3-1 白い犬と帰って来た幼馴染
あれから数日が過ぎる。今のところ、取り立てて変化は無い。
僕は友人でいることを望み、珠ちゃんは恋人になることを願う。
なにか良い手が思いつくまでは、諦めてくれることを期待するくらいしか、僕にできることは無かった。
珠ちゃんは先に猫となって外へ出ているので、今日も一人家を出る。
あまり待たせてしまわぬように早歩きで向かおうと思っていたのだが、ピョンッと誰かが僕の前に出て来た。
「おはよう、しーくん」
フワフワっとした栗色の髪。小柄な体。綺麗というよりも可愛いといった顔立ち。
特にこの、内気なためチャイムを鳴らすことができず、玄関の前で待っていたことは、よく彼女がやっていたことであり、昔を思い出して笑顔になった。
「ちーちゃん! 帰って来たの!?」
三年振りに、ふにゃっとした笑顔を彼女が見せる。
「えへへ。驚かせたかったから、内緒にしてたんだ」
彼女の名前は白山 智保。
小学校を卒業した後、引っ越してしまったもう一人の幼馴染だ。
再会を喜んでいたのだが、ふと気付いたようにちーちゃんは、周囲をキョロキョロと見回し、首を傾げた。
「あれ? 珠ちゃんは?」
「珠ちゃんは……黒川 珠季だよね?」
「え、うん。他に珠ちゃんがいたかな?」
僕たちは三人でよく一緒にいたのだから、他の珠ちゃんがいるはずは無い。
そんなことは分かっているのだが、どう説明したらいいかが分からず、僕はなぜか名前の確認をしていた。
ちーちゃんが不思議そうにしている間に、頭を回す。
正直に打ち明けた場合を想定してみる。
「実は珠ちゃん、猫になれるようになったんだ。少し先で待ってるよ」
「えー、そうだったんだ。さすが珠ちゃん。すごいね!」
……などということにはならない。
「もう、しーくんなに言ってるの? 朝だから寝ぼけてるのかな?」
と笑われて終わりだろう。
どう伝えるべきか分からず頭を悩ませていると、ちーちゃんが自分の胸を叩きながら言った。
「喧嘩でもしちゃったのかな? 大丈夫、すぐに仲直りできるよ。わたしも力になるから」
近からず遠からずと言うか。喧嘩しているわけではないが、表面上は仲が悪そうに見えることは事実である。だが、話し合いは済んでいるというか……。
つまるところ、僕たちの関係はややこしいのだ。誤解は解けたが、猫になれるし告白もされた。なんとも説明し辛いとしか言いようが無い。
額を掻きながら僕は伝えた。
「その、喧嘩はしていないんだ。でも色々と複雑で、お互いの関係を見つめ直している最中というか……」
ちーちゃんは人差し指を口元に当て、首を傾げた。
「なにか言いたくないことがあるのは、なんとなくだけど分かったかな」
「うん、とりあえずはそんな感じでお願いするよ」
「……そうだよね。高校生にもなると、色々と変わっちゃうよね。わたしも、珠ちゃんも、しーくんも」
「僕は変わってないよ。それに珠ちゃんだって、根っこの部分では変わってないね」
断言すると、ちーちゃんはほんの少しだけ眉根を寄せた後に、ふにゃっとした笑顔を見せた。
しばし進むと、当然のようにブロック塀の上に黒猫がいる。
黒猫は目を瞬かせた後、とても嬉しそうに「にゃ~」と鳴いた。
トコトコと近づいて来た黒猫は、そのままちーちゃんの足へ擦り寄る。久々の再会を、珠ちゃんも喜んでいるようだ。
「わわわっ。見て、しーくん。とっても人懐っこい猫ちゃんだよ。かわいいね!」
僕はひょいっと黒猫を抱え上げ、こちらの説明もしておくことにした。
「実はこの黒猫なんだけど、僕の部屋によく来ているんだ。もう一年くらいの付き合いになるかな?」
「そうなんだぁ。すごいねぇ、かわいいねぇ。……わ、わたしも抱かせてもらえないかな?」
チラリと黒猫を見れば、コクコクと頷いている。他の人ならばともかく、幼馴染は特別扱いなようだ。
許可も出たので、ちーちゃんへ黒猫を受け渡す。
黒猫を抱きかかえた彼女は、目を大きく開き、とても嬉しそうな顔を見せる。
後で送ってあげようと、2、3枚の写真を撮った。
良いものが撮れたなと確認していたのだが、問題はそのときに起きた。
「あれ?」
「ん?」
目を向けると、ちーちゃんが黒猫の頭を撫でようと手を伸ばし、その手を黒猫に叩き落とされていた。
見た目は猫だが、中身は同年齢の高校生。友人であり幼馴染に頭を撫でられるというのは、珠ちゃんとしても抵抗があるのだろう。抱き抱えるまでがギリギリセーフみたいだ。
しかし、ちーちゃんも諦めずに手を出し続ける。どうしても撫でたいという気概が伝わる。
その争いに嫌気が差したのか、珠ちゃんはするりと腕を抜け出し、僕の足元へ寄って来た。抱き上げると、満足そうな顔を見せる。
ちーちゃんは少し肩を落とし、しょんぼりとしながら言った。
「猫ちゃん、撫でられるのは嫌いみたい……っ!?」
こちらを指差しながら、ちーちゃんは目も口も大きく開いている。
その態度を不思議に思っていたのだが、珠ちゃんの嬉しそうな鳴き声で気付いた。
僕は無意識の内に、黒猫を撫でていたのだ。
撫でられないと言っていた彼女の前で、黒猫を撫でる僕。これはマウントをとりに行っていると思われても仕方がないのでは?
慌てて言い訳をしようとしたのだが、先にちーちゃんが拳を握りしめながら鼻息を荒くした。
「一年の絆ってやつだね。わたしも明日から……ううん、今日から仲良くなれるように頑張るよ」
ただの猫ならば、その願いも叶ったかもしれない。
だがこの黒猫は珠ちゃんだ。
一生、同い年の幼馴染に撫でられるということを許容しない気がする。
僕は複雑な気持ちになりながら、「……頑張ってね」と言うのが精一杯だった。
登校途中で黒猫は僕たちから離れ、ちーちゃんはその背に手を振る。
僕は職員室へ彼女を案内した後、一人で空き教室へ……向かおうとしたのだが、なぜかちーちゃんも足早に追いかけて来た。
「どうしたの?」
「うん。担任の先生に、しーくんに連れてきてもらったことを伝えたら、まだ時間があるから話して来ていいぞーって言われたの」
「そうだったんだ」
動揺を隠し、自然に話をしながら空き教室へ向かう。
そして扉を開ける前に、少し大きな声で言った。
「ちーちゃん、ちょっとここで待っててくれる?」
「うん? 分かったよぉ」
中へ入り、鞄と紙袋を置く。
隠れている珠ちゃんへ、小声で言った。
「なるべく音を立てずに着替えてね。それと、着替え終わったらLINEで教えて。ちーちゃんを連れて、職員室へ向かうから」
「にゃぁ~」
返事を受け、ホッとしながら空き教室を出る。
ちーちゃんと話をしながら見張ろうと思っていたのだが、すぐにあることへ気付かれてしまった。
「ねぇ、しーくん。鞄と紙袋はどうしたの?」
今、僕は自分の鞄しか持っていない。一緒に持っていた謎の鞄と紙袋を、空き教室の中へ置いてきたことは明白であった。
なぜ、鞄と紙袋を置いてきたのかを聞かれている。
この不自然な行動の言い訳を、僕は汗をダラダラと流しながら言った。
「実はあれ珠ちゃんに頼まれた物なんだ、ちょっと事情があって空き教室へ置くよう頼まれていてね、もう少ししたら珠ちゃんから連絡が来るはずなのでそれまではここで待っていようかなって」
「し、しーくん落ち着いて? すごく早口になっているけど大丈夫?」
「大丈夫大丈夫本当に全然平気だよ」
「そう? ……あれ? 今、空き教室の中からなにか音がしなかった?」
ガタンッと大きな音が鳴る。聞こえた声に珠ちゃんが動揺したのだろう。
ちーちゃんが扉へ手を掛けようとしたので、慌てて間へ割り込む。
「気のせいじゃないかな!」
苦し過ぎる言い訳だったのだが、ちーちゃんは何度か目を瞬かせた後、笑顔を浮かべた。
「……うん、気のせいかも。そろそろ職員室に行くね」
「えっと、もうちょっとだけ……いや、行こうか」
チラリと目を通したスマホをポケットに押し込み、二人で職員室へ向かう。
「一人で大丈夫だよ?」
「一緒に行きたいんだよ」
僕がそういうと、ちーちゃんは嬉しそうに笑う。
……押し込んだスマホの画面には、『行って』という珠ちゃんからのメッセージが届いていた。
どうにか着替え終わったのだろうと、僕はホッとしながら歩を進ませた。
とりあえず金曜日まで更新ありまーす。