ゴグラハの神話 その一
インド神話を基にした創作小説です。
東ネパール辺りを舞台にした創作神話と伝説の二本の話が先に入ります。その後、現代を舞台とした日常系の話になります。日常系なのですがグロ描写がありますので、苦手な方は本作を読まない方が良いでしょう。
まずは、小説の舞台の紹介ですね。
ネパールの位置と舞台となるビラトナガルの場所です。
伝説の話の地図です。
以下は登場人物の紹介です。
ヒロインのサラスワティとドゥルガ、伝説の話の主人公であるスルヤ、羅刹のプラランバです。
上司のブラーマ神、羅刹バスマスラと羅刹王マヒーシャスラです。下段は武器や道具の説明ですね。
脇役扱いになりますが、カーリー、シディーダトリ、チャイラプトリ。中段はカルナ神、一般人のラズカラン、ラムバリです。下段は武器の説明ですね。
小説の主人公のナラヤン、友人のジトゥ、先輩のサンジャイ、それと羅刹ムカスラです。
表紙を描いてみました。王宮跡公園の前にある聖池を背景に石製の水差しとネパール製の魔法瓶を置いてみました。遠くに見えるのがビラトナガル市街で、その奥がカンチェンジュンガ連峰になります。実際には連峰は見えません。
ネパールは標高が高くて気温が低いという印象が強いのだが、インドのビハール州に接するここビラトナガル市ではそうでもない。ネパール東部にある第一州の州都でもあるビラトナガル市の標高は80メートルしかなく、バナナやヤシの木が生い茂る亜熱帯性の気候だ。米も二期作が行われている。
しかし北に目を転じると世界第三位の高峰カンチェンジュンガがそびえ立ち、北西にはエベレストが控える。市の西には川幅一キロを超えるコシ河が流れていて、時々洪水が起きる。
そのためか、インドに接しているにも関わらず年間の最高気温は40度に達しない。
このように恵まれた土地なので、大昔から栄えている。文献では神話の時代にも登場し、当時はゴグラハとかビラテスワールと呼ばれていたようである。実際に昔は王国の首都だった時期もあり、現在の民主制ネパールの基礎を築いた街としても有名だ。ここで発生した麻布工場の労働者デモが発端の一つとなり、王政が改革され最終的に廃止された。
しかし、観光地としてはそれほど有名ではない。ネパールの首都から遠く、国内飛行便でも片道30分以上かかる。陸路であれば車で丸一日はかかる距離だ。そのため現地では夜行バスを使っての行き来が一般的である。
工業の街なので各地の労働者が集まり、多くのヒンズー教寺院が建てられている。特に女神カーリーとクリシュナ寺院が有名だ。チベット寺院やイスラム教のモスク、キリスト教の教会もある。山間部に住むライ族やリンブー族の影響で酒場も多い。平野部にはマデシ族が先住民族として昔から住んでいる。
歴史ある街なのだが、建物は総じて最近建てられたものばかりだ。ヒマラヤ山脈も天気が良い日以外では霞んで見えない。コシ河やバルジュ湖でのバードウォッチングは充実しているのだが。加えてマラリア流行地域でもあるので、蚊への対策は十分に講じた方が良いだろう。
観光ホテルも市内にあるのだが、コシ河観光を目当てにする人は北にあるイタハリの町に泊まる事が多いようだ。
ビラトナガル市の産業としては鉄鋼、機械、麻布の製造が盛んだが、病院も充実している。インドからの患者を受け入れたりしているほどだ。東部大学の医学部では薬剤師の修士号も取得できる。私立学校を含む学校も多いので学生の町とも言えるだろう。
その私立学校の一つガンガトール高校の制服を着た男子学生が一人で、王宮跡公園の草刈り仕事をしている。この高校の制服は男女ともに緑色のズボン、白いシャツに縞模様のネクタイを締めているので分かりやすい。今は草刈り機を使用しているので、くるぶしまである丈夫なエプロンをしている。
王宮跡公園といっても建物は残っておらず、低い壁に囲まれた小高い丘があるだけだ。季節は三月の上旬なのだが、大陸性気候なので早くも暑くなってきている。そのせいもあり、観光客の姿は一人も見当たらない。
ビラトナガル市内から南西に離れているという、交通の便の悪さもあるのだろう。すぐ南はインドとの国境である。
男子学生は黙々と丘の頂上付近の草刈りを済ませ、そのまま丘のふもとの雑草を刈っていく。乾期の最中なので、草刈りも行いやすいようだ。ちなみに公園内には山羊や牛の姿は見当たらない。
「ふう……こんなものかな」
男子学生が草刈り機のモーターを停止した。この時代は多くが電池式になっている。自動車も電池駆動が大多数だ。乗用車であれば、一回の充電で3000キロ走行できる。
男子学生が肩にかけている安物の水筒を手にして水を飲んだ。ネパール人は基本的に口をつけて飲まないので、ちょっとした曲芸をしているようにも見える。口を開けたままでゴクゴク飲むという、コツが必要な飲み方だ。
「暑くなってきたなあ……自転車移動はつらいよ」
彼は色黒で細身だ。身長は160センチくらいだろうか。細い眉と、癖のある短髪で、見た目はインド人っぽい。
そこへ、公園の管理事務所から一人のオヤジが顔を出した。50歳くらいの中年太り体型で、身長は165センチくらいだろうか。がっしりとしたあごで、彫りが深い顔立ちだ。白髪交じりの癖毛なのだが髪はかなり後退している。公園の管理人という立場ではあるのだが、服装はかなりラフである。
そのオヤジが男子学生に手を振って声をかけた。
「おーい、ナラヤン君。ちょっと来てくれ」
ナラヤンと呼ばれた男子学生が、水筒を肩にかけ直して手を振って応えた。
「はい、何ですかラムバリさん」
ナラヤンが草刈り機を公園の管理事務所の入り口に立てかけて、草まみれのエプロンを外してから赤い屋根の建物の中へ入った。
この建物は王宮跡公園の管理事務所なのだが、平屋建てでかなり小さい。半分以上をドゥルガというヒンズー教の女神を祀る祭壇が占めている。残り半分の大部分を発掘品の展示棚が占有しているので、事務所は隙間にちょこんとある程度だ。実質上は女神ドゥルガを祀る祠となっている。
その女神像も高さ50センチ足らずの小さなもので、左右には東ネパールで人気のある女神カーリーと女神ラクシュミの像が置いてある。
公園管理人オヤジのラムバリが指さした小さな事務机の上には、古びた石製の水差しが置いてあった。白っぽい石でできており、日本で使う味噌ツボに形が似ている。注ぎ口が付いているので、ツボではなく水差しだが。
「フタが割れているんだよ。東部大学の先生に頼んで修理してもらえないかい?」
ナラヤンが見ると、確かに水差しの石製のフタが割れている。破片を手にして、緑色をしたズボンのポケットからスマホを取り出した。
「あー……誰かに叩き割られたって感じですね。しかもつい最近。盗掘者のせいでしょうか」
ラムバリが腕組みをして彫りの深い顔をしかめた。
「だろうな。一昨日に向かいの聖池で掘り穴を見つけたんだけどね、そこで掘り出した水差しだと思うんだ。今朝、盗品市場で見かけてね。買い戻したんだよ」
ナラヤンが破片を慎重に戻してから、軽く肩をすくめた。
「中に金目のモノが入っていないかどうか確かめたのかな。よほどピッタリとフタが閉じられていたんでしょうね」
そう言ってから、ナラヤンがスマホのカメラレンズを水差しに向けた。写真を撮り、さらに水差しを一周しながら数枚撮影し、最後に割れたフタの写真を撮った。それを東部大学へ送信する。
すぐに返信がチャットで届いた。それを読んだナラヤンが笑顔をラムバリに向ける。
「ムクタル先生からです。この程度でしたら、専用のパテで接着できるそうですよ」
ラムバリがほっとした表情になった。
「そうかい、良かった良かった。さすが東部大学の先生だな。頼りになるぜ」
東部大学はネパールの国立大学で、ビラトナガル市の北にある。総合大学で、特に医学部が有名だ。ナラヤンが送信した相手は、情報工学部のムクタル教授である。
ちなみにナラヤンが使っているスマホも情報工学部による試作品だったりする。試用という名目で高校生でも安く買って使う事ができるため、貧乏な学生には嬉しいサービスだ。
ラムバリが自身のスマホを取り出して、電話をかけた。
「ハローハロー。ラムバリだ。予定通り荷物を受け取りに来てくれ」
この石製の水差しの年代測定をするため、これから配送業者に来てもらって首都カトマンズの大学まで運んでもらう予定だ。もしかすると、水差しの内部に当時の有機物が残っているかも知れない。
ナラヤンは管理事務所の外に出て、草まみれのエプロンと草刈り機を水洗いし始めた。それもすぐに終わって、再び丘の上まで登る。丘といっても高さは10メートル程度しかないが。草刈り直後なので、特有の草の青い臭いが漂っている。
丘の頂上から北の方向を眺めると、公園を囲む貧相な赤レンガ壁の向こう側に広大な水田が広がっていた。冬に田植えをする乾期米だ。既に草取りなどの野良仕事を済ませてあるようで、雑草はあまり見当たらない。
まだ出穂の時期ではないので、一面の青々とした草原のようにも見える。
その水田の一角に、崩壊したまま放置されている四角い池の跡がある。王宮に付随していた聖池の跡で、石製の水差しが盗掘されたと思われる場所だ。今は数頭の水牛と牝牛が、干上がった池底に生えている草を食んでいる。
(まだ水差しが埋まっていたのか……全て盗掘されて何も無くなったとばかり思ってたよ)
盗品市場はインド側にあるのだが、地元民は自由に国境を行き来している。そのため、買い戻しも迅速に行えたようだ。
ナラヤンが視線を上げると、水田の向こうにビラトナガル市の街並みが見えた。といっても高層ビルやマンションは建っていない。既に工場が多数稼動しているようで、街の上空が薄っすらと汚れて見える。
さらに目を北に向けるとヒマラヤ山脈が見える。しかし標高が低いビラトナガル市からでは、緑の山々が大きく見えているだけだ。万年雪を抱いたカンチェンジュンガ連峰は遠く霞んでいるので、空気が澄んでいる時期でないと見る事は難しい。
しかし、今日は運が良かったようである。薄っすらとだが標高8586メートルの白い高峰を拝む事ができた。ビラトナガル市との標高差は実に8500メートルに達する。
(お。見えた見えた。雨雲が湧いてきているみたいだな。それで視界が良くなったのか)
そんな事をナラヤンが考えていると、聖池に山羊の群れがやって来た。水牛や牝牛と交じって草を食み始める。
(……そう言えば、ダサイン大祭の由来をラズカランさんが話してくれたっけ)
ダサイン大祭というのは、ネパールで行われるヒンズー教の祭祀だ。秋に行わるのだが、その際に女神ドゥルガへの生贄として山羊の首を切り落として、その血を供物として捧げる習慣がある。その習慣のおかげもあって、ネパール人の年間食肉量は10キロでインド人の倍になっている。
この大祭は女神ドゥルガが羅刹マヒーシャスラを倒した事を祝うもので、準備期間を含めると二週間近くにもなる長い祭りである。羅刹は今風に呼ぶとデーモンとか悪魔といった存在だろうか。
羅刹マヒーシャスラは宗教画を見ると普通のオッサンの風貌なのだが、ダサイン大祭の伝承では水牛頭という事になっている。
その話をナラヤンに話してくれたラズカランは呪術師をしている。ネパール語でダミと呼ばれていて、占いや悪霊祓い、病気の民間治療などをしているのだが……それだけでは生計が成り立たないので色々と副業をしているようだ。
歳は40歳くらいで身長は170センチの中年太り体型のオッサンである。ゲジゲジ眉が特徴的で、癖のある黒の短髪だ。ラムバリと同じくラフな服装をしている。
そのラズカランが以前に、ナラヤンの故郷の村で占いをした後で話してくれた。しかし、酒を飲んで酔っ払っていたので、信ぴょう性には甚だ疑問が残るのだが……
「ワシがインドのとある村で悪霊祓いをした時に、そこにいた吟遊楽人から聞いた話なんだ。面白かったからナラヤンにも話してあげよう。昔むかしのその昔……」
ナラヤンにとっては問答無用で聞かされた話だったのだが、妙に記憶に残る内容だった。
広大な水田を幾重にも波紋のように風が吹き抜けていく。ナラヤンが丘の木陰に移動して座り、その様子を眺めた。草刈り作業後の一休みとしては申し分ない。
再び水筒の水を口をつけずに飲み、ラズカランが話した内容を回想し始めた。
(僕が知っている話とはかなり違って、変な話だったなあ……)
次からは神話ですので古文風の文体になります。文法や単語は正確ではありませんので、意味が分からない部分は読み飛ばしてください。