜ」




