調停者の血筋
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結婚式から七日がたちました。
王様はあれからまだ一度も私のベッドで夜をおやすみになったことがありません。
つまり、まだ夫婦にはなっていないのです。
……ま、いいんですけれどね! いいんですけれどね! 怖いですし、恥ずかしいですし!
その代わりのように、昼間にちょくちょく姿を見せては花や高価なアクセサリーなどを置いていきます。それが笑顔ならまだしも、嫌々というか仕方なさそうというか、義務感丸出しというか、いつも仏頂面で、正直言って、王様の目的がさっぱり分かりません。
王様の御両親がいらっしゃるならそちらからの御命令だろうかと推理するところですが、王様は御両親も御兄弟もいらっしゃらないのです。……いえ、もちろん昔はいらっしゃったのですが、近くにはもうどなたもいません。
何もやることもないので、中庭を横切って城の農園へと向かっていました。
「んまあ、アデリナ姫ではございませんの」
若く険のある女性の声。振り返ると、明るい黄金の髪を豪奢に結い上げた淑女が渡り廊下に佇んでこちらを見ています。周囲には使用人が何人もいて、一人は折りたたみの椅子を片づけているところでした。
ほっそりとした淑女は、どこか含みを感じる笑顔でこちらへと近寄って来ました。
「偶然ですわね。お忙しいアデリナ姫は覚えてはらっしゃらないでしょうけれど、あたくしは伯爵家の――」
「三女であるクリスティーン様でいらっしゃいますね。レルドモンド伯爵家の。四日ぶりでございますわね。お父様の神経痛の具合はいかがでらっしゃいますか?」
調停者の家系を舐めんな。
まず相手を識別し、名前や立場を覚え、人となりや好みや風習を知ること。そこから始めないと争いごとをおさめることは出来ないのだと、祖父や両親は言っておりました。
……ま、今は喧嘩を買ってしまったわけですが。
クリスティーン様の顔がひきつり
「え、ええ。父の具合はまあまあですわ」
などと返事をする様子にめいっぱい溜飲が下がった事は、家族には(怒られるので)ナイショです。
彼女に会ったことが偶然でもなんでもないことは、分かり切っています。
式の日からずっと、色々な人から、王様がいらっしゃらないところでチクチクと「こんな小国の姫なんかとどうして結婚を決めたんだ」「しかも愛妾ではなく、正妃としてだなんて」という意味のことを破れたオブラートにくるんで言われておりますからね。
私の古き血筋が王様の目的でしょうから、愛妾では意味がないと思うのですが……。
クリスティーン様はこちらの胸元に視線をとめて、
「んまあ、それは黄金真珠のブローチ。陛下が裸石をお買い求めになったとは伺っておりましたが、やはり姫にプレゼントなさったのね。陛下はそこまでしても姫の尊き血筋をつなぎ止めたいのでいらっしゃるのねぇ。羨ましいですわぁ。大陸でいちばん古く由緒正しい家系の女性ならば誰でも同じでしょうから、わたくしもそちらに生まれたかったですわ」
と、本当に羨ましそうに言ってのけました。
わあ、嫌みっぽい。そもそも(一応は)既婚者に向かって「姫」という呼び方からして嫌みですからね。
こちらも思わずステキな笑顔になってしまいます。
「ええ、そうですわね。我が国は王女や王子をめったに他国に嫁がせないのですが、その例外で生まれた子供はすべて、相手の国をとても豊かにするそうですわ。――私は本当に、この血筋に生まれて良かったですわ」
ま、迷信ですけれどね。
祖母の姉がシェレンから嫁いだ海辺の国で、娘さんが海賊たちを撃退したのも、大伯母の息子さんが滅びかけた国を立て直したのも、母の二番目の兄の娘さんが作物の伝染病の特効薬を見つけたのも、すべて、それぞれの努力と、偶然のたまものだと、我が家では言い伝えてられます。
「お前たちも負けずに、どのような環境にいても最善を尽くすのだよ」と。
ただ、たまに迷信を真に受ける人がいますので、他国から婚姻を打診されても、基本的にはすぐさま却下されるのですよ。
ゴルドヴァに嫁ぐときも、私のもとに話が来る前に五回ほど断ったそうです。そして最終的に根負けしたお母さまが、「お前はこの国に必要のようだけど、どうする?」と、話を持って来ました。
もし私が断ったなら、調停者としてなかなか帰ってこない姉や従姉か、あるいは少し若すぎるとはいえ妹たちに話が行ったのでしょうか。それはいやです。
たとえ偶然でも、最初に私のところに打診が来て良かったです。
そんなこんなで、時たまの刺激がありつつも、どこかのんびりした日々が過ぎた頃に……。
大きな嵐がやってきました。
◆
灰色の雲が増えてきた空を、私は見上げました。風除けに設置した布の覆いが何とか間に合いそうです。
「そこのオバサン、小屋はどこにあるんだ?」
後ろからかけられた若い男性の声に振り返ると……。
「あら。なんで、ここにいるのテオ?」
「うえっ、アディ姉? どうして農業やってんの。嫁いだんじゃなかったの!?」
濃い蜜色の髪と濃い青い目の、遠い国で騎士をしているはずの、姉の夫の弟がいました。男臭い顔立ちは整ってはいるのですが、あいかわらずどことなく尊大です。
姉と一緒になんとなく義弟扱いしていますが、私と同い年ですけれどね。
私は、杭打ちと布張りをしていた庭師のロン爺さんたちに「心配いらないわ」と片手をあげて安心させると、麦わら帽子とほっかむりを取りました。片付けするのにちょうど良い頃合いです。嵐対策の土寄せに使ったクワと、打ち込み足した支柱の残りを抱えます。もちろん服もドレスではありません。
「農作業小屋はこっちよ。道具と肥料ぐらいしか無いけど、何の用?」
「っ、じゃなくて。アディ姉に会いに来たんだよ! そんな格好でアディ姉だとは思わないだろ!」
誰かに、私が城内の畑にいると聞いて来たようですね。私は小屋に向かって歩きながら、自分の動きやすい格好を見下ろして首をかしげました。
「うちの城でも似たような服を着ていたじゃない」
色やデザインがよく似ていて私好みです。古着をつくろったあれよりだいぶ生地も良くて、ポケットなどが多くて機能的ですけれど。
「まさか、ゴルドヴァでも似たようなことをやってるなんて、考えるわけないじゃないか! せいぜい、畑を見ているとか指示しているのかと思ったのに、自分で土いじりしてるだなん……まさか、いじめられてるのか!?」
「あいかわらず、あなたの思考は飛躍するのねぇ。好きでやってるのに決まってるでしょう」
暇すぎて、かといって城から出て観光することなどは王様の許可が降りず、城内をふらふら散歩していたら、この畑を見つけたのです。
貧乏すぎて普通に食費の足しにしている故郷の畑や鶏小屋とは違って、この城は、万が一の籠城戦となったときにも、少しでも耐えられるように日頃から準備しているのだそう。
たしかに、何年か前にも内戦があったという国ですしね。
いちおう王様にお伺いしたところ、珍しい微笑み(苦笑に近いものでしたが)と、ともに、「そういえば、貴女は植物を育てるのが好きでしたね」と、この服や麦わら帽子をプレゼントしてくださったのです。
……たしかに私は「植物を育てるのが好き」ですけれど、そう聞くと、温室で薔薇や百合でもお育てになられている愛らしい姫君っぽくないですか?
丸まるとした立派なカブやトマト、ふさふさ青々とした菜っぱを育て上げたときのあの充実感の高笑いは、王様がおっしゃるイメージとはなんだか違いますね。
いったいどこの誰が、まるで愛らしい姫君のような釣書を王様に吹き込んだのでしょうか。
小走りに横に付いてきたテオが、小声で言い募ります。
「そりゃ心配するに決まってるだろう。俺が国境に行ってる間に、なんでこんな国に嫁いでんだよ、アディ姉は絶対に嫁き遅れると思ってたのに!」
え。これ怒っていいですよね?
ゴルドヴァともシェレンとも違うまったく他国の騎士ですけど、殴っていい案件?
彼とは顔しか似ていないお義兄さんはよその国から我が国の姉のもとへ来て結婚したわけですが、「あいつが暴走したら、頭を叩いて正気に戻すか、バケツの水でもぶっかけていいから」と、前々から許可をいただいてます。
バケツを探して周囲を見回しますと、嵐対策の準備で忙しいためか誰もいません。これなら、嫁いでひと月にもならない王妃が男を殴り飛ばしたとか肥えに埋めていたとか、噂にはならなそうです。
立ち止まった私の表情に気付いたのか、テオはあわあわと両手を振ってよく分からないジェスチャーをします。
「いや、その、アディ姉はみんなのお母さんっていうか、あまり調停者の仕事とかしないでいつも城にいたし、縫い物したり料理したり、奥さんの右腕として切り盛りしてて、シェレンから出るだなんて、思わなかったんだよ!」
奥さんというのは、うちの母です。
お母さまの座右の銘は『適材適所』
私も色々な役目を試してはみましたが、結局は人と交渉したり落としどころを見つけだすよりも、バックアップするほうが向いているようなので、城にいることが多かったですね。
彼は誤解しているようですが、外国を回るだけが〝調停者の仕事〟というわけではありませんし。
両親や伯父伯母たちが、どこからか子どもたちを保護して連れてくることも多かったので、ほとんど保母さんでした。
ですが、私がいなくても母の手助けをする者はたくさんいます。シェレンは人材だけが取り柄の国ですから。
私は溜息をつき、ふたたび歩きだしました。
「……まぁ、いいけれど。あなた忙しいんでしょう? 休暇で観光に来たの?」
「違うよ! 逃げようアディ姉!」
「……は?」
「政略結婚にもほどがあるよ! ゴルドヴァの冷酷王エステヴァンなんて、異母弟たちを皆殺しにして王位についた血まみれ王じゃないか。いくらシェレンが貧しいからって娘を売るなんてひどい!」
私は自分の胸元に指をのばしました。
雄鶏の形をした黄金真珠が指の背に触れます。
立ち止まりかけた足を早めます。農業用のため池が見えてきました。そのほとりにあるのが農作業小屋です。
「それは、誤解よ、テオ。弟さんたちは皆殺しにはされていないし、王様はとても優しい人なのよ」
「そんなの嘘だ。そう信じたいだけだろ? 本当に好きな人と別れて、利益で結婚するなんておかしいよ。俺と逃げようぜアディ姉! 今の格好なんて、とても王妃様だなんて見えないじゃないか!」
王族の結婚は、利害で結びつくのが普通ですよ。中立を保つためにめったに他国へ嫁がせないシェレンが珍しいのです。
たとえ政略結婚だとしても、それを責められる筋合いはありません。
「好きな人と別れてって……。テオは何を知っているの?」
そうですね。王様はあんなに男ぶりが良くて素敵な方ですもの。ちくちく嫌みを言ってきた方も、様々なお嬢さんの名前をあげてきていました。
私は知らされていないだけで、もともと誓い合った仲の女性がいてもおかしくありません。それなら、まだ私の寝室を訪れないことも納得がいきます。
テオは私の腕を掴みました。
私が抱えていた野菜の支柱が何本か足元にこぼれます。……テオの足にいくつか当たってましたが、一瞬変な顔をして、すぐにこらえました。
「もちろん俺は――」
その表情が凍り付き、彼は飛び退いたように離れました。いえ、突き飛ばされたのです。
彼の背が、農作業小屋に当たります。
「……うちの王妃に、何をしますか?」
冷たい声。
王様が私を引きはがして抱え込んでいました。テオは性懲りもなく叫び、こちらに向かってきます。
「王妃だなんて、俺はまだ認めてねぇぞっ! アデリナから手を離せ!」
私たちに冷たい水滴が降ってきました。
ついに嵐がやってきたのです。