情報提供の反響 その二
「では、素体を呼び出しますね」
ムカスラが人間世界へ持ち込んだ素体を出現させた。
ナラヤン魂が水筒の中から顔を出し、サラスワティも好奇心の光を両目に宿した。
「これが素体ですか……」
しわくちゃの乾燥状態なので、まさしくミイラのような印象だ。ムカスラが水筒を手に取った。
「では始めますね」
素体に水筒の水ごとかけていく。ナラヤンの魂が素体の中に吸い込まれた。同時にみずみずしい素体に変化していく。数秒ほど経つと、素体の目が開いて動き始めた。
「へえ……憑依ってこんな感じなんですね」
ナラヤン素体が感想を述べるが、素体の声帯を使っているので本来のナラヤンの声ではない。
ムカスラとサラスワティが診断して、どちらも満足な表情になった。ムカスラが安堵しながらナラヤン素体に説明した。
「問題なく憑依していますね。実験成功です。今回は子供型で試してみました。気分が悪くなったりしていませんか?」
ナラヤン素体がジト目になって答えた。
「すこぶる健康ですけど……服があると助かりますかね」
幼稚園児くらいの男の子の姿なのだが、服を用意していなかったので素っ裸の状態だった。
ムカスラが笑った。
「そうですね。次からは服を用意します」
サラスワティもコロコロ笑っている。
「人払いしておいて正解でしたね」
コシ河の東岸の草むらの中では、呪術師のラズカランと放送部のジトゥが隠れて観察していた。どうやら、ナラヤンをこっそり追いかけてきた様子である。交互に双眼鏡で対岸を見ていたのだが、二人とも驚愕の表情を浮かべている。
ナラヤンが西岸の展望台に上がって忽然と姿が消え、しばらくすると全裸の幼児が出現したので当然だろう。
ジトゥが目を点にしてつぶやいた。
「な、なんだこれは……?」
そこへカーリーが上空から飛んでやって来た。容赦なく三又槍で二人の頭を叩く。
「ぎゃ……」
「ご……」
意識を失って倒れる二人。
白目をむいて草むらの中で昏倒している二人を、上空からカーリーが見下ろした。
「やれやれ……こんな事だろうと思った」
さて、記憶を消すか……と、さらに二人の頭をガシガシ叩き始める。
(どこまで消そうか。消し過ぎると廃人になるから面倒なんだよな、これ)
茂みの中には、数匹のヘビ魔物も潜んでいた。これらもカーリーに驚いて一目散に逃げだしていく。
容赦なく三又槍を一閃して粉にするカーリーである。魂の状態になったので、石製の水差しを呼び出してその中へ封印した。それを無造作にコシ河へ投げ捨てる。
「ムシュキタか。最近また増えてきてるなあ」
さて、そんな事になっているとは知らない西岸では、実験の続きが行われていた。
素体に憑依しているのは人間の魂だが、サラスワティも素体に憑依する事ができる。これの実験を開始している。
「では、始めますね」
サラスワティが素体に憑依すると、ナラヤンの魂が機能停止し意識が途絶えた。
「あらら……こうなってしまいますか」
かわいそうなので意識が残るように改良すると、ムカスラに約束するサラスワティである。
サラスワティが憑依すると、素体が変化して16歳くらいの少女の姿になった。
やっぱり全裸なので、これも修正しましょうとサラスワティ素体。とりあえず発光してみると、全身が金色の光に包まれた。
ムカスラが興味深く観察している。
「まさに宗教画の天使とか神の姿ですね。ですが、この光は羅刹には毒です……」
ですよね、と微笑んだサラスワティ素体が光を弱めた。
「今の所は、神術と羅刹魔法の両方を使う必要がありますね。私以外の神ではちょっと無理かな」
サラスワティ素体が空中で宙返りをしたりして、感覚を確かめていく。それもすぐに終わった。
「……術式の不具合を何点か洗い出せました。これで、次回からは私も素体に憑依できます。あんまり長く光っていると、ムカスラさんに気の毒ですね。ここまでにしましょう」
ムカスラも了解した。光を見ないように顔を背けているのだが、赤い髪がチリチリと燃えている。
「ワタシも術式を採取できました。羅刹魔法の側からも修正を行いますね。では、この素体はここで処分しましょうか。闇魔法で消滅させます」
サラスワティ素体が一つ提案した。背中まで届く癖のある黒髪が川風に吹かれて揺れている。
「処分ですが、今度は私が神術を使用してみましょう。その術式を採取してみてくださいな。ストラという攻撃神術を使ってみましょうか。使用後に因果律崩壊が起きますので、それでこの素体を処分しましょう」
ムカスラが赤い瞳を輝かせた。すぐに慌てて目を逸らしたが。
「神術のストラですか。文献で読んだだけです。ぜひ見せてください」
サラスワティ素体が上空に浮かび上がり、真上の空に右手を掲げた。ムカスラと透明ナラヤンに防御障壁が展開されている事を確認する。
「では、始めますね。えい」
半径10キロの巨大な円形の魔法陣というか神術陣が、サラスワティ素体が浮かんでいる上空数百メートルに瞬時に出現する。その神術陣から強烈な青い光線が、これまた瞬時に真上の空へ向けて放たれた。半径10キロある光線だ。
ムカスラが腰を抜かして空を見上げている。
「うは……無詠唱でワンアクションなんですね。こんなの食らったご先祖様は大変だっただろうなあ」
「これが基本の攻撃神術ですね。ビラトナガル市くらいでしたら、これ一発で完全に消滅できますよ」
こともなげに答えるサラスワティ素体である。
熱線とは異なるようで、周囲に影響は出ていなかった。川面にも全く変化が出ていない。それどころか、光線が命中した運の悪い野鳥の群れも、何事もなかったかのように普通に飛んでいる。
「攻撃目標を設定できるんですよ。今回は蚊とハエにしています」
すぐに因果律崩壊が発生し、素体が粉になって死んで消滅した。ナラヤンの魂が自動的にムカスラの水筒の中へ転移する。
サラスワティも本体が出現した。いつもの白いサルワールカミーズ姿で、改めて服装を自己確認している。
「……うん。問題なく無事に戻りましたね。さすが魔法世界製の医療用素体です」
素体への人間の魂の憑依時間には上限があり、1時間ほどで強制的に魂が排除される事が今回の実験で分かった。
排除後そのままだと浮遊霊になってしまい、数時間も経過すると消滅するのだが、ムカスラの水筒へ自動転送されるようになっている。こうする事で魂の安全が保障される。
ムカスラが満足そうな笑みを浮かべた。
「想定された通りの実験結果になりました。1時間だけですが、これまでよりも格段に長時間です」
サラスワティも穏やかに微笑んでいる。透明になっているナラヤンの体を実体化させて、そっと展望台の床の上に横たえた。
「私の持つ水筒へも、気絶状態のナラヤンさんの魂が出入りできるように明日までに修正しておきますね。これで魂の安全がより確保されます」
了解したムカスラが、自身の水筒の口を眠っているナラヤンの額に当てた。すると、水と一緒に彼の魂が出てきて体に入っていく。
数秒後、ナラヤンが意識を取り戻した。
「サラスワティ様が素体に憑依した瞬間に、意識が完全に飛びました。その後の事は、何も覚えていません。体調は問題ないです」
サラスワティがうなずいた。
「それでは実験をする上で困る場面も出てくるでしょう。色々と改善点が見つかりましたので、後で私が工夫しておきます」
ムカスラが改めてナラヤンに感謝した。凶悪な顔なのだが、ニッコニコ笑顔なので多少は愛敬が出ている。
「実験に協力してくださって、本当にありがとうございました。これで素体を用いた研究が便利になります」
羅刹の魂が素体に憑依した場合では、延命措置を施しても十分間ほどで粉になって崩壊するらしい。
「今回の実験で、延命措置なしでも1時間ほど素体がもつ事が分かりました。これに延命措置を施す事で、大幅な時間延長が実現できます」
ナラヤンが目を輝かせた。
「では、これで僕は羅刹世界へ行くことができますね。どんな世界かな、楽しみです」
ムカスラが恐縮して頭をかいた。
「行けるのは、魂だけですけどね」
実験が終了し、ナラヤンがスマホで時刻を確認した。小さくため息をつく。
「ああ、すみません。そろそろ次の用事が……故郷の村で重機の調整をする約束なんですよ」
ナラヤンの故郷の村は、コシ河を渡った東岸にある丘陵地帯だ。近くにはイタハリの町がある。
ムカスラとサラスワティに挨拶して自転車に乗る。
「ではまた」
ナラヤンを見送ったムカスラが、改めてサラスワティに感謝した。
「このたびは、本当にありがとうございました」
照れるサラスワティである。
「知識の探究に関しては、私は人間も羅刹も区別しません。より良い暮らしができるようになれば、私はそれで満足なんですよ」
その後ムカスラが羅刹世界へ戻ったが、ナラヤンはようやくコシ河の橋を渡り終えた所だった。早くも汗だくだ。
「暑いなあ、もう……」
ふと、気になって東岸の堤防を見ると、上空にカラスが舞っていた。
「……」
嫌な予感がして川沿いの茂みの中へ分け入ると、呪術師のラズカランと放送部のジトゥが呆けた表情で放心状態のまま座り込んでいた。
(もしかして盗撮していたのか……)
呆れるナラヤンである。とりあえず駆け寄って声をかけてみる。
キョトンとしている2人。焦点の定まっていない虚ろな目をナラヤンに向けている。
「アンタ誰?」
「ワシは誰?」
ナラヤンが冷や汗をかく。
「マジですか……」
ナラヤンが慌ててスマホのクジャクを指タッチして、サラスワティに電話した。
「すみません、サラスワティ様。もしかすると緊急を要する事態かも知れません。お手数ですが、ここへ転移してきてもらえないでしょうか」
すぐにサラスワティが転移してきて診察を始めた。手を二人の頭頂部にかざして、軽いジト目になる。
「……カーリーさんの神術場を感じます。彼女の仕業ですね」
記憶消去の神術を使っていると話し、早速、治療の神術を使った。二人の体が金色に薄く輝き始める。
大丈夫なんですかと心配するナラヤンだが、少ししてから二人の目に生気が戻り、ナラヤンの事を思い出した。ほっとするナラヤン。サラスワティがもう大丈夫ですよと診断し、姿を消した。
なぜ草むらにいるのか理解できていない様子の二人を落ち着かせながら、ナラヤンがスマホで最寄りの病院に電話をかけた。
「念のために、病院へいって診断をしてもらいましょう。重機の調整仕事はキャンセルだな。おのれカーリー」




