ヘビ神は魔物ではありません
季節は西暦太陽暦の7月下旬になった。まだ雨期の最中である。
この時期にはナーガパンチャミというヘビ神を祀る行事がある。ヘビ神はナーガと呼ばれており、主にネパール平野部でよく信仰されている。なのでナラヤンの実家でも毎年祀っている。日本でいうと、家内安全と厄除けという御利益をお願いするようなものだろうか。
具体的には、ヘビ神の絵を描いたお札を玄関口に貼る。お札を貼るのはヒンズー教の司祭が行うので、ナラヤンは見ているだけだ。
ナラヤンが家族と一緒に供物をバナナの葉の皿に盛り、祭壇の掃除をする。それも終わったので、スマホを取り出して起動してみた。
「まさか、ナーガ神じゃなくてヘビ魔物ムシュキタを祀っている……なんてことはないよね」
スマホ画面に白いキングコブラが登場して、ナラヤンを睨みつけた。ナーガである。
「ワシと低俗な魔物を同一視するな。無礼者め」
ヘビ神がプンスカと怒り始めた。その姿を見て、確かに神様を祀っていると安堵するナラヤンだ。
「失礼しました、ナーガ様。どうぞ」
ヘビ神に牛乳を供物として差し出すと、すぐにご機嫌になった。チロチロと舌の先を出している。
「うむ。よい心がけだな、人間」
そう褒めて、牛乳の生気を吸い始めた。やはり直接飲む事はできないようである。
それを見ながらナラヤンが質問した。
「あの、ナーガ様。先日の洪水騒ぎの時は見かけませんでしたが、どこかへ行っていたのですか?」
ヘビ神が視線を逸らした。
「ま、まあそうだな……おっと、そうだった。他の家も巡回せねば」
言葉を濁して、どこかへ去っていく。
スマホ画面でヘビ神を見送ったナラヤンが同情した。
(まあ確かに、あれだけ大量のヘビ魔物や病魔が発生したら逃げたくもなるよね)
供物に捧げた牛乳をナラヤンが飲んで、注いだ器を洗う。それを済ませた頃に、イノシシから着信通知がきた。
「あ。ムカスラさんからか」
イノシシを指タッチして電話をとると、ムカスラから公衆衛生分野での情報要請がきた。
「すみません、ナラヤン君。今回もお願いします」
ナラヤンが苦笑しながらも了解する。
「こうなると思ってましたよ、ムカスラさん」
いつものようにサラスワティに許可を得てから、数万ページの論文情報をサンスクリット語で読み上げる作業を開始するナラヤンだ。今回は公衆衛生分野という事なのでサラスワティも乗り気である。
24時間が経過し、読み上げた音声と手書き模写した図表のファイルを翌日ムカスラに送付した。ほっとするナラヤン。
「ふう……慣れてきた気がする」
ムカスラからの返信では、今回は機械づくりも含まれるため時間がかかる、という事だった。
ナラヤンが肯定的に首をふって同意する。首と肩が凝っていたので、いつもよりも長くふっている。
「僕もそう思いながら読み上げてました。機械についての論文が多かったですよね。あ……」
通信中にスマホの調子が悪くなった。チャットアプリがエラーを表示している。軽くナラヤンが頭をかいて、財布の残高を確認した。
(この後でムクタル先生に見てもらおうかな。予想以上に部品の劣化が激しいようだし)
ムクタル先生は、東部大学の情報工学部で教授をしている人だ。このスマホの提供者でもある。




