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SPIRO SPERO  作者: 天馬聖
9/14

第一話 ⑨

9


 力が欲しい。

 どんな理不尽も叩き伏せる。

 そんな力が欲しい。


 京極幹久の律はそれだけだ。

 力だけが正義。

 力だけが絶対。

 とてもシンプルで分かりやすい。それ故に、余計なものが挟まる余地がなく、簡単に心を縛るのだった。


 幹久の父親は十二支の家系にも関わらず、律を使うことが出来なかった。それでも、藤ノ宮の分家である京極家は北の地方で広く根付いており、地方経済の中心に幹久の父親は座っていた。

 しかし、父親のコンプレックスはそんなことで癒されることはなく、他の一族の誰かに何を言われるでもないのに、劣等感を募らせ続けた。

 そのストレスのはけ口は、一番近くにいた幹久とその母親だった。

 それは、世間一般で言われる虐待でしかなかった。

 暴力を振るわれる。

 罵倒される。

 幹久は、他者とは比べ物にならないほど、日常的に大きな力の中にいた。その力の渦に巻き込まれながら、幹久は『力』を絶対のものとして人格を形成していった。


 幹久は自分の環境が不幸だと思ったことは一度も無い。


 確かに幹久は身長が低く、スポーツもケンカも弱い。勉強だって得意ではない。ならそれは、殴られて当然のことなのだ。浴びせられる馬鹿という言葉は、ただの事実に過ぎない。

 幹久は、父親に殴られ罵倒されるたびに力を欲した。弱い自分を恥じた。

 力が欲しい。もっと大きな力が欲しい。

 幹久にとって父親は道標だった。

 逆に、幹久にとって母親の方が理解できなかった。

 父親に殴られ、罵られても、母親はじっと耐えるだけで何もしない。抗うことも、力を欲することも無い。あまつさえ、幹久に力よりも優しさが大切などと言う。

 優しさなんてものは、強くなれば勝手に集まってくる。少なくとも、力を欲して前に進むのではなく、その場にうずくまって何もしない人間に向けられるものではない。

 弱いことは罪じゃない。弱いことを理由に、強くなろうとしないことが罪だ。

 理想(父親)と現実(母親)にはさまれて、幹久は成長していった。



 十二歳のとき、幹久は久我竜胆と出会った。

「律の使い方を教えてやる」

 竜胆は一言目にそう言った。

 まだ子どもの幹久でも、竜胆の名前は聞いたことがあった。次期藤ノ宮当主といわれるほど、一族の中では頭一つ抜けた存在だったからだ。幹久にとっては、それがどんな意味を持つのか分からなかったが、竜胆が話すことには飛びつくほどの興味を覚えた。

 ――忌人。

 ――十二支。

 ――律。

 父親も教えてくれなかったことを、竜胆は次々と教えてくれた。

 当然、幹久が一番惹かれたのは律についてだ。その力のことは、父親からも教えられていなかった。

 律とは、自分の中にある法律(ルール)を、外の世界で具象化させる力だという。

 律は執行者によって様々な形を持つ。決まりの無いものだから、その人の心にどれほど強い芯があるかによって、どれほどでも在りようを変えていく。

 必要なのはただ、自分のエゴを法律とするほどの揺るぎない心だけ。

 幹久は、律の習得のために竜胆と行動を共にすることになった。

 習得の方法も、時間も、全て個人差がある。それでも、幹久の律の習得時間はかなり短かった。

 僅か1ヶ月という間で、幹久は自分の律を定めた。それは幹久の中で、絶対的な価値観が揺るぐことの無かったからに他ならない。

 ――力だけが正義。

 ――力だけが絶対。

 それは紛れも無く、幹久を支える柱となっていた。

 だから、そのたった一ヶ月の間で、母親が精神を病んで病院に隔離されたことを聞いて、幹久は自分が間違っていないことを確信した。

 ようは、母親は子どもを守ることで、自分は子どもよりも強い存在だと確認しながら自分を保っていたのだ。

 この事実は幹久にとって怒りでしかない。あんなに弱い人間が、自分のことを下に見ていたのだ。

 ――力こそが全て。

 幹久は自分の律を体現するため、出来ること全てを力に捧げることにした。

 まず、簡単なのは見た目だ。人相が悪くなるように眉毛をそり落とした。次に髪の毛を逆立て、日本人ではありえない色に染めた。そして学校で指定された制服では無いものを着た。自分の法律を貫くため、分かりやすいところから他人の法律を破った。

 幹久が自分で自分の力を示すたびに、父親は笑った。それは幹久が律を習得してから頻繁になった。

 父親に殴られることも罵倒されることも無くなった。しかしそれは、幹久にとって指し示す道を失ったことにもなった。


 ――力だけが正義。

 ――力だけが絶対。

 幹久が、自分の律が正しいと証明するためには、違う価値観が必要になっていた。だから――。

「お前の(ちから)を貸せ」

 そう言った竜胆の言葉に、迷うことなく頷いた。

 目的など何でもいい。力さえ使えるなら、何でもいい。



 僅かに波の音が聞こえる。

 幹久が目を覚ますと、よく知った天井がそこにあった。

 バブル時期の建物という言葉では誤魔化せないほど、意味の無い豪奢を極めた場所。シャンデリアや暖炉など、映画の中でしか見たことがないもので埋め尽くしている。相変わらずのセンスを疑う部屋で、全く落ち着かない。

「ようやくお目覚めですか」

 幹久が寝ているベッドから少し離れたところへ、これまた妙に曲線の多いテーブルとイスが置いてある。九条卯月はそこに座って、ハードカバーの本を開いていた。

 幹久の方へ視線を向けることもなく、脚を組んだままページを捲る。その態度は、部屋を優しく包む暖炉の灯りとまるで対照的だった。

 やがて、面倒くさそうな表情を隠しもせず、卯月は本を閉じて立ち上がった。

 白いコートの下には、白いセーター。卯月は基本的に白を基調にした服装を好む。そのせいで、周りから白兎などと揶揄されている。

 しかし、外見はともかく、内面はそんなにかわいらしいものではない。

「全く……。貴方がつまらないケガをしたせいで、最低な人間を頼ることになってしまったじゃないですか」

 幹久への苛立ちを隠そうともせず、卯月が随分と高いところから見下ろしてくる。

 その、ただでさえムカつく態度に加え、さらに人差し指でメガネを持ち上げる仕草は、幹久を更にイラつかせるのに十分だった。

 卯月が幹久のことを嫌いなように、幹久も卯月のことが嫌いだ。それをお互いに分かっている癖に、表面上わざわざ親切そうな態度を取ってくるあたり、さらに腹が立つ。嫌味ったらしい感情が表情にまで現れていて、余裕で殺したくなる。

 ただ、今回に限り幹久にも多少の罪悪感を覚えた。

 自分の顔や身体に触れてみる。痛みも感じないし、動きに不自由も感じない。つまり、数時間前に負ったばかりの怪我が、完治している状態だった。当然、こんなの現代医学では不可能だ。となれば、方法はひとつだけ。

 医療系の律を使える人間はただ一人。十二支の未。西園寺康一郎だけだ。しかし――

「……っ!」

 あんな人間に助けられたと分かっただけで、身震いがする。

 それと直接合間見えた卯月には、ほんの少しだけ同情してしまう。が、それはそれ。多少はやり返さないと気がすまない。

「――ったく……やっぱ胸の小せえ女は心も小せえな」

「ふん、所詮は子どもですね。その程度の侮辱しか思いつかないとは」

 などと、言葉では余裕ぶっているが、卯月の頬は完全に引きつっており、メガネを持ち上げる指もぷるぷる震えていた。

「なぜ竜胆様は、こんなヤツの面倒を……」

 普段は鉄面皮のような卯月が、吐き捨てるように呟いた。それが面白くて、幹久はついその揚げ足を取ってしまった。

「九条のお姫様が、久我ごときに様付けかよ」

 幹久は軽く鼻で笑う程度のつもりだったが、それは完全に卯月の逆鱗に触れていた。

「貴様……。今、竜胆様を侮辱したな?」

 先ほどとは打って変わって、表情は崩さず声も冷静。

 それは一度決壊してしまうと、自分の殺意が抑えられなくなるからに他ならない。

 思った以上に卯月にダメージを与えたことで、幹久としては満足した。もうこれ以上ここに用は無い。

 それに、これ以上は本気で殺し合いになる。女相手に、そこまで本気になっても仕方がないと幹久は思う。

 幹久はベッドから降りて、壁にかかっていた自分の学ランを背負う。さすがにそれは血なまぐさかったが、仕方が無い。

「あんまキレんなよ、お姫様。最下位の戯言だぜ?」

 そう言い残して、幹久は部屋から出て行った。

 目の前から幹久が消えてくれたことはありがたい。しかし、卯月からすれば、自分の手でたたき出してやりたかったのが本音だった。

「ほんっとうに最悪です」

 そして、一人部屋に残された卯月は、誰に向けることも出来ない怒りを抱えたまま、頭を抱えるしかなかった。



 潮風を浴びながら、幹久は一人高い丘を下っていた。真冬にTシャツ。その上に学ラン。しかも短ラン。

 それで寒くないわけ無いだろうに、それよりもひたすらに髪型を気にしていた。幹久にとって、髪がどれくらい逆立っているかによって、モチベーションが左右される。誰に何と言われようが、こればっかりは譲れない。

 幹久が下る道には、廃墟とは言わないまでも、もう何年も使われていない建物が並んでいる。白いタイルに赤い屋根。真っ白な天使の彫刻がいたる所に立っている。小さな集落くらいの広さがある。これが全部、久我竜胆の持ち物だという。

「わけわかんねーなー」

 これがゲイジュツだったりするのだろうか。しかし、幹久にとってそんなもの毛ほども興味が無い。いまの幹久の中には、とりあえず一発殴ってやりたいヤツの顔だけが浮かんでいた。

 だから――

 幹久は気が付かない。幹久が道を下っていくその背中を、ずっと見ていた竜胆の存在に。

 竜胆の瞳からは、まるで感情が読み取れない。ただ幹久の行く先を眺めているだけだった。

 潮風が吹き上げてくる。動いているものは、頭の欠けた風見鶏。きしむ音を立て、くるくる廻る。

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