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ビラトナガルの魔法瓶  作者: あかあかや
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ビラテスワールの伝説 その一

 ナラヤンが丘から下りて公園の管理事務所に行くと、ちょうど公園管理人のラムバリに電話がかかってきた。自身のスマホを取り出して電話に出たラムバリが、口元を和らげてナラヤンに顔を向けた。

「首都への配送業者がここへ向かっている。配送しながら来るので、まだ時間がかかるそうだけどな」


 肯定的に首をふるナラヤンである。平野部に住んでいるネパール人は、肯定する際に左右に首をふる習慣がある。ふり方によっては否定の意味合いにもなるが。

「自転車でも楽にここまで来れますから、そんなに待つ必要はないと思いますよ」

 ネパールの田舎道は基本的に未舗装の土道だ。雨が降ると水たまりができて、ぬかるむ事が多い。東ネパールでは農業機械も多く使われているため、深いワダチ跡が生じて通行困難になる場合もあったりする。


 そんな雑談を交わしていると、公園にインド人の観光客が数名ほど歩いてやって来た。ラムバリがベンチから立ち上がって出迎える。

「お。客だ客だ。ちょいと観光案内してくるか」


 とは言っても、小さな公園で遺跡跡はない。管理事務所に設けられている発掘物の展示棚も小さいので、あまり観光案内に使えるネタは多くないのが現状だ。発掘物も盗掘を逃れた地味な物ばかりなので派手さに欠ける。


 それでも今回は観光案内する時間がいつもより長かった。ナラヤンが水筒の水を口をつけずに飲みながら管理事務所を見る。

(何か新しいネタがあるのかな……ああ、あの石製の水差しか)


 それでも15分くらいで観光案内が終了した。インド人観光客ががっかりした表情で公園から去っていく。内心で同情するナラヤンである。

(地味ですからねえ……わざわざ歩いて来てくれたのに、すみません)

 ネパールには全土に遺跡が多くある。代表的なのは仏教遺跡のルンビニだろうか。これもブトワルの街から離れた国境近くの僻地にある。


 続いてラムバリも管理事務所から出てきた。ナラヤンが座っているベンチに戻ってきたのだが、こちらは少しドヤ顔風味をしている。

 ナラヤンから水筒を受け取って、同じく口をつけずに水を飲んだ。

「いつもは公園の案内よりも、近場の酒場情報を話す時間の方が長いんだけどな。今日のワシはちょいと違うのさ」

 インド人観光客はネパールの居酒屋やバー目当てで来る事が多い。


 ナラヤンが聞くと、ラムバリが得意顔になった。

「この間、ラズカランから面白い伝説を聞いたんだよ。ちょいと長い話だったけど、ワシの記憶力にかかれば造作もない。それを適当にかいつまんで、さっきの観光客に話して聞かせたんだ」

 ラズカランはナラヤンとラムバリの友人で、呪術師をしているオッサンである。


 ラズカランが仕事でインドを回っている際に立ち寄った村で、旅の吟遊楽人から聞いたという伝説らしい。ナラヤンが水筒を受け取ってフタを閉めた。

「へえ……伝説ですか。どんな話なんですか?」

 ラムバリがドヤ顔になった。日焼けした広い額が木漏れ日を反射している。

「ふむ。では配送業者が来るまでの時間潰しに話して進ぜよう。ちょいと長いぞ」



 今よりおおよそ2300年ほど前に驚きし、神話時代末期の伝説なり。

 その昔天竺のビハールの地には、カラヤヴァーナ帝国の帝都が天空より落下して大いなる被害出でき。後世になり、その地に勃興ししが羅刹王カンサが建国せるシシュナーガ王国なり。


 この地は羅刹魔法場もちていみじく汚染されたりけれど、カウシキ河とガンジス河による浄化のおかげにて天竺にも有数なる肥沃なる大地となれり。

 豊かになるにつれて羅刹ばかりならず人もゐるやうになり、シシュナーガ王国の臣民となりゆきき。人口の増えしためしに国力も上がり、天竺中西部のマールワーの地征服し版図に加へゆく。

 国王の羅刹王カンサは人なりとも有能ならばカーストにすずろに重用したため、宰相に人の就く事もありき。この事も王国の勢力の増大する要因になりきと言ふべし。


 これに危機感を抱きしは、人が皇帝となりて治めたる西方のマチャ帝国とその藩王国群なりき。皇帝は代々ヒンズー教の司祭階級ばかり独占せり。

 マチャ帝国はガンジス河上流域の全域と、今のパキスタンの一部を版図とする大国なり。藩王国は王室が婚姻など通じて帝国の王室と繋がれり。帝国の衛星国といふ位置ならむや。

 マチャ帝国にはヒンズー教の神々を信奉せるため、神々も帝国に助力する事になりき。


 戦緒はマールワーの地にて開かれき。当初は現地の駐留軍が小競り合ひするにゐたりけれど、瞬く間に戦火拡大して全面衝突の様相になりゆきき。ビハールの地も戦争に巻き込まれゆく。


 この伝説の舞台となるビラータ藩王国も、マチャ帝国軍に加はりて戦闘に参加せり。この藩王国は今のビラトナガル市の南西なりきと伝へられており、マハーバーラット叙事詩にも記載の見らるる国なり。


 戦場には、マチャ帝国軍に助力せるカルナとアルジュナ、女神ドゥルガが活躍せり。女神カーリーも9柱の手女神率ゐて活躍せり。


 羅刹は不死なれど、神々は光の攻撃神術や神器使ひて肉体破壊し、羅刹の魂捕獲して封印すといふ戦術を採用せり。羅刹の魂が、次々に石製の水差しやツボなどに封印されて蓋をされゆく。

 封印されし後は、ガンジス河へ捨てられゆきき。

 神々の助力を受けしマチャ帝国軍は、破竹の勢ひもちてシシュナーガ軍を撃破しゆく。


 かくて、いよいよシシュナーガ王国の王都へ侵攻し、王宮内にて羅刹王カンサと神々対峙せり。カルナとアルジュナ、女神ドゥルガ、女神カーリーの4柱がかりに羅刹王カンサ追ひ詰めゆく。王都のありしは今のビハール州パトナ近郊なりきと伝へられたり。

 なほ、王宮への手引きせるは、当時シシュナーガ王国の宰相を務めたりし人のカーラショーカなりき。


 羅刹王カンサの近衛隊長ボウマも近衛部隊ひきいて神々と激闘すれど、手の者が次々に討ち取られて封印されゆきき。羅刹ボウマの風貌は二十代くらいの精悍なる美太夫なりきと伝へられたり。されど、実年齢はなほ上なりけむ。


 女神カーリーと打ち合ひて戦ふ羅刹ボウマなれど、羅刹王カンサの倒されぬるを目撃す。

 その際に、羅刹王カンサが羅刹ボウマら近衛部隊を逃すべく自爆せり。宮殿の王の間吹き飛び爆風に混乱の驚く中、泣きつつ撤退しゆく羅刹ボウマと近衛部隊。

 この王宮の爆発見て、シシュナーガ王国の羅刹軍も戦意喪失して敗北しゆく事になる。


 爆発後、肉体を失ひし羅刹王カンサは魂ばかりになりき。神々にやすく捕らへられて石製のツボに封印され、やがてごみとしてガンジス河に投げ捨てられき。


 ビラータ藩王国の将軍アリシュタ、齢30歳の初陣戦なれど大いなる戦功を挙げき。マチャ帝国よりシシュナーガ王都までは遠ければ、実際の軍の主力はビラータ藩王国軍なりしためしも大いなる由ならむ。


 シシュナーガ王国の農政局技官長なりし羅刹プラランバが、王都攻防戦にてビラータ藩王国軍の捕虜になりき。将軍アリシュタが幕内へ連行す。

 羅刹プラランバが藩王の前に、作物の種や家畜品種が戦火に消ゆる事を大いにかこちき。藩王は未だ若く、当時30歳前後なりきといふ。

 それを聞きしビラータ藩王国農務省のスルヤ技官長あたらしとあはれがりき。彼も当時30歳前後なりきと伝へられたり。


 スルヤ技官長が、シシュナーガ王国の王宮庭園に残れる種子や家畜の救出作戦を提案せり。王宮より離れたれど戦闘区域内に、げに今も戦闘の行はれたるため緊急を要すと力説す。


 将軍や藩王はやる気なしなりき。正規兵はえ出ださずと突き放す。

 神々も救出作戦に反対せり。女神カーリーとカルナ、アルジュナは、今は敵兵を一人にも多く殺すべしと主張せり。羅刹どものかしづきし作物など、何の価値もあらずと嘲笑す。


 されど、女神サラスワティばかり興を抱きき。この女神は武闘派ならぬため、今回の戦争には後方支援のみの関与にゐたり。その姿は16歳くらいに白衣の少女のごとく見えきといふ。

「人の知識が深まらば加護を与へむ」


 せむかたなく藩王が救出作戦を認めき。ビラータ藩王国に軍事協力せるマデシ族の民兵を、スルヤ技官長と羅刹プラランバに護衛部隊としてつけぞと将軍に命ず。

 マデシ族の民兵は藩王国の臣民ならねば傭兵扱いなりき。その傭兵長はバハドルといふ屈強なる20世の男なりきといふ。彼が護衛部隊の長に任命されき。


 マデシ族は古来より東ネパール平原部やビハール州北部にゐたる先住民の総称なり。実際にはいくつかの部族に分かれており、言の葉や文化がそれぞれ異なる。


 かくして、急造の救出で作戦部隊編成されて作戦行ひを始めけれど……シシュナーガ王国の王宮庭園は既に放火されて燃え上がれり。

 悲嘆する羅刹プラランバとスルヤ技官長。


 女神サラスワティが王宮庭園の上空飛びて、未だ燃えたらぬ区画ありと知らせき。上空より進入路とぶらひて、スルヤ技官長どもを案内す。その際にヴィーナ奏でて誘導せりと伝へられたり。

 かくして、傭兵の護衛隊長バハドルの助力も得つつ、王宮庭園へ突入しゆく。


 されど時遅く、大半の種子と家畜は燃え去りき。

 辛うじて香り米と雑穀の種子、雑草の根、品種改良中の野鳥、麻の種などを確保す。スルヤ技官長と羅刹プラランバは少しにも多くを救出せまほしがれど、傭兵の護衛隊長バハドルがいま限界と警告す。上空の女神サラスワティも同意すれば、泣く泣く脱出する事になりき。


 傭兵の護衛隊長バハドルがスルヤ技官長に、危険冒してまで種や家畜を救はむとするか聞きし。

 スルヤ技官長が目輝かせていらへき。

「こは知恵の結晶なり。汝も美味き飯を食はまほしからむ? 十分に命を懸くるに値すと思はずや」


 飯がためかよ、と憤慨せる傭兵の護衛隊長バハドルなれど、あまりの馬鹿馬鹿しさにすなはち大笑ひせり。

「されば、後にその美味き飯とやらを食はせよ」

 スルヤ技官長が自身の胸を拳にて叩きき。

「任せよ」


 羅刹プラランバと女神サラスワティも見たれど、かたみに顔見合はせて微笑みき。

「時々、かくいきしをかしき人が出でくるぞかし。いかでか叱らでたまへ、サラスワティ様」

「叱らぬぞ。なかなか加護を追加に与へまほしきほどなり」


 燃え盛る王宮庭園の一角より、10歳くらいのわらはが一人うちいでき。体じゅうが真っ黒きススにうつろひ、髪の毛も燃えていみじき火傷を負へり。煙吸ひ込みにけるけしきに、喉焼けて声もえ出ださぬ有様になれり。

 さりとて死力振り絞りてスルヤ技官長にしがみつき、声にならぬ声に助けを求め……血吐きて気絶せり。


 羅刹プラランバがわらはの姿見て、彼は王宮庭園に楽器を演奏する楽団の下働きならむと推測せり。シシュナーガ王国にはカーストに関はらず優秀なる人材は登用せれど、楽団員は吟遊楽人のカーストのみに構成されたりしと話す。

「すなはち、この子は不可触民ナチュネかな。女神なるサラスワティ様は触れずべからむ。スルヤ技官長も司祭階級ぞかし。穢れを受けつるぞ」


 女神サラスワティが苦渋のけしきを浮かべたり。わらはに差し伸べし手を途中に引き戻しき。傭兵の護衛隊長バハドルも視線をわらはより逸らす。

 されどスルヤ技官長はわらはをひしと背負ひき。かくて、真剣なるけしきにて女神サラスワティに懇願せり。

「いかでか、この子のケガを治療したまへ。このままには助からず」


 その真っすぐなる視線に、女神サラスワティうなずきき。

「分かれり」

 スルヤ技官長に背負はれたるわらはの背中に真っ白な右手を当てき。火花うつろひ、肌の色が緑色に変色しゆく。目の色も変化し、それを見し羅刹プラランバ驚愕せり。

「よ、よも……汝は羅刹魔法を使ふべしや? その魔法場はまさしく羅刹そのものなれど」


 スルヤ技官長にはかの女神の顔は背中側なれば見えざりけれど、傭兵の護衛隊長バハドルは女神サラスワティと羅刹プラランバの目の色がおほかた同じになれるを目撃せり。そは炎のごとき赤なりき。


 女神サラスワティが苦悶のけしきを浮かべつつ、わらはのケガを羅刹魔法場を帯びし神術にて治療しゆく。

 されど、そはすなはち終はりき。スルヤ技官長が数回ほど呼吸する間に、わらはの全身火傷がむげにおこたり、呼吸も正常に戻れり。今はおだしき寝息をたてたり。ススは全身につきしままなれど。


「ふう……これにて安穏ならむ」

 女神サラスワティが緑色に変色せる右腕を近くの炎に突っ込めり。炎に穢れが浄化されていき、元の白き肌の腕に戻る。目の色も同時に元に戻りき。

 スルヤ技官長が女神サラスワティに感謝し、さればとく脱出せむと急かしき。

「我にもそろそろ火つきて燃えなむ」


 されど時遅く、庭園の火災はなほ拡大せり。施設の建物や壁は木製なれば、ことごとく燃え上がり焼け崩れゆく。

 猛火と黒煙の中、傭兵の護衛隊長バハドルが手下どもをつつみつつ呻きき。

「果てまで残れる脱出路焼け落ちて塞がりにけり。このままには外に出づべからぬぞ」


 スルヤの眠れるわらはを背負ひしままに火の粉を避きつつ、バハドルどもに謝りき。

「申し訳なし。かくなりては、地下室とぶらひてそこへ避難すべしや」

 羅刹プラランバの厳しきけしきにていひけつ。

「地下室の入り口は、焼けし瓦礫に塞がりたれば入れず。地下室への避難は諦めむ。我は炎にもつれなければ、外への脱出口をつくるぞ」


 女神サラスワティが羅刹プラランバを制止せり。

「炎への耐性ありとも、重き瓦礫を動かすはあながちならむ。仕方なしかし、我に任せたまへ」

 さ言ひて一人炎の中へ入り、大きに口を開けき。すと、燃えたる壁や山積みの瓦礫が、女神の口の中へ吸ひ込まれそめき。炎や黒煙ももろともに飲み込まれて、あっといふ間に一本の道出来上がりゆく。


 驚きて見たるスルヤ技官長どもに、女神サラスワティがかたはらいたさうに視線逸らして脱出路を指差しき。

「悪食といふ神術なり。元々は巨人カンチェンジュンガの能力なれど、神術として使ふべきやうにせり。いで、ここより外へ脱出せむ」


 女神サラスワティが瓦礫食ひて開通せる脱出路駆け、ともかくも全員燃え盛る庭園からの脱出を果たしき。

 羅刹と女神は何ともなりたらねど、人なるスルヤ技官長やわらは、それに傭兵の護衛隊は全員が火の粉を大量に浴びたりき。そのため、髪はチリチリに燃えたり全身はススにて真っ黒、衣服も焼けて穴まみれになれり。


 傭兵の護衛隊長バハドルが手下どもの安否確認済ませて安堵してから、スルヤ技官長に怒りき。

「危うく焼け死ぬるところなりしぞ。死人の出でざりしが不思議なり」

 スルヤ技官長も火傷を全身に負ひたれど、わらはを地面に下ろして寝かせ、皆に謝りき。

「すまざりき。我のことわりこそ誤れれ。護衛隊を命の危険に曝しにけり」


 女神サラスワティも同意せり。かくて、水差しを手元に召喚して空に向けて振りき。振りまかれし水がすなはち雨雲にねび、土砂降りの雨になりき。

 その雨に打たれしスルヤ技官長どもの火傷やスス汚れが、清げに洗ひ流されて治癒しゆく。

「水差しの容量が少なければ、雨の降るかたも限られぬるぞ。なほ大いなる貯水ツボを持ちくべかりけりかし。させば、王宮庭園の火災も雨に消すべかりけれど……」


 火傷おこたりて安堵せるスルヤ技官長どもが女神サラスワティに感謝を捧げき。少しいたずらがちに微笑む女神サラスワティなり。

「水はカウシキ河より汲みしものなり。聖水にはあれど、殊更にはあらぬぞ。治癒の神術を帯びたるばかりなり」


 羅刹プラランバが女神サラスワティに聞きき。

「汝は他の神々と違ひ、不可触民や羅刹に対すとも拒絶せぬかな。驚きき」

 女神サラスワティが羅刹魔法使ひて、今度は羅刹プラランバのケガを治療しつつ微笑みき。

「昔、ある羅刹と知り合ひになりしためしこそあれ。ゆえに、魔物や羅刹をあながちに害悪とは決めつけたらず」

 いたがる羅刹プラランバとスルヤ技官長どもなりき。


 その頃、羅刹ボウマとおくりし近衛部隊は、カンサ王が年ごろいたはりてかしづきこし作物や家畜が炎に飲み込まれて消えゆく見て泣けり。

 その庭園よりスルヤ技官長と羅刹プラランバ、護衛隊が荷物持ち出だしこし見て激怒せり。

「火事場泥棒まですや、人どもは!」


 バハドル隊長の率ゐる護衛隊と激戦になれど、既に神々や敵軍との連戦を重ねたりし近衛部隊は矢尽きたりき。魔力も尽き、刀剣も既に大半の折れたりしため、近衛部隊は多くが格闘術のみにて護衛隊と戦ひき。

 さりとて互角の戦ひ繰り広ぐれど、羅刹ボウマはバハドル隊長もちて顔に深き傷受けて倒れき。

 倒るともなほ、スルヤ技官長を最低最悪の泥棒と罵り、敵に協力せる羅刹プラランバを罵倒せりと伝へられたり。


 羅刹ボウマは戦闘不能になれど、近衛部隊が決死の突撃して押し寄せきたり。そのかひあり、護衛隊長のバハドルはトドメ刺して封印せられで、羅刹ボウマの離脱を許してけり。

 追撃せむとする傭兵の護衛隊長バハドルを、スルヤ技官長制止す。

「今の我々の任務は、この種や家畜を一刻もとく安全なるかたへ移す事なり。戦闘ならぬぞ」


 ビラータ藩王国のビラテスワール王宮に至る頃には、戦闘終はれり。

 大活躍して敵羅刹軍を蹴散らし石製のツボに封印せる女神カーリー、女神ドゥルガ、カルナ神、アルジュナ神や多くの神々が、藩王とマチャ帝国大使より戦勝を感謝されたり。神々の軍を指揮せるブラーマ神も神々をねぎらひき。

 封印に使用せる石製の水差しやツボの数は数万にも及びき。藩王が、それらをごみとしてカウシキ河や下流のガンジス河に捨つるやうに指示を下す。


 次にスルヤ技官長と羅刹プラランバが謁見して、救出作戦の結果を報告せり。神々聞きて嘲笑す。

 藩王、将軍もなほ無駄足なりきなと批評せり。シシュナーガ王国の宰相カーラショーカは早くも国王に取り入りて媚びへつらひており、一緒になりてスルヤ達をいひけちき。


 羅刹プラランバは香り米の評価が藩王に好評なりしため、その後、処罰なしになりき。

 カーラショーカや女神カーリーは羅刹を処刑せよと主張せり。されど女神サラスワティが、彼の知識が今後要りなるはずなれば、殺すは止むるやうに藩王に進言せり。


 女神ドゥルガは呆れつつも女神サラスワティに同意せり。ブラーマ神は、この羅刹は生産職に就きたれば大目に見やうならぬかといふけしきなりき。

 シヴァ神やビシュヌ神は反対して、破壊活動せば即刻処断すと警告せり。女神カーリーとカーラショーカも不満なりけめど、藩王がブラーマ神の意見に同意すればやむなく引き下がりき。


 その羅刹プラランバはスルヤ技官長と意気投合し、ビラータ藩王国に居残りにけり。藩王とブラーマ神は黙認せりと伝へられたり。よほど香り米が気に入りけむや。


 当時10歳なりし吟遊楽人も掃除係として、ビラータ藩王国のビラテスワール王宮庭園に働く事になりき。名がなければ、蓮の花といふ心のカムルといふ名を女神サラスワティにつけさせき。

 以降は、女神サラスワティよりヴィーナの演奏わざを教へさせつつ農園いとなみする事になりき。


 不可触民ナチュネは、不浄で水を受け取れないカースト群を指す。

 水や食物を不浄な者から受け取れば、受け取った人が不浄性に汚染されると信じられていた時代であった。不可触民にも階層があり、最下層は鍛冶職人カミ皮加工職人サルキ縫製職人ダマイ吟遊楽人ガイネなどがあった。清掃人も最下層に属する。


 女神なるサラスワティは、その由がために不浄な羅刹プラランバと吟遊楽人カムルに触るべからず。低カーストのマデシ族のバハドルも難し。スルヤ技官長ばかりバフン階級なれば安穏なれど。

 そのため、彼らに触れぬ行ひをとばかり続けきと伝へられたり。


 マデシ族に傭兵の護衛隊長バハドルは戦功大なりといふ評価に、ビラータ藩王国の正規軍に迎へられ大隊長に昇進せり。手下の傭兵も全員が正規兵となりき。されど将軍アリシュタとの間に、民族とカーストの違ひありきて対立する事になる。


 羅刹は大勢封印されてカウシキ河やガンジス河に捨てられ、天下より姿を消しき。されど羅刹ボウマは行方不明のままなりき。

 シシュナーガ王宮はむげに焼け落ちて廃墟になり、行政軍事機能はビラータ藩王国にて受け持つ事になりき。シシュナーガ王国は解体され、ビハールの地がビラータ藩王国の領土になる。その南のマールワーの地はマチャ帝国の直轄領となりき。


 前のシシュナーガ国宰相カーラショーカはこふに封ぜられて、ビラータ藩王国の藩王の下に仕へき。侯は爵位の一種にて、中級貴族に多し。

 カーラショーカ侯は地元生まれ者といふ事に、ビハールの地継続して治むるやうになる。その利益はビラータ藩王国が徴収すれば、ビラータ藩王国は急激に発展しそむる事になりき。


 豊かなるビハールの地をしりしビラータ藩王国は栄えき。王都はビラテスワールのままに建築華やかになる。

 その活気に溢るるけしきを散歩しつつ見物するスルヤ技官長と女神サラスワティ、羅刹プラランバとバハドル大隊長なりき。


 この大戦にはマデシ族が味方して勝利につながりけれど、戦後一ヶ月もすとヒンズー教の司祭なるバフンやチェトリ階級もちて疎んぜられゆきき。

 カーラショーカ侯は権力拡大に邁進せり。ビハールの地のあらゆる権益を独占しゆくその手腕は、さすがに30歳の若さに前宰相を務めたりし才覚なりきと語られたり。


 ビラータ藩王国の農務省のスルヤ技官長は王宮庭園の責任者に昇進せり。

 かくて、シシュナーガ王国の王宮庭園より救出せる作物や家畜を使い、育種を始めき。これには羅刹プラランバと女神サラスワティが大いに助力したと言はれたり。


 併せてスルヤ技官長は、先の戦争に助けし礼として積極やうにマデシ族を支援せり。

 マデシ族のゐたるは水利に乏しきやつれし土地なれば、水田や小麦栽培は難し。さてシシュナーガ王国の庭園より救出せる種子用ゐて、試行錯誤の末に雑穀のシコクビエを開発、暮らしを大きに改善せり。

 なほ栄養改善がために、同じく救出せる野鳥を品種改良して鶏拓き普及す。カウシキ河の洪水地には、麻の品種改良進めて栽培品種にせり。


 女神サラスワティは高位の神なれば、医療を行ふ医者どもへの神術支援も行きき。そのしるしは驚異やうに、おほかたの病気治療されて、傷もおこたりきと伝へられたり。

 かくしてマチャ帝国皇帝や諸藩王国の王、カーラショーカ侯ら貴族よりおおいに感謝されき。

 マデシ族などの少数民族の健康有様も劇的に改善し、彼らからの供物が山のごとく連日やられきといふ。さらにはカムルなどの不可触民にも分け隔てず治療に接したため、信奉者激増せり。


 一方、他の神々は女神サラスワティが人に関はり過ぐといひけちき。さるは不浄な者どもにも加護や祝福を与へたるはわろき、と。これもちて女神サラスワティは神々と対立し、孤立する事になりゆく。


 女神ドゥルガばかり気に掛くれど、ヒンズー教には不浄扱いの雑穀や鶏を開発普及する見て呆れ、ついには疎遠になりにけり。

 ブラーマ神も呆れつつ、さる事なんかせで我と結婚して面白楽しく暮らさむと誘へど……今は無理といなびれきと語られたり。




 公園管理人のラムバリが一息ついて、水をガブ飲みした。

「な。結構長い話だろ。ここまでが序盤だ」

 内心で後悔しているナラヤンであった。彼も水筒の水を飲む。

(マジですか……さすがラムバリさんだなあ。どうやって記憶してるんだろ)

「さっきの観光客には、どうやって話したんですか? 要約するにしても大変だと思いますが」


 ラムバリがドヤ顔になった。

「ん? ここは話してないぞ。序盤だからなっ」

 えええ……と、ジト目になるナラヤンだ。

(でもまあ、要約するにしても大変だし。省略して正解なのかな)


 コホンと咳払いをしたラムバリが伝説の続きを語り始めた。

「調子が出てきた感じだ。それじゃあ、どんどん話すぞ」


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