第一話 ⑧
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「ねえ。真白は、忌人ってどんなものだと思ったのかしら?」
真白と六道が向かい合って座っている。普段の真白からすると、嫌いな相手とちゃんと話をするだけでも珍しい。
「何だか知らないけど、敵なんでしょう?そいつを倒したらハッピーエンドみたいな?」
「は~い残念。敵には違いないけど、ラスボスがいて、そいつを倒したら終わりみたいなことにはならないのよね」
六道は誰に取っても腹がたつ言い回しをするし、真白は誰に対しても苛立ちを隠さない。ある意味、似た者同士のふたりだった。
「忌人っていうのは、簡単に言うと悪意の塊なの。それが怨霊みたいに人に取り憑いて悪さをする。ほら、人畜無害だと思ってた人が、ある日突然犯罪者になっちゃったりするヤツ。あれよ、あれ」
何故、まったく面白くない話を、こうも楽しそうに話せるのか。六道が声を弾ませる度に、聞く人の気持ちを苛立たせる。
「忌人が藤ノ宮とって敵であることに違いはないけど、あれはラスボスなんかじゃなくてただの雑魚モンスターよ。いくら倒しても終わりなんてないの。だからどれだけ戦っても、最後は絶対に俺たちの戦いはこれからだにしかならないのよね」
――終わりは無い。
六道は初めにそう告げてから、始まりについて語り始めた。終わりの無い戦いを強いられるという結果。それを知らされた上で原因を語られるとういのは、否応なしに重圧がかかる。これからその問題に立ち向かわなければならないのに、何をしても無駄なんじゃ無いかと、そんな考えが頭をよぎる。
藤ノ宮六道という人の態度、話し方、全てに嫌悪感がある。しかし、どうやってもそれを振りほどけない。身体が徐々に縛り上げられ、思考力を奪われていく。
それは、藤ノ宮という大きな歴史が、こちらを飲み込もうとしてくるようだった。
「詳しい藤ノ宮の歴史は、教科書でも読んでくれてたらいいわ。大事なのは藤ノ宮が天帝の一族を擁立して、権力争いに勝ったっていうこと」
藤の蔦は大樹に絡みつくように、ゆっくりと少しずつ影に沈んだ。表舞台から姿を消すことで、土台を支える力を増していった。
「忌の意味は、穢れを祓うこと。忌人っていうのは、穢れてしまって祓われた人ってことよ。つまり、藤ノ宮に負けて滅ぼされていった人たちの怨念みたいなものね」
ひとつの思想を絶対とするために、人の手には届かない神様をつくる。そして、その神様を神輿に乗せて、藤ノ宮はその担ぎ手を選ぶ者になればいい。
「一度概念として成立してしまったからには、忌人は際限なく生まれることになったの。人の悪意や恐怖なんかの負の感情は、忌人につけこまれやすいし、そんな感情をもったまま死んだ人は忌人になってしまう。だから、忌人にとりつかれた人に殺されたら、その人も忌人になってしまうの」
やがて藤という文字は表舞台から姿を消し、人々の記憶から薄れていく。しかし、藤の蔦は大樹の成長とともに確実に広がっていった。
「人の和……輪でもいいんだけど。要するにルールからはみ出して、その中から弾き出された人たちが忌人なの。そして、そのルールを作ったのが藤ノ宮。藤ノ宮は1000年以上をかけて、そういう風に日本人を作ったの」
どこまでも伸びた藤の蔦は、最後に大きく十二本に分かれていった。
「忌人っていうのは、日本人には必要のない概念の塊。言ってしまえば産業廃棄物ね」
その十二本は天帝に寄り添い、幾つもの時代を支えた。
「でも、産廃の不法投棄はダメでしょう?だから、藤ノ宮は忌人の有効利用を考えたの」
日本人の影には、必ず藤ノ宮が存在している。
「そのために必要なのが、『忌人の器』」
真紅の唇が、歪む。
六道の微笑みのいやらしいさ。それこそが藤ノ宮の在り方そのものだ。
「もったいぶった言い回しが気持ち悪い。で、結局その忌人の器ってのは何なの?」
自分のスタイルがぶれないことは、真白も負けていなかった。六道がどれほど自分のペースに相手を巻き込もうとしても、真白は自分の機嫌の悪さを隠そうともせず、吐き捨てるようにそう言った。
「簡単に言うと、神様を呼び出すための生贄ね。概念である忌人を具現化するために、その身体を捧げるのよ」
簡単に言われてもいまひとつ理解がおよばず、真白は眉をひそめた。
神様や生贄なんて言葉。単語は知っていても、あまりに日常とかけ離れていてピンとこない。
「生贄に必要なのは、神様を受け入れられるだけの容量」
六道は酒瓶を傾け、盃へ酒を注いでいく。ゆっくりと、愛おしく、溢れるギリギリまで。
「盃が小さければ、注がれたモノが溢れてしまうし。例え大きかったとしても、元から中身が入っているものは、大した量を注げはしないわ」
六道はなみなみに注いだ盃にそっと口づけ、緩やかでも止まることなく中身を一気に飲み干した。そうしてから、満足そうに吐息を漏らし、六道はそれを逆さに振って見せた。
「こんな風に中身のない空っぽな器が、美味しいお酒をたくさん注げるのよ。当たり前の話ね」
自我の希薄さ。
器に対して人間性など求めていない。
「かの有名な第六天魔王様が神降ろしの代表例なんだけど、それが幼い頃はうつけと呼ばれていたなんてことは、まあ……そういうことよね」
六道は空になった盃へ、さらに酒を注いでいく。
注いでは飲み干し、そしてまた注ぐ。何度も何度も、それを味わい尽くす。
「歴史上何度か、この神降ろしはあったらしいわ。幕末の動乱、2回の世界大戦、そういった歴史の転換期。多くの人が犠牲になればなるほど多くの忌人が生まれ、その度に日本は大きな変革を遂げてきたのよ」
「なんか、その言い方は腹たつな……」
ポツリとこぼした、恭一のその一言に誰もが同意を覚えた。事実がどうあれ、言い方が気に入らない。それではまるで、歴史上全ての犠牲者が、藤ノ宮の繁栄のためだったように聞こえる。
「別にそれが良いか悪いかの話はしてないわ。私は事実を話しているだけ」
言葉の上ではそうだろうけが、言い方や態度からはとてもそういう風に思えない。単純に藤ノ宮を全肯定しているだけにも思えるし、わざと人を苛立たせているようにも思える。もしくは、その両方かとも……。
「忌人、そしてその器とはそういうものなの。今回、久我竜胆が何を考え、何をしようとしているのか、私には分からないわ。ただ事実なのは、彼が忌人の器を求めていることだけ……」
六道の口調からは、緊張感も危機感もなかった。どれほど大切な話をしていても、それらが全て他人事のように聞こえる。
「あんた。いや、藤ノ宮は一体何を望んでいるんだ?」
恭一は苛立ちを抑えきれず、六道にそう問いかけた。理解できないものへの気持ち悪さがそうさせた。
「――何も。ただ藤ノ宮は藤ノ宮であればそれでいいの。それ以上にもそれ以下もないわ」
しかし、それでも返ってきた答えは、やはり理解できないものだった。いや、明らかに六道自信が、他人に理解されようと思っていない。
久我竜胆が、何を考えているのかも分からない。
藤ノ宮本家は、特にこれに干渉するつもりはない。
まるで無理やり高いところへ釣り上げられたのに、そのまま宙吊りで放置されている気分だ。これからどうしていいのか分からない。
「ふ~ん。そうなんだ」
そんな息苦しい空気の中を、突然真白の声が間を抜けていった。
全員の視線が集まる中、真白はちょこんと小首を傾げる。
「あら、それだけなの?」
変わらず人をからかうような六道に対し、真白は素っ気なく答えた。
「だって、藤ノ宮が真っ黒なのは今に始まったことじゃないし」
確かに、真白の言うとおりだった。
今まで藤ノ宮に何か期待していたわけでもない。これからもする事はない。だったら今までと何も変わることはない。
「何よ。面白くないわね~」
口ではそう言いながら、六道は盃の中をとても美味しそうに飲み干した。そしてますます頬の赤みが増してきた。
「じゃあ私の話はこれでおしまい。どう?これからの自分の行動を選べるくらいには、情報をあげたつもりなのだけど」
藤ノ宮。
忌人。
そして、忌人の器。
正直、どの話にも誰も関わりたいなんて思っていない。しかし、すでに状況が動き出している以上、何もしないという選択肢は存在しない。それでも、何かを選ぶときには必ず躊躇してしまうのが普通だ。それなのに__
「どう?も何もないよ。トリちゃんの敵になるなら、そいつら全員悪だもん」
真白の答えに、迷いなどなかった。
真白にとって、飛鳥に降りかかる火の粉は、全て振り払わなければいけないものなのだ。
「あらあら。こんなことを言われたら、飛鳥はどうするのかしら?」
六道は盃に酒を注ぎながら、舌舐めずりをして飛鳥の答えを待つ。
真っ直ぐすぎる答えは、時に他人を追い詰める。真白の答えに対して、飛鳥がどう答えるのか。それが肯定でも否定でも、六道は楽しくてしょうがなかった。
普通に考えれば、今はまだ駒が出揃ったばかりと言える。答えを出すにはまだ早い段階だ。よほどの理由がない限り、ここで危ない選択肢を選ぶ必要はない。
そう__よほどの理由がない限りは。
「決まっている。俺の美しい顔に傷をつけたやつは、絶対に殺す」
誰の答えなど聞くまでもない。飛鳥は最初から、竜胆にそう宣言していた。
有言実行。
当然のことだ。
「飛鳥!」
音寧は思わず自分の脚の怪我も忘れて、立ち上がろうとした。しかし、当然痛みのせいでバランスを崩す。
「!」
飛鳥が倒れこんでしまった音寧に駆け寄って、肩を支えようと手を伸ばした。しかし、それより早く音寧に手を掴まれ、それを遮られた。
「私のことはいい!それより__」
「はいはい、姉弟ゲンカに興味はないから、ヨソでやってちょうだい」
どれだけ嫌いな相手でも、六道は富士宮の当主。それに止めろと言われてたのだ。音寧はグッと唇を噛み締め、吐き出したい感情を抑えるしかない。
「二人の答えが面白かったから、私は満足よ。あなたたち、もう下がっていいわ」
六道は自分の役目は終えたとばかりに、すでに興味は盃へと移していた。
「朔、この子たちの世話はよろしくね。あと、戻ってくる時にもう一本ね~」
「はい、御当主様」
突然連れてこられた時と同じく、追い払われる時も突然だった。
お世話を言い渡された朔は、音寧に肩をかして本堂を後にする。
真白はこんな場所に居たくないとばかりに、朔と一緒に音寧支えた。
音寧はしぶしぶといった表情で、二人に連れ去られていった。
恭一がそれに続き、飛鳥もその場を去ろうとした時。
「飛鳥」
不意に六道から声をかけられた。
振り向いた飛鳥へ、六道は何を言うでもなく笑みを浮かべていた。
いつもの六道は人形のような顔で、作り物の笑みを浮かべる。しかし、今の六道の笑みからは確かに感情が現れていた。どうしようもなく溢れているそれは、空を飛べずにもがいている鳥を見下す__完全なる悪意だった。