情報提供の段取り その三
夕方になり、スマホ画面に常駐しているイノシシが電話着信をナラヤンに知らせた。
「ん? ムカスラさんからだ。来たか」
寮の自室で寛いでいたナラヤンがイノシシを指でタッチすると、電話回線がつながった。ムカスラの音声がスピーカーから聞こえる。
ムカスラからの情報提供要請を受けて、ナラヤンがスマホ常駐しているクジャクを指タッチする。サラスワティとも電話がつながり、三者同時に会話できるようになった。音質も向上している。
おお……すごいなと感心するナラヤン。
「スマホ機能を強化しておいて良かったよ」
ムカスラがサラスワティに、応急措置分野での情報提供を要請する。サラスワティが受諾して、ナラヤンに情報へのアクセス許可を出した。
すると人類が現在発表している論文情報に、スマホからのみアクセスできるようになった。
スマホの演算素子と記憶素子をフル活動させているので、バッテリー駆動ではなくてコンセントからの給電に切り替えようとするが、ムカスラが不要だと答える。
「羅刹魔法を使っているので、24時間連続使用ができますよ」
ナラヤンが感謝した。
「助かります。電気代を気にしなくて済むのは良いですね」
「このくらいの支援はさせてください。しかし、ワタシからでは論文情報が見えないんですね。うう、残念」
この神術だが、軍事機密に関わるような論文情報は閲覧不可だ。また、信頼性が低い論文も除外されている。
サラスワティは言語の神でもあるので、全ての論文はサンスクリット語に翻訳されていた。さすがに面食らうナラヤン。
「あの……英語にしてほしいのですが」
サラスワティが明るい口調で、訴えを却下した。
「英語にすると、ナラヤンさんが読み上げた際に、誰かに聞かれて情報が流出する恐れがあります」
サンスクリット語はサラスワティが人間に与えた言語なので、わずかながら神術場を帯びているらしい。そのため、こちらの言語の方が神術で情報流出を抑える事ができて安全なのだという説明だった。
「人間にはマントラを唱えているとしか感じないはずです」
マントラとはここでは経文のような感じだ。
マジですかと驚くナラヤン。
(って事は実年齢って……)
論文の保存やキャプチャ、メモ帳アプリなどへのコピペ、外部記録媒体への保存、クラウドへの保存などの行為は一切できない。クッキーや一時ファイルすら存在しないという徹底ぶりだ。
さらに他のアプリを起動する事も禁止されている。今のアプリは外部サーバーと密に通信をしているので、アプリを介して情報がもれる恐れがあるから、という説明だった。
なので、ナラヤンが論文を直接読み上げて、その音声をレコーダーに録音する事にした。画面を写真で撮る事もできない。しかし紙に手書きで模写した図表などは例外的に写真を撮って、画像ファイルとしてスマホで扱う事ができるそうだ。閲覧許可は24時間だけで延長不可である。
こうして得たサンスクリット語読み上げの録音データと画像ファイルを、ムカスラに受け取ってもらう手順だ。
マジか……と頭がクラクラするナラヤンだったが、引き受けた以上はやるしかないと腹をくくる。
「先に食事を済ませておきますね。水も用意しておかないと」
サラスワティがナラヤンに開示した論文情報は膨大だった。
「え? ちょっと待って。総ページ数が万単位なんですけど」
目を点にして愕然としているナラヤンに、イノシシ経由でムカスラが励ました。
「徹夜になりそうですね。頑張ってください」
サラスワティもクジャク経由で応援する。
「私も小人型の分身を後で送りましょう。知識の探求を楽しんでくださいね」
当然のように徹夜作業になった。朝を迎えても続行するナラヤンである。さすが高校生だ。フラフラしながらも学校へ登校する。
授業の合間も、他人から見ると何も表示されていないスマホを見ながら、サンスクリット語で延々と何かを読み上げているという、異常な光景が展開されていく。
ついに、先生に気味悪がられて強制早退させられてしまった。その後は、校舎の北側にある空き地に移動して続ける。
寝不足と頭のキャパオーバーでフラフラになるナラヤンである。
空き地に顔を出した学生がこの様子を見てしまうと、変人の評判が広まっていくのは止めようがない。放送部の友人ジトゥもナラヤンを心配しながらも写真を撮り、変人ぶりを記事にする有様であった。
ナラヤンが頑張って論文の朗読を続けていると、小人型のサラスワティがやって来た。ナラヤンの肩に乗る。
「こーんにちは。ナラヤンさん。お見舞いにきましたよ」
スマホはひたすら論文を表示しているので、女神の姿は映し出されておらず音声だけが聞こえる。ナラヤンが朗読を一時中断して、挨拶をした。ついでに首と肩を回してコリを取る。
「こんにちは。ええと……ミニサラスワティ様、と呼べばよろしいですか?」
小人型サラスワティが少し考えて、明るい口調で答えた。
「カンチやバイニでも構わないですよ」
カンチには末っ子という意味がある。バイニは妹という意味だ。
ナラヤンが遠慮した。
「神様に対して妹呼びするのは、どうかと……ミニスワティ様でいかがでしょうか?」
コロコロと笑う小人型サラスワティである。
「サラスというのが私の神名の根幹なのですが、スしか残ってませんね。でもまあ、それで構いませんよ」
そのミニスワティが肩に乗りながら告げた。
「ムカスラさんとナラヤンさんは攻撃対象から外れたので、もう安全ですよ」
ほっとするナラヤンだ。
「それは朗報ですね。ここで穴だらけにされて、他の生徒たちに目撃されると困りますし」
が、次の瞬間。ナラヤンの背中から腹にかけて三又槍が見事に貫通していた。しかし、ナラヤンのスマホは論文を表示中なので、何が起きたのかナラヤンには見えていなかった。
「ぐえ。ミニスワティ様、僕を早速殺していませんか、これ」
ミニスワティが肩に乗りながら答える。
「私ではありません。カーリーさんが来ています」
マジですか……と腹を抱えてうずくまるナラヤン。それ以上は激痛で話す事ができなかった。
ミニスワティがナラヤンの頭の上に仁王立ちして、カーリーを指さした。
「こら! カーリーさん。ナラヤンさんとムカスラさんは保護対象になっているんですよ! 攻撃禁止です」
カーリーがナラヤンの背に三又槍を突き刺したまま、グリグリ回しながら軽い口調で謝った。
「あ、そうだったっか? わるいわるい。ちょっと昨日の仕返しをしただけだから、気にするな。では!」
そう言って飛んで逃げていった。
ミニスワティがため息をつく。
「ったくもう、これだから復讐の女神は。さて、と」
空き地には生徒たちがいて、惨劇を目撃して悲鳴をあげていた。が、瞬時に記憶操作の神術が使用されて、ナラヤンを意識しなくなった。普段通りの会話をしながら教室へ入っていく。
背中から腹を貫かれて内臓が飛び出ている瀕死のナラヤンに、ミニスワティが明るい声をかけた。
「今のナラヤンさんは路傍の雑草よりも注目されていませんので、安心してくださいね」
(女神って怖ええええ……)
激痛の中で、断末魔の痙攣をするナラヤンであった。
ミニスワティが手にニームの枝葉を呼び出した。それをブンブン振り回しながらナラヤンの傷口へ向けて歩いていく。ニームはインド圏に生えている防虫成分を含む樹木である。
「まったくもう、カーリーさんは。私も病院回りで忙しいんですよ」
ブツブツ文句を垂れていたが、いきなりニームの枝葉でナラヤンの傷口をバシバシ叩き始めた。腹から外へはみ出している彼の内臓も叩かれている。
(ぐえー……)
枝葉にシバキ倒されながら、ナラヤンが必死になって待遇の改善を要求する。しかし、笑顔で却下するミニスワティだ。せめてもの救いは、スマホがこの笑顔を映していなかった事だろうか。
「先日はヴィーナを弾いて一瞬で治してくれましたが……なぜ」
息も絶え絶えのナラヤンの問いかけに、ミニスワティが申し訳なさそうに答えた。なお、彼女の表情をナラヤンは見ていない。
「この小人型では神術があまり使えないのですよ。元々は、病院で医療関係者や患者に祝福や加護を与える程度の役目なので、こういった重傷者の神術治療は想定されていません」
えええ……と絶句するナラヤン。
(本人来てくれえ……)
ミニスワティがニームの枝葉でバシバシ叩きながら、話を続けた。口調がどことなく軽くなってきているような……
「治療の途中でショック死しても、蘇生させますから安心ですよ。大人しく叩きのめされていなさい」
わーい、うれしいなー。と乾いた笑みを浮かべるナラヤンであった。
結局ナラヤンはショック死する事無く、無事に回復を果たした。緑色の制服に開いた大穴も修復されているのを見て、さすが女神様だと感心している。
「あの……ミニスワティ様。この事故で浪費した時間は、補填されますか?」
ミニスワティがあっさりと否定した。
「実行中の神術は途中変更できませんので無理ですね。因果律崩壊が起きる恐れがあります」
おのれカーリーと憤るナラヤン。
放課後になり、空き地にロボ研のサンジャイ部長がやって来た。ナラヤンを見つけて彼の手を引く。
「部活動の時間だ、来い。ロボづくりの進捗が遅れてるんだ」
しかし、いきなり電撃が彼に放たれた。悲鳴をあげて尻もちをついた部長が、そのまま悲鳴をあげて逃げていく。
ナラヤンの肩に乗っているミニスワティが、彼の後ろ姿を見送りながら解説した。
「これは神術の実行強制力の発動ですね。邪魔する人間に攻撃神術を自動で下す機能です」
ナラヤンも心配そうに部長を見送っていたが、ミニスワティに聞いた。
「部長さんは大丈夫なんですか? かなり派手に電気の火花が散っていましたよ」
笑って答えるミニスワティだ。
「記憶操作も同時に行われますので、ここにナラヤンさんがいた記憶は消されていますよ。電撃を受けた記憶も間もなく消失するはずです。トラウマは残るかも知れませんが」