第3話 金曜深夜は…
なぜだろう。なぜ自分はマンションの屋上からロープで下りているのだろうか。
事の発端は今から10分前の会話だった。
「とにかく今しかチャンスはない。3人で捕まえよう」
そう言ってヒロは呪符を手にする。隼人と渚も頷いた。
「玄関から行っても大丈夫だろうけど、万が一のことも考えて1人ベランダに待機しておいたほうがいいね」
「そうッスね。同感ッス」
「じゃあ、どう分かれる?2対1でいいと思うけど」
隼人がそう言った瞬間、なぜか全員がこっちを見てきた。その意図することに気づいたとき、隼人は心底間抜けな声を出した。
「――俺?」
▽
なんでこんな役回りをするはめになるんだろう。隼人はまるで泥棒にでもなった気分で屋上の手すりにしっかりとロープをくくりつけ、それにぶらさがる。手の皮がむけないようにゆっくりと下りていく。
ちなみに、問題のマンションの部屋は上から4階分下だ。それより上の階の人にこの姿を見られたら、どう言い訳したらいいのだろうか。
さっさと下りるに限る。
「―――っと」
思っていたよりも簡単にベランダに下りることができた。自分ってすげーと感動したのも束の間、はっとして振り返ると………窓際でいちゃいちゃしていた不倫カップルと目が合った。
しまった……こいつらカーテン閉めてなかったんだった。
今さらになって後悔しても遅い。だけど、どうすればいいのかわからずにお互いに固まってしまう。
「失礼します!」
ようやく玄関から入ってきたヒロと渚。どうやら管理人に鍵を開けてもらったらしい。
「ラザーオールです。洋司さん、あなたを傷害事件の容疑者として逮捕します」
途端に不倫カップルの男のほうが逃げ出そうとする。だが、玄関に2人もいるため、ベランダを見る。
さすがにここから逃げられるわけにはいかない。隼人は懐から拳銃を取り出した。
「動かないでください」
そこでこの件は解決すると思っていた……それは、完全な不意打ちだった。
「伏せて!」
その声に反応しなかったら、間違いなく頭が破壊されていただろう。しゃがんだ場所から頭上を見上げると、ベランダの壁にぽっかりと穴が開いていた。
―――霊力。誰かが呪符を使って爆発させたらしい。
それを確認した直後、渚によって腕を引っ張られて隼人は強引に立ち上がらされた。
「隼人!?」
「何かにつかまってて!」
つかまるって何に?と聞こうと瞬間、鼓膜が破れそうな爆音が発生し、爆風で吹っ飛ばされそうになる。渚が符術で結界を張ってくれなかったら、おそらくもっと吹っ飛んでいただろう。
「……なんなんだ!?」
「奥さんが符術を使えたっぽいッス!」
気がつくと部屋にはカップルの姿がなく、ヒロもいなくなっていた。
「追うぞ!」
しかし、2人がヒロを追ってマンションの1階に下りたときには、すでに事が終わっていた。マンションの駐車場で不倫カップルが座り込んでいる。降参したわけではなく、ヒロの呪符によって動けなくされているらしかった。
さすがとしか言いようがなかった。ヒロはラザーオールの中でもトップクラスに位置する霊力の使い手だったから。
「すごいな」
率直な感想を述べたが、ヒロは小さく首を振った。
「俺は――俺が捜してるのはあいつなんだ………寿命が尽きるまでに捜し出したい」
それはラザーオールの人間なら誰でも知っている指名手配犯。ヒロは5年前にその人物と対峙したが、結局捕まえることができなかったのだ。それ以来、ヒロはずっと追いかけている。懸賞金1億の人間を―――
「……よしっ!じゃあ、2人を支部まで連行して。俺は応援を呼ぶから」
「了解ッス」
何事もなかったかのようにヒロは笑った。
▽
翌日の昼、隼人はラザーオールの地下にいた。1人だけではない。渚と内藤さん(人体模型)も一緒だった。
「いやー…食後のお茶はおいしいッスねー」
「ソウですか!ドンドン飲んでくだサイ!」
「………ちょっと待て。なんなんだ?ここは」
気がつくと、人体模型のあった部屋は内藤さん専用の部屋になっていた。しかも、張り込み中に模様替えまでしたらしくて、ベッドやらクローゼットやらが置かれている。はたしてどう使用するのかは疑問だが。
カセットコンロに火をつけ、内藤さんはまたお茶を淹れている。
「そうだ。渚、1つ聞きたいことがあるんだけど」
「なんスか?」
「お前、隣の部屋が不倫してるってどうして気づいたんだ?もしかしたら旦那かもしんないだろ」
ひょっとしたら、相手が指名手配されている人物だと気づいていたのかもしれない……一晩置いてから隼人はそう考えるようになった。
しかし、対する渚はけろりとして答えた。
「何言ってんスか。金曜深夜っていったら、不倫に決まってるじゃないッスか」
そうだな。1度でも渚を過大評価した自分がバカだった。