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ビラトナガルの魔法瓶  作者: あかあかや
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法術の基礎知識

 季節は西暦太陽暦の6月上旬になった。雨期の走りとなり、雷雲が立ち込めている。早くも北の空では雨が降り始めた様子だ。


 私立学校の授業が終わり放課後になった。ロボ研へ行こうとするナラヤンのスマホに着信が入る。さすがにこの頃になるとナラヤンの奇人病は全校生徒の間に知れ渡っているようで、普通に級友がナラヤンと談笑するようになっていた。慣れとは凄いものである。

「ん? ムカスラさんからだ」

 級友たちに手をふって別れてから、イノシシを指タッチすると彼と電話がつながった。軽く挨拶を交わしてから、ムカスラが羅刹世界の動きを話し始めた。


 羅刹世界で働いている魔法世界の神官たちが、ナラヤンの素体実験に触発されたらしい。法術省での研究が活発化していると話してくれた。

 マタンギに破壊された研究部の施設と機械類も修復されていると知り、安堵するナラヤンだ。


 ムカスラが気楽な口調で話を続けた。

「マタンギ様が演奏した曲が、マガダ帝国内でヒット曲になっています。さすがですね」

 目を閉じて、サラスワティに哀悼の意を示すナラヤンだ。

「録音していたのですね……さすが採集のプロ」


 ここでナラヤンが法術について知りたいと申し出たので、ムカスラが電話口で了解した。ナラヤンが少し考えてから、サラスワティにも知らせる。

 彼女もムカスラの話に興味を示してきた。

「神術がメインで、法術には詳しくないのです。良い機会ですので、私も参加しますね」

 恐縮しながらも承るムカスラだ。


 しかし、スマホでは電話なので少々不便だ。そのため直接会う事になった。サラスワティの提案で、バルジュ湖の島にあるシヴァ神の祠に決まる。

「そこで待ち合わせしましょう。いつもコシ河の展望台ばかりでは飽きてしまうでしょ」


 ナラヤンも了解した。

「コシ河の他では、バルジュ湖しか観光地ってありませんしね……すみません、地味な街で」

 サラスワティはそう思ってはいなかった様子だ。

「あら。そうですか? 活気があって良い街だと思いますよ。少々汚いのが難点ですけど」

 さすが潔癖症だな……と思うナラヤンとムカスラである。


 サラスワティが言うには、雨期がそろそろ始まるので今のうちに湖を観光しておきたい気持ちもあるようだ。

 これにはナラヤンも即座に同意した。

「天気予報では雷雨の確率が結構高いので、寮に寄って傘を用意しますね。この暑さでしたら雨に濡れても風邪をひく事はないと思いますが、念のため」


 しかし学校から寮へ向かう途中で、ロボ研のサンジャイ部長に見つかり捕まってしまった。放送部のジトゥからは逃れる事ができたのだったが……

「コラ、ナラヤン隊員! 今日は部活動の日だぞ! 遠征も決まったんだから、これ以上サボる事は許さん」


 困っていると、ムカスラが部長に羅刹魔法をかけた。ロボ研の部長がナラヤンから離れて、誰もいない空間に向かってナラヤン隊員行くぞと叱咤しながら歩き去っていく。


 ムカスラが解説した。

「今の彼にはナラヤン君の幻が見えています。ここは幻君に任せましょう」

 ナラヤンが感心しながらも、幻だからすぐに消えるんだろうなあ……と想像し、部長の背中に謝った。

「ごめんなさい部長さん」


 寮では自室へ戻り、そこでスマホにもビニール袋を被せて簡易防水処理をする。

「これでよし」

 ムカスラも満足そうな表情をしている。

「良い心がけです」


 このスマホを胸ポケットに突っ込んで、自転車をこいで走り出した。

 しかしバルジュ湖までは意外に距離がある。蒸し暑いのもあり、自転車で到着する頃には汗だくになってしまったナラヤンであった。

「ぐは~……あーちーいー……」


 手漕ぎボートで島に上陸し、島中央のシヴァ神の祠に着く。この島は周囲を湖に囲まれているだけあり、それなりに風が心地よかった。ようやくほっと一息つくナラヤンだ。

「さすがにここは暑くないですね」


 ムカスラが曇り空を見上げて、軽く肩をすくめた。

「……多分、もっと涼しくなりそうですよ」

 既に雷雨が近づいてきているためか、他の観光客は皆去っていた。北の空が真っ暗になっていて、稲光と雷鳴がひっきりなしである。

 ナラヤンもムカスラと一緒に空模様を見上げて険しい表情になった。

「……ですね」


 祠にはシヴァ神の小人型の分身がいたのだが、ムカスラを見て悲鳴をあげた。そのまま転がるように島の外へとび出て、湖を泳いで渡って、どこかへ走り去ってしまった。元気だなあ、と感心するナラヤン。

 ムカスラは頬を膨らませてジト目になっている。

「そんなに凶悪な顔ですかね」

 入れ替わりにサラスワティがやって来て、スマホ画面に映った。

「間もなく大雨になりそうですね。すみません、ナラヤンさん。あらら、シヴァさんは留守ですか」


 そう言った後で、大雨になった。ナラヤンが傘を広げるが、それも無意味なほどの大雨である。あっという間に傘の中でズブ濡れになってしまった。

 サラスワティが水筒を呼び出した。

「このままではナラヤンさんの体が風邪をひきますね」


 水筒の口をナラヤンの額に当てて魂を吸い取る。そしてナラヤンの体を透明化して空中に浮かべた。雨は透明のナラヤンの体を通り抜けている。

 水筒の口からナラヤンの魂が顔を出した。

「なるほど。透明にすると雨に濡れないんですね。助かります、サラスワティ様」

 実際は透明というよりは非実体化なのだが。幽霊になったようなものである。


 サラスワティが次に、祠のそばの土で小型の泥人形を作った。小学生が座ったくらいの大きさだが、出来損ないの地蔵みたいな土饅頭で手足も口もない。

 サラスワティがじっと手を見て、小さくため息をついた。

「急いで作ったので見栄えが悪くてすみません。この泥人形に移ってもらいますね」


 水筒の口を泥人形に寄せてナラヤンの魂を水と一緒に注いで吸収させた。

 ナラヤン魂が泥人形に憑依したが……目も口もない上に、手足もないので身動きができなかった。

(あれ……? これってダメなんじゃね)


 サラスワティが泥人形に目を描くと、ようやくナラヤン泥人形が視界を得た。次に口を描いてもらったが、これは上手くいかなかったようだ。発声できないままである。

「あらら。仕方がありませんね。念話を使えるようにしましょう、えい」


(あー、テストテスト。聞こえていますか?)

 ナラヤン泥人形が早速念じると、サラスワティとムカスラがニッコリと微笑んだ。

「聞こえますよ、ナラヤンさん。上手く念話を使いこなしていますね」

「ワタシも聞こえます。神術なのに羅刹とも親和性が高いのですね。さすがです」


 ここでナラヤン泥人形が気づいた。

(あ……今はスマホ画面を通じなくても、直接サラスワティ様とムカスラさんの姿が見えています。これも神術のおかげですか?)

 得意気にうなずくサラスワティである。

「ナラヤンさんの髪の毛を緩衝材に使用したんですよ。成功して良かったです」


 緩衝材という事は、神術だけでは上手くいかないのだろう。ナラヤン泥人形が次にムカスラにお願いした。

(首が回せないので視界が固定されています。ムカスラさん、あんまり動き回らないでくださいね)


 サラスワティもナラヤン泥人形の視野の中に収まる場所に移動した。シヴァ神の祠に腰かける事にしたようだ。

「泥人形には、実は私もよく憑依しているんですよ」


 冬に行われるバサンタパンチャミ祭では、女神サラスワティを模した泥人形を河に流す祭祀が行われる。

 ナラヤン泥人形が、なるほどと納得した。

「あ。それって僕も手伝った事があります。泥人形の中って意外に居心地が良いんですね。」


「では、法術について簡単に説明しますね」

 ムカスラが話し始めた。先ほどまではステルス魔法によって透明化していたのだが、今は島に誰もいないので解除している。大粒の雨に打たれているのだが、全く気にしていないようだ。


 法術による治療は、以下のようなものだと話してくれた。

 病原体に浸食されていたり、自己免疫疾患で自己の遺伝子が暴走していたり、機能低下している臓器などを、法術でミューズ細胞にリセットする。ミューズ細胞は皮膚に含まれている自然の多能性幹細胞で、様々な細胞に分化させる事ができる。


 その際に病原菌やウイルス、寄生虫、病原性タンパク質や酵素なども分解される。ただのアミノ酸を含む有機物になる。毒物は糞尿と一緒に排除されるようだ。

 そして、ミューズ細胞が当該組織の細胞に変化して定着機能する事で治療する。細胞の若返りも同時に進む。


 この一連の手順を効率化するために、自身の生体情報をいくつも保管しておく。そして病気になった際に、ミューズ細胞化して体組織をリセットし、健康時の生体情報を読み込んで再構築する。その上で、治療や予防に有効な生体情報を持つ他人の情報を組み込む、という流れだ。

 他人の情報がない場合は、法術を使って生体情報を作成、編集して組み込む事をする。


 ただ、機能するまで2日ほどかかる。そのため、一気に体や臓器を再生させるのではなく分割して再生させていくのが通常だ。

 これによって患者の負担が軽くなり、透析機械のような外部接続の生命維持装置も簡素化できる。


「これを、法術による『細胞の運命転換』と呼びます」

 そのミューズ細胞の機能は信者数に比例して正確になる。そのため、信者の遺伝子情報を含む生体情報は多様であるほど良い。この多様性の拡充が課題という話だった。

「その延長として、軍では羅刹兵に対して身体能力の強化を法術で組み込んでいます。ワタシのような研究職では記憶能力や演算能力の強化などですね」


 問題としては、原理的に無限の寿命を得られ不老不死になる点が挙げられる。

 魔法世界ではこれに上限を設けて規制している。そのため、魔法使いの寿命は10万歳までだ。メイガスのような高度な魔法使いについては特例で100万歳までとなる。

 しかし守っていないメイガスも多いらしいが。こういう理由で魔法使いは皆、若い姿のままで生活している。

 ちなみに、羅刹世界では羅刹が元々不死なので上限なしだ。不老ではないのだが、これは法術によって対処している。


 サラスワティがしみじみとコメントした。

「不老不死ってつらいですからね……仲間は一人でも多い方が良いものです。私もうっかり居眠りしてしまうと、起きたら100年ほど過ぎていた……なんて事がありました」

 マジですか……とナラヤン泥人形。

(運よくサラスワティ様が起きている時に会えて幸運でした。でなければ、穴だらけの変死体になってましたよ)


 神官がいない田舎や、大人数が一度に大ケガをした際では、上記の法術が使用できない場合が多い。

「ナラヤンさんが集めてくれた論文情報のおかげで、救急医療の魔法具の開発が進んでいます。これで、多くの羅刹の命が助かります」

 照れているナラヤンだ。今は泥人形なので表情も仕草もないのだが。


 羅刹世界にはない病原体や毒物、花粉などに対する免疫機能の学習には、ウィザード魔法の幻導術を使う。

 ウィザード魔法とは、魔法世界で使われている代表的な魔法の派閥だ。魔法場を収集して必要に応じて配分する魔力サーバーを構築している。インターネットでのサーバーとユーザーの関係に似ているだろうか。

 ウィザード魔法にも種類があり、幻導術はその一つである。これは幻覚を含む情報全般を扱うのだが、架空の情報を真実であるかのように伝える事に長けている。


 この免疫機能の学習の場面では、採取した実際の病原体などを基にして幻導術で『刺激』を作成する。この刺激を患者や予防接種に来た羅刹たちへ、幻導術を使い照射する。

 疑似的に感染、接触した事にして、抗体や解毒ペプチドの産生を行わせるというものだ。実際に感染や接触をしていないので、患者や接種者への副作用は出ない。


 通常は、細胞膜の表面にある受容体で病原体や毒物を検知し、情報を核の中にあるDNAに伝えて遺伝子を起動させる。

 この幻導術の刺激は遺伝子に直接作用するように設計されている。なので、細胞膜の受容体は後で作成される事になる。こうして未知の病原体や毒物などに対しても対処できるという仕組みだ。


 ムカスラが少し自慢気な表情になった。

「ワタシは人間世界へ行って病原体や毒物などを採集していますが、この刺激を合成するためですね」


 しかし、この幻導術の刺激はしょせんは偽物だ。

 そのため、回復した患者から血を採取して、その中に含まれる抗体などの情報を抜き出す事も行われている。最終的には法術化して、生体情報に追加する形で使用する。


 半分も理解できなかったナラヤン泥人形だったが、法術すごいという事はよく分かった。

(寿命がそんなに延びるとかすごいですね)


 大雨を吸い込んで泥人形が崩れ始めたので、ムカスラが説明を終了した。ナラヤン泥人形とサラスワティが礼を述べる。

 サラスワティとムカスラとは島で解散となり、元の体に戻ったナラヤンが泥人形を祠の裏に安置した。水を吸い過ぎて、ほぼ液状になっているが。

 そのまま自転車で寮へ戻ったのだが、やはり体が雨に濡れて冷えて風邪をひいてしまった。

(透明化中は濡れないけど、帰宅中に濡れるよね……)


「おーい、ナラヤン。くたばってるって聞いたぞー」

 放送部のジトゥが呆れながらも果物と菓子を差し入れに来た。

 続いてロボ研のサンジャイ部長も来た。

「昨日は様子がおかしかったし、今日はどこかへ消えてしまったが……風邪の前兆だったのだな」

「すみません」

 とりあえず謝るナラヤンであった。


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