挙式
私がはじめて〝王様〟にお会いしたのは、結婚式の日の執務室でした。
噂通りにまだ若く、生真面目そうで有能そうな印象。机の向こうに座った姿は姿勢良く、わずかに青味がかった濃い灰色の髪は一筋の後れ毛もなくピッタリと後ろに撫でつけられていて、切れ長の冷たいアイスブルーの瞳が、角張った眼鏡の向こうから品定めするかのようにこちらをじっと厳しく見つめています。
細い眼鏡チェーンは小粒の真珠でしょうか。お召しになっているジャケットやシャツには上品な艶があり、繊細な織りと刺繍が入っていて、この一着だけで我が家全員の『よそ行き』が買えてしまいそうです。
さすが大国ゴルドヴァの王様。
たしか私よりも三歳ほど年下だったはずですが、落ち着いた貫禄は、それを感じさせません。
「……シェレンのアデリナ姫。昨日は支障なく眠れましたか?」
冷淡にも聞こえる平坦な問いかけなのに、楽器のように美麗に響きます。
頭の中から飛び出しそうになっていた礼儀作法を思い出しながら、慌てて膝を曲げて御挨拶をしました。
「は、はい。今日はよろしくおねがいします」
「……結構。あとは女官長に任せてください。僕たちの挙式は昼からです」
ぷいっと、顔を背けてつまらなそうに書類に目を落としました。
そうです。〝僕たちの挙式〟私はこれからこの美しい人と結婚をするのです。王様自身が望んだ事ではないことは、見れば分かります。家族たちや国のみんなこそ私を「可愛らしくて愛嬌がある」「笑顔がいい」「安心感がある」と褒めそやしてはくれますが、近隣に鳴り響くような美姫ではありません。
それに〝愛嬌がある〟というのは裏返してみれば、他に容姿を褒めようがないからでしょう。
私の髪は華やかな姉や妹たちの中では一番中途半端な赤っぽい茶色ですし、瞳は青とも緑とも言えない曖昧な色合いです。
また、この古いドレスを見れば分かる通り、うちの国は大国と大国と河と厳しい山脈に挟まれてとても貧乏です。
唯一の取り柄といえば、世界で一番古い血筋と言われる〝調停者〟の家系であることぐらいでしょうか。祖父も父も、兄たちや姉たちも、世界中を巡って諍いごとや戦争を止める役割を果たすことで、大陸の中にほんの小さな領地を持つことを許されています。
そう。
取り柄は、古書にも出て来るほどの血筋だけなのです。王様のお母さまは踊り子さんなのだと聞きました。こちらの大きな国でそれは居心地が悪いことでしょう。
◆
そのままお風呂に入れられて良い香りの泡で全身隅々まで洗われました。
「……これ、着るのですか?」
「さようでございます。陛下は『少しでも良い物を着せよ』との御命令で」
シルクのレースで編まれた、真っ白な花嫁衣装。小さな真珠の粒や黄金が、あちこちに縫い止められています。さすがパールの名産地。
……って、のんびり感心している場合じゃありませんね。
陛下の御衣装がうちの家族全員分のお値段だとしたら、このドレスは一着でその十倍ぐらいはしてしまいそうです。
「こ、こんな豪華なの、私に似合うわけがありません!」
女官長さん(上品なおばあさんです)はこちらを上から下まで眺めてから、薄くフッと笑い言い切りました。
「陛下の御意向です」
……ええ、逆らえるわけがありませんね。たとえ子豚が真珠のドレスを着たようであっても!
◆
「失礼ながら、アデリナ様は胸がずいぶんと豊かでいらっしゃるのですわね」
女官長さんが私の胸元に並んだ細いリボンを次々と縛りながらおっしゃいました。こちらから採寸して報告してあったとはいえ、仕立て屋が直接測ったかのようにピッタリのサイズです。
「そのぶん、胴体もお尻も太いんです」
義弟――姉の旦那さんの弟は、私のことをよく農婦体型だと笑います。まあ実際に、家計の足しにすべく城の中庭で菜園も耕していますし、町のやんちゃな子供たちに勉強を教えて小銭を稼いでいますから、姫とは思えないほどたくましくなるのも仕方有りません。
女官長さんはしばらく沈黙しました。
「……そんなこともないでしょう。安産型なのは結構なことです」
……安産。
頬が熱くなってしまいました。今夜、私は王様と夫婦になるわけですよね?
◆
昼の結婚式はずいぶん簡素なもの……だったそうです。いえ、私にはとてもそうは思えないのですが、女官長さんはそうおっしゃいました。
縁談から今日まで半年足らず。私が馬車に揺られて城に到着して三日目。王族同士の結婚――ましてや大国ゴルドヴァの国王の最初の結婚なのだから、準備に五年はかけたかったのだと。そのように女官長さんは文句を言います。
肝心な式のことは、無我夢中でよく覚えていません。
教会に足を踏み入れたとたん、列席者の皆様が妙に静まりかえったこと。
王様は先ほどのお召し物にマントを加えただけでしたが、背は高く肩幅があるけれど腰は細身で、やはり、とても素敵な立ち姿だったこと。ぐらいでしょうか、記憶にあるのは。
ああ、王様はこちらをじっと見つめながら、小声でおっしゃいましたね。独り言だったのかもしれません。
「……やはり、結婚式などしなければ良かった」
と。王族の結婚の宿命とはいえ、血筋だけで相手を決めたことを後悔なさっているのでしょうか。お城のお化粧係さんはとても優秀で、いつもよりもほんのちょっとだけ綺麗になった気がしたのですが、残念です。……ずっと昔、王様がまだ王様ではなかった頃に一度だけお会いしたことがあるのですが、きっとあちらは覚えてはいらっしゃらないですね。
式のあと、王様の命令ですぐに花嫁衣装を脱がされました。こちらも、縫い止められた真珠の粒を落とすのではないかと冷や冷やしていましたから、ほっといたしました。
私が着てきた元のドレスに着替えるのかと思いきや『陛下からのプレゼント』として、別室の衣装部屋いっぱいにドレスが納められていました。その一着を女官長さんが選び、手際よく私に着せつけます。
「ええっと、こんなに贈られる理由が分かりませんが」
「アデリナ様はもはやこの国の王妃でらっしゃいますよ?」
それはそうなのですが……。
「クビになりませんかしら? 陛下はご不満そうですが」
「――なぜ、そんなことを思いました?」
冷たい声が背後から響いて、私は小さな悲鳴とともに飛び上がりました。女官長さんが両こぶしを腰にあてて叱りつけます。
「陛下! レディが着替え中でございますよ!」
「終わってるではありませんか」
王様は軽く眉をひそめ、どこか事務的に、こちらに小さな箱を寄越します。私は反射的に受け取りました。
「注文していたものが出来上がりました。いいですか、あなたがアデリナである限り、僕はあなたをこの国から出しません」
なぜ、怒ったように言うのでしょうか。これではまるで人質ですが。
「今夜は仕事が終わりそうにありません。先に寝ていてください。それから、今後はあまり派手な髪型にはしないよう、理容師に言うように」
まぁ、既婚者になったわけですものね?
王様はイライラしたような足音で立ち去りました。いただいた箱には、偶然にも私がむかし飼っていた雄鶏によく似た、ニワトリの形の黄金真珠のブローチが入っていました。